002.ありもしない罪
「……え?」
ぽかん、という言い方があるわね。
今の私の顔、感情には多分、その言い方が一番ふさわしいのだと思う。隣で私を見つめている友人にも、きっとそれは当てはまるわ。
「どういう、ことですの?」
「何度も言わせるな。俺は、お前を妻に迎えることはできない、と言ったんだ。フランチェッタ」
思わず問い返してしまった私に、殿下はとても冷たい目を向けてそう答えられる。その隣で、先程から……一段高い場所にいるせいもあるけれど、無礼にも私を見下ろす形になっているジャスティアーナ様がわざとらしく、殿下の腕にご自身の粗末な胸を押し付けられた。
そういえば、あなたは私という婚約者が公然と存在するにもかかわらず、以前からエシュヴィーン殿下に接近しておられたわね。何度かお諌めしたのだけれど……こんな形で、返礼をされるなんて。
「ごめんなさいね? フランチェッタ様。わたくし、あなたのお家の秘密を殿下にお伝えしちゃいましたの」
「お前の家は、公爵家でありながら我が王家に謀反の意を抱いているそうだな? そのような家の者を、俺の隣に置くわけにはいかん」
家の秘密。
王家に謀反の意。
何のこと、と問い返すよりも早く、会場に十数名の衛兵たちがなだれ込んできた。友人始め、この場にいる人々が一斉に私から距離を取るのが分かる。
そうね。この状況で衛兵が入ってくるなんて、目的は私の捕縛でしかないもの。
「……まったく、心当たりがございませんわ」
それでも私は、やっとのことでそれだけを口にする。目もそらさないし、身を縮めることもないわ。
父上や母上や兄上が謀反だなんて、そんな話はまったく聞いたことがない。きっと皆、考えたこともないはずなのに。
私の家、アンヘリエール家は、伝説の力を以て王国の建国に携わった報奨として公爵の位を賜った一族。王家に忠誠を誓いはしても、反逆の心を持つなんてことは、あり得ない。
それなのに私の周りを衛兵たちが取り囲み、あろうことかこの私に刃と敵意を向けている。……貴族の娘としてはここで泣き崩れて潔白を主張するところなのだろうけれど、そんなことをしても冤罪が晴らせるとは思えないわね。
「あらあら。エシュヴィーン様、あの方開き直っておられますわよ?」
「そうだな。証拠は既に揃っている、悪あがきは無駄だぞ」
エシュヴィーン殿下の隣でいやらしい笑みを浮かべている、あの女。
殿下や陛下に、我が一族のありもしない陰謀を吹き込んでこんな茶番劇をしかけたのはきっと、彼女。あの余裕と殿下のお言葉からするとどうやら、証拠などはとうに捏造済みなのだろう。
いくら私が真実を叫んでも、全ては無駄だということね。
「素直に全てを打ち明けてくだされば、フランチェッタ様だけはお許しいただこうと思っておりましたのに……よよよ」
ジャスティアーナ様、あなたの泣き真似とその言葉はまるで下手くそなお芝居にしか聞こえないわ。
素直に本当のことを言っても、あなたたちはそれを嘘と断じるのでしょう? 公爵家の一人として、愚かな態度だけは取りたくないのよ。例え後世に反逆者として名を残されようとも、ね。
どうしてこの世界には、真贋を判定するような魔術が存在していないのかしら。魔術師の数もそう多くはない上に、そのほとんどが戦闘用の魔術に特化した存在だと聞くけれど。
……ないものは、いくら望んでも仕方がないわ。
「素直に申し上げれば、私は謀反など微塵も考えておりませんわ。ですが、そう申し上げたところで無駄でしょうから」
「ふむ、その態度は立派だな」
「あら嫌だ、開き直っておられるだけじゃありませんか」
私が本音をお答え申し上げると、殿下とジャスティアーナ様はまたも三文芝居をお披露目になった。笑う者は誰もいないけれどね……王室を侮辱した、なんてことで私と同じように蹴落とされたくはないでしょうから。
ほうら、涙なんて一筋も流れていない。扇で口元を隠しても、笑っているのはひと目で分かるわよ。ああ、馬鹿らしい。
それにしても、人の転落なんてほんと一瞬ね。
つい数分前までは私は王太子殿下の婚約発表を待つ婚約者の身だったのに、今の私は謀反の冤罪を掛けられた愚か者だなんて。
「……あああ、何ということだ……」
「陛下……お気を確かに」
それともう一つ……私を糾弾しているのはメインがジャスティアーナ様、それに追随される形でエシュヴィーン殿下、この二人。
本来ならば、国王陛下が先頭に立って罰を言い渡す立場ではないのかしら。どうして、王妃殿下共々腰を下ろされたまま頭を抱えておられるのかしら。
陛下はこの国の歴史には造詣が深くて、私も何度かお話をさせていただいたことがあるわ。その中で陛下は私に、私の先祖が王国建国の功労者であることをよくおっしゃっていた。
『遠い昔にはね。アンヘリエールの信頼を失った時、国は滅びると言われていたんだよ』
そうおっしゃった国王陛下のお声を、ふっと思い出す。
もしかして、そんな言葉を陛下は思い出しておられるのかしら。
まさかね。
「衛兵! その者を、アンヘリエールの屋敷まで護送せよ!」
「ご家族ともども、ご自身の罪を償うまではお屋敷でおとなしくしていてくださいませね」
……私の思考は、無粋な言葉で断ち切られた。近くにいた衛兵たちが、私の腕を取ろうとする。
「お離しなさい。アンヘリエールの誇りにかけて、抵抗はしませんわ」
「……っ」
せいぜい虚勢を張ってそう言い放つと、さすがに彼らも手を引っ込めたわね。「案内を」と指示を出せば、すぐに彼らは動き始めてくれる。何しろ陛下の御前だもの、そこまで節度のない対応はできないでしょうね。
「アンヘリエールの誇りは、既に潰えている。そのことを思い知れ、反逆者!」
……エシュヴィーン殿下の冷たい声に、背を打たれる。
悔しい。悔しいけれど、振り向いたり答えたりするものか。
『公爵の娘』から『謀反者の娘』に扱いが変わったとはいえ、私はアンヘリエールの家に生まれたフランチェッタ。胸を張って、堂々と退場していくわ。
この学園にいるにはふさわしくない者として、衛兵に連れられて。