聖女の定め③
テントのすぐそばにミゲルはいた。
自分で包帯を巻いているようだ。
腕の傷は止血しきれていなく、包帯の上からうっすらと血が滲んでいる。
むすっとした横顔に近づき声をかけた。
「片手ではやりにくいだろう。私が巻く」
ミゲルが振り返った。
顔が憮然としているが、包帯を巻く手がとまっている。
それを了承とみて、サラはミゲルの包帯を巻いていく。
巻きながら、穏やかな声で話しかけた。
「ポーションを飲まなかったんだってな。医師が怪我の心配をしていたぞ」
「あんな得体の知れない薬、わしは飲みません。それに、ぽっと出の女をあなた様まで聖女化するなど、どうかしておりますぞ。聖女さまは最前で戦ってきたあなた様でしょう」
声を張られて苦笑した。
包帯の結び目を作り、顔をあげる。
「悪かった。だが、ポーションの力は目を見張るものがある。あれを目の当たりにしたら、聖女さまだと思いたくなるのもしかたないだろう。兵士を叱らないでやってくれ」
肩をポンっと叩くと、ミゲルは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……わかりました……」
「そうか。なら、お前もポーションを──」
「わしは飲みませんぞ」
「ミゲル……」と、叱るような声をだすと、彼はふんと鼻を鳴らした。
「……薬の数は限られているでしょう。こんな老体よりも、若い奴に飲ませてやってください」
サラは目を丸くしたあと、喉を震わせて笑いだした。
──まったく、ミゲルらしい。
ミゲルが怪訝そうに肩眉をあげた。
サラは彼の肩を軽く二度、叩く。
「重傷者に優先的に飲むように伝える。そこに年齢は関係ない。それで言うと、ミゲル。お前の怪我は深い。包帯で止血できていないから、お前はポーションを飲め」
巻いた箇所から血がどんどん滲んでいる。
サラはミゲルの背中に回り込んで、両手で彼の体を押す。
「……わしは平気だと」
「お前がいつも怪我を我慢しているのは知っている。医師が重傷化するから耐えないでほしいと嘆いていたぞ。怪我を治せ。これは命令だ」
嘆息するミゲルにもうひと押し。
「嫌がるなら聖女の力を使ってでも、お前を担いで持っていくぞ」
力を使えば、ミゲルの体ぐらいひょいと片手で持ち上げられる。
「……お力は使い果たしたんじゃないんですか……?」
「ポーションを飲んだからな。お前を運ぶくらいは残っている」
聖女の力は無制限ではない。
細く長く使っても一日、三時間程度しかもたないものだ。
彼の言うとおり先の戦いで使いきっていたが、ポーションを飲んで二割ぐらい回復していた。
ミゲルは嘆息して、足を動かした。
「わしを運ぶのに尊い力を使わないでいただきたい」
「そうか。歩いてくれるなら、私としてはありがたいな」
笑顔で言うと、またため息をはかれた。
自分より一回り大きな背中を押しながら、本音をこぼす。
「……ちゃんと治療してくれ。まだまだお前の力が私には必要なんだ」
ミゲルは振り返らず、足の動きを早めた。
「こんな老いぼれをこき使うとは、ひどい聖女さまじゃ」
言葉とは裏腹に嬉しそうな声色。だから、自分も笑う。
「あぁ、私はひどい聖女なんだ。だから、見守っててくれ」
ミゲルをテントに押し進めた。
彼は嫌々ながらも、アメリアが取ってきたポーションを飲んで回復した。
*
ポーションのおかげで兵士に力が戻り、戦場の処理が早く終わった。
一行は国境の町に戻り、一晩の休みをとることとなった。
夜の帳がおりて静まり返った頃、サラは部屋で真っ白な神官服に着替えていた。
純白の帽子も被り、口元も白の布で隠す。
これはアントラにいる神官にかりたものだ。
女性のサイズでは丈が足りなかったので、男性用を身につけている。
慣れた手つきで着替えをおえて、小さな丸い鏡で身だしなみを確認する。
──白い服だと、赤毛が目立つな。
前は金髪だったので、白をきててもここまで映えなかった。
サラは背筋を伸ばし、部屋から出る。
廊下に出ると、壮年の副官──ヤルダーの姿を見つけ、眉をひくりと上げた。
──また、見つかった。
サラは彼から視線を外して、そろりそろりと廊下の端に寄り、彼の横を無言で通りすぎようとする。
ヤルダーは目でサラをおい、くつくつ喉を震わせる。
そして、何気なくサラの後ろについて歩きだした。
ヤルダーが一歩分、控えて付いてくるのはいつものこと。
横には決して並ばない彼は、若くして将軍の座に就いた自分に態度で忠誠心をあらわしていた。
色々と自分を気づかい苦言もていしてくれる彼は察しがよい。
そこがたまに厄介だ。
自分がこの行為をすることは彼には伝えていないはずなのに、どうしてか、いつも見つかってしまう。
サラは後方に続く足音に、ため息をつく。
「……殿下には言うなよ」
ヤルダーは小さく笑いながら「言いませんよ」と返す。
これからすることは独断なので、ドルトルには秘密だ。
この格好を見られるのが照れくさいというのが理由でもある。
「殿下はアメリア様と捕虜の確認をされていますから、気づきません」
二人が一緒と聞いてサラの足が止まる。
「今回の捕虜は二百名だったな……」
「そうですね。司令官をおさえたのは大きいですが、多くは農民です。移動するだけで骨が折れます」
トゲのある言い方に、サラは前を向きまた歩きだした。
「そういうな。捕虜は農作物を作る労働力となるのだから」
「わかっております」
捕虜は農奴として西にある土地に収容される。
これを推し進めているのはドルトルだ。
彼は働く奴隷たちに、母国の宗教──ロスター教に改宗をしなくてもよいように働きかけていた。
敵国とは大元は同じ宗教だったが、民族の違いからロスター教とは違う宗教を掲げだした。
この戦争の発端も、宗教の違いが大きい。
他宗教を認めることは、国内でも反発は強いが、宗教の違いによる争いは後の火種になるとドルトルは考え、議会にかけあっていた。
ドルトルの評判は兵や民を中心に上々だ。
戦場に出れば我先に剣を振るい、積極的に民衆の前にもでる。
王宮に引きこもってばかりいる国王とは違う彼の姿は、人々に明るい未来を想像させた。
無言で廊下を歩いていると、ふとヤルダーが声をだす。
「殿下がアメリア様と一緒なのが、気になりますか?」
その声に足を止めてしまった。不覚だ。
ちらっと横目でヤルダーを見る。
やれやれ、といわんばかりの露骨な顔を彼はしていた。
「気にすることはないでしょう。殿下の心が、サラさまだけに向かっているのは明らかです」
サラは口を一度、引き結ぶ。
気にしていないと言いたいところだったが、この妙に察しのよい男の前では嘘をいっても暴かれてしまう気がした。
サラは深くため息をはく。
彼を見ないで、廊下の先を見た。
暗いばかりで、飲まれそうな闇がそこにはあった。
「私は聖女だからな……戦いが終わるまでこの地を動けない」
婚約者と言われているが、それは正式なものではなかった。
ドルトルは人の目を気にせず自分を婚約者だと言っているが、婚約式はしていない。この婚約は口約束みたいなものだった。
彼が十五歳、自分が十三歳のときに婚約しようと言われ、何度か婚約式の話もでたが、貴族の強い反発もあり、ずるずると今の状態になっている。
サラ自身も婚約式をしてほしいとは思えなかった。
聖女は神の使徒だから結婚はできない。それが慣例。
後方ならまだしも、最前で戦いながら国母を務めるなど無理なことだ。
出産をしたときに、敵が攻めてきたらどうする。
そう考えると、長く国境を離れられない。
女としての幸せより、母になる喜びより、民の平穏を考えてしまう。
ドルトルは今の状況を覆したいと言ってくれているが、彼との結婚は実体の掴めないかげろうのようなものだ。
恐らく、彼は違う人を国母に選ぶだろう。
それでいい……しょうがないことだ。
サラは再び歩きだした。
「……それでも、俺はサラさまが国母になられると思っていますよ」
二歩歩いたところで、声が追いかけてきた。
今度は足を止まらせまいと、強く床を踏んだ。
「なら、次の将軍はお前だな、ヤルダー」
笑っていうと、彼はとても嫌そうに眉根をよせる。
「俺は副官というポジションが性に合っています。ミゲルを復帰させますよ」
「絶対、嫌がるからやめておけ」
彼は不服そうに腕を組む。
それを横目で見て、くすくす笑った。
「またいつ帝国が攻めてくるか分からん。当分、私が務めるから気をもまなくていい」
軽い調子で言うと、背後で足音がとまった。立ち止まらず歩き続けると、また足音は追いかけてきた。