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7.青い爪1

 王子様と約束したすぐ後、彼はアベルさんにいくつか指示をすると、準備があるからとレイだけ残し、放り投げるようにあたし達を執務室から追い出した。


「いやぁ、うちの若さんが本当に申し訳ない」


 そう言いながら苦笑するアベルさんに、王子様がいた先ほどの執務室からやや距離のある別棟の客室まで案内される。一人一人に与えられた部屋は広さも内装も、宮殿に来てから見た広間や執務室、歩いた廊下から比べればかなり控えめで、内心かなりホッとした。

 疲れている様子が見えた二人と別れて、あたしは与えられた部屋の中で荷を解くことにする。と言ってもたいした荷物ではなく、持ってきた礼服をハンガーにかけ、年頃にしてはかなり少ない化粧道具を鏡台において、試験用の飴を確認するだけだ。大した量もないので、すぐに終わってしまい、本でも読もうかと思案したところで、部屋の扉がノックされた。

 扉を開けると立派なヒゲを蓄えた飴師協会の偉い人が「お前も振り回されて大変だの」と同情的な目をしながら、あたしの試験が王子様の希望で明日どころか数時間後に行いたいと伝えに来てくれる。

 町で作って持ってきた飴を納めるだけだし、そもそもさっきな様子を思い出すと王子様の命令を断ることなんてできなさそうだし、問題ない旨を伝えると、準備に戻ると言った飴師協会の偉い人と入れ違いに、レイがやってきた。


「なんで、今回の話を受けたんだ」

「いやぁ、なんとなく、と言うか……」


 へらっと笑ってごまかすあたしをレイは少しだけ子供っぽいジトッとした目で見てきた。その様子にあたしは懐かしさを感じて、レイには悪いけど少しだけ嬉しくなりながら肩をすくめる。彼は長くて深いため息をついて黙り込んだ。


「……ごめんね。あたしとレイが町に来た時も色々とわけがわからなくて困ったけど、先生とかメグの家族とかみんな助けてくれたなぁって……思って……」


 沈黙が辛くてしゃべりはじめたけど、相変わらずレイは顔を顰めてこちらを見ていて、どんどん語尾が小さくなってしまう。

 言葉をなくしてとうとう黙り込んでしまって数秒。レイがまた、大きくため息をついた。それは、先ほどのよりも少しだけ優しい色が含まっている。


「……引き受けたものは仕方ない。でも何かあったら……無くても言えよ」

「……!ごめんね!助けてくれるの?」


 抱きしめんばかりに近寄ったあたしから、少し距離を取りながらレイが小さな声でつぶやく。


「……ここで見捨てて何かあっても気分悪いし」

「わー、ありがとう!おねーちゃんすごい心強いよ!レイ」


 両手を上げて大袈裟に喜ぶと、レイは少しだけうざったそうな顔した後、眉根を寄せたままくしゃりと顔を崩して笑った。


「殿下の思い通りになるのは癪だけど、仕方ない。なるべく早くあの兄妹を元の世界に送り返そう」


 さらりと酷いような、でもそれこそが二人が望んでいることだから当たり前のような、なんとも言えないことをレイが言う。


「そうだね……何をしたらいいのか、検討もつかないけど」

「なんにせよ、まずはチトセはすぐに試験なんだろ?」


 よく知ってるねと言うと、俺がまだ殿下の執務室にいるタイミングで協会の人が呼び出されて指示されてたからからな、ともう何度目かのため息をついた。


「その間、俺は二人に都を案内しつつ、当面の身の回りの物を揃えてくるよ」


 レイは持っていた薄い封筒をヒラヒラと振ってみせる。中身は紙幣が入っているのだろう。封筒が歪むほど分厚いわけではないけれど、きっと二人の買い物には十分な金額が入っているに違いない。

 随分太っ腹だなぁと思ったことが伝わってしまったのかか、レイは「二人には賃金の前払いだと、くれぐれも伝えるように言われたよ」と苦笑した。


「いいなぁ、レイが連れてってくれるならあたしも王都を見学したい」


 前回試験を受けた時も、終わった後は慌しく町に帰ってしまったから、ゆっくりと王都を見て回ったことはない。本気で羨ましがるあたしに苦笑して、あたしの肩を軽く叩いた。


「ここにいることになったんだから、またいつでも案内するよ。じゃあ俺達はすぐ出かけるから、チトセも試験頑張って」


 レイを見送った後、あたしは荷物の中から作って来たいくつかの飴を取り出す。


「さて、行きますか」


 これから何かを頑張るタイミングなんて実はもうないのだけれど、すっかり疎遠になっていた大事な弟に頑張れと言ってもらえたのが嬉しくて、あたしは少しだけ気合を入れた。




 道順はアベルさんに教えてもらってはいたものの、不安に思って早く部屋を出たが、そんな心配は不要だった。王宮には至るところに人がおり、なんだかんだ立ち止まるとその人達が声をかけて教えてくれる。あたしはまったく迷うことなく、時間より早めに飴師の教会の棟にたどり着いた。


「おお、早かったの」


 先ほど部屋まで来てくれた方が出迎えてくれる。


「すみません、お忙しいところ」

「いや、なに、君が悪く思う必要はない。それに、我々王宮付きの魔術師は今はそこまで忙しくないよ」

「そうなんですか」


 中に案内されて入ると、そこは王宮とはまた違った、よく言えば清潔感のある、悪く言えばこれまで見た豪華な部屋と比較するとらかなり味気ない部屋。天井も壁も床も真っ白で、壁際にいくつかだけ、木で出来た素朴な椅子や机、棚が置いてある。


「本来は王族の生活と王宮の運営用、あとは稀に祭事や騎士団向けの飴を時々作るだけだからね。忙しい時期は勿論あるが計画的に生産しておれば、忙殺されることはない。ま、マドゥールみたいなヤツは別だが」

「先生はそんなに忙しいんですか?」


 明日の一つに腰掛けると、そこにはポットとカップがすでに用意されていた。案内してくれた彼は後ろの戸棚からカップをもう一つ出すと、自分が飲むように入れてあったのであろう紅茶を分けてくれる。


「あいつはイノーシュ王子に気に入られ過ぎとるからの。あっちに行けこっちに行けと、年中飛び回されているわ。今日だって数刻前に命を受けてどこかへ行くと言って出て行った」


 だから、先生に会えないんだな、と一人納得していると、入口の方と逆側で扉が開く音がする。


「準備ができたぞ」

「おお、すまんの」


 出てきた立派なヒゲを蓄えたおじさんは今まで話していた方が着ている飴師用の青い装束とは異なる風貌だった。真っ黒のローブに金と赤の後で細やかな刺繍が施されたそれは、試験の時にも一度見たことがある。確か、魔法院のものだ。


「では、チトセよ。となりの部屋で着替えておいで。儀式の間でまっているよ」

「はい」


 指された部屋に向かうと、二人は奥の扉に消えて行った。部屋の中は小さな倉庫のようで、飴の材料が整然と並べてある窓のない部屋だった。

 用意してくれていたのであろう、白いシンプルな足首まであるワンピースに着替え、靴も脱いで裸足になると、あたしは飴を箱から取り出した。あまり関係はないのかもしれないが、出来るだけ形が良いものをいくつか取り出し、両手いっぱいぐらいになると落とさないよう気をつけながら、奥の部屋に向かう。


「失礼します」


 奥の部屋は、さほど広くはないが、先ほどまでいた部屋よりも三倍くらい天井が高い、円柱形のホールになっていた。人が一人立てるぐらいの縁を残して、床はすり鉢型に凹んでいる。その中央には私の腰より少し高いくらいの丸い台座があった。

 部屋の縁の部分、つまり今立っているところと同じ高さのには、飴師の偉い人の他に魔法院の服を着た人が三人、もう一人巫女だろうか女性が立って待っている。


「では、試験をはじめる。チトセよ、前へ」


 私は軽くお辞儀をすると、真ん中の台座に近づく。細かい装飾が施された台座は中心部が床と同じように凹んでおり、中には水だろうか液体が張ってあった。


「飴を供えよ」


 手に持っていた飴を台座の水の中にいれる。


「手を浸したまえ」


 言われた通りに、両手を水の中に入れる。かなり冷たくて、躊躇してしまいそうになるが、既に沈んでいる飴を避けて、底面をべたっと触るように手を広げると、飴を作っている時と同じく一本だけ青い爪がちかっと光った。


「それでは、祈りをささげよう」


 巫女のような人がそう言った瞬間、台座から水がざあっといくよいよく湧き溢れ、台座の脚を伝って床に落ち、あたしの脛の半分ぐらいまで一気に満ちた。それは、少しの間だけ波打っていたが、すぐに、水紋一つすら無くなったかのように落ち着く。

 その様子を見て、魔法院の三人が低い唸るような声で呪文を唱え始めた。

 ホール内で反響したその声に肌がピリピリとしたような感覚を覚える。

 先ほど一度落ち着いた水が震え出し、それが、わずかな揺らめきから、徐々に波のようになって行く。ゆっくりと勢いを増すそれは、どんどんと高くなり、とうとう、波というよりも何か命を持った生き物のように蠢き始めた。


「〜〜〜〜〜!」


 波の音にかき消され、聞き取れない音で魔法院の人たちがいっそう大きな声で叫んだ瞬間、破裂したような音とともに高く上がった水に勢いよく頭から飲み込まれ、その痛みや冷たさを感じる前にあたしは意識を手放した。

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