虚偽①
本日、五話更新しています。
深紅の絨毯の上を静かに歩きながら、切れ目の手前で足を止めて腰を落とし頭をたれる。
壇上には玉座に座る国王、その右隣には側近が立っていた。
壇上の右下に自分の父親。
左下にはドルトルがいて、彼の後ろには──アメリアが控えていた。
なぜ、彼女がここにいるのか。
サラは体を強ばらせながら言葉を待つ。
傷つく覚悟をしておこう。
大丈夫だ。こうなることは予期できたことなのだから。
水を打ったように静かだった部屋に、老齢の側近が粛々と声をだした。
「サラ=ミュラーは、今までの功績を称え、聖女の職を辞任。新たな聖女の座には、アメリア=ロンバールが就くこととする」
功績を称えて? 辞任──?
体が大きく震えて顔をあげそうになる。
だが、この場で顔をあげるのは許されない。
自分に許されるのは賜りましたの一言のみだ。
「サラ=ミュラーと王太子殿下との婚約はこの日限りで白紙。王太子殿下の王太子妃は、アメリア=ロンバールに決まった」
婚約白紙──は、妙に納得した。
覚悟したからか、涙はでない。
でも、次の言葉は耳を疑うものだった。
「サラ=ミュラーは聖なる焔に焼かれて、聖女の力を解放。その後、王太子殿下の寵妃とする」
何を言われているのか理解ができなかった。
気を失うほどの鼓動を感じていると王が口を開く。
「この八年。国境を守り抜いたそなたに感謝している。もう戦わなくてよい。聖女の力を解放し、これからもドルトルと仲睦まじくしておくれ」
まるでそれがサラにとって最善の道だと言いたげな物言いだった。
一言も発せずにいると、場違いな涙声が聞こえる。
「サラ……本当によかった……」と、言い出したのは自分の父親だ。
声に導かれるように顔をあげると、公式な場にもかかわらず彼は口元をおさえて泣いていた。
父上──?
声をかけたくても、口が全く動かない。
茫然としていると、彼は感情的に話し出した。
「よかった……本当によかった。こんな日を迎えられるなんて、今までの苦労が報われるようだ。
戦うしか能力のないお前を、殿下は心から愛してくださったのだよ。寵妃なんて厚待遇じゃないか。
国母さまなんて、お前にとても務まるわけない。務まるわけないのだ……お前は粗野で男みたいだからな!
それなのに……ううう……父親としてこれ以上、嬉しいことはない。
聖女を作るために犠牲になったお前の兄たちも冥界で喜んでおるよ!」
狂ったように泣き出した父親に悪寒が走った。
何が起こっているのか分からないまま黙っているとドルトルが父親に近づく。
「伯父上……後は僕が話しますから」
父親は嗚咽を漏らしながら何度もうなずき、国王たちと共に退室した。
その場にはドルトルとアメリアと近衛兵だけが残った。
「サラ……」と、いつもより甘い声で呼ばれる。
言われたことがひどく現実味がなくて、今日は二本の剣ではなく一本しか帯刀していないのだな──と、どうでもいいことが頭を過った。
「ようやく君を僕だけのものにできる日がきたね。とても嬉しいよ」
幸せでたまらないという顔をされドルトルは膝を折る。
端正で美しい顔が近くにきて、サラは瞠目する。
目の前のこの人は、何を言っているのだろうか。
茫然としていると、右手をとられて爪先にキスを落とされた。
「相変わらず君の肌は冷たいね。聖女の呪いだと思うと忌々しいよ」
呪い? この力は聖なるものではないのだろうか。
「突然のことに驚いているみたいだけど、これは最初から決まっていたことなんだよ」
サラが薄く口を開く。
「聖女──不死鳥の力は、王家の女が受け継いできたものなんだ。その力の正体は【賢者の石】と呼ばれる霊薬だよ。
【賢者の石】は、真っ赤な石でね。それを錬金術師が液体にして、王家の女子に飲ませるんだ。君も大聖堂で信託を受けた後、聖杯を飲んだだろう?」
問いかけられ記憶を探る。
十二歳の年になると、この国では誰もがロスター教の洗礼を受ける。
聖堂では常に業火が燃え上がっており、王族のみ信託が下される。そこでサラは聖女になることを告げられた。
洗礼は、赤ワインがたっぷり入った聖杯を飲む。酒を口にしたことがなかったサラは、聖杯の中身はワインであると思い込んでいた。
聖杯を飲んだ瞬間、体の中で何かが這い回り、苦痛にあえいだのは覚えている。
三日間、意識が朦朧としていて、そばでは神官が聖歌を唱えていた。
目覚めたとき、自分の金色の髪は、赤く染まっていた。
聖女となる者は生まれながらに素質があり、神官の聖歌によって力が解放される──というのが、サラが聞いていた話だった。
サラが聞かされていた話は虚偽であった。
自分だけが、何も知らされていなかった。
茫然としているサラを置いてきぼりにして、ドルトルは語り続ける。
興奮しているのか、碧眼は大きく見開いていた。
「聖女は国のために戦いを強いられ、最後は命ともども業火に焼かれるんだ。
【賢者の石】の力を失わせないために、聖女の命で新たな石を錬成する。
死んでも炎の中から復活する不死鳥のようにね。
そうやって、この国は敵から身を守ってきた。聖女は国の安寧のために贄とされてきたんだよ」
ドルトルが顔から笑みを消した。
「そんな馬鹿な風習にサラが巻き込まれたと知ったとき、国を恨んだよ。僕は君を助けたかった。だから、アメリアと共にポーションの開発をひそかに進ませたんだ」
いつの間にかドルトルの後ろに控えていた彼女を見上げる。
彼女は恍惚の笑みを浮かべていた。
「サラさまのお命を救うものを作れて、光栄でございます」
意味がわからない。
彼女はまるでサラの為にポーションを作ったかのような口ぶりをする。
「サラ……」と、ドルトルが声をかける。
「聖女の力を解放するには、業火に焼かれるしかない。火で炙られれば、石と君は分解され個々になる。
この国に古くからある神官の奇跡に、【魔術】をかけあわせたものだ。
他に方法が見つけられなかったけど、君は僕を愛しているから大丈夫だよね?」
サラは顔をひきつらせた。
「怖がらなくていいよ。アメリアのポーションがあれば、君は回復するし死なずにすむ。丸一日、全身を焼かれるだけだから」
大したことがないように言うが、死に至る炎で焼かれるのは気が狂うほどの苦痛だろう。
怖い。嫌だ──と、口にしそうになる。
いくら無敗の力を持とうとも、自分は人間だし痛みは感じる。
万が一、助かったとしても自分の心はどうなるのだろう。
煉獄を見た人間は正気でいられるのか。
きっと、心は粉々に壊れる。
恐怖で全身を硬直させていると、ドルトルは自分の髪を一房すくいあげる。
反射的に体が震えると、髪を引っ張られた。
頭皮が引っ張られ、痛みが走る。
「この赤毛もずっと忌々しかった。サラは金髪がとても似合っていたのに……」
憎悪に満ちた瞳で赤毛を見られ、腰の辺りがひやりとする。
ドルトルはふっと目元をゆるめると、髪の毛一本一本をばらばらにしながら、髪の毛を離す。
彼はにこっと微笑んだ。
「君が金髪に戻ったら、他の者が驚いて腰を抜かすだろうね。だから、君の金色の髪は僕だけが見ればいいよ。そのためにアメリアを次の国母に選んだのだから」
ひゅっと息を飲む。
「どういうこと……ですか……?」
やっとの思いで声を振り絞りだしたが、彼は平然と信じられないことを言う。
「国母にしたら、また君を民に奪われるじゃないか。君は人気者だし、君にかしずく者も多い。……そんなの、もう嫌なんだ。サラは僕の姫なのに……あぁ、アメリアは僕と同じで、君の崇拝者なんだ。僕と君が仲良くしていても問題はないよ」
アメリアが胸を膨らませて笑顔でいう。
「初めてサラさまを見たときから、なんて気高く美しい方なのだろうと思っておりましたの。
王太子殿下とサラさまのお幸せの為なら、どうぞ、わたくしを隠れ蓑にしてくださいませ」
アメリアは聖母のような声で悪魔みたいなことを言う。
「教育は充分に受けてきました。立派に王太子妃の役割を務められますわ。
ふふっ。サラさまは人気者ですし、わたくしが聖女になれば反発する者はでてくるでしょうね。でも、わたくしは構いませんわ。批判は受け入れましょう」
清楚な顔をしていたアメリアの顔が歪む。
「わたくしは錬金術師。願いを叶えるために、邁進する魔女でございますから」
アメリアの思考はサラには到底、理解ができなかった。
「愛しているよ、サラ。もう民の前にでなくていい。僕の腕の中だけで可愛く咲いてくれ」
サラは憔悴した顔でドルトルから視線をそらした。
「……聖女の力は……どうする気ですか……?」
「あぁ、【賢者の石】は粉々に砕くよ。
帝国との和平交渉も進めるから、もう必要ないしね。僕が目指したいのは、聖女に頼らない治世。そのために色々と準備をしてきたから、サラは何も心配しなくていいよ」
ドルトルが手を差し出す。
「平和な治世で、共にすごそう?」