其ノ四 お山へ
電信柱に付いた丸い傘の電球が、ぼんやりと頼りなく照らす夜道を、胸の巾着袋を握りしめながら走る。
一面に広がる田んぼの真ん中、一直線に続く道は、夕方少しだけ降った雨のにおいが立ち込めとった。カエルの大合唱がやかましいほどじゃった。
余計なもんを見んよう、前だけ向いて走る。
他所見なんかしたら、暗い田んぼから何本もの手ぇが、伸びて来るのが見えてしまいそうじゃ。
余計なもんは見んで走れ。余分なことは考えんで走れ。カエルの声だけ聞いて、お山の灯りだけを見て。
走れ、走れ、走れ‼︎
カエルはわたしの味方じゃ。ゲコゲコ大声で鳴いて、田んぼから伸びる手ぇを、きっと押し返してくれる。
そのうちに、カエルの声が背中に遠ざかって、わたしははぁはぁという息づかいと、自分の足音だけを聞いて走った。
足音がアスファルトを踏む音から、ジャリジャリという土を踏む音へと変わると、お山はもう目の前じゃ。
灯りは三つ、消えとらん。
リュックサックから、狐のお面と提灯を引っ張り出す。震える手で、お面をかぶって、提灯を広げる。
細い登山道は、入口の管理小屋の明かり以外は真っ暗闇じゃった。雲が出て、星も隠してしもうてる。足がガクガクするのが止まらん。
(こがいな山の中を、わたしはひとりで歩く事ができるんじゃろうか?)
油断すると、涙が出てきてしまいそうじゃった。
(泣いたらいかん。泣いたら前が見えん。泣いたら、もっと怖うなる)
泣いたら、狐のお面の紙粘土が溶けてまう。
それに……わたしが泣いたら、サエも泣いてまう。まねしんぼのサエは、わたしのマネばかりするけぇ。
サエの『ねぇね』は、強いんじゃ! こげな暗闇になんか負けんわい!
まずは一歩、踏み出してみる。ほいで二歩。三歩、四歩、五歩。走ってはいかん。作法を守って、歩いて進む。
懐中電灯の明かりで足元を照らす。あまり遠くまで照らすと、なんか見えてしまいそうじゃけぇ、なるたけ道だけを照らした。
しばらく歩きよると、急に強い風が吹き、周りの木がバサバサと大きな音を立てた。
(ひやぁ!)
心臓が飛び出るほど驚いた。喉の奥で悲鳴を上げて、必死で口を押さえて叫び声を噛み殺す。
けれどわたしは、事もあろうに大切な懐中電灯を放り出してしもうた。
ガチャンと壊れる大きな音がして、明かりが消えた。目を開いとるのか閉じとるのかもわからん、本物の真っ暗闇じゃ。
(ど、ど、どがんしよう⁉︎)
懐中電灯を拾おうと走ったら、途端につまずいて転んだ。さいあくじゃ! ひざ小僧を擦りむいて、とっさについた手の平もヒリヒリと痛い。
もう我慢なんて出来んかった。わたしは頭を抱えて、うずくまって泣いた。
帰りたい。今すぐ走って逃げ帰りたい。わたしみたいな子供が、夜中に出歩くなんて無理じゃった。
こがいな弱虫には、狐火の市なんか、見つけられっこない。
(お母ちゃーん、お父ちゃーん)
わたしは泣きながら、心の中でお父ちゃんとお母ちゃんを呼んだ。
なんて……なんて情けないんじゃろう。わたしはお姉ちゃんなのに。サエの『ねぇね』なのに!
その時蛍が一匹、すうーっと目の前を横切った。
ぺか、ぺかっとゆっくり光りながら、わたしの周りをうろうろと飛び回る。
手を伸ばしたらスイっと逃げるくせに、すぐにまた近づいて来る。それは、げに不思議な蛍じゃった。
(でも……きっと、悪いもんじゃない)
ぺか、ぺかっと光るのを見とったら、わたしの心にも、もう一度、勇気の光が灯った気がした。
わたしはひざ小僧にツバをつけて立ち上がり、体操服の袖で、涙と鼻水をゴシゴシと拭いた。
蛍はたった一匹、先を急かすように前を行く。ぺか、ぺかっと、規則正しゅう光っとる。
スズムシが応援してくれた。カエルの声が守ってくれた。蛍がよりそって、飛んでくれとる。
(わたしは間違うとらん。たぶん、これが正解じゃ。この道は、きっとサエまで続いとる!)
こがいなもん、ただ暗いだけじゃ。夜は暗くて当たり前じゃ。
(怖いもんなんて、何もおらん!)
わたしは大きく深呼吸をして、蛍のあとを追って、歩きはじめた。
足元も見えん真っ暗闇なのに、不思議とつまずく事も、何かにぶつかる事もありゃせんかった。
やがて林の向こうに、明るい場所が見えて来る。山の中には不似合いなほどの、人の気配が満ちている。わたしはようやっと、狐火の市へとたどり着いた。




