精霊都市ライデン
ウーバー国を出てからも、セトは宣言通り毎日寝る前に抱きしめてきた。
その度に、サラの緊張は高まっていったが、口を引き結んで羞恥に堪えていた。
彼の冷たいボディに包まれて、自分の熱が伝わり、温度が上がっていくのを感じると、照れてしまう。
この訳のわからない気持ちが彼に伝わってしまうのではないかと思うと、恥ずかしくてたまらなかった。
やめてほしいといえばいいのに、それも言えない。
──ムズムズする……
素直になれないまま、彼の抱擁を受け入れる。
終わるとセトは子犬みたいな笑顔で「ありがとな」と言ってくれる。
その顔を見ると不思議なもので、恥ずかしいよりもあったかい気持ちになれた。
回数を重ねるごとに、彼の冷たいボディが体になじんでいく。
慣れとは恐ろしいもので、いつの間にか心地よくさえ感じてしまうようになった。
怖くない。
セトの腕の中は、怖いものがない。
それがサラをひどく安心させた。
考えてみれば、何もかもを失った自分が悲嘆にくれていないのは彼のおかげなのかもしれない。
セトといると振り回されて悩む暇がない。
ウンディーネは「ロマンス本を一緒に見ましょう!」と目を爛々と輝かせて、話しかけてくるので、流されるままになっている。
一緒にご飯を食べて、笑って、時々、怒って。
二人の賑やかさは、サラの心を悲しみで埋めずに癒していった。
ウーバーを出て、二週間後。
ウーバーを南下していき、奥深い森をセトにおんぶされて爆走していくと、平原に出た。
地面に降ろされたサラは、目の前の光景に唖然とした。
雲を突き抜けるほど高い山があるのだが、なぜか真ん中が丸くくり貫かれている。
穴の先には、山が並んだのどかな風景が見えていた。
円の周りは白い石が縁取られ、中には均一の間隔で同じ白い石が並んでいる。
三百六十度。全方位に石が並んでいる。
驚くのは、穴の中央に巨大な白い石が浮いているのだ。
重力に逆らった光景。
どうしてこうなっているのか理解ができない。
「……ここがライデンなのか?」
「そうそう。入り口だな。あの丸い球体に通行書を触れさせれば、中に入れる」
セトは自分の鞄から手のひらサイズの白い石を取り出す。
完全な円ともいえる球体だ。
「中に入れるのか?」
「そうそう。触れないと街は出てこない。見ればわかるって」
そう言うと、ひょいっと自分を横に抱きしめる。
サラは驚き、とっさにセトの首に腕を絡める。
「急になんだ?」と、文句をいうが、セトは前の球体を見ていて、こっちを見ない。
「跳ぶから掴まってろ!」
「おいっ!?」
セトはダッシュして、サラを抱えたままヒョイヒョイと白い石を踏みながら上に昇っていく。
浮いていた球体と同じ高さまで昇ると、腰を落とした。
「あそこまで跳ぶぞ。落ちんなよ!」
球体までかなり距離があるが、セトは迷わず大きくジャンプした。
落ちたら間違いなく死ぬ高さだ。
サラは口を引き結んで、落とされないようにセトの体に張り付いた。
セトは手に持っていた白い石を球体にタッチさせる。
瞬間。見えた景色は一変した。
とんっと軽い音を立てて草の上にセトが着地する。
支えられながら、立つが腰が抜けそうだった。
平原や山はなくなっていた。
変わりにあったのは街だ。
それもただの街ではない。
巨木が何本もあり、幹から螺旋を描いて赤い屋根の建物がたっていた。
木と木の間には透明の筒が渡され、その中を走るものがある。
先端が鳥のくちばしのように細長く白いものだ。車輪はなく浮いて走行していた。
人が乗り降りしているのが、かすかに見えるので、乗り物だろうか。
街の特徴は他にもある。
巨木の先に、ぽっかりと空いている空間がある。
そこは、全面ガラスばりと思える建物がある街が浮いていた。
街の横には、裸の巨人が座っている。
身長はさっきみた山ぐらいだろうか。
とにかく大きい。
空を仰げば、神話にでてくるような白い蛇のようなものが飛んでいた。
童話や神話の世界の住人が、高度な文明の町で暮らしている。
精霊都市ライデンは一言で例えるなら、そんな町だった。
サラが言葉を失っていると、巨人と目があった。
巨人はにこりと笑って、ずずずと大きな手をあげた。
セトが一歩前にでて、巨人に向かって手をふる。
「ただいま! ユーミィばーちゃん!」
セトが大声で言うと、巨人は大きな手をふった。
サラがぽかんとしていると、ウンディーネがセトの肩周りに現れる。
「久しぶりにライデンに帰ってきたわねー。ふふふっ。びっくりしたでしょう」
サラは首を縦にふっていた。
信じられない世界に言葉が出てこない。
でも、胸がとても熱い。
どうしたというのだろう。
「あそこにいるのは、ノームの奥さん、ユーミィよ。見た目は大きいけど、おっとりとした性格だから、怖がらなくて大丈夫……って、サラさん?」
ウンディーネが言葉を切って、サラを見た。
彼女が驚いてひゅっと息を飲む。
サラは双眸から涙を流していた。
聖女の力の元。
サラマンダーが声を張り上げて泣いているような気がしたからだ。
帰ってきたかった。
みんなに会いたかった。
でも、帰れなかった。
だって、わたしは人間を見捨てられなかったから。
愚かなわたしは、人間を愛してしまった。
ごめんなさい。ごめんなさい。
贖罪と歓喜。
自分ではないサラマンダーが泣いている。
赤子のように泣き叫んでいる。
苦しくて、どうしようもなくて、サラは身を丸めて口元をおさえた。
「サラさん!?」
「どうした!?」
二人が近づいてサラを囲う。
サラは涙を流しながら、ウンディーネを見つめた。
サラマンダーの贖罪を彼女に伝えなければと、思って言葉をだす。
『ごめんなさい……ウンディーネ……会いたかった……』
普段、自分がだす声とは違う。
もっと高くて柔らかい音質。
きっとこれは、サラマンダーの声だ。
その言葉の意味は分からなかったが、ウンディーネには伝わったらしい。
彼女までぽろぽろ涙を流して、首を横にふる。
小さな七色の手が、サラの頭を抱きしめた。
「いいの。いいの。わたしだって、同じなの。おかえり、おかえり、サラマンダー」
サラマンダーが泣きじゃくりながらも、ふっと微笑んだ気がする。
かすかな微笑を感じて、サラの意識は戻っていった。
胸に広がった痛みが、静かに消えていく。
ウンディーネに伝えられて、サラマンダーが満足したのだろうか。
サラは涙を指でぬぐって、ウンディーネとセトを交互にみて微笑みかけた。
「急に泣き出してすまない。もう、大丈夫だ」
立ち上がるときに、セトに体を支えられた。
まだ心配そうな顔をしている。
サラは安堵させるように、セトに向かって口角を持ち上げた。
鼻水をたらして、まだ泣いているウンディーネに声をかける。
「私の中のサラマンダーが、貴女に話しかけたかったみたいだ。伝えられてよかった」
ウンディーネがぶんぶん首を横にふる。
「ありがとう、ありがとう、サラさん。サラマンダーと話せて、わたし、嬉しいっ」
わんわん泣き出すウンディーネに目を細める。
彼女が泣き止むまで、しばらくの間、三人は草原の上にいた。
穏やかな風が、草をそよがせながら、三人の間に吹きぬけた。
──ありがとう……
不意に、風と共に声が耳を掠めていった。
優しい声だった。
どこから聞こえたのだろう。
首の周りにある赤い鱗が仄かにあたたかくなり、爪先まで優しい力が満ちていった。
思わず手を見る。
爪先がむずむずしたが、すぐに消えた。
不思議な感覚に首をひねりつつ、泣きじゃくるウンディーネが心配なので、意識を彼女に向けた。




