⑦眼鏡はアイデンティティである。
「あれ、ここの自販機って炭酸水ないの? 使えないなあ」
最寄りの自販機コーナーに立ち寄ったが、昴さんのお気に入りはなかったらしい。
ただでさえ誰もいない建物が、夜になるとこうも不気味になるのはなんでだろう。
「サイダーやコーラではダメなんですか」
「甘いのは太るからねー」
彼女は水のボタンを押す。
「そうだ。私の能力を教えるつもりはないけど、阿久津さんの能力なら教えてあげなくもないわよ?」
「自分のは話さないのに、他人の秘密をさらすのは躊躇ないんですね」
「そうでなきゃ嫌がらせにならないじゃない? 言っとくけど、私の邪魔をしたことは許してないからね?」
嫌がらせで秘密を暴露されそうになる彼が少しかわいそうだった。
「いいですよ。そういうのは本人の口から聞きたいので」
「律儀ねえ。じゃあ話は変わるけど君、能力の出力調整ができないんだって?」
「ええ。一度発動したら5分後に使えなくなります。1分だけですけど。なんで知ってるんですか?」
「君の能力は一部じゃ有名なのよ。ふーん、じゃあその1分の間は尻尾巻いて逃げないといけないわけね?」
「そうですね」
彼女はジッと俺を見つめている。
見透かすというよりも舐め回すような視線に、俺の方から目を逸らした。
「なるほど? 自覚がないわけね」
「はい?」
彼女は右手でピストルの形を作ると、指先を俺に向ける。
「さっき頭を撃たれたでしょ? あれは確か、能力が使えない時間だったと思うんだけど。なんでか君は生きてるのよねぇ」
「……マジですか」
確かに銃口は向けられていた気がする。だけど当たった感覚はなかった。
気絶したせいでほぼ覚えていないが。
「ほら、これがその弾だよ」
昴さんはハンカチを取り出す。その中には飴細工のように捻れた金属があった。
「調べたんだけど君の血は一滴も付着していない。君の頭を貫通した痕跡もない。確認するけど《再生系》に近い能力を発動したことはある?」
「……ないですね。というかそんな能力は持ち合わせてないんですが」
「だよね? さてどう説明すればいいのかな?」
「俺に聞かれましても……」
返事に詰まると、昴さんは
「しゃーない。話してても埒があかないから、試した方が早いわ。君も分かんなくてウズウズしてるんじゃない?」
断る理由もないので《壁》を出し、切れるのを待つ。
彼女は5分過ぎたのを確認すると
「じゃ、襲うから。君もそろそろ見ておくべきだよ。自分の能力くらい」
昴さんの隣に《虎》が現れた。
牙を剥き、俺に襲いかかる。
右腕に噛み付かれそうに––––
「……はれ?」
痛みはない。それどころか牙が腕に触れた瞬間、煙のように《虎》は消えた。
……《無効化》?
「いだだっ⁉︎」
右の二の腕に鈍い痛みが走る。なんじゃこりゃ?
「––––普通に蹴る分には痛みはあるみたいね」
どうやら姿を消していたらしい。
「何してくれてるんですか⁉︎」
「異能で強くしてたけど、その分のブーストはなし、と。それにしてもやってくれたね」
彼女の右腕から血が流れていた。
……ちょうど、俺が噛まれた部分から。
「まあすぐ治るからいいよ。さて、君の意識があるうちにできることはやっとかないと」
「え、ちょっ、なにを――――」
◆◆◆
「――――ええ、はい、こちらは問題ありません。そちらは? ――そうですか。まだ三人ともだんまりですか。主犯が喋れば手っ取り早いですけどね。はい、はい。分かりました。二、三日したらそちらに戻ります。では失礼します」
誰かが電話している。
「んん……?」
「おや、ようやく起きましたか。貴女は寝られるときはとことん寝るタイプですね?」
あたしの頭上から包帯だらけの男が覗き込んでいる。
意識が飛ぶ前の記憶があやふやだ。確かこの人がどこかに行くと言っていたような––––
「––––私に能力を使いましたね、阿久津さん」
「申し訳ない。さっきは時間がありませんでしたから。貴女の中の眠気を一時的に活性化させていただきました。貴女だけではありせんよ。現に、ほら」
彼が指差した先には、少女が倒れていた。
あの子は確か、榎本たちのクラスメイト?
「あれにも少し眠ってもらいました。ところで、さっきから貴女の携帯がピカピカしているのですが」
枕元にあった携帯を開くと、十件近いの履歴があった。
慌てて折り返しの電話をすると、ワンコール鳴る前に
『随分遅かったじゃない?』
上司の不機嫌な声が頭に響いた。
『昼から何してたの? あと一回鳴らして出なかったら、そっちに救援部隊を行かせようと思ってたところよ』
私たちは仕事の都合上、電話は振動しないマナーモードに設定している。
なので何度か連絡が途絶えると、イコールで救難信号になるときがあるのだ。
「ごめんなさいごめんなさい。ちょっとトラブルがありまして」
『トラブル? 私に報告もなしに一体何をしていたの?』
返事をしようとした私に、阿久津さんは〈私に代わってもらってもいいですか?〉と書かれたメモ用紙を見せる。
「あの、話してもらった方が早いかと。ちょっと変わりますね」
私から携帯を受け取ると、なぜか彼はスピーカーホンのボタンを押す。
「やあ谷地さん。お久しぶりです」
上司の反応がない。
30秒ほど過ぎた頃、ようやく
『––––なるほど、あなた私の部下にちょっかい出したわね?』
「誤解ですよー。ちょっと危険なところに首突っ込んできたので保護しただけですってー」
あの上司相手にここまでラフな反応をする人を私は知らない。
『あなたがそこに来てることは聞いてたけど、学校で何かあったの?』
「詳しくは後でお教えします。まあ、正直なところ、彼を伴って行動してなかったら、また後手に回るところでしたよ」
『……その辺り詳しく』
声音の変わった上司に、私は思わず姿勢を正していた。
「まだ詳しくは聞いてないんですが、また学校が狙われました。襲った犯人は三人組で、それぞれが別個の目的で行動するみたいだったんです。一人を相手にするのは造作もないことですが、別々に行動されては僕もお手上げですからね」
……私が寝てる間に何があったんだ。
谷地さんは既に知っていたのか
『つまり敵は〈阿久津が学校にいる〉ことを知っていた。そうなるわね。で、どうやって対処したの?』
「僕の動きを監視してる人がいましてね。おかげで事なきを得ました。今思えば鶴宮さんはここまで計算してたんじゃないかと」
『……あり得るわね、あの人なら』
今ので上司は理解したらしい。阿久津さんはため息をついて
「これでケリがつけば文句無しなんですがね」
◆◆◆
「……痛い」
全身が痛い。
「うーん、イマイチね」
現実は無情だった。
「これだけ体張ったのに⁉︎」
「それだけ声が出るなら問題ないでしょう。っていうか、なんでこれだけやってそのダメージで済んでるの? ギャグ漫画かっつーの」
確かに、全身に痛みこそあるのだが痣や出血がない。
文字通りナイフで切られたし、拳で殴られたにもかかわらずだ。
……触っても普通なんだけどな。
「普通だったらもっと腫れたりするはずなのに……。なるほど、噂以上のアホみたいな能力ね。なんで痛覚が残ってるのかは謎だけど。まあ分かったことだけでもメモっておこうか」
・出血するダメージは相手に反撃する。
・普通に殴ったりすると表面上ダメージはないものの、相応の痛みがある。
・事故でどうなるかは不明。
「……こんなところね。もっとシンプルだと思ってたのに、結構複雑なのね」
「……ええ。でもある程度分かって良かったです」
複雑であるのなら、一つずつ仕組みを理解するしかない。
「今日この場ではこれが限界ね。環境さえあれば試したいことがもうちょっとあるんだけど、どうする? 後日改めて」
「ええ、喜んで」
この際だ。
怪しかろうがなんだろうが乗ってやる。
この七面倒な能力の真相に近づけるなら、使えるものは使ってやろう。
◆◆◆
『ごめんなさいね。残りの報告はあなたが戻ってから聞くことにするわ』
谷地さんとの通話を終えると、あたしは阿久津さんと対峙する。
「一つ教えてください。あなたの能力には《触れた相手の欲求を増幅させる》というものが含まれますか? あの事件であなたと戦った連中は全員が理性をなくした廃人になりましたよね?」
「……どうせいつかは谷地さんが喋りそうですしね。合ってますよ。私の能力は別の方が目立つので、そちらに気づく人は少ないんですけどね」
『そちら』と言った。この人、複数の能力を持っている。
彼は人差し指から薬指まで立て
「《倍率操作》、《カウンター》、そして貴女が言った能力。私の能力はこの全てを包含します」
「《倍率操作》?」
「私の能力を知る人は大抵、《受けた攻撃を10倍にして跳ね返す》ものだと言います。本当はもうちょいいけるんですが、警戒させるので抑えてるんです」
握力で鉄球を豆腐のように握り潰せるし、周囲の気圧を変えることで台風を遥かに上回る暴風を発生させることもできるという。
……もはや生身の兵器だ。
だけど同時に、大きな疑問が。
「そのガーゼとか眼帯とか、飾りじゃないですよね?」
「ああ、これですか。私元々間抜けなので、能力使わないと生傷が絶えないんです。能力を使えないタイミングで、転んだのと猫に引っ掻かれました」
なんだか嘘臭いが、追及はしないほうがいいと頭の中で警鐘が鳴る。
「それで、私が寝てる間に敵を片付けたってことでいいんですか? 確かテロリストのアジトに行くって言ってましたよね?」
「そちらも片付きましたよ。ただ、事件自体はまだ終わってません」
最後の言葉には、鬱陶しさが滲み出ていた。
◆◆◆
数時間後、日本軍本部の取調室。
「珍しいものをもってるねえ、君。相手が私じゃなければ、上手いこと誤魔化せたんだろうが」
鶴宮は押収した拳銃に入っていた弾丸を掌で転がす。
「物質に異能力を纏わせるなんて技術、成功例を聞いたことがない。これ、どうやって作ったんだい?」
彼の目の前には、黒い手錠を嵌められた女が座っている。
「それと……君の身元が分からないねえ。長く海外で生活はしていたようだが、日本人だろう?」
まばらに切った髪、こけた頰、落ち窪んだ目。真っ当な人生を歩んでいれば、さぞ美人だっただろう。
聴取はかれこれ2時間にも及んでいたが、女は一言も喋らなかった。
だが弾丸を見せた瞬間、微動だにしなかった頬の筋肉がピクリと動いたのを鶴宮は見逃さなかった。
「君の懐にあった袋から、同じものを2ダースほど見つけたよ。幾つか試し撃ちで使わせてもらった。素晴らしかったよ。自立思考で《転移》する弾丸なんて、普通の防御では決して防げないだろうね。まあ今回は相手が悪すぎた」
鶴宮は弾丸をビニール袋に入れると、引き出しに仕舞う。
「で、君の目的はなんだい? 表向きは世界征服なんだろうけど、私は君の本当の目的を知りたいんだ。君の仲間にも聞いているんだけど、誰も口を開いてくれなくてね」
相手は黙ったまま彼を睨んでいた。
「榎本優哉を狙っていたのは分かっているんだ。彼から異能力を引き剥がして《厄災》を倒すつもりだったのかい?」
ここで初めて、女の顔に笑みが浮かんだ。
「《厄災》、ねえ。あいつの方がよほど厄災だよ。あいつの前では全ての能力者が、いや世界が意味ないってのに」
見た目と異なり、声だけは別人のように健康そのものだった。
「世界?」
「あんたのそのご立派なオツムは飾りかい? とっくに気付いてるんだろ、あいつの本当の能力に」
「……」
「《超再生》の能力にここまで感謝したのは久しぶりだね。あれがなければあたしは今頃オシャカだよ」
急に饒舌になった彼女に、鶴宮は警戒心を強める。
「君はどこまで知っている? まるで彼が何かしたような言い草だが」
女がニィ、と笑う。
「全部、さ。悪いことは言わないよ知明さん。あたしと組んであのガキを殺そうぜ?」
「随分と親しみを込めてくれているようだが、君に下の名を呼ばれる筋はないよ」
「そりゃ残念。だけど忠告しておいてやるよ。あのガキはあんたの希望をへし折るぞ」
「……私の希望?」
「知ってるんだぜー、あんたの奥さんのこと」
「……何をだい?」
わずかな動きを彼女は見逃さない。
「植物状態の奥様、いつ死んでもおかしくない体。異能力で無理やり延命してる。あいつの能力はそんなささやかな希望すら踏みにじるんだ。あんたにとってもあいつは厄介なはずだぜ?」
相手のペースに乗せられないよう、鶴宮は一度咳払いをする。
「私の家族の話は置いておこう。質問に答えてもらおう。君は誰だ?」
「あたし? あたしはね――――




