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196_『猫がいなけりゃ息もできない』読了

おはようございます。きんぴらです。


今日は2021年1月31日。日曜日だ。


 今日は少し外出した。と言うのも読む本が尽きてしまったからだ。……本当は昨日運動を全くしていなかったから、散歩をしようとしていたのだけれど、運動云々より読む本がない状況が許せないかった。散歩のついでに本を購入することにした。いや逆だ。本を買うついでの散歩だ。


 私は散歩という名目で、少し遠回りして本屋に向かった。


 今日は雲ひとつない快晴。風もなく穏やかな陽気に後押しされるように、薄着の私はアスファルトの上を進む。最寄り駅に隣接する公園をぐるっと一周して、春には色鮮やかな花々が咲き誇るものの、今は殺風景な花壇を横目に通り過ぎる。


 巨大な地下駐車場の出入り口を、まるで異世界への入り口かのように警戒しながら横切る。もちろん、異世界に吸い込まれるとは思っていない。出てくる車に注意をしているだけだ。


 本屋に到着した私は、さて何を読もうかと本棚に視線をやったまま、スライドする。そうして私が出会ったのは——、『猫がいなけりゃ息もできない』だ。


 村山由香さんが猫と過ごした十数年を綴ったエッセイだ。「猫」と呼ぶことすら失礼だと感じるから言い直す。村山由香さんが「もみじ」と過ごした十数年を綴ったエッセイだ。


 今でこそ飼ってはいないが、私はペットが好きだ。これは実家で過ごしていた頃、猫や犬、牛にうさぎ、時には鶏など、常に多くの動物に囲まれて生活をしていたからだと思う。とりわけ、猫の奔放に生きる姿は大好きだった。


 そんな自分の生い立ちもあり、自然と手にとっていた。


「猫がいなけりゃ息もできない……」


 私はいつものように目次を——、見なかった。なぜか、これを買うと決意していて「目次はこの後どうせ見るんだから」とレジに向かいお馴染みの言葉を発する。


「袋はいりません。カバーだけお願いします」


 店員さんが慣れた手つきでカバーをかけてくれる間に、慣れた手つきでPayPayアプリを呼び出して、スマホで流れるように会計を済ました。


 早速家に帰って読もうと思ったが、我慢できなかった。自分の欲望に従順なこの性格を前に抗うことはできず、書店の近くのドトールに入った。入口付近に空席があったが、隣のパソコンを開いた男性が高速ぼっち貧乏ゆすりを披露している。


「はいだめ。次」


 私はさらに店の奥へ空席を求めて足を踏み入れた。おあつらえむきに奥の角の席が空いている。店内はほぼ満席だから、都合よくその席だけが空いていたとは考えづらい。きっと、タイミングよく前に座っていた人が帰ったのだろう。


 私は隣が静かに勉強している学生であること、そして貧乏ゆすりをしていないことを確認して席を確保した。


 今日も今日とてレモンティー。


 準備は整った。目次を開く。——嫌な予感がした。「見送る覚悟」「いつか、同じ場所へ」そして複数飛び込んでくる「最後」の文字。


「これはあかんやつちゃうかな……」


 と少し手が止まりそうになったが、さすが読書家。本を開いて読まずに閉じることなどできようはずもなし。私は黙ってページを捲り始めた。


 序盤はご尊父がお亡くなりになって、そこにいた猫を1匹招き入れたところから始まる。村山さんの家にいるにゃんこが5匹になったのだ。そのうちの1匹である「もみじ」がフォーカスされる。


 もみじは生まれた時から村山さんと一緒に生きてきて、17年になるにゃんこ。村山さんと「もみじ」がどのように過ごしてきたのか、情景描写もさすがで、まるで映画を観ているように脳内再生される。きっと村山さんが目の当たりにした景色とは違うのだろうけども、それでも、その光景を見ているかのような錯覚を覚えさせられる。


 もともと、ところどころで表現も言葉も面白おかしくなっていたのだが、今の村山さんのパートナー(ご結婚はされていない)である『背の君』さんが登場してからは、特に面白くなった。ボケもツッコミもこなせる大人の男といった印象だ。エッセイの中に良いスパイスを、いや、きっと日常の中で、村山さんにとっても猫たちにとっても良いスパイスになっているんだろうなと感じた。


 知った風な口を聞くのも失礼に当たるので、ここからは私の感想メインだ。


 『背の君』さんの登場もあり、おもしろおかしく読んでいたのだが、それも束の間。本書のメインに当たる、もみじの病気が明らかになる。内容は文庫を読んで欲しいので伏せるが、私は楽しかった気持ちが徐々に薄れていくのを、明確に感じながらも読み続けた。


 そして、丁度半分、131ページで「3 見送る覚悟」が終わる——、終わらなかった。十分な改行を置いて、132ページ目に7行だけ。文章が綴られていた。


 私は慌てて本を閉じた。


 もう、涙が片足を瞼にひっかけて、今にも乗り越えようとしていた。


「あっかん! これはあかん! 泣くな泣くな泣くな泣くな!」


 私はおもむろに本をカバンに突っ込んで、合わててドトールを後にした。行きは遠回りしたのに、帰りは真っ直ぐに家に向かった。


 家に帰り、服を着替え、手を洗い、マスクを外してうがいをし、仕事用の椅子に深く腰掛けて大きくため息をついてから、132ページを開いた。5秒もかからなかった。涙が頬を伝う感触と、内臓を姿のない何かが持ち上げる感触だけが、私の全ての感覚を支配した。


 ページを捲りは泣いて、捲りは泣いて、一体何分泣き続けただろう。目の下が涙の後で乾燥する前に、次の涙が流れてくる。感情移入しやすい質ではあるが、ここまで泣くことは少ない。


 これには理由があった。

 

 実は私も16年連れ添った猫を18歳の時に亡くしている。私の記憶が定かである頃にはもう、その猫は私の隣にいた。生まれた時から一緒に育ったその猫はまさに妹のようだった。数々の思い出があるが、本筋ではないから端折らせてもらうものの、18歳の時、その猫「リリー」は姿を消した。


 猫は死期を悟ると姿を眩ませて、ひっそりと誰にも知られずに死んでいく——。この話は本書でも出てくるのだが、まだ18歳だった私も知っていた。体が弱っていることも知っていたし、姿を晦ます頻度が増えたことに、「そういうことか」と家族で話したりもした。


 私たち家族は彼女のことを思って、縁の下に毛布を敷いた段ボールを設置した。もし生きて帰ってきて、家に入れなくても、暖かく過ごせるように。私は毎日、その段ボールを覗いていた。


「今日は帰ってきてるかな? ご飯は食べているのかな? 寒くはないかな? ——どこかで、生きていてくれてるかな」


 ついぞ、リリーは帰ってくることはなかった。


 庭仕事していた母親が裏庭でリリーの亡骸を発見したのは数日後のこと。私が学校から家に帰ると、すでにリリーは土の中にいて、数種類の花が添えられていた。私は墓の前で、日が暮れても泣き続けるほど、精神がどうにかなってしまいそうだった。


 16年間一緒にいたのだ。2歳のころから。学校でどんな仲良しの子よりも圧倒的に長い時間を一緒に過ごした仲間だったのだ。


 その記憶がフラッシュバックしたのだ。今のいま、これを書いていても、涙が溢れ出てくる。


 最後、「あとがき、てなに」まで読んだ時、私はすでに泣き疲れて眠くなっていた。少し仮眠をとって、回復してからこのエッセイを書き始めた。ここまで泣いたのは、ヴァイオレットエヴァーガーデン以来。


 さすがと言うべきか、村山さんの表現力が素敵であることと、もみじ初め、村山さんちの猫たちの写真が所々に入っていて、イメージ描写がしやすい。私にとっては過度の感情移入の原因になるのだけども、猫を見ていると幸せになるからそれで良い。純粋に思う。


「なんて可愛いんだろう」


 笑いあり、本気の涙あり。ペットは家族なのか、そんなことを第三者の私が声高に言うのも不躾だと思う。だから、この表現で。生き物同士の絆が見て取れる、そんな作品だと思った。



 ペットを飼っている人には是非とも読んで欲しいと思ったし、飼おうと思っている人にも読んでほしい。なんなら猫アレルギーの人にも、猫が嫌いは人にも読んで欲しい。そうだ、猫と犬どっちが好きか、の問いに食い気味で「犬!」と答える人にも読んで欲しい。


 面倒だ。もう、みんな読んで欲しい。


 さっきも書いた通り。『生き物』同士の絆が見て取れる、そんな作品だから。



 さて、仮眠でだいぶ回復したものの、フラッシュバックがかなりきつかったのか、まだ疲れている。だけど、本当に読んでよかった。


 実家には私と面識のないにゃんこが新しくやってきているらしいのだ。その子の寿命は、確実に私より短い。その短い命を楽しんでもらえるように、実家に帰った際には、その時間で与えられる全力の愛情を注ごうと思えた。


 ……猫だから「構うんじゃねぇ」とか言われそうだけど。


 それに。


 フラッシュバックにより、私の最も愛した猫「リリー」のことを鮮明に思い出した。だが、そこには最後に泣き崩れた私の記憶だけでなく、いくつもの彼女との楽しい記憶が共にある。その数多くの懐かしむべき記憶を思い出させてくれたことに、感謝。



 それでは、明日は月曜日。お仕事が始まる方も多いと思う。こんな時、昔は「猫はいいなぁ」と思ったことがよくあった。私以外にもそう思ったことがある人は多いはずだ。


 でも、今ならわかる。


 きっと、そう思える人は、猫を、ペットを大切に思える人なんだろうと。あなたと共にいる、猫や犬が幸せに見えるからそう思えるのだ。それ即ち、あなたが猫やペットを幸せにできているのだ。


 そんな自分に自信を持って、今日もがんばっていきまっしょい!



きんぴら

 


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