虚偽②
──平和な治世で、共にすごす。
それは、よくできた作り話のようだ。
信じていたものが覆され、もう何がなんだかわからない。
彼は何かを企んでいるのか?
でも、生まれたときから彼を知っている。
二十二年間、彼を見てきたが、公平で聡明な人だった。
【七大貴族】に反発して、「第一隊を率いることになった、これからは僕もサラと一緒に戦えるよ」と言われたときは、驚いたが嬉しかった。
心より彼を信頼して、この人が作る国を守る盾でありたいと願っていた。
恋なんて叶わなくてよかったのだ。
彼が作る国を守りたかった。
それなのに──盾ではなく、女になれと彼は言っている。
心は出口の見えない迷宮に入り込んだみたいだ。
彼を好きならば、その手を取ればよいのか。
だけど、腕は動きを忘れたかのようにだらりと下がったまま。
いつの間にかサラの瞳から、涙がはらはらと流れていた。
「聖女である私は……いらなかったのですか……?」
ドルトルはどこまでも深い闇を瞳にたたえながら、うっそりとほほえむ。
「いらない。僕はサラという女性が欲しいんだ」
サラはうつむき、自嘲の笑みをもらす。
欲しいと乞われているのに、心が動かなかった。
それよりも矜持を傷つけられて深い悲しみが胸をしめつけた。
自分に聖女の素質はなかった。
ただ、王家の女が自分しかいなかったから聖女になっただけだった。
もしも自分に姉妹がいたら、その人がなっていたかもしれない。
聖女に選ばれたという誇りは、奢りだったのだ。
彼だけではなく王も父親も言うなら、自分が作られた聖女という話は真実なのだろう。
そして、戦いが終わるから、女に戻れという。
自分じゃ決められず、他人によって決められた人生、役割。
まるで他人が操るマリオネットのような自分。
これが、十年間、戦い続けてきた末路か。
サラは下唇を噛みしめた。
──違う。
自分の人生は、自分のものであってよいはずだ。
聖女の役目は重かったが、それでも血を吐く思いでしてきたんだ。
「いらなかった」と否定される筋合いはない。
戦え!──と、聖女の力がざわめく。
運命に抗え!──と、サラを鼓舞した。
次の瞬間、サラは戦場に立つ者の顔になっていた。
「お断りいたします」
静かな広間に凛とした声が響く。
サラは呆然としたまま手を差し出しているドルトルを眼下にとらえる。
「私は聖女の力を奪われるのも、殿下の愛人になるのもごめんです」
酷薄な眼差しで、サラはスカートの端を持ち上げ、足を乱暴にけってハイヒールを脱ぎ捨てた。
深紅の絨毯から、真っ赤なハイヒールがはみ出て、大理石の床に転がる。
サラは構えをし、意識を集中させて力を発動する。
赤い鱗が皮膚の上を這い、腕を、頬を、心臓を覆う。
「殿下の盾になることは今日限りでやめます。聖女の力は奪わせません」
ドルトルはひとつ息をはいて、悠然と立ち上がる。
「盾にならなくていい。君は僕の腕の中にさえいればいいんだ。抗っても無駄だよ……これは王命だ。君の味方はいない」
サラは動じなかった。
ドルトルがやれやれと首をふる。
「困ったな……手荒なことはしたくなかったけど……サラは頑固だからな……」
ふっと、彼のまとう空気が変わる。
これは彼が剣を抜くときに見せる覇気。
緊張感が一気に高まった。
「ねぇ、サラ。……僕のこと、愛しているんじゃなかったの? 抵抗するのはなぜ?」
壊れた人形のようにドルトルが首をかたむける。
サラは答えに迷わなかった。
「殿下の思いは、支配です。愛情ではありません」
そう言うと、彼は碧眼を丸くした後に、ははは!と声を出して笑いだした。
笑いを噛み殺しながら、ドルトルが目尻にたまった涙を指でぬぐう。
「まさか君に、愛がなんなのか言われると思わなかったな……面白いよ。うん。愛って何なのかたっぷり教えたくなるね」
明るい調子で言われても、警戒は怠らない。
サラは「お断りします」と短く答えた。
「つれないな」と彼も短く返事をする。
サラは不敵にほほえんだ。
「武術で私に敵うものはいません。殿下には捕まりませんよ」
ドルトルは愉快そうに、にっと口の端を持ち上げた。
「それは、どうかな?」
不穏な空気を感じて、握った拳に力をいれる。
アメリアがすっと前に出てきて、優美な笑顔のままドレスのスカートの端を高く持ち上げた。
素足をさらすのも構わず、黒いハイヒールを履いた彼女は、一回ステップを踏むと、床に円を描くように足を踊らせる。それを七回くり返した。
タタンっ!
大理石の床を黒いハイヒールが蹴る。
ルージュのついた彼女の唇が持ち上がった。
「【ゴーレム】よ! サラさまを捕まえなさい!」
甲高い声が合図となり、控えていた土気色の近衛兵が一斉に飛びかかってきた。
知らない言葉──ゴーレムの名前に動揺したが、すぐに戦闘態勢に入る。
サラは三段のペチコートがついた深紅のスカートをひらめかせ、後方に回転する。
跳躍した後は邪魔なスカートの端を持って、赤い脚で近衛兵の一人の首を蹴り倒した。
近衛兵が被っていた赤い帽子が吹き飛んでいく。
首にめりこんだ足は、頭を吹き飛ばすぐらいの衝撃だろう。
こっちは命懸けだ。急所を的確に狙っていく。
次々に襲いかかる兵を蹴りと拳で倒していると、倒れていたはずの兵がゆらりと立ち上がった。
「なんだと……」
その光景にサラは目を見張る。
帽子を被っていたので表情がわからなかったが、彼は人間ではなかった。
顔が半分崩れた土人間だった。
──なんなんだ、こいつらは……!
サラはゴーレムたちを力で圧倒しながらも焦っていた。
倒しても倒しても、起き上がる土人間たちに奥歯を噛み締めた。
無限に再生する土人間を長時間相手にして、さすがのサラにも疲弊の色が濃い。
──まずい……力がなくなりそうだ。
このままではらちが明かない。
サラはガラス張りの窓に視線を向けた。
白い鳥が飛んで青空と、清らかな水を吹き上げる噴水がある中庭が見える。
跳躍すれば割って外に出られるだろう。
「はあぁ!」
土人間を蹴り飛ばして、体勢を低くする。
「!?」
飛び立つ瞬間。
窓からごぼごぼと茶色いものが蠢きだした。
それは奇妙に変形しながら上半身だけの土人間となる。
窓が土人間で、すべて封鎖され、室内が暗くなった。
「ふふっ。サラさまを外へ出しませんわ」
アメリアがころころと笑い、口を引き結ぶ。
「なら、お前を倒す」
錬金術の発動法は分からないが、術者を倒せば状況は変わるかもしれない。
サラは足の瞬発力を使って駆け出した。
瞬時に詰めより、背後をとって彼女の腕を捻りあげようとする。
「蹴らないなんて、お優しいんですね」
アメリアはうっとりと微笑むと、手をすり抜け高く飛んだ。
サラの頭上を彼女が着ていた白色のスカートがひらめく。
フリルが贅沢にちりばめられたスカートは、可憐な残像をサラの目に焼き付けて消える。
呆気にとられて、首だけを後ろに向けた。
アメリアはころころと笑っていた。
「サラさまに憧れて、体術も勉強しましたの」
サラは眉間に深く皺を刻み、体を回転させながら蹴りを繰り出す。
アメリアはそれも余裕の笑みでかわして、後ろに下がると、またスカートの裾を持ち上げて足でステップを刻んだ。
──ざしゅんっ ざしゅんっ ざしゅんっ
土人間たちが動きを止めて、砂になっていく。
その砂は生き物のようにうごめき、ひとつの塊になった。
天井まで届きそうな巨大ゴーレムが完成し、サラを見下ろす。
信じられない光景に、サラは茫然としてしまった。
サラが動きを止めている間に、ゴーレムは膝をついて手のひらにアメリアをのせると、彼女を肩に乗せた。
「さぁ、サラさま。観念なさってください」
「っ……誰がっ……」
サラは低い声を出してゴーレムを見据える。
ただデカイだけの木偶の坊だ。
巨大化した分だけ動きは鈍く大雑把になる。
これを破壊して一気に扉の外へ──と、頭の中で算段を立てていたときだった。
「もう諦めなよ」
隙をつかれてドルトルが背後からサラを抱きしめる。
完全にノーマークだった。
悔しさが胸をよぎったが、次の瞬間、脇腹を剣で貫かれる衝動が走り、サラは瞠目した。
「かはっ……」
赤い鱗で覆ったはずなのに、なぜ貫ける。
この鱗は最強の盾なのに。
息も絶え絶えに顔をあげると、彼は涼しげな顔をしていた。
「これは、聖女を従えるための【賢者の剣】だよ。ずっと持っていたけど、君は気づかなかったね」
ドルトルが常に帯刀していたのは二本の剣だった。
予備の剣を帯刀しておくのはよくあることだ。
だから、気にもとめなかった。
「ぐっ……」
痛みに喘ぐサラの顎を彼がとらえる。
「本当に貫けるか半信半疑だったけど、言い伝えは本当だったんだね……
深い傷になってしまったけど、ポーションがあるから大丈夫だよ。痕は残らない」
ドルトルの顔がサラに近づく。
影が落ちた青い瞳の中に自分の姿が見えた。
「サラは僕のものだ」
言い終わると唇が奪われる。
抵抗したくても腹の痛みで力が入らない。
空気を求めて口を薄く開いたとき、彼の舌がからみついた。
深く口の中を貪られて、サラの体が小刻みに跳ねる。
我が物顔で支配されるのは屈辱的だった。
手をでたらめに動かして暴れると、刺さっていた剣が引き抜かれた。
「っ……!」
激痛に脂汗をかきながら、サラは転がるように床を滑った。
床に鮮血の道ができる。
サラは脇腹を手でおさえながら、ドルトルを見据えた。
歪んだ視界で見えるのは、変わらない笑み。
怒りで我を忘れそうだ。
「そろそろ、疲れてきたでしょ。ゆっくり眠るといいよ」
笑うドルトルを見ながらサラは膝をつく。
意識を失いかけ、心を律するが、傷を塞ぐ力が残っていない。
「ぐっ……!」
油断している間に巨大ゴーレムがサラを拘束した。
サラの身長ほどある土の手のひらで体を拘束され、痛みにあえぐ。
「サラさま、捕まえましたわ」
無邪気な声をだすアメリアを憎々しく思いながら、思考は闇に落ちていく。
「……次に会うときは、思いっきり可愛がってあげるね」
幸せそうに言われて、サラは悔しくて涙を流した。
──ふざけるな! 私の人生だぞ! 何もかも勝手に決めないでくれ!
尊厳は踏みにじられ、愛でられるだけの人形になる屈辱。
嘆きに苛まれ、運命というものを恨みたくなった。




