其ノ六 姉ちゃんの嫁入り
あれから六年。僕は中学二年生になった。今年の夏にぐんと背が伸びて、姉ちゃんの背ば追い越した。近頃はようやく『泣き虫坊や』だの『わるそう(いたずら)坊主』だの呼ばれることも、なくなった。
そして今日、姉ちゃんが嫁に行く。
大きな声では言えんが相手は人やなか。『銀』ちゅう名の、狼のあやかしや。
僕が銀とどこで出会うて、姉ちゃんと銀がどげん風に恋に落ち、結婚が決まるまで、どげんアレコレがあったんか。そりゃまた別のお話や。
なんせ、今日は姉ちゃんの晴れの日で、僕もそれなりに忙しか。真っ白な綿ぼうしばかぶった、花嫁衣装の姉ちゃんは、天女さまのごときれいや。銀も紋付袴の正装だ。いつもはザンバラの頭も、きれいになでつけてある。
三割増しで男前度が上がっている銀を見て、僕はあの日のことを思い出した。
* * * *
ある晩、銀が紋付き袴の正装でやって来た。畳に手ばつき、イツキに頭を下げる。
「イツキ、おまえの姉ちゃんば俺にくれ。俺は人やなかが、命ある限り、おまえと姉ちゃんば守るけん」
イツキはその頃には、サトコの本当の弟でないことで拗ねることもなかったし、銀のこともとても好いとった。心の中では、いつも銀を兄と呼んでいた。
けれど、それでも……。サトコの『一番目』をゆずるのは、イツキにとって簡単なことではない。
「ずっと二人っきりやったけん……。それに姉ちゃんは僕の心配ばっかりしとって、自分のことば、いつも後回しで……!」
僕はまだ姉ちゃんに、なにひとつ返せとらん。イツキはそう思って唇を噛んだ。
「サトコはずっと、おまえの姉ちゃんばい。それは変わらん」
銀の目はどこまでも真剣だった。中学生のイツキを相手に、誤魔化すことも茶化すこともしない。
「ね、姉ちゃんば泣かせたら、許さん!」
「ああ、大切にするばい」
「浮気なんしたら、承知せん!」
「そげな心配はいらん」
銀の目は狼の目だ。人間の白目にあたる部分は、薄らと金色で瞳は琥珀色。その目は人の世に紛れても、濁ることなく澄んでいる。
「俺も、おまえの家族にしてくれんか?」
泣きべそをかいていたイツキの背中を、銀の手がそっと撫でる。大きく、硬い大人の男の手だ。それはサトコの柔らかな手にはない、真冬の山のような、揺るがない強さを持っていた。
「銀、姉ちゃんば、頼みます。これから幾久しゅう、よろしゅうお頼みします」
「お引き受け申した」
二人は、畳に額をつけて、たがわぬ約束を交わした。
* * * *
姉ちゃんと銀の結婚式は、人とあやかしが入り乱れ、正体を知っているもんも知らんもんも、みんなが笑顔で祝福してくれた。
「なぁ、おっちゃん。なぁ、婆さま。姉ちゃんは人間で、あやかしたちにイジメられたりせんか?」
天狗んおっちゃんと狐ん婆さまに聞いてみた。
「銀がサトコを守ってくれるじゃろうて。そういう男じゃよ」
婆さまが術を編みながら言うた。
「だいいち、サトコは黙ってイジメられるような女ではなかろう?」
おっちゃんが術具の大玉を取り出しながら言うた。
「そっか。そうだよな! あれ、えっ……二人とも、なんしよーと? なんも知らん人間もおるけん、あんまり大きな術、使わんといてや!」
「若いもんが、なにを細かいこと言うておる。祝いの門出じゃ! 皆の者、派手に行こうぞ!」
天狗のおっちゃんが、大玉ば空高う投げ上げると、肩に乗ったカラス天狗がそん玉ば弓で射た。
シャリンと玉の割れる音と共に、色とりどりの花びらが舞い落ちる。
狐の婆さまの術が編み上がり、空に小さな虹がいくつも掛かり、太鼓と笛ん音が響きだす。面ば付けた子供のあやかしたちが、踊りながら空ば駆け、銀の作った細工物の蝶が、ひらひらと舞い飛んだ。
拍子木の音が高く響く。銀が軽々と姉ちゃんば抱き上げ、そんまま宙返りば決めると、全員がドロンと消えた。
あとに残されたんは、呆気に取られた人間のみ。僕はなんば言わるーか、ドキドキして周りば見渡した。
ところが、姉ちゃんの同僚の先生たちも、近所のおっちゃんやおばちゃんたちも、お神酒ばキューっとコップであおってから言うた。
「いやー、おもろかもん見せてもろたわ!」
「良かお式やったねぇ」
「サトコちゃん、幸せそうやったな!」
ぼくん背中ばバンバン叩いて、千鳥足で帰ってゆく。浮かれてやり過ぎたあやかしたちを、酔っぱらいの見間違いで済ませてくれるらしい。
(それとも……。ぼくが知っとーよりも、こん街ん人たちは、あやかしと近か暮らしばしとーんやろか?)
神社の裏山ば見上げれば、昼間っから狐火が灯っとる。ぼくは狐ん面ばかぶって、ゆっくりと石段ば昇りはじめた。狐の面は僕の、ほんの少しの寂しい気持ちを隠してくれる。
(階段を登り終わったら面ば外そう。僕はもう、泣き虫坊ややなかけんね!)
本日は、大安吉日。天気も上々、風も爽やか。ほんに……、ほんに良き日となりました。
―おしまい―




