17 地球人と、新しい同居人
小さな声がした。
つぶやきのように控えめな声で、サイレンを鳴らす救急車が通りすがったり動画でも見ていたらかき消されていただろう。
夕飯前の僕は仕事の事で思いついた内容をスマートフォンにメモをしようとしたら、何をメモしようと思っていたのか忘れてしまった。スマートフォン片手に僕はただソファで虚空を眺めていた。何もしていなかったから、その声に気づけた。
僕の借りている部屋は四階にあって時々窓を開けているけど、窓から訪問者が来たのは初めてだった。
窓から室内へその身をごく自然に滑り込ませて、その猫はにゃあんとまた小さく鳴いた。
窓から数歩進むと、ふわふわの動物は僕を見上げる。
「……こんな高いところまで登ってきたの?」
首輪はしていないから野良猫のようだ。ロシアンブルーに似ているけど、なんとなく雑種のようにも見える。僕が体を動かすと、その猫は顔を少し引いた。
「不思議だな。僕のうちには君の好きそうな物はないんだけど……一体何を目当てにここまで来たんだい?」
猫の好きそうないいにおいでもした? 僕の夕飯はこれからだ。何も作っても持ち帰ってもいない。何か猫の好きそうな光るものでもあっただろうか。光る物が好きなのはカラスだったっけ? 別の猫がいるわけもないし、僕の部屋には僕だけしかいない。恋人がいた事もない、友人も少なくこの部屋まで通した事もない、家族が数回来ただけの単身者の賃貸物件にまさか見知らぬ猫が来るなんて。
当然の事ながら、そのふわふわの生き物は答えない。
エメラルドの瞳で僕をじっと見ているけど、猫が僕の話を理解できるはずもなく、僕に何かしてほしい事だってない。たまたまここに迷い込んだだけだろう。
その猫は不意に僕から目を離して帰り道を探すように顔を動かした。
初めて見る猫だ。それなのに何故か見覚えがあるように感じた。
「なんだろう。君、どこかで会った事ある?」
ミ、と猫が喉の奥で小さく鳴いた。
「ふふ、なんてね」
近づいても逃げなくて、僕はそのふわふわの生き物に触れてみたくなった。でもきっと、野良猫だろうから人間を警戒しているだろう。すぐに立ち去られてしまうのはなんだかちょっと残念な気がして、僕は伸ばしかけた手を引っ込ませる。
もう一度こちらを見たその猫と目が合うと幼い頃の記憶がよみがえったように眩しく感じて、気持ちが落ち着いていく。
わけもなく笑みがこぼれた。
「何もないところですが、ここで少し休んでいってもいいですよ」
ホテルマンの気分で話しかける。
その猫は、少しどころかいつの間にか僕の部屋に住み着くようになるのだけど、そんな事はこの時の僕にはまだ分からなかった。




