聖女の定め①
ヒーラー、浄化系の魔法を使う聖女ではなく、拳でぼこぼこに殴る戦闘聖女です。いきなり戦ってますが、よろしくお願いいたします。本日中にあと四話、更新します。
「おい……嘘だろ……」
前方に見える敵の数に、兵士は足を震わせた。
目の前には地平線の見える荒野が広がっている。
突き抜けるような蒼天の中を、白い鳥が飛んでいた。
一直線に並ぶ敵の数は目視するだけで、こちらの数の倍はいる。後方には、馬に乗った兵士──騎兵まで控えているようだ。
「くそっ……退却するしかないのか……」
宣戦布告をされて一ヶ月間。
デッドラインを守ってきた兵が無念の声をだす。
他の者も神妙な顔をしてうつむいた。
重苦しい雰囲気の中、兵士の間を一人の女が颯爽と歩いていく。
燃えるような赤髪をなびかせ、金の眼は前方の敵を見据えていた。その横顔に憂いはない。
「聖女さま……」
兵士の前に立つと、女は金の目を細くする。
意識を集中させると、彼女の瞳孔は細長くなり、虹彩が緑色になる。
遠くまで見通せる力──千里眼を使った女は兵に向き直り、口の端を持ち上げた。
「大丈夫だ。敵は数が多いばかりの烏合の集。まだ勝機は残っている」
女の言葉に兵士たちはざわめき出す。
一人の兵が女の前に歩み寄った。
彼女の右腕である副官のヤルダーだ。
「サラさま、それは誠でございますか?」
サラと呼ばれた女は、深くうなずく。
「前方を固めるのは寄せ集めだ。装備が不充分で、兜すらつけていない」
「兜すら……首をとってくれと言っているようなものですね……ただの壁ですか?」
「だろうな。捨て駒を多く用意して、数で我々を潰すつもりなのだろう。……いくら死者がでても構わないのだろうな」
「頭数を揃えただけなら、士気はそれほど高くないでしょうね」と、ヤルダーが言えば、サラも同意する。
「あれでは死んでこいと言われているようなものだ。顔が青ざめている者もいるしな」
サラの目には、慣れない長槍を持って全身を震わせている歩兵の姿が見えていた。
戦場に初めてきた者なのだろう。
恐怖を隠しきれていない。
駆り出された敵には同情するが、こちらにとっては勝機でもある。
すくんだ足では戦闘力は落ちる。
指示通りに動けるはずもない。
「司令官を叩けば、一気に統率は乱れそうですね」
「あぁ。騎兵のひとりに見慣れた司令官がいた。彼を真っ先にたたく。
後方には弓兵がひかえているから、そこも私が撹乱する。乱れたところを一気に中央突破して、隊を分断する。敵の背後をつく」
まだ動揺が見える兵に向き直り、サラは一人一人の顔を眺めた。
この一ヶ月の間で、命を落とした者たちの顔も脳裏に描く。
サラは小さく息をすって、腹から声をだした。
「ドルトル殿下が第一隊を率いてこちらに向かっている。援軍はくる! 殿下が来るまで持ちこたえるんだ!」
動揺していた兵士の顔つきが変わった。
兵士はサラの言葉を信じた。
それは彼女が無敗の聖女と呼ばれるほど、敵を破ってきたからだ。
サラは辺境の将軍となって八年になる。
その間に幾度となく戦闘になっているが、一度も国境線を破られたことはなかった。
サラは前方の敵を見据えて、手を高々と上げる。
「フェニックスを掲げよ。敵を一歩たりとも母国に入れるな!」
おー!と声があがり、母国の旗──三色の翼を広げる鳥──フェニックスが掲げられる。
士気が高まるなか、ヤルダーがまだ神妙な顔をしてサラの耳元で小声をだした。
「サラさま、また力を使われては体に負担が……」
「大丈夫だ。半日は休めた。伝令の話では殿下は近くまで来ている。合流すれば数の上で我らが勝る」
「しかし……」
「くどい。我ら第二隊が後退すれば、後方にあるアントラが敵の略奪行為に合う。城壁の完成も近づいている今、敵に踏み荒らされるわけにはいかない」
幾度となく敵国との攻防を続けてきた辺境の街アントラは、復興と衰退を繰り返してきた。
土地が戦火で荒らされるので、肥沃な土地にもかかわらず発展が遅れていた。
国を丸く囲うように作られた高い壁もこの地だけ、完成の目処がたたず苦心をしてきた。
それが、サラが就任して以来、敵に攻められることがなくなり、壁の建設もできている。
「あの城壁が完成すれば、守りは強固になる。それにアントラの民は我らを支援し続けてくれた。お前もラバ肉を、たらふく食べただろう?」
凛とした笑顔で問いかけると、ヤルダーは短い顎髭をなでて思案顔になる。
この国では、ラバ肉は最高の美味だ。
干し草と大麦で育てた自慢のラバをふるまってくれた少年と、その母親の顔がサラの脳裏によみがえった。
彼らのためにも退くわけにはいかない。
「敵も疲労の色が隠せていない。守りきれば、後退するだろう。私に続け!」
サラはヤルダーに力強く言い、一歩前にでて意識を集中させる。
首の周りにしかなかった固く赤い鱗が、彼女の肌を覆っていく。
心臓の上、脇腹。
両手も赤い鱗で覆われ、剣を折る鋼となる。
サラには剣も盾もいらない。
この鋼の鱗が、最大の武器だ。
「いくぞ!」
「うおおおおおおおおおおおおお!!!」
土を蹴って、サラは駆け出した。大地を揺らし、声を出しながら他の者も続く。
「我らの方が数で勝る! 圧倒せよ! 不死鳥を地に落とし、二度と復活させるな!」
敵兵も突っ込んできた。
サラは先陣をきって、放たれた矢のように駆ける。
予想通り、前線にいる者たちは紅蓮の砲弾のようなサラに怯えた顔をした。
恐怖から一辺倒に、自分に向かって長槍を突き立てている。
サラは彼らとの戦いを放棄。
太陽を背に跳躍する。
その高さは空を飛ぶ鳥のようで、槍兵を飛び越え、馬に乗った司令官の真上に陣取った。
「くっ。魔女め。打ち落とせ!」
弓弩兵たちが、ぎりりとクロスボウを引き絞る。
鉄の切っ先が自分を捕らえ、合図を受けて一斉に飛んできた。
サラは腕で顔を隠し、防御体勢をとる。
強固な赤い鱗は、鉄の矢を受けても傷つかない。
カキン、カキンと、鉄同士がぶつかり合うような高音を出しながら、次々と矢を弾いていく。
だが、数が多すぎた。
一本の矢が頬を掠めて、血の線を引く。
──っ……顔を鱗で覆う余力は残っていなかったな。
肩もそうだ。
何本かは掠めて痛みが走った。
それを顔には出さずに、サラは急降下する。
眼前に見えるのは、自分を見て茫然とする敵将。
矢を全て防ぎきり、嵐が過ぎ去ったところでサラは腕を振り上げた。
「はぁぁあ!!」
落下のスピードがのった一撃が、司令官の顔面に食い込む。
司令官の首があらぬ方向にねじまがり、何本かの歯が彼の口から飛んでいった。
白目を剥いて、司令官は失神。落馬した。
彼の愛馬が主を失い、いななく。
サラはそのまま敵陣営の中枢に、一人で降り立った。
その場は、すでに混乱していた。
サラが弾いたクロスボウが雨のように自分達に戻ってきて、騎兵たちは動揺していた。
反応が早い者は、矢を剣で叩き落とすが、唖然としていたものは矢の雨をうけた。
鉄の矢に驚き、馬が錯乱する。
馬から振り落とされる者が続出した。
落馬した者が、馬に踏みつけられ、苦痛の声が辺りに響き渡っていた。
混乱した現状に、一人の敵騎兵は青筋を立てる。
豪剣を振り上げ、サラの脳天めがけて振り下ろしてきた。
「おのれ魔女め! 死ねえええ!」
体格からみて彼はかなりの強者だろう。
普通の者なら吹き飛ぶ一太刀だったが、サラには通じない。
──ガキンッ!
腕で防御され、敵が歯噛みする。
剣を小刻みに震わせ力で押そうとするが、サラは顔色を変えなかった。
「私の鋼は、貴殿の剣では貫けない」
「くそっ……!」
サラは剣を弾くと、二発目を食らう前に拳を敵の腹にめり込ませた。
鎧が大破し、敵の口から鮮血がでる。
一撃で敵は馬から崩れ落ち、戦意を喪失した。
馬に乗っている優位さを覆す跳躍力と、攻撃、防御力。
戦うために産まれてきたと思えるほどの力が、サラにはあった。
たった一人。しかも女。
装備も軽装な彼女に、重装備の兵が次々と倒されていく。
彼女の赤い鱗は返り血でぬらりと艶めき、その姿は聖なる乙女と呼ぶにはあまりに凶悪だ。
底冷えした緑の瞳には、慈悲なんてものはない。
あるのは、攻めてきた者達に対する怒り。
サラを見ていた敵兵は足を震わせ、奥歯をカチカチ鳴らした。
これが清い乙女?
違う。これは人間ではない。これは、これは──
「ひいぃっ……バケモノ!!」
絶叫を聞いて、サラの眉根がわずかにひそまる。
だが、それも一瞬。
「なら、寝ていろ」
「ぐっ──!!」
サラは敵の懐に回し蹴りをして、気を失わせた。
──バケモノ。魔女。
王族でありながらサラに浴びせられる言葉は、ひどいものも多かった。
圧倒的な力は人から恐れられた。
それでも、十二歳で聖女となり、二年後には戦場にだされた。
十四歳で将軍とされ、現在は二十二歳。
ずっと、国の防衛をしてきた。
戦う日々を支えてくれたのは、仲間や民。
そして、王太子であるドルトルだ。
聖女は生涯独身でいることが慣例だったが、ドルトルの強い要望により、サラは彼の婚約者という立場になっていた。
*
開戦から早二時間。サラの力は消耗され失くなりかけていた。
隊列は分断したが、敵もしつこく食い下がっている。
押しては引いての攻防を続けていると、蹄の音が背後から聞こえた。
「援軍だ! 殿下が来たぞ!」
振り返ったサラの視界に入ったのは、フェニックスを掲げた騎兵。
先陣を切るのは、ドルトルだった。
「勝機だ! みんな、死ぬなよ!」
サラの声に兵士たちの顔つきが変わる。
家族がいるものはその姿を脳裏に描いていた。
疲れ果て棒になった足を奮い立て、剣を握りなおす。
死んでたまるかと、歯を食いしばる者もいた。
血を流し倒れた仲間を守るように、槍を受ける者もいた。
副官ヤルダーは後方で声を張り上げ隊列の指示をし、隻眼の老兵は豪快に剣で敵を叩きつぶしていた。
「敵を包囲せよ! 我らの聖女を帝国の手に落とすな!」
ドルトルが声をだし、騎兵は翼を広げる不死鳥のような陣形をくむ。
圧倒的な数で、敵の左右側面をつく。
サラ隊に挟まれた敵はなす術がなくなった。
ドルトルはサラのいる中央に自ら突っ込んで、剣を振るった。
その太刀筋は容赦なく、返り血を浴びながら敵を次々に切り捨てていく。
彼は王太子でありながら、国内一の剣士であった。
ドルトルが加勢したことにより拮抗は崩れ、戦いは自国の圧勝で終結した。