LOAD GAME →音叉塔-心臓部にて 残り時間00:00:11
「兄さアアアアァァんッッッ!!!!」
パックの色々な感情が込められて真っ黒になった叫び声が宣戦布告の合図である。彼の頭上には飛び上がって火炎弾の発射を整える“終わりの竜”の姿。悲しみと虚無感、それに悲壮な覚悟のせいでパックの顔が見る見る歪んでいき、それでもしっかりと上を向いていた。
「わ、私とパックが前に出るわ……! あとの3人は援護に徹して!」
「はんッ! 心配は無用よ! ここまでやって来たんだもの! あんた達には悪いけど、止めを刺すのはこの私なんだから!!!」
空中の“終わりの竜”の口元から火炎が舞い散り始めるのを見たティーは、どうにか反応していた。兄の狙いは妹弟以外の殲滅である。逆に言うと、妹弟の命にかかわるような攻撃はしてこないのだ。
だが、何も説明できない以上ウィドウにそれは通じなかった。彼女はメキメッサーと共に死ぬ覚悟を決めると、兄の戦死に意気消沈したと誤解するパックを庇う様に前に出たのである。
「やい葱! 全員にスキップをかけろ! 私の斧の一撃で始末するから、ナーガホームはあれを大地に叩き落して!!」
「全く、人使いが荒いネ! 仕方ないけどサ!」
そして、それを見逃すほど龍樹は甘くなかった。狙い済ましたかのように火炎弾を3人へと打ちまくる。空気を轟音が轟かし、夜空が真っ赤に染まったかと思うと一面の爆炎弾が発射されたのだ。
「くっそ!? パック、撃ち落とすわよ!」
「……分かったよウィドウ!」
辺り一面が焦土と化すような、されど遠距離攻撃で迎撃可能なそれにパックの反応は速い。彼の傍らのバターは動揺が激しく、本調子が出ないのだ。そしてそれは誰よりも優しい姉にも言えることだった。
パックとウィドウがそれぞれ斬壌剣と回帰旋斧で直上に迫った火炎弾を迎撃し、その顔が歪んだ。
「くおおッ!! 雨の如き連射とは、流石はラスボスだけはあるわねッ!!」
火炎弾の向こうには、次弾が迫っていたのである。
龍樹は最初から単発の火炎弾だけで倒せるとは思っていない。彼の愛する仲間たちはそんなに弱くは無い。
彼が選んだ方法は物量である。圧倒的な物量を打ち放つことで獲物の消耗を狙っているのだ。
「くッ……僕は……こんな所で負けるわけには……!」
調子を取り戻したパックとウィドウが必死に空へと向けてスキルを放ち、その悉くが火炎弾とぶつかり落雷のような轟音と衝撃を発生させていく。それをバターはまるで、隕石が降り注ぎこの世の終わりが来たような光景だと思っていた。
「だ、駄目だ! 防ぎきれない!?」
「甘えんなや! 最後の瞬間まで足掻き続けるのよッ!!!」
そして、それゆえパックは悟っていたのである。龍樹は悪戯に乱射しているのではない。巧みに彼我のHPを計算し、パックとティーだけは死なない様に加減しているのである。ならば、その目的は……
「……ッッッ!!! 援護するわッ!!」
次第に押されて火点が迫る中、戦況を押し戻したのはバターだった。鬼気迫る顔を幾分和らげた彼女が頭上へと槍を投げ放つことで、火炎弾の迎撃が追い付いたのである。
「あぁ……兄さん……。そんな、私……、どう、すれば…………」
「ティーッ!! しっかりしなさい! 駄目なら後ろに下がっててッ!!」
だが、一方のティーは駄目だった。怯え震える誰よりも優しい彼女は、愛する兄に止めを刺すという行為に足が止まってしまっていた。優しい彼女は、兄を殺すくらいなら自分が死んでも構わないと思っているのだ。皮肉なことに彼女は龍樹とよく似ていた。
愛する人の命がかかっているパックとは違うのである。
「これで全員にスキップがかかったヨ! さぁウィドウ! 必殺の大斧断首で止めを刺すんダ! 間違いない、弱点は顔面だヨ!!!」
「よく言った葱! 八百屋への出荷は勘弁してやるわ!」
そこにメキメッサーの斬壌剣が加わると、スキルと火炎弾の収束点はぐんぐん龍樹に迫っていく。
バターの放った竜炎槍が火炎弾を突き破り、灼熱の太陽が辺りを照らす中パックは見た。
「しまっッッ!?」
“終わりの竜”は翼を折りたたむと、地上への突撃態勢を整えていたのだ。火炎弾が防がれることなど百も承知。真の狙いはパーティーの足を止めることである。同時に激しい打ち合いによってただでさえ少なくなっていたMPは底を尽きそうになってしまっている。
ニヤリと龍樹の顔が笑みを作った。
「サヤ姉さん、危ないッッ!!!」
大爪降下。すっかり上空への迎撃に集中していたバターは、それ以上の速度で地上に体当たりするように突っ込んできた龍樹に対応できなかった。同時に“終わりの竜”の鋭い爪が閃き、彼女の身体を真っ二つにする。
“CRITICAL!”
「くぅぅッッ!!」
「あああああああッ!?」
パックの目の前で悲鳴を上げたバターのHPは恐ろしいほどの勢いで減っていき、されど彼女の執念かギリギリで踏み止まる。龍樹は追撃を放って止めを刺そうとし、それを断念せざるを得なかった。
「さぁぁぁ!! チャンス到来! 私に続いて!」
内心の苦境を振り払うようにウィドウが突撃を仕掛けたのである。だが、“終わりの竜”の正面から攻撃を仕掛ける彼女は囮。
真の狙いは死角である斜め後方から仕掛けるメキメッサーの方である。その剣は不気味なまでに赤く輝いている。
剣スキルレベル10“竜抜剣”。文字通り居合の技を叩き込むこのスキルは、次の一撃限定で威力を増加させる効果があるのだ。だが、このスキルの強さは何処ではない。
「貰っタ!! これでゲームセットだヨ!!!」
必殺の一撃を放つメキメッサーの身体がぶれる。竜抜剣は他のスキルと併用が効くのだ。今回選ばれたのは相手に3連続強制クリティカルを叩き込む木の葉落とし。カルカロドンにすら有効な一撃が龍樹に迫る。
「に、兄さん…………」
だが、パックはそれに続くことができなかった。彼の心はこの場に及んで、兄を殺すことに抵抗を覚えているのである。だが理由はそれだけではない。
「な、何だってッ!?」
「こ、こいつ……!! 私達の攻撃に対応しやがった!?」
龍樹の前にエーシィは薙ぎ倒されていたのである。何てことはない。ダンジョンマップのある彼に死角はないのだ。そしてプログラムのような頑迷さも。
彼は目前に迫ったウィドウには急所を庇う様に長大な尻尾を叩きつけ、逆にクリティカル必死のメキメッサーに対しては正面からカウンターで飲み込んでいた。すなわち“終わりの竜”の急所を庇う為に用意された動作、噛み付きである。
結果、遅いウィドウは尻尾を避けられずに跳ね飛ばされて壁に叩きつけられ、メキメッサーはその咢に囚われていた。
「ぐ、ぐあぁぁぁぁぁぁッ!?」
そのHPが見る見る減っていき、温情か僅かに1メモリだけ残される。カルカロドンと同様にHPがマックスであればギリギリ耐えられる割合攻撃なのである。だが、それを知らない彼は本気の絶叫を上げていた。
「ちっくしょうめ!! ラスボスだけはあるじゃないッ!!」
激しい衝撃と情報のフィードバックにフラフラになったウィドウが負け惜しみをいう中、龍樹は止めの一撃を放つことに躊躇しない。地面に転がるメキメッサーに止めの爪を叩きつけようとして、
「うおおおおッ!!」
パックの振るう剣に妨げられていた。
「くッ! すまない、助かったヨ!」
「下がって回復してください!!!」
兄と弟。正面から対峙した龍樹は何も言わず、ただ優しく微笑んで爪を振るう。左右の爪がドラムをかき鳴らすようにパックへと振るわれ、しかし加減されたそれは余裕をもって打ち返される。美しい澄んだガラスのような音がその度に響き渡っていく。
そこへどうにか体勢を立て直したウィドウが加勢したところで、龍樹は再び空へと舞い上がっていた。
パックはその隙に油断なく仲間へ視線を向ける。見ればバターも回復して再び戦線を復帰した所であった。だが、エーシィの二人は――
「こんな事なら……ギャンブラーを連れてくるべきだったわ……」
「今更言いッこなしダ!!」
一切の回復をしていなかった。できないのである。“終わりの平原”でアイテムを買えなかったことに加えて、スカボローから譲られた分も“音叉塔”を強引に突破した際に使用してしまっているのだ。そして回復役のポリーナはタイムと共に迷路で別れたっきり。
「しょうがないわねっ! 一個貸しよッ!」
慌ててバターがかき集めたアイテムで回復を図ろうとしたところで、メキメッサーは固辞していた。
「僕はいらないヨ! その分をウィドウに使って上げてくれ?」
「あんた……」
最後までふざけたゲーム感覚が抜けない彼は、それ故最も有効打を与えられそうなウィドウに賭ける事にしたのである。
だが、龍樹はそれ以上悠長に待つつもりは無かった。彼の計算では今の回復でナーガホームも大半の回復アイテムを使い切っているはずである。あとはダメージを与えて押し切るだけだ。
戦場に再び流星雨が降り注ぐ。
それを4人は必死の形相で迎撃していた。次々と降り注ぐ火炎弾が夜の帳を赤々と照らし上げ、しかしながら肝心の“終わりの竜”の姿を激しい爆炎の中に隠してしまう。
「……パック、このままじゃまずいわッ!」
「分かってる。一つだけ、ボスを仕留めるアイデアがあるんだ。でも、それは……」
瀕死の状況に苦痛が色濃いバターに対し、パックは庇う様に前に立ち塞がっていた。彼が戸惑っているのは尊属殺人への忌避ではない。触れられそうなほどに近くにいる彼女の為ならば、今の彼は何でもできそうだった。純粋にタイミングが合わないのである。
「あによ!? なんか手あるんなら、出し惜しみは止めなさいよ!?」
「そうだネ! こっちは限界近いヨッ!!」
パックはその言葉に苦い顔を顰めていた。起死回生の一打はタイミングが難しく、それゆえ兄に悟られてしまえば容易く破られてしまうだろう。彼に聞こえる様に言うわけにはいかなかった。
「どうにかして、隙を作らないと……。バター……力を……貸してッ!」
だから、彼が辛うじて絞り出せた言葉はそれだけであった。しかしながら長い年月を共に過ごしてきた彼女はそこに込められた辰也の覚悟と本気を敏感に察し、彼女もまたそれに乗ることにした。
「合わせるわ……信じてるもの」
パックには、今のバターが優しく微笑んでいることがありありと想像できていた。
「行くよッ!! まずはどうにかして“敵”を大地に叩き落すんだッ!」
――空中でも構わないッ! どうにかして隙を作ってくれッ!
彼の策では、敵が地上に居ようが上空に居ようが大差は無い。だが、兄を出し抜くにはこれ位しなくてはならないはずだった。同時にパックの握る素早丸が唸りを上げて、美しい半月状の軌跡を持った斬撃を飛ばす。飛ぶ斬撃は正々堂々放たれた火炎弾と激突し、その開いた隙間を縫うようにバターの槍が次の火炎弾を貫き――
「き、消えたっ!? そんな馬鹿な……ッ!?」
驚愕に顔を染めたウィドウへの答えは咆哮だった。“終わりの竜”の巨体は低空を飛んで直ぐ傍にまで迫っていたのである。パックはその素早い対応に度肝を抜かれ、隙を作っていた。
龍樹は弟の思惑などお見通しだったのである。彼は制限時間が迫っているのを察し、やむなく強硬手段に出たのだ。それは回りくどい上にリスクが高く、しかしながら効率的だった。
「あっ……そん、な……」
「パックッッ!?」
極至近距離から放たれた火炎弾がパーティーを纏めて吹き飛ばしていた。辛うじてスキップのかかっていたメキメッサーが辛うじて退避するものの、他の3人はその衝撃に耐え切れずバラバラに吹き飛ばされてしまう。
そして、パックの眼前には“終わりの竜”の恐ろしく、しかしどこか愛嬌が感じられる顔を迫っていた。その鋭く並んだ牙が肉色の歯茎から一列に生えそろっているのが見える。
「……ッ!? 兄さん……!?」
噛みつき攻撃。あらゆる物を貫き咀嚼する一撃が彼に迫っていたのである。一方のパックは激しい火炎弾との打ち合いでそのHPを消耗してしまっている。兄弟の視線が交錯する中、その咢が無慈悲に閉じられた。
「パック!? 大丈夫!?」
「バター!? ごめん、助かったよ!」
彼が止めを刺される寸前、バターがステアを唱えて助けに入ったのである。彼はバターに抱かれたまま再度のステアで強引に救い出されていた。
「これで、メガロドンの時の借りは返したわね!」
何処か楽しそうに言うバター。だが、パックは全て悟っていた。龍樹にはそもそも弟と妹を殺す気はない。にもかかわらずパックが死ぬ一撃を放ってきたという事は、バターが庇う事も計算ずくという事であり……
「2人とも避けてェッッ!!!」
パックがそれに気付くのとウィドウが警告を放つのは同時だった。“終わりの竜”の尾が正確に2人を打擲していたのである。ウィドウはそれを呆然と眺めるしかなかった。なにしろ、既にラスボスの口元からは火炎弾のエフェクトである燐光が漏れ出している。
「た、龍樹、さん…………」
尻尾の一撃は2人を仲良く、だが攻撃に巻き込まない程度には引き離していたのである。
パックにはそれを、指を咥えて見ていることしかできなかった。
「あ……そ、んな……」
致命的な隙を作ってしまったバターが言葉を失ったままそれを見ている。彼女が起き上がるよりも先に火炎弾が放たれたのだ。
彼女のキリリとした瞳が泣きそうになっていた。既にMPも少ない。この一撃は避けられないし耐えられない。
――龍樹さん…………ううん。シン君、ごめん。私……
必死の形相になってパックが絶叫を上げる中、彼女はそれを見た。
龍樹には敵わない。それは彼女にとって自明の理であり、今更それに動揺することも無い。死を受け入れた彼女はそれでも――その瞳を驚愕の色に染め上げざるを得なかったのだ。
「私は……家族よりも友を選ぶッッッ!!!!」
無防備な彼女を庇う様に、ここまでずっと悩んで戦いに参加できなかったティターニアが立ち塞がったのだ。彼女は最後の時まで、彼女らしかった。兄を殺せず、されど親友も殺せず、残されたのはこれだけ。
「――――ッッッッッ!?」
「ね、姉さん……ッ?」
ティターニアは龍樹の放った火炎弾を迎え入れる様に手を広げると、目を瞑ってそれを抱き締めた。同時に爆発が彼女を飲み込み、その姿をかき消してしまう。そうして荒れ狂う爆風が全てを飲み込んで、終わった時にはそこに誰もいなかったのである。
「リュー? 嘘ッ!? リューッッッ!?」
「あ、あの女……最期に仲間を庇って……死んで……」
唖然としていたパックは、だが確かに姉の言葉を聞いた気がした。
――シン、今よ。兄さん、動揺を隠せてないわ……
彼女はそうすることで自身の正しさを守り、かつ弟の言葉通りに隙を作ることに成功したのだ。不器用な彼女にはそれしか方法が浮かばなかったのである。
辰也は正しく前を向いていた。
――ッッッッ!!!
受け継ぐは姉の優しさ。乗り越えるは兄の強さ。父親代わりの兄と母親代わりの姉。竜の子は母の優しさ受け継いで、何より強き父を超え行く。
パックは湧き上がる感情が表に出るよりも先に声を上げていた。
「スキップだッッ!」
その瞳は鋭く、確かにバターが信頼するのを決めた強さを湛えていたのである。不思議と落ち着いた彼女は足りない言葉を魂で補完し、そうすることで辰也の目的を理解できていた。
「分かったわッッ!」
既に互いを見る必要さえ無い。パックが自分に竜抜剣を、バターは自身にスキップを唱える。たったそれだけでパックの速さにバターの速さが追い付き、初めて絆が表示されたのである。
複合攻撃! 剣×槍 !
同時に龍樹がわなわなと震えた瞳でそれを見るも、辰也と紗耶香の方が僅かに速かった。辰也の身体から溢れんばかりに電撃が漏れ出して、紗耶香の身体からは月明かりのように優しい白い光が溢れ始めている。
「アクロス・ザ・――」
「――ディバイドッッッ!!!」
刹那、辰也の身体が消えた。同時に紗耶香の身体から溢れ出したレーザー光が長大な砲身を形作る。そこに込められた黄金の弾丸こそが、紫電溢れる剣なのである。
あらゆる断絶を越えて想いを届けるその一撃。速く、重い。必殺の複合攻撃は正確に“終わりの竜”の急所を貫き通していたのだ。
一拍置いて爆音と共に龍樹の身体が内側から溢れ出す稲妻によって引き裂かれ、天使が降臨したが如く上空から降り注ぐ月光によって焼かれていった。我に返った辰也が振り向けばその表情は達観していて、どこか嬉しそうだったのだ。
「あああああああああああァァァッッッ!!!?」
そこで辰也の溢れ出した感情が追い付き迸る。彼には心の赴くまま、それを奏でるしかなかった。もう龍樹の身体は半分以上が消え失せているのだ。
「僕、兄さんみたいに強い男になるッッッ! 兄さんの為にも姉さんの為にもッッッ、絶対、絶ッ対にッッッ!!!」
――それでこそだ! やっぱり、俺の目に狂いは無かった。……強くなったな、シン
最後に彼がそう言った様な気がした。
そうして龍樹の、“終わりの竜”の身体が虚空へと消えるや、歓喜の渦が爆発する。ウィドウとメキメッサーが生還の喜びを分かち合っていたのである。
だが、それでも虚ろな瞳を隠し切れない。その声は遥か遠くの人ごとのように感じられた。
「いよっしゃぁァァァァァッッッ!!! 流石ねパックゥゥッ! 私が見込んだ通りッッ!!!」
「ふっふーん。これで僕たちが魔王を倒した英雄だネッ!!!」
体に力が入らなかった。気が付けばほとんど重さなんて感じない筈の剣を取り落とし、立っているのも億劫で、地面へと崩れ落ちる様にへたり込む。その両の瞳からは涙が溢れ出し、喉元から洩れそうになる嗚咽を押し隠すのが精一杯である。
「シン君…………」
「サヤ……姉さん…………ッッ!!!」
これでもう、辰也はひとりぼっちなのである。彼にはもう、生活の面倒を見てくれた兄も、親身になって相談に乗ってくれた姉もいない。
彼は知らない森で迷子になってしまった幼子のように、ただただ悲痛なまでに震えることしかできなかった。紗耶香は痛ましいまでのそれを慰める様に抱き締める。強く強く、ただ、貴方は1人じゃないと刻み付ける様に。
「……ささッ!! 先に行こうヨ! 置いてくヨ!」
見ればメキメッサーの指し示す先では、巨大な扉が音を立てて開いている所だった。その先には通路があり、そう遠くない先に真っ白く光り輝く別の扉が見える。そこを越えることでゲームクリアであり、現実への帰還が許されるのだ。
一方のウィドウは柄にもなく慌てていた。パックの気持ちを慮ってるのである。
「……その……あの、さ……」
「…………ッ……ッ……」
パックは何も言わず、ただウィドウに泣き顔を見せない様に俯いていた。それでも彼の性格をよく知るウィドウには十分だったのだ。
「なにしてるんだイ? もう時間もあんまり無いヨ!」
「葱、私達は先で待ってるわよ……」
「だから葱じゃないって!? ポリーナのせいで散々な渾名が……」
「お黙りッ! 最大の功労者2人が喜びに打ち震えてんのよ! 空気読みなさいよねッ!」
だから彼女は兄と姉を失ったパックの悲しみを悟り、先で待つことにしたのである。ウィドウは葱のケツを引っ叩きながら先へと進み、ご丁寧に扉までをも閉めてくれていた。
パタリとそれが閉まるのと、辰也が泣き崩れるのは同時だった。
「あああああ……兄さん……姉さん……」
「シン君……」
「ああ……兄さんッ! 姉さんッ! ごめんなさい! ごめんなさいッ! ごめんなさいッッッ! 僕が不甲斐ないばかりに兄さんに辛い役目を押し付けてしまったッッッ!!! 僕が不甲斐ないから姉さんがその身を捧げたッッッ!!!」
きつく抱き締められてなお、辰也は憚ることなく泣きじゃくる。もし兄姉がそれを見たら苦笑いどころか慌ててフォローに入るほどの取り乱し様だった。しかし彼はだからと言ってそれを止める気も無かったし、紗耶香にも止める術は無かったのである。
「僕はッ! 僕はッ、兄さんの力で家に住んでご飯を食べて学校に行ってッッッ!!! 何一つ恩返しできてないッッッ!!! 姉さんが何時も世話してくれて、相談にも乗ってもらってッッッ!!! 何一つ力になれていないッッッ!!! どうして!? こんなことなら……ッッ こんな惨めな想いをするならッッッ!!!」
「シン君ッッッ!!!」
「僕が死んでいれば良かったッッッ!!!」
「シン君ッッッッ!!!!!!」
自分で自分を罰するように辰也は言う。紗耶香はそれを叱りつけるものの効果は無い。むしろ、彼女だって悲しいのだ。
結局彼女はたいした貢献もできなかったのである。PKの陰謀相手にも、悲壮な覚悟を決めた龍樹に対しても、彼女は無力だった。
そして、そんな彼女を守る様にして竜子は死んだのである。
「そんなこと……言わないでよ……。だって、シン君がそれなら……私は…………」
「……ッ……サヤ姉さん……」
いつの間にか悲しみが伝染し、紗耶香もまた涙を零していた。泣く理由だなんて幾らでもあったし、何より辰也が彼女の前では弱いところを見せてくれているのである。
だから、彼女もまた弱い所を見せても良いと思ったのだ。
月明かりの下、優しい雨風に包まれた2人は抱き合って暫し涙を交わし合っていた。だが、その時間はあまり長くは無かったのである。
辰也は覚悟を決めた。家族を失った彼には、飢えた愛を満たすにはそれしかなかったのである。ひとしきり泣いて悲しみを追い出した彼の脳裏には、それだけが残っていた。
「サヤ姉さん……」
「……はい」
言わなくとも、紗耶香には分かっていた。だから居住まいを正して彼と正面から向き合う。辰也が去っていく温もりに怯えたような顔をするので手だけは握っていた。
彼女の可愛い弟分は家族の庇護を失い、残りの長い人生をたった一人で歩まなければならないのである。それを思うと、彼女の胸は締め付けられるのだ。
「愛しています。ずっとずっと前から、貴女だけを。貴女以外考えたことも無い」
紗耶香は何も言わなかった。聞いているのである。辰也の言葉ではない。自身の胸の奥、心に宿っている本当の気持ちを。
「サヤ姉さんは僕の女神様です。そんな貴女に声をかけるのは勇気がいるけど……もう駄目です。こんな僕ですが、貴女を独り占めしたいのですッッ!! 僕と付き合って下さい……」
真っ直ぐにこちらに縋りつく視線を、紗耶香は正面から受け止める。この問いへの解答は決まっていた。
「私……貴女の姉に何一つ勝てないんだけど……?」
「僕だって兄ほど賢くも、姉ほど強くも無いです……」
辰也は繋がれた両手をギュッと抱き寄せると、紗耶香に返答を迫っていた。捕まえられた手は紗耶香に逃げるのを許さないし、そもそも逃げる気も無かった。
「でも、それが何だっていうんですか……。貴女の為なら何だってできますッ! 兄だって越えて見せますッ! 九十九商事にだって入って見せますッ! だから……貴女をください」
紗耶香の答えは言葉よりも先に顔に出ていた。頬が緩んでいくのを堪えられないのだ。彼の言葉の一つ一つが紗耶香の心に広がっていき、その隙間を埋めていったのである。
「ふふっ」
「……ッ!?」
是か否か。それを求める様に辰也が紗耶香自身を抱き締める中、彼女は急いで気持ちを紡ぐ。
「ありがとう。私、嬉しいわ」
「……」
「千の褒め称える言葉よりも、たった一つの愛の方が、ずっと胸に来るの……。こんなに満ち足りた気持ちは……初めて」
「……それじゃっ」
期待に蕩けた瞳で差し迫る辰也に対して、紗耶香も満更ではなさそうに甘えるように鳴く。
「ふふっ、お見事ね。……ね、王子様? 助けてくれた御礼にキスなどいかがでしょうか?」
返事は速かった。乱暴に、それこそ押さえつけられるように紗耶香は抱き締められ、心の底から湧き上がってくる感情を交わし合う。
「ん……」
「サヤ姉さん……あむ……」
唇を啄んだまま身体の方に伸びてくる男の手を、紗耶香は優しく撫でて躱していた。彼女たちにはまだやることがあるのだ。
「続きは……戻ってから、ね?」
その悪戯するような顔に辰也は逆らえなかった。だって彼はこれに惚れたのだから。
「遅かったわね。もう2分しかないわよ」
「ご、ごめん。でも、あとはこれをくぐるだけでしょ?」
「そうだけど……違ったらどうすんのよ?」
ウィドウはパックとバターを見るや、一目で何があったのかを朧げに察して鼻を鳴らしていた。気に食わなかったので絡んでいるのである。残念な彼女には、残念なことにロマンスは訪れなかったのだ。
「なんか……現実って久しぶりな気がするわ」
「仕方ないよ……。それに、今までよりもずっと厳しい筈だし……」
今まで3人で暮らしていた辰也は、これから先は2人で暮らしていくのである。その前途は明るいとは言えない。そんな気分を振り払う様に、4人は最後の輝く扉をくぐり抜けて行った。
眠る様に意識が遠くなっていく。
次回完結
日曜日投稿予定




