精霊都市ライデン②
ウンディーネは泣き止むと、にこりと微笑んだ。
「感極まっちゃって、泣きすぎたわ」
首をすくめる彼女に、ゆるく首を横にふる。
ウンディーネは深呼吸すると、吹っ切れたのか笑顔で話し出す。
「サラマンダーのこと、サラさんにきちんと話さないとね。それにわたしや、セトのことも」
そう言って彼女はセトを見た。
彼はびくっと体を跳ねらせて、ウンディーネに詰め寄った。
「話すって、何を……まさか、おれが殺人へいっ──」
セトは言いかけて口を手で押さえる。
彼の瞳孔は開き、怯えた表情になった。
「セト?」と、声をかけると、顔をそらされてしまう。
彼らしくない態度だ。
セトは頭をかきむしると、ムスッとした顔になる。
「おれのことは別にいいよ。かあさんだって昔のことを話すのは辛いだろ? 無理することないって。それよりも、サラ」
彼が町を指差す。
「この都市に入れば、あの王子は追ってこれねーよ。気に入ったのなら、好きなだけいればいい」
明るい調子で言われて、確かにと思う。
あの不思議な入り口は、人間では通れないものだ。
──逃げ切れた……と、いってもいいはずなのに、もやもやが晴れない。
思わずドルトルに刺された脇腹をさすってしまった。
小さく息を吐き、気持ちを整える。
「ライデンを案内するよ。楽しい奴らがたくさんいるんだ」
セトが気さくに話しかけ、ウンディーネが困ったように彼を見ている。
二人を交互に見て、サラはセトをじっと見た。
乳白色の瞳は自分を見ているのに、距離を感じる。
隠し事をされている。
それが、なぜか無性に腹が立った。
「セト、私たちはパーティーだよな」
「ん? うん。そうだけ、ど?」
「なら、隠し事はなしだ。違うか?」
セトが口を引き結ぶ。
「それに、私はこの力のことを知っておきたい。サラマンダーは、もう私の一部だから」
不思議な力を感じた指先を見た。
力が満ちている。
今、聖女の力を解放したら、できなかったことができそうだ。
サラは手のひらを握りしめ、拳を作った。
がしがしとまた髪の毛をかきむしる音につられて、顔をあげると、セトはへなへなと腰を落としてその場にしゃがみこんだ。
うつむいて髪の毛をまだかきむしっている。
「話すのが嫌か?」
葛藤が見えて自分も腰を落として、膝を草の上についた。
セトはため息をつくと、目を合わせずに呟く。
「……嫌じゃねえけど、ちょっと……怖い」
「怖い?」
「うん……サラがおれのことを怖がりそうで、怖い……」
サラとの旅路は、セトにとって浮き足だつほど楽しいものだった。
彼女がそばで笑っているだけで口元がだらしなくゆるむぐらいだ。
幸せといえる時を過ごしていたのに、自分の体が殺人兵器だと知られたら、彼女はどう思うだろう。
気持ち悪がられないだろうかと、いう怯えが足をすくませた。
──サラに嫌われたくない。
それは初めてセトの心に宿った感情だった。
「怖いか……」
サラはいつになく弱々しい態度のセトを見て、逡巡した。
ホムンクルスだということも、ロボットだということも知っているのに、何を恐れるのだろう。
突き放された態度に、一抹の寂しささえ感じる。
だが、自分にも怖いものがある。
打ち明けるのを躊躇う気持ちは、よくよく分かるのだ。
「……私にも怖いものはある。だから、無理に話すことはしなくていいぞ。心の準備ができてからでいい──」
「──何が怖いんだ?」
セトがぱっと顔をあげて、自分の手を掴んだ。
さっきまでの萎んだ顔ではなく、真剣な顔つき。
「怖いものがあるなら、言ってくれ。おれが守るから」
その言い方はずるい。思わず口を尖らせると。
「すとーっぷ!」
ウンディーネが自分たちの間に割り込んだ。
セトは憮然とした顔になるが、ウンディーネは指を一本立てて、めっと彼をたしなめる。
「自分のことは話さないで、相手のことばかり聞きたがるのは失礼よ」
セトはバツの悪そうな顔をした。
叱られた子供のような彼の顔を見て、ふっと笑みがもれる。
「セトがいつか話してくれると約束するなら、先に私のことを話す。それでいいか?」
セトは乳白色の目を丸くした。
「隠し事をされるのは、寂しいんだ」
気が抜けて、つい本音が出た。
はっとするが、もう遅い。
ばっちり聞かれてしまった。
セトもウンディーネも、ぽかんとこちらを見ていた。
今度はサラが気まずくなり、二人の視線から目をそらす。
寂しいなんて、拗ねているみたいだ。
何か適当な言い訳を、と考えている間に、セトが声をだした。
「おれも話す。話すよ。だから、サラの怖いもん、教えてくれ」
握られた手の力が強くなる。
まっすぐに言葉が響いてきて、心は揺さぶられた。
サラは頬を仄かに赤くして、はにかんだ。
「うん。話す……よ……」
セトは恥らったサラの顔にノックアウトされ、思わず彼女を抱きしめたくなったが、ぐっと耐えた。
サラとの抱擁はおやすみ前だけだと約束している。
律儀に約束を守ったのだが、本音は口からこぼれた。
「くっ……その顔は……ダメだろ……可愛いすぎる……」
サラはセトの言葉の意味がわからなかった。
「どうした?」
「なんでもねえ!」
セトは口元をおさえて、そっぽを向いてしまった。
サラが首をひねっていると、不意に影に覆われ、視界が暗くなる。
ばさばさと空気を切る音がして、サラは顔を上げた。
目に入ったものに、思わず体を硬直させる。
真上には翼の生えた茶色い生き物がいた。
顔は鷲で鋭い目とくちばしがあり、体は獅子のよう。
前足だけ鋭く尖った爪がある。
グリフォンだ。
背中に誰かを乗せている。
顔立ちからみると壮年の男性のようだ。
サラには分からない言葉で、男はセトに話しかけてきた。
セトは立ち上がり手をふって、同じ言葉で答えた。
「うお! よたっだきんげ。たっだきんげもーキルミ?」
男とグリフォンは、サラたちの前に降り立つ。
グリフォンが大きく羽を動かしたので、足元の草が風にそよいだ。
髭を三つ編みにした男がひょいっと、地面に降りる。
サラの腰の辺りまでしか身長がない背の低い人だった。
セトがサラを指差して、二人に何か告げている。
紹介をしているようだ。
二人は何度か頷いた後、小さな人がサラの前に立って、手をだしてきた。
「初めまして、アーリア国の聖女さま。アタシはドワーフ族のミルキーよ。この話し方で通じるかしら?」
母国語で話されて、サラは目を点にした。
反射的に腰を屈めて、手をだすが、驚きすぎて言葉がなかなか出てこない。
ミルキーはにんまり笑って握手をする。
「噂通りの麗人ねぇ。うふふ。素敵な、お・か・お」
ふんがーっとミルキーが盛大に鼻息をだす。
サラは動揺しながらも、なんとか声を出した。
「初めまして……サラ・ミュラーだ……」
「んまあ! イケメン顔に似合ういい声!」
ミルキーが興奮して、短い足をじたばたさせる。
どう反応してよいか分からず、聞きたいことだけを端的に尋ねた。
「私のことを知っているのか?」
「もちろんよ! アタシ、サラさんの国の人に会ったことがあるのよね。ドゥードゥたち、あ、こっちの技術者の小人のことね。ドゥードゥたちはサラさんの国の言葉を話せないから、アタシが精霊語を通訳して人に技術を教えていたのよ。フロックって、技術者、知らないかしら?」
フロックの名前を聞いて目をしばたたかせた。
「……知っている。国を出るときに世話になって精霊の国の話も聞いた……そうか。貴女がフロックが話していた【通訳ドワーフ】か……」
「あら、会っていたのね。もー、やーね。セトったら、そこら辺の情報くれないんだからっ」
ミルキーがふんがーと鼻息を出して、セトを睨んだ。まだ手は離されない。
セトはグリフォンに髪の毛を引っ張られながらも、平然とした顔で肩を上下させた。
「帰国の連絡をしたときに、ノームのじいさんがいなかったんだよ……詳しい話は、後でいっかなと思って」
「相変わらず説明が下手なんだから。サラさんはイケメン顔だけど、レディなんだから、ちゃんとお話ししなくちゃダメよ」
くどくどと説教をするミルキーに、セトは苦虫を噛み潰したような顔をした。
気安い言葉の投げ合いを見ると、二人は親しい間柄なのだろう。
サラは思わず微笑した。
「ミルキー殿とセトは仲が良さそうだな」
「あら、そう見える? ウフフ。アタシ、セトが産まれたときから知っているからねー」
「産まれたときはいねーだろ? おれの方が百歳年上だ」
「はいはい。兄さま。兄さまよねー。年齢だけは。でも、しゃべりだした時は一緒だったでしょ? 二人で一緒におしゃべりの練習したのを忘れてないでしょー?」
ミルキーの言葉に、セトが言葉をつまらせた。
しゃべりだした時が一緒とは、どういうことだろうか。
「……しゃべれない時期があったのか?」
サラの声にセトは膨れっ面になりながらも説明をしてくれた。
セトは最初の百年はフラスコの中にいて、この体を持ったのは二百年前らしい。ミルキーもその頃に産まれた。
ドワーフは母ユーミィから産まれる子供。
彼女の体をちぎって胎から産まれるのだそうだ。
「アタシはノームとうさまと、ユーミィかあさまの娘なのよ」
精霊らしいというべきか。
人とは違った親子関係だったが、ミルキーがあまりにも嬉しそうに話すので、良い親子に見えた。
「そうか。ユーミィ殿は、貴女の母親なのだな」
「そうよー。それでね。アタシたちは生まれたてもこの姿なの。だけど、話したり手足を動かしたりはうまくないのよ。だから、練習をするんだけど、セトも機械の体を使いこなせなくてね、一緒に練習したのよ。懐かしいわねー」
明るく笑うミルキーだったが、セトは恥ずかしそうだ。
そんな彼の姿を見るのは初めてで、サラの口元が笑みを作る。
「ふたりは本当の兄妹みたいだな」
ミルキーが、がははと大口を開けて笑いだす。
「そうそう、兄妹みたいなものよー」
「兄妹か……」
ふと、兄みたいに慕っていた頃のあの人の姿が脳裏をかすめた。
カタカタと、しまいこんだ記憶の蓋が開いてしまう。
心が遠く、遠く。過去に沈んでいく。
怖いものを話すとセトに言ったからだろうか。
「……殿下とは、兄妹のように育ったな……」
気がつけば、サラは脇腹をおさえながら、ポツリと呟いていた。




