(5)内緒、って……
「ただいま」
祖母ちゃんが帰ってきたので、橋口を紹介する。
「よろしくお願いします。あのっ、ゼリーとってもおいしかったです」
「ふふっ、ありがとう。よろしくね。いつも佳之がお世話になってます」
「やっ、いえ、そんな」
「世話になんかなってねえし」
「佳之、そんなこと言わないの。ここは平日ならいつ来てもいいから。毎日でもいいのよ」
「はいっ、えっと……一応書道部なんですけど火曜日と金曜日しか練習ないんで、それ以外来ます!」
「あらそう、書道部なの。わかったわ、来れなくても連絡はいらないけど……あ、このプリント、おうちの人に渡してね。それから、これが月謝袋で……」
そういう説明をしている間にも俺は数学をとっくに終え、英語の宿題ももう半分は終わっていた。ふと窓の外を見ると、恵太おじさんが小学生と球根を植えていた。目が合って、手招きされる。
「なに、恵太先生」
「佳之、悪いけど倉庫に行って小さいスコップ2本持ってきてやってくれないか。ちょっと今手が離せない」
俺は庭用のサンダルを履き外の倉庫へ行った。倉庫を開けると、もわっと肥料の匂いがする。スコップを2本手に取り花壇へ行くと、小学生が土だらけの手で俺に駆け寄ってきた。
「わーい、スコップありがとう」
「お兄ちゃん、ありがとう」
「わっ、ばか、その手で服触んなよ……ははっ、しょうがねえなあ、もう」
子供は嫌いじゃない。低学年は無邪気でかわいい。琴音くらいになるとちょっとかわいくなくなるけどな。気分転換に、俺も一緒に球根を植えた。
「けーたせんせい、これ、何色のお花? なんていうの?」
「これはね、チューリップ。知ってるだろう?」
「へえ、これがチューリップなの! 大好き!」
無邪気に、チューリップの歌を歌いだす。しかもエンドレスで、終わる気配がない。
笑いながら家に入り洗面所で手を洗ってテーブルに戻ると、橋口が俺の顔を見てクスッと笑った。
「佳之って……見た目によらず子供好きなんだね」
「……別に。ここで慣れてっから、っていうか何だよ、見た目によらずって」
「だって、子供とか嫌いそうじゃん」
「そんなことねえよ、お前には関係ねえだろ」
「……あ、ほら、土ついてる」
ふいに、橋口が俺の頬に手を伸ばし指で拭った。あまりに突然で、一瞬何が起こったのかわからなかったが、次の瞬間心臓が踊り狂った。何も言えないまま、耳が熱くなるのがわかる。
「洗面所行った時鏡見なかったの? ほんと、子供と同レベル」
ちょ、お前ケラケラ笑ってるけども。なあ、おい……何してくれてんだよ……
「うるせえ、さっさと宿題しろ」
「佳之は終わったの?」
「まだ」
「じゃあ早くしなよ」
「いいだろ、俺の勝手」
……今、シャーペン持ったら手が震えるからできねえんだよ、バカ。誰のせいだと思ってんだ。
「佳之。さっきから聞いてれば言葉が悪いわよ」
祖母ちゃんに怒られた。結構こういうこと厳しいんだよな。
「……ごめんなさい」
「菜摘ちゃん、ごめんなさいね。最近この子口悪くて」
「いえっ、大丈夫です、慣れてるし……あっ」
「バカ、慣れてるって……あっ」
「これ、佳之!」
「ごめんなさい……」
橋口はプッと吹き出し、ケラケラ笑った。ああもう、くそっ。調子狂う。
夕方6時を過ぎると、小学生はもう琴音以外いなかった。橋口は一通り宿題を終わらせ、琴音に質問攻めにあっていた。主に俺が学校でどんな感じかを聞いているらしいが、一緒にいるとまた色々言い返したりして言葉が汚い、って祖母ちゃんに怒られるはめになるから、ソファーで漫画を読んでいた。
「菜摘ちゃんは何時に帰るのかしら?」
「んー……今日はお母さん遅いから何時でもいいんですけど……でもここ、7時までなんですよね?」
「そうね、一応はね。そろそろ暗くなりそうだし……佳之、送って行ってあげなさい」
「えっ、なんで俺が」
「お家はあの、橋を渡った向こうでしょう。暗くなると危ないから、ほら、行ってきなさい。気を付けてね」
河を隔てて校区が違う。この家から橋口の家あたりまでは歩いて20分以上はかかる。最初は、いえ、いいです、と遠慮していたが祖母ちゃんに急かされほぼ強制的に家を追い出された。
「ごめん、お母さんが早く終わる時は迎えに来てくれるんだけど……」
「別にいいけど」
こういう時、何話したらいいんだろな。
「……英語、どうだった」
「ああ、うん。わかりやすく教えてもらった。おば……じゃなかった、美晴先生、発音もだけど声、綺麗だね」
「そう? わかんねえけど、歌はうまい」
「へえ……いいなあ」
「まあ、母さんの方がうまいけど」
「そういえば、佳之のお母さんってお仕事何してるの」
「なんか、大学の講師」
「えーっ? なんか、すごくない?」
「知らね」
「えっ、じゃあお父さんは」
「准教授」
「えーっ?! ちょっとお、何よ、佳之何でもできて当然じゃん……なんかずるい」
「ずるい、ってなあ……知らねえよ。俺だって好きでこんな親んとこ産まれたんじゃねえよ」
「ちょっと、贅沢だってば。いいじゃん、感謝しなよ。私なんて生まれた時からお父さんいないんだからね」
「えっ……そう」
「なんかさ、訳アリってやつ? 名前も知らないし写真もないんだ……あ、内緒だからね」
「へ、へえ……」
なんて言っていいかわからなくて、黙ってしまった。気まずい沈黙。
橋を渡り、大きな交差点に来た。
「あ、もうここでいいよ。アパート見えてるし」
「ああ、うん。じゃあ」
「ありがと! じゃあまた明日!」
丁度信号が青になったので、橋口は俺に大きく手を振るとスカートの裾を翻し走って帰って行った。薄暗い背景にその白い脚が目に焼き付いてしまった
内緒、って本当に俺だけにしか話してないのかな……