其ノ十 お山へ
第九話 お山へ
最後にもう一度、作法をそらんじて言ってみる。
「狐の面、被うて行く。提灯、持って歩いて行く。何があっても喋らへん」
まずは高台まで走る。
坂道を駆け上がると、おっきなおっきな木が見えて来た。影絵のようにくっきりと、月のない星空を背にして立つ。昼間とは別のたたずまいに、またこの木が好きになる。
「おかげさまで、おにいと仲直りしたんよ。ほんま、おおきにな!」
おっきなおっきな木が、婆さまを呼んでくれた。とんだ掟破りをしたうちが、あの場所にたどり着けたのは、おっきなおっきな木のおかげや。
「あないに光って、大丈夫やってん? お爺なんやろ? 無理してへん?」
おっきなおっきな木が、おにいのことも呼んでくれた。あの日のことがなければ、おにいとは会えずに村が沈んでしまい、それっきりになっていたかも知れへん。
「ほんまに、ほんまに、おおきにな!」
村が沈むまで、あと二年と少し。その日まで、元気にこの高台で過ごして欲しい。
風に吹かれて、高台から見下ろす村の風景が好きやった。だんだん畑、林の中を流れる小川、小さな無人の駅舎、赤い鳥居の神社、その裏の竹林。
夏休みの間中、毎年飽きへんで眺めた景色や。十年も、ずっと変わらへんこの景色を、毎日毎日眺めた。
来年の夏休み、うちはどこで何をしてるんやろう。想像してもわからへん。この村以外の夏を、うちは過ごしたことないねん。
高台から山道に入った。狐の面を被り、明かりのスイッチを入れて、提灯を持つ。
真っ暗な山道やけど、少しも怖くあらへん。右のポッケにはおにいのビー玉、左のポッケにはおっきなおっきな木の葉っぱが入っとる。
坂をひとつ越えるたびに、どんどん道が細く、険しくなってゆく。作法を破って歩き回った時は、どこまで行っても同しような景色ばかりやった気がする。
狐のお面の中に、息がこもって顔が汗だくや。あないに穴をたくさん開けたのに、あまり効果はあらへんかった。ぬぐってもぬぐっても、喉やうなじを伝って汗が流れて落ちる。時々立ち止まって、お面を浮かせて中に風を入れた。
坂道の傾斜がだんだんキツくなり、息が上がる。それを越えたら、急に目の前がひらけた。
赤や橙色の提灯の、おぼろな明かりに囲まれて広場が浮かび上がる。チラホラと屋台や、歩く人も見える。
(あれがほんまの、狐火の市かいな……!)
前に来た時とは全然ちゃう。うちは走り出したい気持ちをおさえて、作法を守ってゆっくりと歩いた。




