其ノ十一 それからの俺ら
入り口の引き戸を引くと、カランカランと来客を告げる音がした。店の中から『らっしぇい!』という、威勢のいい声が響く。
のれんをくぐーと、カウンターの隅でビールのジョッキを傾けちょったタクが振り向いた。
「おー、タク!」
声をかけると、なんとなく照れくさげな素振りでうなずく。タクが都会の大学へ行ってから、盆と正月くらいしか会えんやになった。
だどもそーは、現実での話だ。
「カメ吉、居なくなっちゃったんだ」
「ああ、狐火の市に往んだ(帰った)だねか?」
夢ガメのカメ吉とは、思いのほか長いつき合いになった。河童から買ったエサがなんなった後も、市販のカメのエサを食べながら、時折り思い出したやにプカリと煙を吐いちょった。
そうして勝手に人の夢へと、俺とタクを連れて行く。あの晩、狐火の市で出会った人や、あやかしたちの夢に。
猫又のニアに、狐の婆さまの修行の愚痴を延々とこぼさいたり、天狗の面を被っちょったミサキと一緒に夜釣りをしたり、河童に水泳を教えてもらったりした。
タクが出会ったという太一さんと、種屋の鳥の畑仕事をテゴ(手伝いを)したり、銀という狼のあやかしと細工物を作ったりもした。銀には、美人の人間の嫁さんがいるらしい。
カメ吉が煙を吐いた夜は『今夜は誰に会ええだらかな!』と、ワクワクしながら眠った。
そーはタクが、都会へ行ってしまっても変わらんだった。おかげで遠く離れちょった気がさん。
カメ吉がおらんやになった水槽は、今はきれいに洗って部屋に置いてああ。ちょんぼし(少し)……いや、かなり寂しい。
でもカメ吉もきっとそろそろ年頃で、嫁さんでも探しに狐火の市へと帰っただねかと思っちょる。そのうち嫁さんと子ガメを連れて戻って来てごいたら嬉しい。
「マサト、今夜が新月だて知っちょーか?」
酔いが回ってタクが、都会の言葉から出雲弁へと戻る。
「行ってみいか?」
「いいで! 狐面も提灯もねけどな」
そげ言いながら、俺もタクも席を立たん。
ああから十五年が過ぎて、俺たちは大人になった。投げ出したくなあことも、逃げ出したくなーこともある。だども、狐火の市へ行かないけん程だない。
あの真っ暗な夢の中から、タクを引っ張り出した俺の手は、いつの間にか大きんなった。タクの心臓は、今でも規則正しく動いちょる。
今晩、狐火の市へ行かん俺たちは、満更悪くない大人になれた気がしちょる。
タクがツマミに、きゅうりを頼んだ。そげ来たか! 俺はメニューを開いて、いなり寿司を注文した。
こんな新月の晩も、案外、悪くない。
迷わずの風鈴の音が、騒がしい店の片隅から、チリーンとかすかに聞こえた。
『ははは! 心配すーなよ。俺らは、迷おちょらんぞ』。




