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宇宙人と、地球の日々  作者: 伊那
第六章 アリシアの場合
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15 宇宙人の、帰還

 わたしは自分勝手な理由で地球人にわたしたちの過去を話し、誰にも触れさせたくないからとその地球人の記憶を消した。わたしたちに関する記憶を、わたしと過ごした日々を彼はもう思い出せなくなった。

 地球を離脱する時には、わたしたちの存在を全人類の記憶から消せるような仕掛けを、地球降下時から設定してあった。だからわざわざ彼にわたしたちのことを明かし、わざわざすぐに記憶を消す必要なんてなかった。書いてすぐ消す文字のように、無意味な事だと分かっていた。

 ただ――わたしたちに、ではなく《わたし》にとって必要な事だからそうしたのだ。

 だけれども。

 もし、あのまま何の制約もなく地球にいられるのだとしたら、わたしはあのままあの地に居続けることを望んだのだろうか?

 手の中を見ようとして、そこにはもう人類の形をした手が存在しないことに気づいた。


 地球にいた時には忘れていた、黒い宇宙空間の広がり。そこには無数の星が静かにまたたいている。地上の明かりが少なくない地域に住んでいたため、こんなに多くの星を目にするのは、本当に久しぶりだった。夜更けまで遊ぶなんてしなかったから、地球での記憶はいつも昼間の強い光の下にある。

 わたしたちの宇宙船はまだ地球の衛星軌道上を周回していた。

 顔を合わせた全員が訳知り顔なのでわたしは白けてしまった。今となってはもう、すぐには他人の気持ちが分からない地球人の、他者へのほどよい無関心が懐かしかった。

「■■■、君はとんでもない事をしたね」

 呆れるような声もあった。

「気持ちは分かるが、しばらく自室でこれからの事をよく考えてほしい」

 外出禁止、反省しなさい。って事だ。地球のドラマでティーンエイジャーがよく親に言われていたのを思い出す。

 わたしは自分のために用意された部屋へと向かう。

 地球を離れてからずっと、わたしは精神が昂ぶっているようだ。恐れのようなものを感じながら、叫び出したいような、泣き出したいような、すべてを諦めて倒れこみたいような――息ができないように思えるのに、荒い息で呼吸をしているような。

 わたしは疲れているのかもしれない。

 地球、あそこではたくさんの事があった。わたしが実際に経験した事に加え《共有》で知った同胞の地球での体験。

 全部、あれは本物だったのだ。その感触も今でもすぐに思い出せる。それなのにこんなにも遠く感じられて、空虚だ。

 気持ちは分かる――か。

「本当に?」

 本当に分かるのかしら? この私の気持ちが?

 《共有》なんかじゃ分からない、分かるはずがないこの心の奥底が?

 わたし自身にも追いつかない、数多あまたの感情にも、その形も定かではない思考の欠片に気がついているとでも?

 わたしはあの地球の事も人類の事も、本当のところでは何も理解していないかもしれないのに?

 何も分からなかった。

 フェルナンの心の奥底だって、きっと。

 彼はわたしの事をどう思っていたのだろう。嘘が苦手な人だったから、心にもない事を言わないのは予想できるけれど。

 他所の惑星の先住民の事を理解したつもりになってはいけないのかもしれない。

 だからこれでよかったのだ。

 わたしたちは、地球を手放すべきなのだ。


 すぐ近くにある同胞の気配にわたしは意識を外界に向けた。

 自室の前で、もたつくわたしから少し離れたところにいるのはわたしより年上の同胞だ。

「私も今戻ったところだ」

 同胞の誰もがそうだが、お互いをよく知る相手だ。彼も地球に行くと言っていたようだが……。

「××××、あなた確か……《共有》が繋がらなかったわね」

 不思議だ、地球での彼の情報をわたしは《共有》できていない。地球に来て初めて“運命”という言葉を知り嬉しそうにしていた言語学者の事はよく覚えているが、目の前の彼が地球で見聞きしたものをわたしは何も知らない。

 どうして彼の情報を《共有》できなかったのだろう。

「君が地球で過ごした日々を、見たよ」

 まるでついさっきやっと見たかのような言い方だったが、今は同胞の様子にさほど興味が持てない。

「……そう」

 彼も「君の思いはよく分かる」とそれらしい事を言うのだろう。わたしはそんな理解ある振りには辟易していた。

「私は、地球では犬という生き物になっていたよ」

「はあ」

 どんな言葉でこの会話を終わらようかと悩んでいると、突拍子もない事を言われ思考が追いつかない。

 犬になった気分で地球で暮らしてたというのだろうか。まさか、本当に本物の犬に? わたしたちは人類の擬態以外用意していないのだから、そんな事はあり得ない。

「様々な偶然が重なった結果だろうな」

 この××××は何を言っているのだろう。

 本当に犬の姿を借りて地球で過ごしたというのか。

「最初に地球に降り立った時、自分の擬態に不具合が生じたようで擬態を纏えず何もできなくてな。どうしたものかと途方に暮れた時の事だ、その生き物を見つけたのは。恐らくその犬は死に瀕していた。その魂の灯火ともしびのか細さに心もとない気持ちになってね。気づけばまるで吸い込まれるようにその生物の中に入っていて、私はそのまま地球の生活を犬として暮らした、という訳だ」

 私たちの擬態には、人類の形をしていても《共有》が可能となる機能をつけてあった。地球上の生き物にわたしたちと同じ意味での《共有》ができる存在はいないからだ。

「ゆえに《共有》が上手くいかなかった」

 同胞の言葉に、何を思えばいいのか分からない。

「……《共有》なしで地球離脱に気づけたのはすごいわね」

 どうだっていい事を話していた。

「そこは家主の子どもが《スター・トラベラー》好きの男の子だったから、ニュースで見たと騒いでいたのでな」

 確か人類は別の生き物と会話はできなかったはずだが、犬にわざわざそんな事を話すなんて。

「私とあの子が過ごしたのは、本当に短い間だった。あの子の言っている事は私には分かるが、こちらの言葉が届かない。私が異星人と知らない彼は最後まで私を犬だと思っていたよ。だが私たちはお互いに何か……友情のようなものを感じたのだ。時間や言葉ではないのだと思えた」

 内容には頷けるが、言語を介せず相手を理解したり友情を感じられるものなのだろうか?

「それは……よかった……わね?」

 わたしに返せたのは今ひとつ分かっていない者の脊髄反射のようなぼんやりした返事だった。

「我々同士だって同じだ」

 《共有》があるのだから今更言葉も時間も必要ない。そういう事だろうか? だがわざわざ言葉にするようなもの?

 やっぱり、君の気持ちは分かるよっていう、あれ?

 ××××はそういう風に物知り顔をしないタイプだと思っていたのだが。だとしたら、一体どんな思惑をもってここにいるのか?

「……さっきから何が言いたいのかしら」

 純粋な疑問の中に僅かに苛立ちが混ざり込んでしまった事を後悔する。

 何しろ彼の話は要領を得ない。思い出が語りたい訳でもなさそうなのに。何がしたいのか想像もつかない。

「君の心はまだ、あちらにある」

 図星を言い当てられ、人類の擬態を持っていたら目を見開いていただろう。心臓はきっと素早く鼓動するだろう。

 それはそうだ。

 だってほんの数時間前にはまだあの地球に居たのだから。心まで連れて来るのは難しかった。

「感情のままに動いたって、いいんだ」

 何を言われているのか分からない。

 きっと分かってはいけない。

 わたしは、わたしたちは何のために

 思いが、錯綜する

 さまよえるオランダ人のオペラ。

 嘘で固められた関係性のフェルナン・グラシア。

 かつて失った第二の故郷。

 味の分からないタイ料理。

 見捨てられたわたしたちのふるさと。

 芝生の上のピクニックシートと、そこにのせられたランチボックス。

 地球から見上げた時の、まばゆいばかりの陽光

「私たちが地球の衛星軌道上から離れるのは、一時間三十分後の予定だ。後は私が上手くやっておくから」

 行っておいで。聞こえないはずの言葉それが聞こえた。

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