其ノ五 掟破り 上
考えることがあり過ぎや。
狐火の市へ行かなならんことは変わらへん。
せやけど、うちの個人的な事情を遥かに超えて、緊急事態が発生してしもうた。
来年の夏には、ここら一帯は立ち入り禁止になって、電車も廃線になってしまう。この村には、近寄ることも出来へんようになる。
そうなったら、うちみたいな中学生にはどうもならへんやん。
(最低でも、山や村がダムに沈むことを伝えなあかん!)
おにいは空が飛べるから、きっと逃げられる。せやけど……。
例えば、おにいがほんまに妖怪やとしたら、他にも仲間がおるはずや。おにいはあの時「俺らがその気になったら」と言とった。
そうやとしたら、動けん妖怪や、逃げられへん妖怪がおるかも知らへん。うちら人間よりも、動物と繋がりの深い妖怪がおるかも知らへん。
知らんうちに、なんもかんもが水に飲み込まれてしまうやなんて。
そんなん、はいそーでっかで、済むことやあらへんやろ!
「知らせなあかん。はよ、知らせなあかんやん!」
うちはその晩、爺ちゃんと婆ちゃんが寝るのを待ってから、こっそり家を抜け出した。
庭にあるハチのお墓に寄って手を合わせる。
(ハチ、おにいを探しに行って来る! 狐火の市へも行かなあかん。どうか見守っててや!)
うちとおにいのことを知とるのはハチだけや。ハチが生きとったら、着いて来てくれたやろか。
ハチが死んだ時、おにいはずっとそばにいてくれた。泣いて泣いて、手がつけられへんかったうちが、泣き止むまでただ隣に座っていてくれた。
うちがやっと泣き止むと、雲でハチの顔を作って「ほれ、見てみぃハチが笑っとるで」なんて言うてた。うちには、ひっくり返ったイモムシにしか見えへんかったけどな。
「なんや、イモムシやん!」
泣き笑いになったうちの顔を見て、ホッとしたように笑た。おにいは遠まわしにしか、出来へん人や。
祭りの会場へ行き、一番端っこの提灯をちょろまかす。一個くらいなくってもたぶんバレへん。かんにんやで!
そしてその足で、山へと向かった。
今夜は新月とはほど遠い。狐火はひとつも灯っとらん。掟破りは覚悟の上や。
うちは大声でおにいを呼びながら歩いた。作法なんかクソ食らえと思うた。やぶれかぶれで、おにいに対する文句もタレた。
なんで逃げたんやとか、二年も顔見せんとどういうつもりやとか、おにいのあほーとか、出て来んかいヘタレ妖怪とか、手先不器用の根性悪とか、思いつく限りの悪口を叫んだ。
そのうち喉が枯れてしもたけど、それでも声の限りおにいを呼んだ。
呼ぶのは、返事がある思てるからや。
うちは真っ暗な山道を闇雲に歩いた。でも、道に迷うて遭難するかもとは、いっこも思てへん。
二年も放って置かれたくせに、うちは自分が『おにいの特別』やいうことを、少しも疑ってなかってん。
「おにいーーー! 早く出て来んかい。早く出て来んと、あかんようなるでー!」
あかんのはうちの方や。山道を何時間も歩いて、もう足に力が入らへん。何度も転んで、身体のあちこちが痛とうてたまらん。足の血マメがズルむけて、靴の中がデロデロや。
ほんの少し休むつもりで座り込んだ。近くにあった木に寄りかかって靴を脱ぐ。プラスチックの面も外してしまう。見上げた空には、半分よりも少し欠けたお月さまが小さく見えた。
うちは自惚れとったんやろか?
狐火が灯てへんでも。
作法を守らんかっても。
『うちが本気で呼んだら、おにいは絶対来てくれる!』
そう思て、新月でもあらへん山に入った。
でも、どれだけ呼んでも来てくれへん。うちは、ほんまに、嫌われてしもうたんやろか。
おっきなおっきな木で、いつも会えたんは、ただあの木で昼寝するんが好きやっただけなんやろか。
『特別』や思てたんは、うちだけなんやろか。
気ぃつくと、うちはおにいのことばかりを考えとった。山がダムに沈んでまうことを知らせるために……そのために山へ入ったはずやのに。
そして思い当たってしまった。とても、とても身勝手で、浅ましい想いに。
うちは無茶なことをして、自分を盾に脅迫して、おにいを呼び出そうとしたんや。そうすれば、狐火の市へは行けへんでも、おにいを呼び出すことは出来るはず。うちは、そう思うてたんや。
「うち、なにやってんのやろ……」
情けなくなって、泣きたくなって月を見とったら、なんや眠くなって来てしもうた。もう真夜中を過ぎている。うちは、こんな山ん中で寝たらあかん思いながら、ついウトウトと、居眠りをしてもうた。
そうして夢を見た。
夢の中で、おっきなおっきな木が光っていた。葉っぱの一枚一枚に、赤や黄色の、柔らかな明かりを灯しとる。
「うわー、きれいやなぁ! お祭りの提灯よりきれいやわ」
うちがそう言うて、いっちゃん低い場所にある葉っぱに手を伸ばしたら、まだ引っ張ってもおらんのに、ハラリと一枚手の中に落ちて来た。
「うちが貰ろても、ええの?」
葉っぱは『ええよ』と言うてるように、ぼんやり、ゆっくり瞬いた。
どのくらい眠っとったんやろう。うちはバサリと鳥が飛び立つような音を聞いて目ぇが覚めた。
「おにい?」
急いで空を見上げる。いつの間にか月は雲に隠れとって空は暗い。おにいの姿を見つけることは出来へんかった。
けれど、腕や膝の傷や足の血マメには薬を塗った布が巻かれている。肩に掛けてあったTシャツからは、久しぶりに嗅いだ、おにいの匂いがした。
* * * *
少し眠ったことで、体力は回復した。足の痛みも引いている。メグミは進もうとも、戻ろうとも、考えずに立ち上がった。そして目の前の光景に目を瞠る。
そこには座り込んだ時には決してなかった、明かりの灯った広場があった。手の中には木の葉が一枚。暖かい色で瞬いている。
メグミは誘われるように、広場の方へと足を進めた。




