其ノ十二 それからのうち〜帰らずの笛〜
「メグ、もうええ加減にせえや」
「おにい待って! せめて紐でくくるとか……」
「そないにしたら飛びにくい」
「そやったら、カゴに入れて背負うとか……」
「それじゃ羽ばたけんやろ」
笛の練習は頑張ったうちやけど、肝心なことに頭が回ってへんかった。うちは高いところはあかんのやった。
今日は動物たちの、最初の引越しの日や。おにいに抱えて飛んでもろうて笛を吹く。
出産や産卵、子育てや冬眠なんかの事情から、みんないっぺんにという訳にはいかんかってん。『夏のはじめ』『夏の終わり』『秋の終わり』の三回に分けることになった。音頭を取るのはうちの笛の音。責任重大や。
「落としたりせえへんて。そないに俺が信用でけへんのか?」
「そういうわけちゃう! せやけど、それとこれとは話が別や!」
だってうちは笛吹かなあかんねん! 両手使わな、笛吹けんねん! 山ぁ見下ろすくらい高い空の上で、掴まることも出来へんのやろ? 足がブラブラするやなんて、正気でいられる気がせえへんわ!
「もうええわ、行くで」
おにいがうちのお腹を、ガシッと掴んで持ち上げた。えっ? こんな抱え方なん? 獲物っぽい感じ?
「笛、落とすなや! ぎゅっと握って目ぇ閉じとれ!」
「うぎゃぁあああぁあああ!!!!」
うちの叫び声はなんべんもこだまして、山や村に響き渡った。幸いなことに、村の立ち退きは終わっているので、騒ぎにはならへんかった。工事がはじまる来年の春まで、ここら一帯は完全に無人地帯になる。
暴れとったうちが静かになり、だらんと力が抜けた頃。さすがに心配になったのか、おにいが胸元まで抱き上げてくれた。とっさに、離すもんかと首根っこにしがみつく。
「く、首、締まってんで」
「いやや! 絶対離さへん! 笛も、このまま吹く」
うちがガタガタ震えながら言うたら、おにいの耳が真っ赤に染まった。照れとんの? 息詰まってるん? どっちや? 一瞬、怖さを忘れて茶化したら、アクロバット飛行を披露された。二回ひねり宙返りや。おにい、ひどい。
しばらくゆっくり村の上を飛んでもろたら、ようやく少し落ち着いた。見下ろすのは、野生の動物と、昆虫と、あやかしだけの世界や。
それはうちのよく知る、のんびりとした村や山の雰囲気とは違うて見えた。静かで穏やかなくせに、圧倒されるほどに力強い。
(なんでやろう。人間が居んようなっただけやのに)
おにいがうちの手を取ってくれたことで、うちの立ち位置は、少し変わったのかも知らへん。
うちはどうやら人間だけの世界からは、少しはみ出しでしもうた。後悔はしてへん。
「メグミ? ボーッとしとらんで、そろそろええか?」
考えごとをしていたら、おにいの声が頭のすぐ上から聞こえて来た。背中の白い翼が、上昇気流を受け止めるように弧を描く。
さあ、吹こう。うちに出来るのはそれだけや。そのために今、ここに居る。
移動さえすれば全ての上手く行くやなんて、そんなこと思うてるわけやない。生態系が壊れるかも知れん。自然が破壊されるかも知れん。それでもうちは、笛を吹く。
水に追われて逃げ惑うより、時間をかけて新しい住処を見つけて欲しい。水に沈んで孵らない卵をなくしたい。飢えることが少しでも減ると良い。寒さで震えることなく、無事に春を迎て欲しい。
そのために、うちが吹くのは『帰らずの唄』。故郷を捨てるための曲や。
うちの勝手な気持ちを押しつけて、容赦なく生きもんを引きずり出して追い立てる。うちは、この曲を吹くと決めた。
最初の音は、高く、長く鳴らす。続く限りの精一杯で、笛に息を吹き込む。なるたけ、ぎょうさんの生き物に聞こえるように、聞いてもらえるように。
その後に、流れるようなリフレインが続く。高く、低く、繰り返されるのは、山を渡る風の音なんやて。葉を打つ雨の音なんやて。
決して帰って来るな、振り返らずに行け、その先で幸せになれと、笛の音が響く。その音に、うちの想いを幾重にも重ねる。
* * * *
まず、翅のある昆虫が飛び立った。色の付いた風のように、大きくうねりながら羽音を響かせ移動して行く。それを鳥たちが追いかけ、追い越して行く。互いに鳴き交わし、もつれるように高く、低く飛ぶ。上空をトンビが大きく輪を描いて、ピーヒョロロと鳴きながら飛んで行った。
次に山がざわめいて、足の速い動物が動き出す。そして最後に大きいもんがのっそりと顔を出す。
「おにい、うちは……うちはとんでもないことをしてもうた」
メグミが、顔色を悪くして、笛から口を離した。
「後悔なんかすんなや。決めたことやろ?」
「こんな曲を吹くなんて、許されることやない!」
メグミの吹く笛は大きな力を持つ術具だ。奏者を守る効能も強い。だが、元々のメグミの心にあった罪悪感や村への想いが、強い煽りを受けてしまった。
「人間なんか嫌いや! 工事なんか、中止させればええんや。道を壊してしまえば近寄れなくなる。病気を撒き散らせ! あないな奴らに吸わせる空気なんぞ、吐き出すのを止めてしまえ!」
ウツロな目でブツブツと呟く。
「アホウ! しっかりせえや!」
シロが、バシッとメグミの頭にチョップを入れた。
「痛っ! なんすんの!」
メグミの目が正気の色に戻り、けれど痛さで涙目になる。
「なに、引きずられてんねん。正気に戻れや!」
さらにもう一発。
「もう、戻ったやん! おにい、ひどい! ここはぎゅーっと抱きしめてちゅーでもかます場面やろ! チョップはないで!」
メグミが恨みがましく言う。
「そんなん後や! 動物たちを迷わせる気か? はよ、最後まで吹け!」
「後やて……ほんま?」
メグミは大事なことを聞き逃さなかった。至って正気だ。
その先の笛の音は哀しい曲のはずなのに、やけに弾んで山に響いた。それは、動物たちの不安を吹き飛ばしてくれたので、そう悪い演奏ではなかったと言える。
鳥も動物も昆虫も、とりあえずの移動を終えて、あとはそれぞれ、居心地の良い場所を探して散って行った。
『あとは野となれ山となれ』
目先のことがなんとかなれば、あとは知ったこっちゃないという意味の言葉だ。あまり良い意味では使われない。だが、風が渡り虫が遊び、キツネが顔を出す野原ならば。鹿が駆け小鳥の声が響き、木々がざわめく山ならば。
それは、なかなか上等の『野』であり『山』である。
メグミの笛が風に乗って野山を渡る。あまり上手くはない。けれど最後は会心の音で響き、山々に何度も何度もこだました。




