039.言葉なき処罰
かりかり、という硬い音が室内に響く。片隅にはカーテンで包まれた人々がまとめられていて、床の上には天使らしい使い魔が一人ひっくり返っているけれど、至極普通のお部屋の中に。
インクを付けた羽ペンが、ディンレイド家の紋章を透かした紙の上を走る。執務机の上で綴られているのは、紋章を持つ家の主がアンヘリエール家に対して行った謀略の数々。そして、そこに連なる者の名前。
「ようしよしよし。しっかり書けたな、偉いぞー」
「ぐっ……」
ディンレイド侯爵は、時折紙の上から目を離す。その先にいる私の天使の笑顔を見てビクリと身体を引きつらせて、それから視線を戻すの。……さっさと書き終わらないから、いつまでもグリンに睨まれるのよ。
さて、私はというと執務机のそばにある棚の中から箱を一つ取り出した。家名の印章が収められているもので、貴族の当主にしか扱うことが許されていないもの。……アンヘリエールの印章は、今頃どうなっているかしらね。
「サインと、家名の印をこちらにお願いしますわ」
「う、うう……わ、わかった……」
恭しく印章の箱を差し出すと、侯爵は顔を歪めながら受け取ってくださった。中から仰々しい装飾を施された、私の手のひらに乗る大きさの印章を取り出す。インクを着け、サインの横にしっかりと押印するとディンレイドの紋章が、くっきりと映し出された。
「ありがとうございます。最後に、こちらを封筒に入れて蝋封を」
「……ぐ、う」
印章の箱には、小さな蝋封用の印章もセットになっている。色のついた蝋とそれを溶かすろうそくは、私が手早く準備した。
サインと印章を施した文書を畳んで封筒にしまってもらい、蓋の部分に溶かした蝋を垂らす。ある程度の量が溜まったところでディンレイド侯爵は、不満げなお顔をされながら印章を押し込んでくださった。
「こ、これで、いいのだろう」
「ええ。ありがとうございます」
簡略化されたディンレイドの紋章が、蝋の上に浮かび上がった。無作法に差し出されたそれを受け取って、私は思わず笑みを浮かべてしまったわ。
「できたな。ラン」
「ええ、できましたわ。アンヘリエールに掛けられた罪が冤罪である、その証拠となる文章が」
ぎり、とディンレイド侯爵が歯ぎしりをする。いくらグリンの髪が喉元や胴体や手首足首、身体のあちこちに巻き付いているとは言え、そのくらいの抵抗は許してあげているのね。優しいわね、さすがは私の天使。
「お、脅して記した文章など、証拠となるものか」
「ディンレイド家専用の紙に、ご当主の直筆でしたためられた文章ですわよ。サインも家名の印も入っておりますから、これは公的に認められるものとなり得ますよね」
「……ぐっ」
脅迫や強要により記された文章が証拠として使われるなんて、歴史でいくらでもあるでしょうに。グリンの殺意を受けてろくな抵抗もできずにそれをしたためた侯爵に、そんなことを言われる筋合いはないわ。
私と私の家族は、文を綴ることすらできなかったのだから。
「ディンレイド侯爵、ありがとうございました。これより私は、あなたが企んだ計画の全てを潰すことにしましょう」
でも、今後この文書はきっと必要になるし、だからこそ私とグリンは侯爵にこれを書いていただいた。その御礼と、今後私がやろうとしていることを彼に教えてあげることとしよう。
「ディンレイド家を廃し、カラクレン家を廃し、王太子殿下を廃し、アンヘリエールの名誉を取り戻します」
「……まあ、無駄だろうな」
「へえ、言うねえ。なんでだ」
グリンが軽く首を振れば、ディンレイド侯爵の息の根は止まる。その状態で彼は、そう言ってのけた。その意味を天使と、そして私は問う。
「間もなく国王陛下はその座を降り、エシュヴィーン殿下が後を継がれる。カラクレンの息女がその后となり、ソフィタリオ王国の全権を手にすることになる」
あら。国王陛下、もう少し玉座におられるかと思ったのだけれど、何かあったのかしら。
もしかして、アンヘリエールの処遇に心を痛めていらっしゃるのかしらね? まあ、もしそうだとしてもご自身の後継者を止めることもできなかった陛下が悪いのだけれども。
「そうすれば貴様らなぞ、物の数ではないわ。ソフィタリオの全軍すら、エシュヴィーン殿下の配下となるのだからな」
「そうかもしれません。ですが」
それは、国を私物化しているだけのことではないのかしら。エシュヴィーン殿下とジャスティアーナ様、そしてドーキス殿がこの王国を己のものとして……さて、何をしたいのやら。外に侵略にでも向かうのかしら?
けれど、そんなもの今はどうでもいいわ。今、私が口にすべき言葉は。
「少なくとも、あなたがその過程を見ることはありません」
「……っ」
私をこのような状況に追い込んだ一人であるディンレイド侯爵に、お渡しする最終通告だけよ。
そこまでいい切って私は、グリンに視線を向けた。あなたの好きにしなさい、という意味を込めて一言だけ。
「任せたわよ、グリギーア」
「主の仰せのままに」
仰々しく胸に手を当てて、グリンは頭を下げた。次の瞬間、多くの髪が侯爵の顔を隠すように伸ばされる。
「な、何をする! はなせ、はな……」
逃げようと喚いた声すらも髪の毛の中に巻き込まれて聞こえなくなり、その代わりにばきぼきという何かが折れるような音が響き渡る。積み上げた人々がびく、びくと震える様子が垣間見えたけれど、まあ私には関係ないわ。
ここの当主には、お子様どころか奥方もおられないと聞く。ディンレイドの嫡流は、ここで潰えたということね。
私が死ねば終わる、アンへリエールと同じように。




