聖女と王 ① side サラ
サラが捕まったところまで、時間が遡っています。
サラは意識を失った後、すぐに馬車に乗せられた。
解毒はされず、最低限の治療しかされなかった。苦しみにあがき、何度も意識を失った。
誰かにどこかに運ばれたが、体が動かなかった。
また意識を失う。
この間に聖女の力が奪われないか、気がかりだ。
でもきっと、セトが迎えにきてくれる。ミルキーを助けて、彼ならやり遂げるだろう。
リトル・シーは大丈夫だろうか。目覚めたミゲルが助けてくれるといいのだが……
指一本、動かせないのが口惜しかった。
「…………」
意識が浮上する。
あれほど不快だった痺れがなくなっている。感覚が戻ってくる気がした。唇に何かが触れて、喉に液体が流し込まれる。
──嫌……だ。
二度と触れたくなかった感触がした。ままならない首を動かすと、顎をとらえられた。ねっとりとしたモノが、喉を落ちていく。
苦い。不快な味。
二度と飲みたくなかったものを無理やり体内に送られる。たまらなく嫌で、動かしにくい唇を必死に閉じた。
むせると、口の端からねっとりとした液体がたれる。
「サラ……ちゃんと飲まなきゃダメだよ」
こぼれたものをぬぐうように、生暖かな感触が口の端を這う。生暖かいそれは、唇までくると、こぼしたものを口の中にいれてきた。
「っ……」
嫌悪感で肌が粟立ち、サラは顔を横に振る。薄く目を開くと、碧眼が見えた。
彼の姿を見て意識は覚醒。かっと、頭に熱があつまる。でも、すぐ冷や水を浴びせられたように脳が冷えた。
ミゲルをあんなめに合わせたのだから、殴ってやろうと思ったのに、サラは拳がだせなかった。
息を飲んで彼を、この国の王となった人をみる。
やつれた頬にくぼんだ目。
記憶の中にある彼の姿とは別人だ。
でも、この風貌には覚えがある。彼の父、前国王とそっくりだった。
「でんか……」と、問いかけるような声がでてしまい、慌てて口を引き結んだ。
その拍子に、ジャリっと、嫌な音が手首からした。
視線を向けると、手に黒々とした枷がはめられている。
長い漆黒のチェーンは、端にくくりつけられ、サラを拘束していた。首には赤い鱗を隠すような黒い首輪。服も着ていたものと違う。扇情的な白い夜着しか身につけていない。
なによりここは、ベッドの上だった。
──これは……
はっとして耳に触れる。ノームたちと連絡がとれるイヤリングは外されていた。
嫌な予感がして、どくどくと心臓が脈打ち、息苦しくなった。
彼は、自分に、何をした?
「ねぇ、サラ……」
指を一本立てて、彼は漆黒の鎖をなぞる。横顔は穏やかで、幸せそうだ。
「外の世界は楽しかった?」
ゆっくりと顔がこちらを向く。彼の青い双眸に底知れないものが見えて、腰の辺りがひやりとした。でも、目だけは睨むことをやめない。やめてしまったら心がへし折られると、戦士の自分が警告していた。
「僕がいない世界は、君に優しくしてくれたかい? 僕が教えていない遊びを君は覚えてしまったのかな?」
──ジャリ、と音がしたと思った瞬間、ベッドに両手をついていた。
遅れて鎖を引き寄せられたのだと、理解する。
「悪いけど、体は調べさせてもらったよ。きれいなままだったね。よかった。誰かにいじられた痕があったら、君を殺してしまうところだったよ」
心と体に拒絶反応がでて、肌が粟立った。
セトとのあたたかい思い出を土足で踏みにじられた気がして、怒りが込み上げてくる。
顔をあげる。目の前の人が本気で嫌いだ。だから、うつむきたくなどなかった。
鋭く見たというのに、目の前の人は瞳をとろけさせた。
「怒ったの? 破瓜はしていないから安心してね。君の意識がないときに奪っても意味がない」
弾んだ声に、今すぐ殴ってやりたくて拳が震えた。感情を殺して、気持ちを沈める。心を切り離せ。今は。そう今は。激情は不要だ。
従順なふりをして、時間を稼ごう。きっとみんなが、なんとかしてくれる。自分の今の役目は囮だから、どんな屈辱も受け流す。
「……私は戻りました。だから、民に何かしようとするのはやめてください」
彼は想像した答えと違うのか、目を丸くして瞬きを繰り返した。
呆然とした顔に眉根をよせかけたとき、彼は肩を震わせた。その震えは全身に広がり、唇が歪な形で持ち上がっていく。噴火直前のマグマのように、碧眼が燃えだした。
「こんな時まで、民の心配? 相変わらずの聖女精神だ……ミゲルを助けたと聞いてそうだと思ったけど……変わらないな……本当に君は僕を見ない。口を開けば、他の者の名前ばかりで、僕のことを名前で呼ぼうとしない……ねぇ、なんでなの?」
彼が片手をついて体重をのせたので、ベッドが軋む音がした。目と鼻の先に碧眼があるが、サラは動かなかった。
「また傷つけなくちゃ、君は僕を見ないかな……?」
彼が鎖から手を離し、帯刀した剣を引き抜く。
握りしめていたのは【賢者の剣】。それを逆手に持って、サラの目の前で大きくあげた。
銀色の切っ先が、視界の上で、不気味にきらめいている。傷つけられた恐怖は、静かな湖面の境地でいるサラには、遠いものだった。
刃先はサラを狙っていない。なら、これは脅しだろう。サラは眉一つ動かすことなく、彼を見据えた。
やれるものなら、やってみろ。
あなたのことは、もう怖くない。
瞳に意思を宿した。
彼にも覚悟は伝わったのだろう。ならばと、銀色の凶器が、サラの眼前で振り下ろされた。
ひゅっと、息を飲んだのはどちらだったのか。
剣はサラの前髪をかすめながら、マットレスに突き刺さった。
引き裂かれたところから、羽毛が飛び出し、淡い白がサラの手の上にふった。
手にも剣は刺さっていない。
手と手の間を狙ったようだ。
銀色の剣を挟んで、瞬きもせずに、二人は見つめあう。
みじろぎでもしたら、戦いが始まりそうな緊張感だ。
次の瞬間には、血を流しているかもしれない。
嵐のまえの静けさを感じて、サラの瞳は金色から緑に変わった。
ふ、と空気が変わる。
彼の口元に挑発的な冷笑が浮かんだからだ。
「力を使って、僕を殺そうとしても無駄だよ。僕の死は、エターナル・ループを起動させるものだ」
サラは目を見張った。
彼はくつくつ喉を震わせ、すっとマットレスから剣を引き抜いた。白い羽がやけに軽やかに、サラの手に落ちる。
「この国を囲う城壁がなぜ、エターナル・ループというか教えてあげる。簡単なことだ。【最後の審判】を再現する装置だからだよ」
サラの心臓が跳ねる。
「最後の審判……第三の救世主がする……」
「そうだよ。生きている者も死んでいる者も、溶岩に飲まれて真の平穏が訪れるというあれだよ。だから、エターナル・ループ。誰もいなくなったら、争いはないし、平和だよね?」
とびきりの贈り物をあげる子供みたいな、彼は無邪気な笑顔になった。
「僕が死ねば、城壁に描かれている術式が発動する。悪神アンラ・マンユさまが、エターナル・ループ内にいる人間を、【賢者の石】に錬成してくれるんだよ。あの城壁は、錬成釜だ」
何を言われているのか、理解ができなかった。
思考が真っ白に染まりかけ、サラは奥歯をかみあわせ、意識を取り戻す。
「そんなこと、できるはずありません……」
つとめて冷静な声をだした。どくどくと脈打つ心臓に、意識を奪われないように、心を落ち着かせる。
彼はふ、と笑った。
それが合図だったのか。
彼の背中からじわりと黒いものが出てきた。
煙。あるいは影。
たとえようがない黒いものは、禍々しく大きくなりながら、何かの形になっていく。
精霊を見ていたサラも、この光景には畏怖を感じた。なんとか体を震わせないように、心を律しているが、他の人が見たら卒倒するだろう。
それほどまでに黒いものは、異様で、恐ろしく感じる。今すぐ逃げろと、頭の中で警笛が鳴っていた。
黒いもやは、天井につきそうなほど広がり、やがて人の形になった。
全身黒づくめの男だ。
年は、壮年に見えた。
やつれた頬に、くぼんだ瞳。
黒い瞳が、無感動に、サラを見下ろしていた。




