031.使い魔と作業
あの後、さらに一泊した翌日の夕方に私たちは、ディンレイド領の農村まで連れてきてもらった。御者の方は、この後更に回るところがあるのだそう。
「では、わたくしはこちらで仕入れをして戻りますので」
「送っていただいてありがとうございました。ご夫妻によろしくお伝えくださいませ」
「ありがとなー」
去っていく馬車を、グリンと二人で見送る。『仕入れ』って、もしかして山の民同士での情報交換とかかしらね。
まあ、そちらの方はおまかせしておくことにしましょう。私はグリンを伴って、農村の中を歩く。……一応、宿泊先も御者から紹介してもらっているのよ。ありがたいわ。
「……気づいてっか?」
緑色の作物が、風になびいて波を作る。その中を歩きながら周囲に視線を巡らせていたグリンが、私にひそりと囁いてきた。
「何が?」
「あっこらへんで農作業してんの、使い魔」
「え?」
思わず、私も周囲を見渡した。離れたところに、ぽっかりと何も植わっていない茶色い部分がある。そこで苗を植えているいくつかの人影のことを、グリンは示しているのだろう。
……ああ、たしかにあれは、人ではないわ。かといってグリンのような美しい姿形というわけでもなく、作業をしているのは動物の皮で表面を覆ったようないびつな人型だった。
あれが、使い魔。グリンと同じように、神様や大悪魔の砕けた欠片から生まれた存在。
「まあ、使い魔なら給金払わなくていいからなあ。ディンレイド領が裕福なの、それもあるんだろ」
「……そのような使い方もあるのね」
使い魔を使うには魔力なり契約なり、何がしか代償が必要となる……らしい。私はグリンにそれを払った覚えはまるでないのだけれど、アンヘリエールの血が代償であるならそれでもいいかしら、とは思っている。
そうか、人を雇うには相応の給金と、そうして取り扱いが必要になる。使い魔を使って農作業をするならばそれは必要なくて、その分の資金は雇うはずだった主の懐に残る。なるほど。
「でも、それだと人が暮らしにくくなるんじゃないかしら」
「普通の使い魔だと難しい作業できねえから、やる仕事分けてんじゃね?」
「そうなの?」
「そうなの」
人を雇う必要がないなら、多くの小作人や使用人たちの働き口がなくなるのではないか。私のその危惧をグリンは、さらりとかわしてみせる。
「俺様みたいにかーなーり自由な思考持ってる使い魔なんてのは、本気で一握りだぜ? 普通の使い魔ってのはな、きっちり指示をしてやってその作業をやらせるもんなんだ」
ほっそりした指を一本だけ立てて、空気をかき混ぜるようにくるくると回す。そうしながら私の天使は、どこか冷たい笑みを浮かべて例を提示した。
「例えば槍を構えて、前から突っ込んでくる敵兵を全部殺せとか。火薬に火をつけたら大急ぎで、敵陣に飛び込めとかな」
「……っ」
確かにそれならば、思考を持たない者にも簡単にできる。人を使いたくない作戦にも、使い魔なら平気で差し出せるという者も多いだろう。
なるほど、グリンの知っているディンレイドはそんなふうに使い魔と配下を使って、戦を勝ち進んできたのね。
「なんでまあ、頭を使う作業ってのは人間に任せてんだと思うぜ」
「なるほどね。よく分かったわ」
はあ、と一つため息をついた。要するに、ディンレイドは使い魔を牛や馬……それ以下の存在とでも思っているのかもね。牛も馬もそれ以外の家畜も、財産としてそれなりに大事にされるもののはずだから。
そうして私たちは、御者から紹介された宿代わりの農家にお邪魔した。髪の色ですぐ分かったけれど、この家の者たちも山の民ね。
御者が持たせてくれた紹介状を見て、彼らは「どうぞ。なにもない家ですが」と迎え入れてくれたわ。
……家、か。アンヘリエールのお屋敷、今どうなっているのかしらね。どんなにぼろぼろになっていてもいいからいつか、帰りたいわ。
「三日ほど、お世話になろうかと思います。この先の行程を考えたいので」
「はい、どうぞ。その間はごゆっくり、この家で過ごされてください」
がっしりした体格の主人と、同じくしっかりした大柄な夫人。そして最年長でも私より少し年下らしい数人の子どもたちが住んでいる、粗末だけど広々とした家。納屋があって、牛小屋と馬小屋があって、もう一つ小さな小屋があって。
「……あれは?」
「ありゃあ、使い魔小屋ですな。作業しない時はあの中で休ませております」
「そうなの……ディンレイド領では、それが当たり前なのね」
「ああ、他の方の領地ではあまり使い魔を作業には使わないのでしたな。これは、失礼いたしました」
私の質問に主人は、至極当然というふうに答えてくれた。
とっても小さな……私とグリンが両手を伸ばせば囲めるくらいの小さな小屋に、一体どれだけの使い魔が押し込められているのか。
それを私は、ひとまず考えないことにした。意外と小さくできるもの、かもしれないものね。なにしろ、もとは欠片なのだから。




