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1.はじまりはじまりの約束

 あたしが最初に覚えているのも、母が死ぬところ。




 振り子のように、刃物が揺れる。近づいてくるそれに対して、せめて、少しでも痛くなく死ねますように。そう思った瞬間に、チトセの目に低い天井がうつった。

 袖口で顏の汗を拭い、枕元にあるかごをのぞき込む。レイは相変わらずすやすやと穏やかに眠っていた。テントの中を見渡すが、他に誰もいない。


「今、何時……?」


 アベルに痛みがましになると言う薬を貰って、再び休むように言われてどのくらいたっているのだろう。頭がぼんやりとしているのは疲れよりも寝すぎのようで、眠たくなる効果もあったのだなとチトセはぼんやり思う。

 かけられていた薄い毛布から出ると、ちょうど入り口が開き、アベルがテントの中に戻ってきた。一人ではなく、黒い髭を蓄えた男と一緒だ。歳は五十くらいだろうか。皺のある日に焼けた肌と脂っ毛のある髪を後ろに撫で付け、上背も厚みもある体をぴしっと伸ばして歩く姿は、いかにも武人然とした佇まいだ。アベルと同じデザインの鎧を着ている。


「おや、起きていたのかい?」

「いま、ちょうど目が覚めました」


 ベットから出ようとしたところを、アベルに静止され、チトセはその場で座りなおした。アベルと男の二人は、ベットの脇まで椅子を持ってきて腰掛ける。

 男は騎士団の一隊長だと名乗り、覚えていることを話すようにと言った。

 チトセはこれに「あまり覚えていないんですが」と前置きした上で、話せることを伝える。クローゼットに隠れていたこと、黒い鎧のこと、太った男、若い男。男は、それを聞きながら少しペンを走らせただけで、眉根を寄せて首を縦に振り、書いていたものをアベルに預けた。難しそうな顔をしたまま、小さな声でアベルと少し話した後、チトセとレイの頭を一回ずつ撫でてテントを後にした。それを立って見送ったアベルは、またチトセに向き直る。


「ありがとう、お疲れ様。すぐ、お医者さんが来るからね」

「どのくらい寝てましたか?」

「半日ちょっとかな。もうすぐ夕方だ。お腹が空いただろう?治療が終わったら、ご飯を貰ってこよう」


 そう言われて、チトセは腹を押さえたが、あまり空いたようには感じなかった。食欲もまったくないが、いらないと言うのは悪いと思い、そのまま頷いた。

 その時、またテントの入り口が空いて、今度は緑のエプロンをつけた女性が大きなカバンを持って入ってきた。


「どうだ?」


 短く聞いたアベルに、女は俯いて首を振る。小さく、そうかとだけ呟いて、アベルは難しい顔をして出ていった。女性はチトセに対して、自分は医者で先ほどついたばかりだと言った。治療するからと言われ、チトセは着ていたワンピースを脱ぐ。肩の包帯が外されるとそこは紫色に腫れ上がっていた。

 その様子を見た女性はカバンから少し大きめの飴玉を取り出し、チトセに舐めるように言う。素直に口にいれると、ほんのり甘いが青草のような味がする。


「少し痛いけれど、しばらく我慢してね」


 瓶からどろっとした透明な液体を出すと、それをチトセの晴れ上がった肩に塗りたくる。粘性の高いそれは、どこか甘い匂いがした。塗りつけるたびに痛みが走るが、言われたとおりにぐっと堪える。


「目を閉じて、怪我なんてしてないってイメージして」


 わけがわからないまま、言葉に従い、目を閉じた。怪我なんてしてないと頭の中で唱えていると、お姉さんもなにやらぶつぶつと口に出して唱えた。


「熱っ」


 やけどするんじゃないかと思う程の熱さを感じて思わず身を少し引いた。目を開けると、紫色に腫れ上がっていた肩は、すっかり綺麗な肌色になっていた。


「どう?」


 女性の真似をして肩を回してみると、まったく痛みがない。反対の手で肩に触れてみると、さらさらとしていた。あのどろりとした液体はどこに行ってしまったのだろう。


「すごい、どうして……」

「そうか、記憶がないんだものね」


 そう言いながら、他の包帯も次々外していく。それぞれの傷に先ほど同様どろりとした液体を塗った。チトセは今度こそと目を開けて見ていたが、女が手をかざして何か唱えるとそこがじんわり温かくなり、次の瞬間には傷が消えていた。


「これ、まほう?」

「そう。治癒の魔法。よし、これでもう大丈夫かな?どこか他に痛いところある?」


 チトセは、いまだ不思議そうに自分の体を眺めながら、「大丈夫です」と頷く。それを聞いた女は「見つかったものらしくて、悪いけど」と服を手渡した。手渡された緑色のワンピースは綺麗に洗濯されているものの、新品ではなく、チトセには少し大きい。誰か亡くなった子のものかもしれないと思うと少し気が引けたが、いつまでもあの大きい白い服を着ているわけにも行かないから、チトセは素直にそれに着替える。

 女が、寝ているレイの様子も見ようとしてくれたところで、アベルがテントに帰ってきた。


「悪い、隊長が急ぎのお願いがあるそうだ。行けるかい?」

「あら。おたくの隊長は本当に人使いが荒いわね」

「申し訳ない」

「一番荒く扱われている副隊長の貴方がそんなだから、より横柄になるんだわ」


 笑顔で嫌味を言いながら手際よく瓶を仕舞うと、カバンを抱えてテントを出て行った。


「どうだい?」

「ぜんぜん痛くなくなりました。魔法ってすごいですね」


 口の中で先ほどの飴を転がしながら、チトセがそう言うと、アベルは少しだけ悲しそうに笑って頭を撫でた。


「外に出てみてもいいですか?」

「私と一緒なら構わないよ。辛くはないかい?」


 大丈夫、と首を振ったチトセに、アベルはこれも誰のかわからないけれどと前置きして、少しくたびれた子供靴を差し出す。ワンピース以上に誰かが使っていたことが感じられてより気が引けたが、町を見たい気持ちが勝って、チトセはそれを借りることにした。こちらはワンピースと違って少し小さく、申し訳ないが、かかとを踏んで潰して履く。

 レイを抱きかかえ、外に出た町は、夕日に包まれて真っ赤に染まっていた。眩しいくらいに太陽は明るいのに、今日の朝方まで人が住んでいたとはとても思えない冷たさがある。

 そこかしこで、アベルと同じ鎧を身に着けた者たちが、忙しく町を廻っていた。瓦礫を運ぶ者、紙に何かを書く者、地面に粉を撒いて何か呟いている者は、魔法を使っているのだろうか。いくつかの家は火が放たれたのか、真っ黒にこげて屋根や壁が崩れ落ちているが、少なくともチトセの見える範囲には、血の跡や、ましては死体なんて見あたらない。

 この忙しなく動き回る人たちがすっかり片付けてしまったのだろうが、それがなおさら町を現実のものではない、模型のように感じさせた。


「君の家に行くかい?」


 そう言われて、チトセは少し考えたが、自分の家の場所すら覚えてないことに気づく。君達を見つけた者から報告を受けているよとアベルは言ったが、母が死ぬところの記憶しかないからできれば行きたくないと首を振った。

 いつの間にかレイが目覚めていたので、抱き方を変えて、町を見せてやる。チトセが模型のようだと感じた町を見つめながら、ブルーグレーの瞳をぱちぱちと瞬きするだけで、レイは笑いも泣きもしなかった。

 夕日で真っ赤に染まった偽者のような町を三人はただ呆然と静かに見つめた。




 テントに戻り、チトセはパンをすこしだけ齧った。レイにはさっきの医者が持ってきた粥を薄めた汁を与える。少し不安だったが、貰った分を全て飲んだのを見て、チトセはほっと息を吐く。お腹がいっぱいになったのかうとうととし始めたレイを抱っこしたまま乗せてベッドに腰掛けていると、一度外に出ていたアベルが戻ってきた。


「さて、忙しなくて申し訳ないんだけど、そろそろお父さんとお母さんのお師匠のところに行こうか」


 ほとんど日も落ちかけていて、今日はここに泊まると思ってたチトセは少し驚く。手紙のあて先の師匠とはどのような人物なんだろうか。自分たちが行って迷惑じゃないのだろうか。そんな不安な様子のチトセに気づいたのか、アベルはまた目線を合わせて声をかける。


「大丈夫。幸い、私も知っている人だったから、すでに連絡はいれてあるよ。愛想はないが、悪いやつじゃない。君とレイのこと、きっとちゃんと面倒みてくれる」


 ね、と言われて、少しまだ不安そうなままチトセは頷いた。

 籠の中のクッションと手ごろな布紐を借りて、レイを抱えやすいように自分に撒きつける。落とさないように、レイのおくるみの間に師匠に渡す手紙を入れた。


「夜は冷えるから」


 そう言ってアベルは毛糸のブランケットを何重にもチトセとレイに撒いた。すっかり鞠のようになったチトセたちを連れてアベルはテントの外に出た。

 すぐ近くに、兵士が馬を連れて来ている。鞍の他に、顔から首にかけて鎧をつけていて顔は見えないが、体が大きく、真っ白で立派な馬だった。


「じゃあ、私はこの子達を送ってきます」

「ああ、頼んだぞ。マドゥールにもよろしく伝えてくれ」

「はい」


 黒い髭の隊長に挨拶をして、アベルは用意してもらっていた馬に乗り込む。別の男がチトセたちを抱えあげて、アベルの足の間に座らせた。


「じゃあ、少し飛ばすからしっかりと捕まっていてね」


 言われたとおりに馬の鎧の首のところに捕まる。アベルは馬の首をひとなですると、腰につけていた小さな革袋から、何かを取り出し、それを馬の口先に放り投げた。馬はそれを起用にぱくりと食べる。


「あめだま?」

「そう。行くよ。気をつけて」


 馬に飴玉?と首を傾げたチトセをよそに、アベルはチトセたちをぎゅっと片手で抱え、馬の横腹を蹴り上げた。馬が勢いよく駆け出したかと思うと、ぐんぐんとスピードがあがっていく。あまりの風の強さに目を閉じていると、耳元でアベルが何か呟く声がして、風が止み、周りの音が静かになった。

 不思議に思ったチトセが目を開けると、そこは星空以外に何もない。思わず下を見てチトセは驚愕した。


「空を飛んでる!」


 びっくりして思わずのけぞったチトセを、アベルは先ほどよりも強い力で抱きかかえる。


「危ないよ。いくら防護壁を作ったとはいえ、風を通さないだけの簡単なものだから、馬から落ちたら地上まで真っ逆さまだ」


 言われたチトセは慌ててレイを抱えなおした。


「大丈夫だよ。絶対に落としたりしないから」


 声をあげて軽快に笑うアベルの声を聞きながら、チトセは地上を見下ろした。町や村であろう灯りの群れが、いくつもあっという間に通り過ぎていく。


「これも魔法?」

「そう、飛ぶ魔法は僕じゃなくてこの子のだけどね」


 そう言うとアベルは思い出したように腰の革袋から飴玉を取り出し、また鼻先に投げる。走りながらだと言うのに、先ほど同様、馬は上手にそれを咥えた。


「飴を食べて大丈夫なの?」

「食べてないさ、魔法のために使っているだけだよ」

「この子にもできるなら、あたしも魔法使える?」

「どうかな、君のお父さんお母さんが師匠って言うのがアイツだからね。君にも才能があって、使えないかもしれない」


 才能があるのに使えないという言葉に、チトセはさらにわけがわからなくなって、首を傾げた。


「魔法を使う時、神様とか精霊に頼るんだけど、彼らはすごい甘党なんだよ。だから甘いものをあげて、代わりに少し力を借してくださいってお願いをするんだ」


 そういうとアベルは革袋から小さな飴を取り出した。小指の爪ぐらいのごくごく小さいものだ。


「こうやってね」


 そう言うと、何か言いながらパチンと指を鳴らすように飴を砕くと、一瞬だけぼっと大きな炎があがる。


「すごい!」

「甘いものだったらなんでもいいんだけど、特に飴をつかうと、他よりもたくさん力を貸してくれるんだよ」


 そう言うと今度は取り出した飴を一つ、チトセの目の前に差し出す。なんの変哲もない普通の飴だ。先ほどのを見ていなかったら、受け取ってすぐ口に放り込んでいたかもしれないとチトセは思った。

 レイを抱きかかえながら、片手でそれを受け取ると、少しだけ腕を外に伸ばして、先ほどのアベル同様、手を火がおこせないかなと思って指先で飴を転がす。先ほどアベルが唱えていた音を真似て口に出しているが、飴はただただ指先で遊ばれるだけだった。


「だめみたい」

「お願いするルールがあるんだよ。呪文とか祈り方とか。コツもあるし、上手い下手や、分野によっての得手不得手もある」

「それがさっき言ってた才能?」

「いいや、さっき言ったのは飴を作る才能だよ」


 チトセの持っていた飴をそっと取り返すと、アベルは何か言いながらまたパチンと指を鳴らした。今度は白い小さな光が指先に浮かぶ。


「飴を使うと、特に強い力が使えるという話をしただろう?でも飴だったらなんでも言い訳じゃない。神様が大好きな飴を作るには才能がいるんだ」


 そう言ってアベルはチトセのおでこを撫でた。明るい光はおでこに触れる前に消えた。


「これから行くのは、その飴を作るお仕事をしている人のだよ。その人のことを師匠と書いていたから、もしかしたら君達のお父さんとお母さんは飴師だったのかもと思って」

「お父さん、お母さん……」


 後頭部にやさしく何かが触れる。片手は手綱を、片手はおでこを撫でているから、きっとキスをしてくれたのだろうとチトセは思った。


「飴を作る才能は、子供に受け継がれると聞く。きっと、君にもお父さんとお母さんが残した、ギフトが詰まっているよ。さ、もうすぐそこだ。魔法を解くから、気をつけて」


 小さく頷くと、ごうっと音がして、急に強い風を感じた。アベルが何かを言ったみたいだけど、風の音が強すぎて聞こえない。馬が足を動かす速度は変わらないのに、景色を見ればゆっくりと降下していったのがわかった。

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