聖女の定め④
サラは兵舎を出ると、アントラにある礼拝堂に向かう。
ヤルダーは礼拝堂の建物の前まで付いてきた。
これ以上、付いてくるなよと目で訴えると、彼は肩をすくめて立ち止まる。
それを見て、サラは中に入っていった。
中には神官がいた。
軽く挨拶をかわし、礼拝堂を抜けて霊安室に向かう。
少しでも腐敗を防ぐために、霊安室は地下にあった。
白い布がかけられた亡骸が赤い土の床に並んでいる。
小さい布もある。
損傷がひどくて、一部しか連れて帰ってこれなかった者だ。
骨一つになろうとも、故郷に帰すことをサラは徹底していた。
寝食を共にし、戦ってきたものたちの生きている姿を瞼の裏に描く。
込み上げるものがあったが、腹に力をいれた。
サラは両手を広げて、手のひらを上にする。
顔を天井に向かってあげて、口を開いた。
喉を滑るように音階がでる。
捧げるのは名前のない歌だった。
初めて戦場に立ち、倒れたものを見て涙を流しながら歌っていた。
誰に教えられたわけでもなく、聖女の力がそうしろと、ざわめいたのだ。
朗々と歌う姿を見た周りは「さすが聖女さまだ」と言ったが、これはただの歌だ。
自分には彼らを癒せる力はない。
サラは歌い終ると、深く腰を落とした。
「お前たちの犠牲で国は守られた……感謝している。次に敵が攻めてこようと、母国の土は踏ませない。お前たちの分まで私が戦う」
腰をあげて祈りを捧げ、その場を去った。
神官に礼を告げ、早足で礼拝堂を抜ける。
──もう少し。もう少しだから、我慢しろ。
込み上げてくる涙を耐えて駆け出す。
礼拝堂を出たら、泣ける。
一人になれば──と、思っていたのに、礼拝堂を出たらヤルダーがいた。
しかも、煙草をふかしていた。
サラは口を引き結んで、目尻にたまった涙を乱暴に目でこする。
泣いているところは見られたくない。
弱さを吐露するなと、師であるミゲルに昔、強く言われたから。
「なんで、まだいるんだ……」
ぶっきらぼうに言って、彼の横を通りすぎる。
ヤルダーは煙を口から吐き出した。
「俺なりの仲間の弔いかたなんです。お許しください」
彼が煙草を吸うのは、限られたときだけだ。
この煙草は息子のはじめてのプレゼントだったと嬉しそうな顔で言われたことがあるので、やめろと強くは言えなかった。
「灰は落とすなよ。礼拝堂前だぞ……」
「息子が作ってくれた灰皿をもってきています」
「そうか……」
紫煙に包まれ、鼻をすんと鳴らす。
ヤルダーから距離をとって、次々とあふれる涙を手でぬぐう。
「……煙い」
「すみません。これで最後にしますから」
サラは肩を震わせて顔をあげた。
月の横を鳥だろうか。一羽の影が通りすぎていった。
「サラさま……煙草を吸っている俺が悪いんです。目にしみるでしょう? 泣くのは煙草のせいですよ」
声をかけられ、サラの双眸から涙が流れた。
見透かされて少し悔しい。虚勢を張って、声をだす。
「ミゲルには……泣いていたことを言うなよ。……また、叱られる」
「言いません。あいつとは昔から考えが合わないので」
苛立ちを含んだ声色に泣きながら笑ってしまった。
二人は同じ仕官学校出身だ。
よく気安い言葉──というには喧嘩に見えるが、端からみると親友同士に見えた。
本人たちは嫌がりそうだが。
「なら、いい……」
そう言うと、ヤルダーはもう何も言わなかった。
会話をおえると、また涙がとめどなく流れた。
泣くのは死なせてしまった悲しみが肩にのしかかっているせい。でも、深い悲しみに囚われていたら動けなくなる。
だから、今だけだ。足を止めて、泣くのは。
サラは声を殺して静かに泣いた。
しばらくして煙の匂いは消えたが、自分が歩きだすまで気配だけはずっと残っていた。
翌日。顔を洗ったサラは鏡で自分の顔を見た。
目元は腫れていない。いつもの顔だ。
兵士服に着替えて、戦闘では身につけない白いマントを纏う。
将軍にしか与えられない白いマントには翼を広げるフェニックスの模様が、背中に描かれていた。
白いマントを翻し、サラは部屋を出た。
*
戦場の処理を終えたサラは王と神への報告のため、ドルトルと共に王都へ向かった。
凱旋門をくぐると、サラたちに歓声が浴びせられる。
「キャー! サラさまぁ!」
「サラさま万歳! ドルトル王太子殿下、万歳!」
歓声に手を振っていると、馬に乗って並走していたドルトルが近づいてきた。
「相変わらず人気者だね。少し妬けるな」
「そうですか? 私への称賛は殿下あってのこと。第一隊を殿下が動かしてくれたから勝てたのです。これで、砦を完成させれば、兵が流す血が少なくなりますね」
「うん。国を守る砦の完成は僕の悲願だよ。それに……」
ドルトルはそこで一度、言葉を切り【古代語】で話しかけてきた。
この言葉は元々は、錬金術師たちが使っていた暗号文。
失われつつある言語だ。
大人には聞かせたくない会話をするために、子供の頃、ひっそりと二人で覚えた言葉であった。
『今度の戦を最後に、帝国と停戦し和平交渉をしたいと思っているんだ』
ドルトルの言葉に、サラは息を飲んだ。
『……停戦ですか? 帝国が素直に応じるとは思えませんが』
『帝国も一枚岩ではないんだよ。僕たちの国は昔ほど国土が大きくはないし、落としても旨味は少ない。
不死鳥を落とせば、永遠の繁栄が手に入るという虚妄にとりつかれた一部の者たちが戦をしたがっていただけだ。
帝国のバルハッツ殿下は、南にあるウーバーと交易する方が自国の発展に繋がると考えているんだ。
殿下は無益な戦争をやめたがっている』
ドルトルは指を一本立てて、口元にあてた。
『これは【七大貴族】しか、まだ知らない話だよ』
『民には、知らせないのですか?』
『明日には発表になるはずだよ』
【七大貴族】は、国家の中枢。
政務を行わない王に代わり、議長を中心に様々な取り決めをしている。
『……私の知らない間に、そのような話があったんですね』
『うん。やっぱり、戦争なんてない方がいいからね』
──平和になるかもしれない。
戦わない自分など想像できなくて、この先どうなるのか見えてこなかったが、サラは唇に笑みをのせた。
『戦争はない方がいいです。戦がなくなるなら、命を散らした者たちが浮かばれますね』
『そうだね。時代は変わるよ』
サラはドルトルに向かってほほえんだ。
『なら、私は変わらず殿下の盾になります。新しい時代の荒波から殿下をお守りしましょう』
言いきるとドルトルは碧眼を丸くしたあと、すっと瞳から光を失くした。
「……君がそういうから僕は……」
歓声にかき消されて、ドルトルの声はサラには聞こえない。
「殿下……?」
声をかけると、ドルトルは爽やかな笑顔になる。
「……それも、もうすぐおしまいだね」
言い切られても、なんのことだかさっぱり分からない。
尋ねようとしても歓声が大きくて、言葉を交わすことはできなかった。
*
凱旋の後は、王への謁見と、盛大な祝賀パーティーが開催されるため、サラは用意された控室で、窮屈な深紅のドレスに着替えた。
コルセットをぎゅうぎゅうに締め付けられ息苦しい。
腰まである赤毛はアップにされた。
堅苦しいドレスにため息をつく。
ペチコートが三段もあるドレスは動きにくくてしかたない。それにハイヒールを履くのも気が重たくなる。
身長の高い自分がハイヒールを履くと、だいたい男性と同じ目線になるか、目線は下になる。
男性を下に見るのは気分のよいものではないし、背の高さに驚かれるのは傷つく。
ドルトルはサラよりも背が高いので、ドレス姿を気に入ってはいたが、なんやかんやと理由をつけて着る機会を避けていた。
「サラさま、準備が整いましたら、謁見の間へお越し下さい。国王陛下がお待ちです」
声をかけられ、気を取り直して、謁見の間へ向かおうと廊下に出た。
回廊を歩いている途中、窓の外の庭園で自動人形が花たちに水やりをしていた。
庭師と同じ服装を着たゼンマイ仕掛けの人形が、手にもったじょうろ傾けて、花に水をあげている。
横にスライドするように動き、次々に水を撒いていた。
サラはそれを横目で見ながら驚いていて足を止めた。
──【自動人形】が王宮にも導入されたんだな……
一定の動きを繰り返すお仕事ロボット──自動人形は技術大国ウーバーから流れてきて、国内で発展しつつある技術だ。
フロックという技師が中心となって製造されていた。
しかし、七大貴族の議長が、気持ち悪がっていて王都での導入は見送られていた。
一年ぶりに帰る王都の変わりように、ドルトルの言っていた時代の変化を肌で実感した。
謁見の間の扉が見えてきた。
扉の前に立つと、サラは両脇に立っている近衛兵を見て眉根をよせた。
いつもの近衛兵ではない。
顔は土気色で生気がないように見えた。
赤い帽子を深々と被っているので表情は見えないが。
不信感を抱いている間に、重い扉が開かれた。