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莉子と東京に来るのは初めてだった。
今年の夏休みは二泊でお母さんの友達さえちゃんのうちに泊まって、ぼくたち星川家の東京の友達に久しぶりに会いに行こうって話になった。お母さん、お父さん、ぼく、莉子の四人で。
長い休みの時莉子は、家で一人になることが多い。莉子ママは今も入退院をくり返している、ってやつで今年の夏休みも莉子はよくうちにやって来る。
だからいつも通りだと思ったんだけど、莉子は東京にまで、来たくなかったのかな。一日目の夜に莉子はさえちゃんちで自分から話そうとしなかった。
今日はお父さんは別行動。ぼくらはお母さん同士も仲のよかったぼくの友達ケイのところに遊びに行った。ケイのうちはごちそうやたくさんのお菓子、テレビゲームやカードゲームでぼくたちをもてなしてくれた。ケイはぼくが前に行っていた小学校の友達で、その時よく遊んでた春太や歩も来てた。ぼくは一年ぶりに会った同級生たちにすごく嬉しくなって、つい――莉子が何してるか気にもしなかった。
帰り道、ケイのお母さんが送ってくれた車の中で気づいたのは、莉子はあの家の中に知ってる人がぼくとぼくのお母さんしかいないってこと。
その夜お母さんは学生時代からの友達さえちゃんとの話が止まらないって感じで、ぼくと莉子はたまに話しかけられたけどほとんど置いてけぼりだった。
莉子になにか言いたいけど、なにを言えばいいんだろう?
莉子、もしかしてケイのうちつまんなかった?
でもそれでうんって言われたらぼくはなんだか困ってしまう。ケイや春太たちはいいやつで最初はディノストの話もした。ケイのお母さんだって優しくてたくさんご飯を作ってくれ、残ったお菓子はお土産にしてくれた。
でも、ぼくだって莉子の知り合いばかりの場所に連れて行かれたら、そんなに楽しくないかもしれない。前に莉子ママが退院したから莉子のうちに呼ばれた時みたいに。初めて会う莉子ママと莉子のおばさんと、数回会った莉子パパというメンバーに、ぼくはなんとなく落ち着かない気持ちになった。
莉子は先に寝ている。さえちゃんは一人暮らしで、部屋は二つしかなくて莉子は寝室で寝てるから、ダイニングで歯磨きするぼくは莉子が本当に眠ってるのかも分からない。
明日はみんな午前中さえちゃんとショッピングモールにお出かけ、午後はお父さんがやりたがった釣りに行く。明後日は一年の時同じクラスだった子とさえちゃん以外のみんなで遊園地って予定だけど……。
「あのさ、お母さん」
お母さんはさえちゃんとお酒を飲みながらずっと話してた。さえちゃんがトイレに行ったから声をかけてみた。
「莉子は、東京に知り合いがいないから、今日つまんなかったかなって思って」
お母さんがぼくを振り向いた。お酒に強くなくてすぐ顔が赤くなるお母さんは、それでもぼくの話を聞いてるから続けてって顔をした。
「でも、どうしたらいいのかわかんないんだけど」
言いながら、ぼくは自分が何を言ってるのか分からなくて、何も言ってなくて、なんか間抜けだなって落ち込みそうになる。
莉子のためになにかしたいのに、なんにも分からないなんて。
「優人……。そうだね……」
お母さんが言いかけた時、さえちゃんが戻ってきてお母さんは一度そっちを見てからぼくを見た。
「それなら……」
次の日の朝、早速お母さんのアイデアを莉子に話した。
「モーニング?」
「うん、朝に喫茶店でご飯食べることをモーニングって言うんだって」
眠そうなのか、不機嫌なのか分からない朝の莉子をモーニングにさそうときょとんとしていた。興味はありそうな莉子に、「午前中くらいまで、トーストと飲み物とかを安く食べれるのをモーニングサービスっていうんだって!」ぼくは昨日仕入れたばかりの知識を話す。
莉子は「そんな予定だっけ?」みたいにふしぎそうに、ちょっと困ったみたいにぼくやぼくのお母さんに目をむける。
「行っといでー。ついでにセントラルパークにも行ってみたら? 十時からイベントやるっぽいし」
さえちゃんはコーヒーを飲みながら莉子に笑いかける。さえちゃんは朝ドラ見たいから、と言って家に残った。ちなみにお父さんは昨日遅くに帰ってきてまだ寝てる。今日も午前は別行動になりそうだ。
というわけで二日目は、八時にお腹を空かせたまま、お母さん、莉子、ぼくの三人で喫茶店へ。
お店はさえちゃんが教えてくれた、駅からは少し離れた場所にあってちょっと小さいけどきれいな場所だった。ぼくが一番に入ろうとしたら急にドアが開いて人にぶつかりそうになる。
「あ、すみません」
男の人が英語でなにか言ってて外国人だって気づいた。たぶん謝ってるのかもだけど、ぼくは英語なんて出てこないから痛くなかったよ、のつもりで笑顔で教えることにした。その人はぼくたち三人が店内に入るまでドアを抑えていてくれた。
店内にはお客さんは少なくて、ぼくたちは窓際の席に案内してもらった。モーニングセットをたのむとサンドイッチと飲み物、サラダとゆで卵が出てきた。
ぼくのむかいに座る莉子と目が合うとじっと何か言いたげな(少し不満そうな)感じで見られたけど、すぐに目をそらされた。
お母さんは今日セントラルパークでやってるっていうイベントをスマホで調べていて、「射的やってるって」「お昼ここで食べるー? ちょっと早いかなー」とぼくたちに聞いてきたけど、話が盛り上がるほどじゃなかった。
こんなはずじゃ、なかったのになあ。
オレンジジュースを飲もうとしたらもうほとんど残ってなくて、ストローがズズッと音を立てただけだった。
それから駅の北にあるセントラルパークへ。曇りがちな空で、その分暑さが少しやわらいでいた。
十時前に着いたけど、もうイベント会場には人がけっこう来てて、出店を見ると夏祭りみたいだった。ステージも組み立てられてて、野菜売り場やパン売り場まであって、いろんな食べ物が売っている。
お母さんがパン屋見てくるといって離れて行った。ぼくもおこづかいで何か買おうかなと思っていると、
「気ぃつかわなくていいから」
莉子が言った。
「え?」
「あたしのこと気にしないで、友達と遊びに行ったらいいのに」
莉子がよく知ってる相手だけで朝は過ごそう、っていうお母さんの案を見ぬかれたのかと思った。
怒ってるとか、すねてるとかそういう感じじゃなかった。何回か練習した言葉をただ言ってるだけ、みたいな感じだ。
「でも、莉子は」
「さえさんの家にマンガあったから、マンガ読んでる」
せっかく一緒に東京に来たのに、留守番するっていうの?
そんなのやだよ。
ぼくは莉子だから、莉子を東京の友達に会わせたいと思ったのに。それを忘れて自分だけ友達と遊んでたのは……ぼくが悪いけど。
莉子がぼくのいない方を見るから、胸がざわざわした。
「待ってよ莉子」
その時、空気がふわりと動いた気がした。
なにか覚えのあるあたたかいものが、ぼくをつつむ。なんだこれ。通りすぎた人が、ぼくの知り合いだった?
ちがう、これは……
「……、コタロウ……?」
振り向いても、北海道犬はどこにもいない。
「へ?」
莉子もぼくの急な言葉にびっくりしたみたいな声になる。その空気を追いかけようとして、でもすぐにどんなものか分からなくなった。
「いま、コタロウの声がしたみたいな、そこにいたみたいな気がして」
振り返った時にすぐ近くにいた人は犬なんて連れてなくて二人で「イベントやっとるやん」「寄ってく?」と話していた。
「でも後ろ、人しかいないし、犬なんてどこにも……。……ぼく、なに言ってんだろ」
コタロウが、東京にいるわけないのに。
もう、どこにもいないんだから。
莉子の息を吸う音が聞こえる。
「……なんかさ、マンガとかで『死んだおばあちゃんが見守ってるよ』って出てくるじゃん……あると思う」
家に帰っても、もうコタロウはいない。地球上のどこにも。だからぼくがコタロウを見間違えるなんてことは、気のせいなんだ。
「犬だって、コタロウだって、優人のこと見守ってるとおもう」
コタロウは春が来る前に死んじゃったんだ。
なんでだろう。
ぼくが莉子にはげまされてどうするんだろう。
莉子は時々、ぼくの言葉の裏側も見つけてくれる。
こんなはずじゃ、なかったのになあ。
莉子に知られないように下を向いて、一度ギュッと目をつむる。
ひとつ思いついた。ぼくは顔を上げる。
「あのさ、莉子。このあとゲーセン行かない? 莉子と太鼓の超人したい」
東京に住んでた頃、ここみたいな大きい公園に行ったあと、どこに寄ったかを思い出したんだ。
「……釣りはどうするの」
朝から計画にはない予定を言い出してばかりで、莉子は疑問たっぷり、みたいな顔になる。
「お父さんが行きたいだけだから、ぼくはいい!」
ぼくもちょっと釣りは気になったけど、前もしたことあるし、莉子はまた知らない人と一緒になるだけだ。
「……あたし、太鼓の超人したことないから一緒にやっても楽しくないかもよ」
「そんなことない! 莉子と一緒なら楽しい!」
それにやり方ならぼくが知ってるから教えてあげる。莉子ならすぐコツつかみそうだし。
莉子の目は面白そうと思っているみたいで、輝いている。
「……いいけど。ここのイベントも、もうちょっと見ていきたい」
「もちろん! なにか食べよう!」
東京に来て初めて莉子のやりたいことが聞けて、ぼくはすごく嬉しくなった。早くお母さんを探して今日の予定変更って伝えなきゃ。それから莉子の気になる出店を見て、それから、それから。
これからももっと、莉子といろんなところに行きたいな。




