007.令嬢の選択
私の敵を殺さずに排除するか、殺して排除するか。
天使が私に突きつけたのは、その二択だった。
私の敵とはつまり、今目の前にいる衛兵たちのこと。彼らについて、天使はどうしたいかを尋ねてきている。
「なんだと、貴様!」
「この数で勝てるとでも」
「勝てるから言ってんだよ。しばらく動くな」
あくまでも敵意を隠さない衛兵たちに向けて、天使は服についた埃を手で払うくらいの言い方で答えた。それとともに髪がぶわりと広がり、ほんの数本ずつが衛兵一人ひとりに突き刺さる。途端、彼らの動きがぴたりと停止したわ。
「が、っ」
「う、うごけ、な」
「な? これなら俺様が勝てるだろ」
平然と笑う天使の声が、私にとっては神の声にも悪魔の声にも聞こえる。
だってこれから私は、天使が出した二つの選択肢の一つを選ばなくてはならないもの。どちらを選ぶと、さてどうなるのかしら。そのあたりは、尋ねてみてもいいわよね。
「……殺さなければ、どうなるの?」
「殺さずにおくんなら、あんたの良心はさほど痛まねえな。けど、あとで復活して戻ってくるかもしれねえ。しつこいやつなら、それこそ何度でもやってくるぜ」
「もう一つの選択肢を選べば?」
「殺せば、敵の数は減るし俺様たちの情報が漏れることはねえ。面倒がねえが、あんたの心が痛むかもしれねーな。それと、こいつらの身内がつっかかってくるかもなあ」
ばさ、ばさと髪で象った翼を羽ばたかせながら、天使はいたずらっ子のように笑う。ああ、私がどちらを選んでもこの天使は、私の思うようにこの場を収めてくれるのね。いいえ、この場だけではなく、これからずっと。
私が、この指輪をはめている限り。
「さて、どうする? 主よ」
「そうね……」
天使の催促に、私は少し考えた。
殺さなければ良心は痛まない……でも、ドーキス殿やエシュヴィーン殿下のもとに私たちの情報が届くわね。私が、この天使を連れていることも。
殺せば、情報が今漏れることはない。……さすがに良心は痛むけれど、でも。
そこで、ふと思い出した。
「……さっき、どなたかがおっしゃったわね。私は一族の生き残りだと」
「おお、そーいや言ってたな。どれか知らねえけど」
「では、父上と母上、それに兄上がどうなったかご存じの方はいらっしゃるかしら?」
衛兵たちに向けて、そう尋ねる。詳細は知らなくても、多少なりとも知っている者がいるのではないかしら。
そう思ったのだけれど、彼らは思わず口をつぐんでしまった。知っているか知らないかだけでも、素直に教えてくださればいいのにね。
私はそう思っただけだけれど、天使はそれでは終わらなかった。衛兵たちに突き刺す、髪の量をほんの数本増やしたのよ。
「おら、俺様の主がご所望だ。知ってるやつは声を上げな!」
「ひぃいっ!」
細い、細い髪の毛が折れもせず、ぷすぷすと刺さっていく。それに耐えられず数人が「し、知ってます!」「教える! 教えるから刺さないでくれ!」と叫んだわ。
どうするか、と視線で問うてきた天使に頷いて、私はその中のひとりに歩み寄った。天使の髪のおかげで、彼らが私に手を出せないのはなんとなく理解できたから、平気よ。
「誰がどうなったかを、はっきりおっしゃって。嘘は許さないわ」
「ひぃ、わ、わかりましたあ……お、俺が知ってるのは、公爵夫人っす……」
その衛兵が語ってくれたのは、母上の無残な最期だった。……噂に聞いただけ、とは言うけれど。
要するに母上は、貴族の女としての尊厳を全て剥ぎ取られた。尋問の名目のもとに衣服を切り裂かれ、人の雌としてさんざん弄ばれたのだという。一応娘である私に話すのだから、衛兵の方も言葉を選んではいたけれど。
そうして最後には、舌を噛まれたとか。
「おれは、公爵の話を、聞きました……」
もうひとりが話をしてくれたのは、父上について。これも話を聞いただけ、みたい。
父上は私を逃した先や伝説の詳細などを聞き出すために、拷問にかけられたようね。この者が話を伺った時点ではまだご存命のようだけれど、それもいつまで保つかというところかしら。
兄上については、誰も知らないらしい。妹の私が言うのも何だけれど容姿端麗、頭脳明晰でいらっしゃるから……さて。容姿だけを取り上げられてどこかでご存命なのか、明晰な頭脳を恐れられて既にこの世にはおられないか。
それは、私に分かるすべはない。天使は……戦に特化しているようだから、無理かしらね。
母上の話も父上の話も、そもそもよく外に漏れ出したものだと思うわ。……いえ、衛兵部隊が尋問や拷問に関係しているのなら、話は出てくるか。
そうすると、ドーキス殿が首謀者の可能性もある、わね。男爵子息の立場で、そのようなことができるかどうかは怪しいけれど。
「んで、主」
少し考えていたところに、天使が私を呼んだ。ああ、そうね。この衛兵たちをどうするか、よね。
私が決めなければ、ならない。さて、どうするかと考えて、ふと思いついた。
「……証言してくれた方々で、その証言を再現することはできるかしら?」
「再現? ……できなかねえが、詳しく聞いたわけじゃねえからな。大雑把なとこになるぜ」
「そう」
まあ、彼らも話を伺っただけですものね。詳細に再現、というわけにはいかないわよね。
「で、その後はどーすんだ?」
「……決まっているわ」
面白そうに私を伺う天使に、私は一度目を閉じてから答えた。
私はもう、後戻りなんてできないのだから。退路なんて、屋敷の隠し通路に飛び込んだときから存在していないのよ。
「他の方々も含めて、楽にしてあげて。こちらの情報を、漏らすわけにはいかないもの」