12 宇宙人に、失恋②
久しぶりに朝から日差しがあたたかい、よく晴れた日の事だった。日当たりのいい窓際にいれば暖房よりも優しく体を芯まで温めてくれる太陽の光がそそがれ、眠りを誘われそうな昼下がり。
家族の前で行われたアリシアによる公開プロポーズから一月もたたない冬の頃。僕の住む街にも雪が降ったが故郷ほど積もらないまま晴れや雨が続き、今では少しの雪が街角に残っているだけとなった。
あれ以来母による結婚式への準備は進んでいるのか攻撃をなんとか避けながらも、どこまでこの結婚予定の振りを続けるべきなのか、何か具体的な準備をしているポーズをとるべきなのか悩んでいた。いっそ不仲になって恋人同士ですらなくなった、婚約も帳消しになったという事にした方がいいのかとまで考えた。ひとまずは僕らの仕事が忙しくて仕方がないのでひと段落がついた頃に具体的に話を進めていく、と話してあるが母は納得いっていない様子だ。
そんな矢先の事。アリシアは何かのついでのようにそれを口にした。
「明日は地球にいられる最後の日になるの」
少し眠たげな彼女の灰色の瞳。それは睡眠不足などではなく、他者への無関心と受け取られる事が多い。しかし彼女は好奇心旺盛というほどではないにしろ、自分の生まれた惑星とは異なる環境の地球にしっかりと興味を持っていた。
その瞳が、誰でもない僕を見ているのだと気づき、僕は彼女が話している相手が自分だと思い出す。
宇宙人が、地球人に――別れを告げているのだ。
きっと一般人では簡単に追いかけられない宇宙空間へ行ってしまうのだろう。それなのに彼女の顔からは、離れていく惑星への思いは読み取れない、いつもの無感動そうなそれしか見えなかった。
「もう、ここには居られなくなる」
「……そうなんだ」
明日。明日彼女はいなくなるらしい。もっと早くに言って欲しかった、というごく当たり前な考えは僕の中に生まれなかった。
出会った頃にアリシアは言っていた。『あなたと一緒にいられるのはそう長い間ではない』と。それは予定されていた未来。
すべてを分かったつもりで、いざその局面を目の当たりにすると頭がまったくついていけない。
これで母には『アリシアとは別れたんだ、結婚の話もナシ』と告げるだけでいいのか、なんてぼんやり思った。おそらくまだ目の前の彼女と離れてしまう事の実感もないのだろう。
最初から、約束されていた別れだった。だから始めた。分かっていたはずなのに――
アリシアからの視線を感じる。僕は、目の前で起こっている事に意識を集中させる事にした。
「それにしても、突然だね。もっと前もって分かるものじゃないの?」
彼女はいつも唐突だ。僕の目の前に現れた時も、交際を申し込んできた時も、結婚してと宣言した時も。そういえば彼女は、スター・トラベラーがいつ地球を去るのか、規則性があるのかは語っていなかった。いつだったかテレビにスター・トラベラーのタレントが出ていたけど、いつの間にか番組から姿を消していた。彼らが地球にいる期間に決まりなんてないのだろうか。自分たちの気分で来て、その時の気分で立ち去る?
「……随分と身勝手なんだね」
あらかじめこうなるって知ってたから感情を動かすはずがなかった。
分かった、じゃあ元気でね、って言うべきだった。
「勝手に、勝手に……僕のことを、実家を……」
かき乱しておいて。
こんな事言うはずじゃなかったのに。
違う。これは、僕が自分の都合で思った事だ。彼女は関係ない。
アリシアが伏し目になると長いまつげの影が頬に落ちる。
「いや、違う、僕は」
何を思えばいいっていうんだ?
最初からこうなる事は分かっていたのに、彼女はどうしてあんな風に一生を誓うような真似ができる?
それを間抜けにも喜んでた僕を、アリシアはこの日を想定しながら、何を思って見ていた?
彼女と一緒にいた時間は一日やそこらじゃない、生活を共にする時間もそれなりにあったのに、何ひとつ彼女の事が分からない。
僕が見るとアリシアは微かに笑みを浮かべていた。視線が合わない。彼女は何を見ているのだろう。急にこの人が知らない人に見えた。
このひとは、本当にスター・トラベラー、地球外生命体なんだと今更感じた。
突然別れを告げられた人間が何を思うかなんて、彼女には分からないんだろうな。これで彼女の男女交際ごっこに付き合うのもおしまいかと思うと、急に何もかもが馬鹿らしくなった。何も意味なんてなかった。
僕自身の人生に意味なんて一つもなく、無に等しいのと同じく、彼女と過ごした時間も何も――
「フェルナン」
アリシアが両手で僕の右手を包む。スター・トラベラー本来の姿とは似ても似つかない人類の姿をしておきながら、その皮膚の下には何もない。
人間とは違う存在なのに、その手はほんのりとあたたかい。
彼女の灰色の瞳が僕の姿を映していて、間近で見るとまつげが震えているのが分かる。
これは、悲しみ? 恐怖? 彼女は何かに怯えている――。
彼女が僕を見なかったのは、彼女の中にある感情を見られたくなかったから?
「話を聞いてほしいの」
手に力が込められて、僕はアリシアをそれ以上見ている事ができなくなった。
「黙って出ていけばいいのに」
突き放したように聞こえたらよかったんだけど。拗ねたような口調になってしまった気がするから。
そんなにつらいなら、僕にその様を見せないでほしい。その理由も言わないでいい。だって僕は、行かないでって言いそうになるから。それは不可能な未来だから。
「……ごめん。僕、自分で思っているより混乱してるみたいだ」
嫌なら嫌って言えばいい。僕は、そうしたら――行くなって、はっきり言えるのに。
言ったところでどうなる訳でもないんだろう。
僕は今日こそ彼女の膝で頭部を守りたくなったけど、そんな事をしている場合じゃない。彼女は話したいと言っている。
地球最後の日を過ごす彼女の望みを、僕は叶えてやらなくてはいけない。
何か飲もうと言うアリシアに、僕がコーヒーを淹れる事にした。
ソファに座ってコーヒーのカップを仰いだが、あまり味がしなかった。隣にいる美しい女性の姿をした地球外生命体のせいだろう。
「わたしたちはそろそろ地球を離れようと思っているの。個人の留学期間は四年だけど、それとは関係なく、ね」
僕が彼女と出会ってから四年もたっていない。彼女がいつ地球に降り立ったのか改めて尋ねた事はないから、今が彼女の四年間のどの辺なのかも分からない。
彼女と出会ってから半年ほどになる。半年。長いようで短い。一年にも満たない。たった六ヶ月。
「わたしたち。……宇宙船のみんなで?」
スター・トラベラーについて地球上では詳しく明かされていない。彼らのもたらす文明や科学技術が地球に悪影響を与えるとされ、たとえ知識欲の貪欲な地球人であっても彼らの何らかの力によって阻まれスター・トラベラーのすべてを知る事ができない。だから僕もテレビやネットで面白おかしく騒がれる程度の事しか知らない。
彼らは宇宙船で地球の近くまでやってきて、地球人には認識できないように予防線を張った上で地球付近を漂っているらしい、というのが地球人に一番支持されている説だった。事実、地球人が彼らの宇宙船を探し出す事は出来なかった。地球上のどんな技術をもってしても船影すら見つけられていないのだ。
そのスター・トラベラーの宇宙船にアリシアも戻るのだろう。地球を離れる、というのであればアリシアの宇宙船は別の惑星や銀河系に移動するのだろうか。自分たちの故郷に帰るのだろうか。
それにしても彼女が宇宙船内の仲間と連絡を取っているなんて知らなかった。いつの間にそんな地球離脱会議を終えたのだろうか。もっとも、彼女もスマートフォンを持っているから誰かと連絡をとれない訳ではないし、彼ら独自の通信技術もありそうだ。
「そう。わたしたちは、同じところに長く留まってはいられないの」
「高度すぎる文明についての話?」
同じところに長く留まる事によって生じる不都合を避けるために、地球を離れるのだろうか。
「それもあるし、あなたたちの言葉で言うと、里心がつくといけないからというのもあるわ」
彼女は僕から視線を外した。あなたたちという言い方がひどく他人行儀に思えて、そんなところで僕はうろたえた。
あなたたち地球人。
わたしたち宇宙人。
最初から別のものだと分かっていたはずなのに。
「本当はずっと、ひとところに留まる事を望んでいるのに……それはできないの」
留まりたいならそうすればいい、と僕は思った。
「故郷が滅んでからずっと」
アリシアは表情を険しくした。
「え……?」
それはどこででも聞いた事のない話だった。彼女の語ろうとしているのは禁じられている彼らの事情のうちではないか。
スター・トラベラーの惑星は既に滅んでいる?
彼らはただ少しの間、自分たちの家を離れて遊びに来ているだけで、また自分の星に帰って行くものだとばかり思っていた。
「わたしたちは、いつからか寄る辺を求めていた」
それは長い長い物語の始まりだった。
元々、地球人とは異なる存在である彼らは地球人にはとても住めないような環境の惑星に住み、地球人にはまるっきり生き物と認識されないようなかたちの知的生命体として暮らしていた。
地球人とは比べ物にならないほどの高い文明や技術を持ち、地球人より遥かに長い寿命を持ち、彼らは途方もなく長きに渡る繁栄を手にしていた。
「わたしたちもね、最初はあなたたちにとっての肉体のようなものを持っていたのだけれど、それがなくても問題なく自分たちの種が保存されると分かってからは肉体も捨てたの」
アリシアの語りに、僕は「へえ」と曖昧な相槌を反射的に打った。
「たくさんのものを不要だと見なした。なくてもいいと思ったものがたくさんある。個としての存在、言語、自分たちの歴史……。実際になくなったものも、なくなりかけているものもある。あまりにも長い間、わたしたちには不可能な事などなかったから、自分たちの住む惑星の寿命が近いと分かっても特に問題ないと捉えたの」
僕の部屋はさほど広くもない、ダイニングキッチンと寝室、シャワールームがあるだけのシンプルな空間。それなのに宇宙の果ての別の銀河の話をされて、僕の想像力にも限界があるのに脳内には膨大な量の宇宙空間が広がり、自分がどこに居るのか分からなくなった。
「故郷の星がその形を保てない時になって、やっとわたしたちは決断した。地球人にとって宇宙船のようなものを作って宇宙空間に飛び出したのだけれど、そこでわたしたちはまた気がついてしまった。その宇宙船を星の代わりにして一生を過ごすのも可能だという事に。わたしたちには住むべき惑星なんて、広大な大地なんて理論上は必要なかったの。故郷も、捨てた」
彼らは宇宙船を新しい故郷として暮らしてゆけるはずだった。ただひたすらに、宇宙船で宇宙空間を行ったり来たりして長い時を過ごしたようだ。
「でも、本当のところは違ったみたい。わたしたちは……」
寒気を感じたのか、アリシアは自分の両腕を抱いた。
彼女の体は作り物なのに、寒さを感じるんだろうか?
「そうね、わたしたちは……なくしてからやっと気づいたみたい。故郷の星、個としての自分、過去や未来が、たくさんの捨ててきたものが本当は大切なものだったって」
さっきも口にしていた個としての自分がないとはどういう事だろう。
「わたしたちはね、地球人と同じように一人だけ、自分だけの意識というものを持たないの」
まるで僕の疑問が僕の頭上に書いてあったかのように、アリシアは返答した。僕は思わず自分の頭上を見上げようとした。
「何て言ったらいいのかしら。わたしたちは、複数個体で一つの意識を共有しているのよ」
この辺の話は僕には難し過ぎて、完全に理解できたかどうかは怪しい。
どうやら、こういう事らしい。
彼らは人類よりも個としての自身の自覚が少ない。定期的に個体ごとの記憶をコミュニティ全体で《共有》するからだ。それは、自分が一日に経験した事を夢という形で脳が整理するように、夕食時家族に自分の一日の出来事を話すように、個体ごとの記憶がテレパシーのようなものでコミュニティに行き渡るというものらしかった。実際に出来事を体験した本人が一番その記憶を色濃く覚えてはいるが、家族が同じ思い出をすぐに話せるように、他者の思い出も全て覚えてしまえる。その内容はどんなものであれ、《共有》されてしまうのだ。
それは何のために? 人類からしてみればプライバシーの侵害のように思える。誰にも言いたくない事、誰にも知られたくない内容を他人に知られてしまうなんて。
「大勢で情報を《共有》しあうことで、問題が起こったりしないの?」
僕ら人類には想像しがたい感覚だ。仲がよすぎる家族、とでも捉えればいいのだろうか。それとも人類全員がテレパシストだったら、と思えばいいのか。
もし消したい記憶や恥ずかしい思いなどが人類全員に共有されてしまうのであれば、僕ならきっと耐えられない。
「たぶん、問題はないわね。なんというか、元々そういう風にできているから……これまでもずっとそうだったから、これからもそうなんだって感じ。それにわたしたちは、あなたたちとまったく同じように個の認識がある訳ではないし、感情もまた異なるの」
僕の頭が処理しきれない膨大な情報量に固まってしまった、と理解したらしい彼女は小さく笑った。
「感情の種類と振れ幅が少ない、とでも言えばいいかしら。あなたたち人類とはまったく違う存在だから」
まあそう生まれたからそう生きてるんだと言われれば、なるほどと思うしかない。
それから。彼女は続けた。
「故郷をなくしてどのくらいたった頃だったのでしょうね。誰も明確な言葉にはしなかったけど、意識を共有しているからみんな生まれた星が懐かしくなっていた。《共有》があるから、かえってその思いは増していった。心の奥底では帰るべき場所を求めていた」
ずっと彼女は他人事のように、語り継がれた物語でも思い出すかのように話している。
そこに彼女が実際見たものがどれだけ含まれているのか。それとも彼女はただ、何世代も前から聞かされた話をなぞっているだけなのか。
「多分わたしたちはどんな過酷な環境の惑星にだって降り立って、そこで暮らす事が出来る。でも自分たちだけで身勝手に生きてきたから、わたしたちはすべてを失った。今度は間違えたくないから、先住民のいる星を覗き見する事にしたの。わたしたちにはないものを持っているかもしれないから。もしかしたら、共存できるとも思ったのかもしれない」
アリシア自身が見てきたものを語っているのだとしたら、どうして映画館のスクリーンを眺めているだけかのように距離があるような語り口なのだろうか。
「文明のある惑星を探したわ。わたしたちのような余所者が訪れても受け入れられるほどの余地があるかどうかも加味しながら」
種の保存に必要なければ、肉体も、個も、言語も、故郷の星すらないものとして気づいたのは望郷の念だったのか。
故郷、僕も今生まれ育った町を離れて暮らしている。
仕事で忙しくしている時、故郷の事を考える暇はない。母親にうるさく言われた時、故郷になんて帰るものかと煩わしくさえ思った。交流のなくなった友人のSNSを見かけた時に、あそこは自身には必要ないものだと思う事だって出来る。そうして、本当に故郷がなくなったり僕が一生そこを訪れる事が出来なくなったら――想像してみても、口うるさい母に、何考えてるか分からない父、コンプレックスの象徴である兄という面倒な人々と二度と会えない、数少ないハイスクール時代の友達と、一生会えない現実を知らないので僕には悲しみも不安も抱く事ができなかった。どれだけ心が離れていても、実際に彼らはまだ生きているのだから会おうと思えば会えるのだ。だから僕には、何も分からない。
僕は自分が残酷な人間なんだと思えた。他人の立場に立って考える事が出来ない。
アリシアが初めてコーヒーカップを手に取って、一息に飲み干した。カン、と思っていたより大きな音として響いてカップは机上とぶつかった。
「わたしたち、また間違えたの」




