聖女の定め②
戦闘が終わり、ひとつ息を吐いたサラは震えている指先に力を込めた。
いつも戦いが終わると、指が震えてしまう。
今さらながら死と対面した恐怖が全身に襲ってきて、指が心のうちを吐露してしまうのだ。
勝利という安堵で気がゆるんでいるせいだろう。
サラは手のひらを握ったり、閉じたりして感覚を取り戻していった。
まだまだ恐怖心がある自分に苦笑する。
──いつになったら、怖がらなくなるのか。
そんな日は永遠にこないような気もするが、それでも自分は聖女に選ばれたんだ。使命をまっとうしなければ。
震えがとまった指先にほっとしていると、足早に近づいてくる人物がいた。
「サラ!」
白銀の甲冑を纏い、二本の剣を帯刀したドルトルだ。
彼はサラを見つけるなり、強く抱きついた。
勢いのあまり体勢が崩れそうになったが、どうにか踏みとどまる。
ドルトルはサラから離れて、頬を両手で挟んで顔を覗き込んできた。
鮮やかな金髪の長髪を赤いリボンでひとつに纏めた彼の顔は、勇ましく馬に乗っていた人物とは思えないほど中性的で甘い。
端正な顔が近くにきて、サラは硬直した。
「頬に傷ができている。力はつかえなかったの?」
「は、はい……余力がなく」
「そう……待たせてごめん……キレイな肌に痕が残ったら大変だ。アメリアの霊薬をもらうといいよ」
アメリア──?
知らない女性の名前に首をひねりながら、ドルトルに手を引かれる。
早足で向かった先は医療班がいるテント。
中に入ると軽傷の兵士が座って休んでいた。
重症の者は寝ているようだ。
その横顔は苦痛に歪んでいない。
穏やかで寝ているかのよう。
いつもは血の匂いと痛みに喘ぐ声、医師の怒声が聞こえるテントの中は、奇妙なくらい静かだった。
──数が少ないな……
怪我をしたものがテントの外で待っていない。
不思議に思っていると、ドルトルはサラから手を離した。
「アメリア。こっちに来てくれ」
変わったデザインの法衣を着た女性が振り返る。
彼女が着ている法衣は、白い生地の上を赤、青、緑のラインが羽のように描かれていた。
フェニックスを連想させる色味だった。
彼女は籠を片手に持ち、傷ついた兵士たちに小瓶を手渡しているところだ。
すぐにこちらに来た彼女は法衣の端を持ち、淑女の礼をする。
そのしぐさひとつで、彼女が貴族であると悟った。
「サラさま。お目にかかれて光栄です」
「サラ・ミュラーだ。霊薬があると聞いたが、その小瓶にはいっているものがそうか?」
「はい。すぐに回復効果がでる万能薬でございます」
小瓶を手渡される。中には黒い液体が入っていた。
「サラ。彼女はロンバール侯爵家の錬金術師だ」
ロンバール侯爵といえば、王室お抱えの錬金術師の家である。
最新の医学や魔術、占星術などを取り入れて、どんな傷も癒す万能薬の開発を長年してきた。
三年前、侯爵が不慮の事故で亡くなって以来、開発は進んで試作ができそうだと聞いていたが、これがそうなのだろうか。
「サラさま。こちらは万能薬でございます。飲めば傷をふさぎ、体を回復しますわ」
頬を紅潮させほほえみながら言われてしまい、サラは戸惑いながらも礼を言う。
早く飲んで──と、ドルトルに視線で促され、小瓶に口をつけて黒い液体を喉に流す。
──苦い。飲むのはきつい代物だ。
ねっとりと液体が喉に絡みついてきて、喉ごしは悪かった。
眉根をひそませながら飲みきると、体がすっと軽くなる。
頬の痛みがひいて、肩の傷も癒えたみたいだ。
驚き言葉を失っていると、ドルトルが笑顔で声をあげた。
「よかった。きれいに治った」
指を頬に滑らせながら、彼は愛しげに自分を見てくる。
とろけた眼差しが恥ずかしくなり、サラはアメリアに視線を向ける。
「傷が癒えた……ありがとう、アメリア嬢」
「そんなお礼など……サラさまの美しい顔に傷が残らなくて本当によかったですわ」
美しいと言われて、複雑な気持ちになる。
自分の顔は女性らしくない。
どちらかというと精悍な顔つきだ。
瞳は切れ長だし、目つきも悪い。
男性よりの顔は、密かなコンプレックス。
それに比べて彼女は、たれ目が優しげで女性らしい顔立ちだ。
こんな人から美しいと言われても、素直に受け入れられなかった。
苦い思いを顔には出さずに、サラは唇に笑みをのせる。
「このポーション……というものはすごいな」
「ありがとうございます。わたくしの全てをかけて錬成したものです。戦闘に間に合わないかと思いましたが、お届けできてよかったです。
わたくしは他の方に配ってまいりますので、失礼させていただきますね」
きれいなカーテシーをして、アメリアは兵にポーションを配っていく。
傷ついた兵士に向ける眼差しは慈愛に満ちていた。
その様子をぼうっと見ていると、ドルトルがサラに向き直る。
「僕が事後処理をしてくるから、サラはもう少し休んでいて」
ドルトルはもう一度、治った頬に指を滑らす。
くすぐったくて身をすくませていると、彼は小さく笑ってテントから出ていった。
呆然と背中を見送り、辺りを何気なく見渡す。
ポーションの力を目の当たりにした兵士は、感嘆の声をもらしていた。
「血がとまった……」
「すごい……奇跡だ……」
彼女は当然のことをしたまでだと言いたげに控えめに笑って、治癒をしていく。
「あら、ポーションがなくなってしまいましたわ。まだありますので、取りにいって参ります。すぐに戻ってきますから、少しお待ち下さい」
医師に声をかけ、アメリアが法衣の裾を持って、足早に駆け出す。
サラは体を横にして彼女の邪魔にならないように隅に寄った。
自分の横を通りすぎるとき、アメリアと一瞬、目が合った。
どことなく勝ち誇ったようなあまいろの目。
──この人は……
挑発的な眼差しを黙って受け流す。
視界の端で法衣が消えたとき、小さく肩を上下させた。
テントの中を見ると、兵士たちの多くがぼーっとアメリアの背中を見ていた。誰かが声をだす。
「このポーションは、錬金術ってやつで作ったものなのかな……」
「そうなんじゃねえのか? ほら、殿下もアメリアさまは錬金術師だって言ってたし……」
「錬金術ってのは、すごいな……な、先生」
兵士が壮年の医師に話しかける。医師は感嘆の息をはきだした。
「そうだな……我々の常識では考えられないものだ。ポーションは神の御業。アメリアさまは神の使徒かもしれないな」
その言葉を聞いて、サラはこの国の者なら誰でも知っている神話──聖女の話を思い出す。
聖女は神から不死鳥の加護を授けられ、六人の使徒と共に【大魔王】と戦った。
大魔王は悪魔を率いて応戦し、戦いは一万二千年続いた。
聖女はときに、三色の翼を広げて仲間を癒した。
翼に回復する力があったのだ。
最後は救世主が現れ、【最後の審判】を下して、大魔王は滅びたと言われている。
この聖女の生まれ変わりが自分であると神官から言われたが、目の前で傷を癒す彼女の姿を見ていると違うような気がする。
──アメリア嬢の方が、聖女さまみたいだな……
そう感じたのは自分だけではなかった。
ポーションを飲んだ若い兵士のひとりが陶酔した目をしながら「アメリアさまは、聖女さまみたいだ……」と呟いていた。
それを聞いていた隻眼の老兵士──ミゲルが立ち上がる。
彼に包帯を巻いていた医師が「お待ちください」と慌てた声をだす。
緩んだ包帯を気にすることなく、ミゲルは若い兵士に近づくと、頭に拳を落とした。
ゴンッ──と、音がなりそうなくらい強烈な一撃。
若い兵士は思わず頭を抱えた。
「聖女さまはサラさまだ」
庇ってくれる言葉に苦笑する。
この老兵は自分に体術を叩き込んでくれた師でもある。
「いい。構わない」
声をかけると、若い兵士は青ざめていた。
手でリラックスするように伝える。
「アメリア嬢のおかげで、みんなの回復が早くてよかった。戦場に光をくれた。アメリア嬢は……聖女さまみたいだな」
呟くと、ミゲルはふんと鼻を鳴らして、テントから出ようとする。
「お、お待ちを……!」と、言いながら医師が慌てて追うがミゲルは足を止めない。
テントの幕を上げたとき、年を重ねた背中が小さく揺れた。
「サラさま以外に、聖女さまはおらんでしょう……」
振り返らず言われた言葉。
それにサラは目を細めて微笑する。
「ありがとう、ミゲル。……もう傷はいいのか?」
「はんっ。こんなもの、ただのかすり傷ですわい」
彼は肩をいからせて、テントを出ていってしまった。
彼を追いかけていた医師が、参ったといいたげに頭に手をおいた。
「ミゲル大佐はポーションを飲まれていないのです! 傷も深かったですし、きちんと治療をしないと大変なことになります! もお、いつも、いつも、大佐は……!」
過去を思い出して声を荒げる医師に、サラは苦笑する。
「私が様子を見てくる。他の者をみてやってくれ」
サラはテントから出て、ミゲルを追いかけた。