2 宇宙人と、雪宿り
東京に雪なんて降らせるもんじゃない。
降雪に慣れてない首都圏の交通機関は、あっという間に機能を停止する。それぐらい学校も会社も分かってるはずなのに、朝からなんの連絡もなく、あたしは登校。
高校なんて一日休みにしたって誰かが死ぬワケでもあるまいし、何の問題もないのに。いったい天気予報は何のために存在するのか――。
午後になってからやっと休校が決定し下校をゆるされたのに、バスは止まるわ、電車はなかなか来ないわで大変だった。
かろうじてのろのろと動く電車に乗って、JR中野駅にたどり着いた時にはもう、夕方の六時になっていた。
その上、あたしは傘を電車内に忘れてしまったらしい。
降りやまぬ雪を見上げて、駅の北口を出られず立ち往生する者はあたし以外にもたくさんだ。雪が何センチも積もって路面が見えない。朝はこんなに降るなんて思ってなかったから、あたしは普通にローファーで来た。
ほんとなら駅からバスに乗って自分の家の近くまで濡れずに帰れる。でも、頼みのバスは雪で動いていない。タクシーという手もあるが、一人で乗った事なんかないし、何よりめちゃくちゃ行列が出来ちゃってる。乗れる気がしない。
もう、サイアク。
スマートフォンを取り出して、天気予報をチェックする。雪を降らせる雲はもうしばらくしたら都心からは移動するらしい。
濡れるのを覚悟で駅から飛び出すか、少し待つか。
長い息を吐くと、呼吸が白くなって周囲に散った。
「おーい、雨夜ちゃん」
気がつくと、意識が中野区の外に行っていた。「雨夜ちゃんて」続けられる声に目をしばたく。
今更、この中央線の中野駅でこの男が出てきても、あたしは驚きもしない。
「調子悪いん?」
フード付きの上着を着てるくせにそれを活用せず、雪のかけらを頭にのせてる青年は、わずかに心細そうな瞳をしている。
ふつうの女の子なら、顔がいい男子に熱心に見つめられると胸をときめかせるかもしれないが、相手は――地球外生命体だ。
「……フード、かぶれば?」
その宇宙人は傘もささずフードもかぶらずに雪まみれになっている。今は屋根の下にいるが、さっきまでその辺の空の下にいたのだろう。
言われて宇宙人は、ちょっと照れたように笑う。
「やー、これがウワサの雪やねんなー思ってー」
沖縄県民かよ、とツッコミたくなったがあたしはガマンした。
でも、もしかしたら――彼は宇宙人だから、地球とは違う天候の惑星で暮らしていたのかもしれない。だから地球の天気が珍しくて、はしゃいでいるのかも。
地球人が、彼ら《スター・トラベラー》について知っている事は、実のところ多くない。
彼らの言語は地球のどんなものともかけ離れているので、便宜上は《スター・トラベラー》あるいは《ST》と呼んでいるが、本当はあたしたちが発音出来ないような言葉で自分たちを呼んでいるらしい。
彼らが多くを語らないのには理由がある。最近、この関西弁の宇宙人と知り合ってからあたしも改めて《スター・トラベラー》について調べた。
「で、雨夜ちゃん何しとったん? ほんまに具合悪いんとちゃうよね?」
顔のいい宇宙人が、ぐいとあたしの視界に割りこんでくる。
「元気だけど。傘忘れちゃって、どうしようかなって考えてた」
「あー、バスも動いてへんしな」
「だからどこかカフェで時間つぶそうかなって迷ってたところ。雪はそのうちやむみたいだし」
「ほんならオレもカフェ行くでー」
小学一年生みたいに勢いよく手を上げる、(見た目)二十代男子。子どもっぽい動作には呆れるが、問題はその発言にある。
「は?」
相手の言っている言葉の意味が分からない、いや分かりたくない――拒絶をこめた、あたしの低い声も天真爛漫宇宙人には通じない。
「ええやん。オレも寒いからあったかいお茶とか飲みたいしー」
「は? やだ。めんどくさい」
今更ながら宇宙人はぶるりと震えてみせる。青年の髪の雪が溶けて、水滴になってあたしのところに飛んでくる。頬に冷たいものが触れ、あたしは避けるように歩き出した。
変なやつのことは無視して、カフェ行こうカフェ。
「そのめんどくさいって、なんですかね雨夜さん……」
諦めたように言いながら、結局ついてくる宇宙人。どうせ断ったって聞かないくせに。
駅の周辺は少しだけだけど、除雪されていた。駅員さんが慣れない手付きで路上を掘り出しているのだ。ローファーだったあたしには有り難い話だ。
一番近いチェーン店のカフェに飛び込むと、暖房があったかくてむせこむほどだった。
あたしが何か言う前に「二名でえーす」とナンパ男が店員さんに告げる。先に注文してから自由に席につく店だし、誰もそんなこと聞いてないよ。言おうとしたけど、やめた。いいよもう、どうでも。今日は一日雪に振り回されたから疲れたし。
「ここはオレがおごる!」
「結構です」
というやり取りをレジ前で繰り返し、あたしたちは店員さんを困らせた。最終的にはそれぞれがお金を払ったが、宇宙人はドーナツを余計に頼んであたしの前に差し出した。
ほんと、彼がなんでこんなにあたしに懐くのか分からない。でも食べ物を粗末にするのはいやだし、あたしは仕方なしにドーナツをいただくことにした。
駅の入り口で冬の外気を浴びた体には、あったかいミルクティーはおいしかった。
二つあるドーナツのうち一つは、目の前の男のものだと思って食べるか聞いたのに、要らないと返される。地球の女の子には家の外でドーナツを二つもガツガツ食べるなっていう暗黙のルールがあるのを、この宇宙人は知らないのかな。とりあえず残りのドーナツはあとにして、あたしはひとまずミルクティーを飲む。
食べてる時からそうだけど、やけに視線を感じる。まるで好奇心旺盛な小さな子どもみたいに、あたしを観察する視線を。観察に熱心なせいか、彼の頼んだコーヒーはあまり減ってないようだ。あたしと目が合うと、彼は少し微笑む。
「今日もあんな時間に雨夜ちゃんに会えるなんて思ってへんかったし、これも運命?」
何回その言葉を繰り返されたことか。あたしはわざと大げさな動作でため息をつく。
「そんな運命ばっか言われても、かえってウソくさいんですけどー」
言ってやると、相手は知らない言葉で話しかけられたみたいに目をしばたく。答えを探すように視線をさまよわせ、またあたしに戻ってくる。
「あんなー、“運命”ってな、オレらにはぴったりくる言葉がないねん」
「……そうなの?」
「そうなの。なんやよう分からへん力に決められる、めぐり合わせとか、運のことやろ。上手く言われへんし多分やけど、なんか理屈やない、みたいなもんやろ。そんなん、ないねん」
「へえ……?」
運命の意味を深く考えたことはないが、彼の言っている内容で間違いはないだろう。ぴったりくる言葉がない――というのは、英語では日本語の「いただきます」に相当する単語がないとか、そういうのなんだろうか。
「ギリギリ近い言葉やったら……因果応報とか、ラプラスの悪魔とかに近いけど、それもまたちょっと違う気ぃするし」
「はい?」
なんだかあたしの知らない言葉が出てきた。あたしが聞いたことないだけで、地球の言葉……なのかな?
「まーそんなワケで、運命って言葉はすごいねんなと」
少し混乱してきたあたしに気づいたのか、青年は手を打って話をまとめようとする。
「知ったばかりの英単語使いたい子供か」
つまりはそういうことだ。あたしは椅子に深く座り直す。
彼が嘘をつく人物には見えないが、なんとなく真実味が感じられない時があるのも事実。それは、もともと自分たちが持っていない言葉を使ったから。
「ステキやなって思ったから使ぉてるんですっ!」
何か憤慨してる宇宙人。でも、習いたての言葉を使いたい気持ち、分からないでもない。あたしにもそういう時期があったから。
「でもなんかおもしろい。こっちにはあるものが、ないんだね。他には何か不思議に思った違いとか、あるの?」
「うーん」
あたしは椅子から背をはなすと、ミルクティーのカップに手を伸ばす。紅茶は少しぬるくなっていた。なかなか返事が来ないので、あたしはあることを思い出す。
《スター・トラベラー》と地球人の協定。《ST》は地球に彼らの文明や技術を与えるつもりはない。ゆえに彼らには話せない事が多すぎる。
「あ。そっちの事情って話しちゃいけないんだっけ」
「内容によるなあ。オレの休日の過ごし方とか個人情報なら、流出すんで」
「あ、そういうのはいいんで」
手の平を相手に向けてキッパリお断りすると、やっぱり宇宙人は分かりやすく拗ねた顔をする。
「てゆうか休日とかって意味じゃなくて、普段は何してるの?」
スター・トラベラーの留学生は、何も文字通り勉強するためだけにやってくるのではない。少し前に宇宙人タレントが話題になって、今でもたまにテレビに出てるけど、まさかそういう仕事をしてるわけではあるまい。
この男のプライベートに興味があるとかそんなんじゃなくて、素朴な疑問。
「一応、もといたとこやと言語学者やからー、それ系のお勉強と、大学で聴講やなー」
ふんふん、と頷いていたあたしの耳は、聞き捨てならない単語を拾った。
「は……い……?」
「あとはー、地球とか東京の事調べて暮らして」
「い、いや、学者? あんたそんなチャラそうな大学生みたいなカッコして、学者? ウソでしょ」
あたしの中にある学者像が、目の前の男と結びつかない。むしろ真逆ぐらいにいそうな、ふわふわして、宿題とかあってもサラッと忘れそうな感じの男が――学者?
改めて相手を見回しても、顔だけはいいからラフな服着てもオシャレに思える大学生にしか見えない。学者らしいところなんて、日に焼けてない肌しか見出だせない。学者ってほら、なんか屋内に引きこもって研究してるイメージだし。
「いやこれ擬態……てかチャラそうって言葉にはあんまりいいイメージないんとちゃう……?」
「うそだー、大学生かニートだと思ってた」
さすがに彼もあたしのうろたえ方に、頬を引きつらせている。
「地球やとまさにそうなんやけど。ちゃんとした職業持ってないと、地球なんてこれへんのやで」
動揺のあまりあたしは、椅子から立ち上がっていたらしい。やっと周りの目が気になって座りこむ。
「そうですか……学者、ですか……」
まだ信じられない。だって、この二十代男性みたいな顔した宇宙人、あたしと初めて会った時には地球の電車の乗り方も知らなかったし、さっきも雪にはしゃいでみせたり、運命って言葉が自分たちの惑星にはないからってやたら使いたがったりして「学者=大人」の図式を狂わせているんだから!
いやまあ、地球にだって子どもっぽい大人はいるけれども。何をもってして大人とみなすのかもよく分からないし、成人年齢すぎたら精神的に大人とは限らないし、そもそも……。
あ、なんかよく分かんなくなってきた。
「まー地球の博士号持ってへんし、ほんまただの学生みたいなもんやけどなー」
とにかく、大学生の見た目まんまに、地球での彼は大学生で合っているらしい。
あたしはすっかり忘れていたミルクティーを思い出し、カップの中をのぞきこむ。
「学者かあ……」
なんというか、あたしにはちょっとタイムリーな話題のような気がする。一昨日の学校で進路の話をされたばかりだ。まだ二年生にもなっていないのに、だ。
友達のかえでは、もう将来やりたい事は決めていると言った。永遠は進みたい大学の学科は定まったと話していた。
あたしにはまだ何もない。将来やりたい事も、夢も。
この宇宙人も、将来の夢が言語学者で、その夢を叶えたのが今の姿なのだろうか。
「小さい頃から言語学者になりたかったの?」
「うーん」
またも素朴な疑問をたずねると、答えは遅かった。
「あんま話せへん」
「え……」
「個人情報やないから」
少し困ったように宇宙人は笑った。
どうやら、彼らと地球人の結んだ契約に関わる事らしい。地球人は高い文明を誇る彼らの技術を求めたが、彼らはそれを与えなかった。知識もまた。
ネットで聞く話によると、彼らの技術は進みすぎている為に地球人の害になると思われているらしい。原始人に核兵器は渡せないのだろう、というような皮肉ったコメントをネットで読んだ。
つまりはそういう事だろう。彼らとあたしたちの間には圧倒的な差がありすぎるから、干渉し合うと地球が影響を受けすぎてしまう。それも、悪い方向に。
そう思って《スター・トラベラー》は地球人になにも言わない。
それが分かっていても、あたしの中には消化不良なモヤモヤが生まれた。
なんだか、つまらない。
「地球とちごおて、何でも好きに選べるわけとちゃうんよ」
青年の声がいつもより低められていたのに、あたしはあたしで違うことを考えていた。
「あたしたちだって、何でも好きにできるわけじゃないけどね」
大人たちはいつだって、「子どもは自由でいい」とか「若者には可能性がある」とか言うけど、何でもできるワケじゃあない。
メジャーリーガーには誰もがなれるわけではない。夢を叶えられるのは限られた人間だけ。
何にでもなれるのなら、何にもなれないってこともあるのだ。
将来やりたい事なんてない、あたしみたいに――。
「ところで」
自分の未来を思い浮かべられない。ぼんやりするあたしに、仕切り直すような明るい声がかかる。
「雨夜ちゃん、オレの地球ネームって知ってる?」
何故かナンパ男が顔を近づけてくる。どうやら真剣な顔をしているつもりらしい。少し身を引いたあたしの目には、ミルクティー以上に忘れられているドーナツが見える。あれを食べてやらないと。
この男が地球で使う名前。スター・トラベラーの言葉は地球人には発音できないから、彼らは地球でのとりあえずの名前を持ってる。
「……初めて会った時に聞きましたね」
「せやろ? どうもな、それをきみの口から一度も聞いてへんから、忘れとるんかな思て」
初めて会った時、やたら懇切丁寧に教えてもらいましたとも。
「あー、たしか……夙也?」
「それそれーー! なんで呼んでくれへんのぉー?」
指をさすな指を。
「だって」
不満げにしつつも、彼は返事を待っている。
「なんかちょっと、あたしの名前と似てて……恥ずかしいし」
アマヤとシュウヤ。最後の音が一緒だ。
言ったら余計に気まずくなって、あたしはドーナツに逃げることにした。思いがけずドーナツがおいしいから食べ続ける。そんな設定でいく。
「……雨夜ちゃんでも、照れんねや……」
何故か目を光らせる宇宙人。なんでちょっとうれしそうなんだ。人が気まずい思いをしているというのに!
「レア!」
「うるさい」
苦しまぎれに、どういう基準で地球ネームを決めているのかたずねると、「夙也」は音がほんの少し本名に近いらしい。もともとあたしはスター・トラベラーの言語を知らないからなんとも言えないけど。
スター・トラベラーの彼の本質に近いんだか遠いんだか分からない姓名の話もして。もしかしたら、彼らには職業選択の自由はないらしいとか知って。
この顔だけはいい宇宙人のことが分かるような、分からないような気持ちになる。近いようで遠いような、どこにでもいそうな見た目をして、どこにもいないような特別な存在。
「あ、雪やんだ」
宇宙人の声であたしは現実に引き戻される。彼につられて外を見れば、確かに雪はもう降っていない。予報通りだ。
「せやった、雨宿りしとったんやな」
窓を見ていた青年は、急に首を動かしてあたしを凝視する。にやっと笑う顔に、イヤな予感しかしない。
「雨夜ちゃんと雨宿りー」
「それほんとやめて! 雪だし!」
その下らない言葉遊びはもう、あたしが子どもの頃から散々繰り返されてきた。何故人は他者の名前をからかいたがるように出来ているのか?
「雪やったら……雪宿り?」あまり聞いた事のないフレーズだが、まあ話があたしの名前から逸れたから、よしとしよう。だが宇宙人の思考は飛躍する。
「ちゃうな……これは、デートや!」
まるで素晴らしい閃きをしたかのように振る舞うアホを無視して、あたしはミルクティーを一気飲みする。
「帰りますねー」
棒読みで告げるとあたしは本当に席を立った。
なんだかんだ、やつと話すのは嫌いじゃあない。案外子どもっぽいから、精神年齢的にはあたしと代わらないし。いや、あたしの方が内面は年上かもしれない。
運命とかデートとか言ってこなければ、普通の友達みたいに話せるようになったし、宇宙人ってことも忘れそうになる。
だからまあ、たまには相手してやってもいいかな。
なんて思いながら、すっかり雪の溶けた道を歩く。
東京の冬は雪なんて積もらない。降っても数日で溶けてしまう。“雪宿り”なんて、もうしないだろう。空も晴れていて、寒いながらすっきりした気持ちになれる。
なんとなく気分よく登校したあたしの背中を、強く叩く者が一人。
「雨夜さん、聞きましたよおー! この前の雪の日、イケメンとデートしてたって!」
教室に着くなり、かえでと永遠に囲まれる。
雪の日、イケメン、デートという単語にはかなり身に覚えがある。
「いつの間にお前コラーー!」
「違う! あんなのデートじゃないし!」
情報到達の遅さからして、直接二人に見られていたワケではないようだけど、否定しなくてはならない事がある。
「ほほお、オトコと会ってたことは認めるんだ」
悪役のように微笑むかえでに、あたしは言葉選びを間違えたと知る。ここは人違いと言うべきだったのだ。
「で? どんなやつ? 名前は?」
ニヤニヤする友人たちの追求はやまない。ああもう、めんどくさい。
やっぱり、あの宇宙人と関わるのは面倒事になるのか――。たぶんかえでたちは《スター・トラベラー》って知らないんだろうけど。
本当、雪のせいで散々だ。しばらくは中野駅で彼を発見しても、そっと去る事が決定した。