13 宇宙人に、失恋③
彼女は焦点の定まらぬ瞳で空を見上げる。二度と戻らない過去を、見ている。
「ふるさとに似た星を見つけて、わたしたちは浮かれていたのかもしれないわ。長くいることはない、ちょっと立ち寄るだけ。そう最初に考えていた事なんてさほど意味がなかった。先住民の友好的な態度に甘えてしまって、わたしたちは……彼らの星に降り立った。彼らはあまりにも純粋で、疑う事を知らないで、わたしたちをなにか……地球で言う神のように崇めて、それで……」
何かを目撃したみたいに、アリシアは音を立てて息を呑むと、唇をつぐんだ。
長い間、彼女は黙っていた。思いついたように僕を見ると「あのオペラの作品……いいえ、あなたは鑑賞してないわね」と最後は口の中でつぶやいていた。
今度は音もなかったのに、彼女が吐息を吐いたのが分かった。
「わたしたちは彼らに何かを返したかった。わたしたちが住む代わりにちょっとしたお返しをあげたつもりだった。それが――それが彼らを、彼らの星を滅ぼしてしまうとも知らずに」
彼らは降り立った惑星を滅ぼしてしまった。彼らがその手で星を壊したのではない。彼らがもたらした文明のせいで、間接的にひとつの世界を滅びへと導いてしまったのだ。スター・トラベラーの高水準な文明と、降り立った星の文明では差がありすぎた。地球でもよく言われていたスター・トラベラーが地球人に沈黙を守っている理由としてあげられる『猿に核兵器のスイッチを渡すわけにはいかない』というやつだ。
地球人にしてみれば自虐的な推測だったが、本当にその通りで大正解だった訳だ。文明の発達がよいものばかりをもたらすとは限らないと歴史が語っていて、人類だってその事はよく分かっている。
彼らの罪悪感は想像に難くない。
アリシアは、胸が痛むみたいにそこを押さえた。随分と地球人のジェスチャーがなじんだものだ。人間の殻を被る彼らの心臓や精神がそこになくとも、きっと彼女の胸は痛むのだろう。
「わたしたちの寿命は長い。これからもずっとあの記憶を忘れる事はできない」
生まれ育った故郷の記憶――。
それを欲しいと望んだがゆえに、もう一度手をのばした。
二つ目の大切な場所を失った事。
何を思えばいいんだろうか。
彼らは、地球も滅ぼす事ができる絶対的な力を持つ、侵略者?
それとも、生まれ育った地を失い永遠に彷徨う、悲しき流浪の民?
ただ、過程はともかく今の彼らは大雨にさらされたノアの方舟のような存在。乾いた大地を求めて鳩を飛ばした先にあったのが、この地球だったのでは?
彼らは安住の地を求めただけなのだ。
帰るところがない――もし、自分だったら。
今の職場があるこの街を失うという事。狭くてきれいとは言い難いけど、長年僕に寄り添ってくれた賃貸物件。よくある地方都市のほどほどに栄えた街並み。よく行くダイナー《ケープタウン》の、親しく会話するほどじゃないけど見慣れた顔の店主。角を曲がったところにある近所のスーパー、たまに乗るバス、駅前の大通り。愛着があるとは思えないけど、毎日毎日見ていたからすっかり体になじんでしまった様々なもの。
それを急に仕事で飛行機で移動するような異国の地へ引っ越せ、と言われたら。それとも月に異動になろうか。地球を離れ、冥王星まで――僕でも少し、想像する事ができる。
生まれ育った地を、長く暮らしている今の家を失ったら。今の住まいにだってこんなにも重ねた時がある。
それに生まれ故郷。大人になるにつれぎこちなくなっていた家族との関係性、それがあっても尚――子どもの頃を過ごした土地、帰省をした時に感じる変わらぬ街並みや広場の大樹への懐かしさは、確かにある。故郷を失う悲しみは経験した事がないから分からないものの、幼い頃の記憶と、それがある時によみがえって嫌な気分ではなく、むしろ眩しく感じて気持ちが落ち着く時がある――それは望郷の念といえるのかもしれない。
けれどあなたのせいで、この街がなくなる。
そう言われたら?
あなたの吐く息が嵐となって吹き荒れて、この街を荒れ果てた滅びの地にするだろう。
「だから地球からも離れるの」
だれであれ呼吸を止めることはできない。
「でも、でも君たちは今のところ上手くやっている。問題ないじゃないか」
僕はごく自然な口調を努めたつもりだったが、あまりにも切望がこもってしまって、一度むせてしまった。
アリシアたちの事情は分かった。でもだからと言ってなんなんだ?
彼らにとっての呼吸は僕らにとっての呼吸じゃないかもしれない。だって彼らにとっての肉体はもう必要ない、今身にまとっているのは偽物の人類の殻なんだから。
あなたのせいで、この地球がなくなる。でもそうはしない、何か別の形で息を整える事ができるんじゃないか? 地球上で見た限りのスター・トラベラーはあまりにも理性的で、人間たちよりもよっぽど紳士で高潔だ。彼らが僕らをどうにかしようと考えているとは思えない。
「《共有》があってもわたしたちは、地球に関心を払うべきではないと考える者と、地球をひと時でも楽しもうという者が、半々くらいなの」
《共有》。この事は人類には存在しない概念なので未だもって僕には理解が及ばない。個の意識が人類より薄くても意見が分かれる事もあるのか。
「ねえフェルナン。全員が地球を好きになったら、どうする?」
アリシアはそっと口角を上げた。故郷の話が始まってから初めて笑った彼女は、奇妙に冷えた目をしていた。
何か彼女が恐ろしい事を言おうとしているように思えて、僕の喉がごくりと鳴った。
スター・トラベラーみんなが、地球を好きになったら?
「どう、なるの?」
微笑みを消したアリシアは顔を上げ壁に貼ってあるポスターを眺めた。
「分からないけれど、分からないから怖いの」
彼女は途方に暮れたようだった。
「地球を愛しすぎて、全部ほしくなってしまったり、地球人の言われるままに何でも応じてしまっては困るわ」
自分たちの事なのに、自分たちでは止められないかのような口調。
地球全土を求められたら僕らには何ができるのだろう。どうなるのだろう。何もできないのか、何も起こらないのか、気づかない内に彼らのものになってしまうのか。
僕は彼女を怖がるべきなのだろうか?
地球人たちがずっと欲しがっていたのはスター・トラベラーの知識や技術、科学力。高い水準のそれらを求められたからと与えてしまってはスター・トラベラーが失ったいつかの惑星の二の舞になる。地球各国でその技術の奪い合いになるかもしれない。それを使っての争いが起きるかもしれない。ただでさえ地球上では今もどこかで戦争が起きている。悲しいかな、人類は争う事でしか自国を守る事が出来ない。いつだって争ってきた歴史から、スター・トラベラーの技術を人類が賢く扱える未来は思い描けない。
だから、彼らは地球を離れるしかない。
《共有》されてしまうのは記憶だけではないようだった。個々の思考もだ。
寂しい。
帰りたい。
どこか安住の地で、安らぎを得たい。
君もあなたもそう思っているのなら、これは正しい感情なのだ。
周囲と《共有》して心細さが肥大化する。
「二度とあの悲劇を繰り返したくはないのに……わたしたちは、」
新しい故郷を求めずにはいられない。
事実この地球にも降り立って、スター・トラベラーは束の間のふるさとを享受している。
「滑稽よね」
二度目の間違いを犯そうとしているかもしれないのに。
「ただずっと彷徨っていればいいのに」
分かっていても、止められないのだ。
止められなかったが、だからこそ彼らは今ここで引き返すのだ。
間違いに気づいたから。
スター・トラベラーは地球から一人残らずいなくなる。それが決定事項だったのなら。
「どうして……僕にこの話をしたの」
よく分からないけれど、地球にいるスター・トラベラーはみんな知人にこの話をしてから立ち去る事にしているんだろうか? それともこの話をされているのは僕だけ?
見ればアリシアは瞳を閉じて体をソファにもたれかけていた。話がほとんど終わってすっきりしたとでもいうのか。瞼を上げないままアリシアは口元で微笑んだ。
「わたしたち二人が過ごした時間を、誰にも《共有》したくなかったから」
一度、目を開けてこちらを見る。その灰色の瞳は何故か悪戯を思いついた小さな子どものように輝いていた。
「僕に故郷の事を話した記憶は、《共有》されるんじゃないの?」
「ええ。《共有》される予定よ。今話した内容はわたしたちにとって危険過ぎるもの。あなたの記憶は真っ先に消されるでしょう。そして明日にでも地球降下した同胞を一人残らず呼び集めて地球を離れる。永遠に」
永遠に。その言葉はよく聞くけれど、寿命の短い僕らには想像もできない長い間の事を指すのだろう。
「《共有》は決められている。わたしたちにはもう、決まりごとしかない。わたしたちは滅びの結末を定められている。これからの長い間……定住する地を持たず、持ってはならず、ゆっくりと時間をかけて種の保存を諦める。これは決められたこと。そうすべきこと」
スター・トラベラーの存在がこの宇宙で如何に大きく、強大な力を持つか。彼らは分かって、だからこそ他者と関わるのをやめて、自らの生き残りすら諦めるというのか。
そんな事って。何もかも唐突で、情報が膨大すぎて、やっぱり僕には追いつけない。
「この地球に降りた事も、必ず離れなければいけない事も、わたしには別の道を選べない」
選択を封じられる事の恐ろしさは如何ばかりか。
僕のこれからの人生が自分の選択できるものが何一つなく、諦める事だけが許されているのだとしたら。それはどんなにか悲しい事だろう。苦しいだろう。虚しいだろう。
「何も選べないならせめて」
気づくとまたアリシアに手を握られている。
「自分の意思で、あなたに全てを話し、あなたの記憶が消される道を選ぶ」
彼女は選んだ。僕の手を取る事を。
「わたし自身が自分の言葉で、あなたに伝えたいから」
人の記憶を消すなんて気軽に言わないでほしいが、きっと難しい事ではないんだろう。僕が彼らの秘密を知ったからって、なんの危険性があるんだろう? 僕は諜報員でも国家の重要人物でもない、ただの会社員だ。その僕に何か話したところで問題があるとは思えない。
「でも僕は友達の多い方ではないし、きみが黙っていてほしいのなら、そうできる」
「そうしてほしくないから、話したの」
訳が分からなくて僕は変な顔をしたと思う。
「矛盾しているでしょう。でもあなたたちにはよくある事。わたしたちは知らなかった、相反する二つの感情を同時に抱くという事」
スター・トラベラーたちは人類と感情の持ち方と種類が違うらしいから、地球で初めて知ったかのよう。
僕の手を包んでいる彼女の手に少し力がこもった。
ぬくもりを感じたと思ったのに、次の瞬間には彼女の手がするりと離れ、僕の手の甲を指先で撫でた。
視界が塞がれて、何故か彼女の手が僕の目を覆っていると知った。彼女の指の隙間から、アリシアが間近にいるのが見える。その手をどかそうと思えば出来た。それくらい力は入っていなかった。
「ねえ……もう知ってるはずだよ。いつか離れなくてはならないと知っているくせに、故郷のように暮らせる場所を求めて地球のような星に降りたんでしょう?」
今日、彼女はずっと相反する気持ちについて語っていたではないか。無自覚のうちに。
「やめときゃいいのに。矛盾してる」
僕も同じだ。
やめときゃよかったってずっと思ってる。アリシアとの恋愛ごっこなんて、しなきゃよかった。
でもずっとこの時間が続けばいいと思ってる。
足りないんだ、何もかも。
瞬きをしたらこの涙が落ちてしまうから、僕はそれを堪えた。
「……本当だわ」
言われるまで分からなかったなんて。アリシアは静かな声で驚いたようにつぶやいた。
「もう知っていたのね」
彼女が僕の顔を手で覆ってしまう前に一瞬見えた、僕と同じように涙するその姿は、あまりにも人間じみていて――彼女たちが最初から僕らと同じような感情を持っていると分かった。
今更、すべて遅すぎた。
僕だって、いつか終わりが来ると知っていても、相手をいつか信じれる日が――嘘のプロポーズを心から喜ぶ日が訪れるのを待っていた。ずっと、待っていた。
ほんの少しだけ、アリシアの言っていることが分かったかもしれない。
失うと分かっていても、本心を伝えたいと願う気持ち。
僕は、君とずっと一緒にいたかったんだ。
彼女が僕の人生から立ち去る未来は、あらかじめ約束された結末だった。
失うと知っていたら、知っていたのに僕は




