LOAD GAME →終わりの平原にて 残り時間00:01:15
「ふ、ふ、ふ……」
降り注ぐ雨風を物ともせずに、エーシィは平原の上空を突っ走る。行き先は“終わりの平原”当初からその存在を確認していた“音叉塔”。雲一つない雨空の中を、ウィドウの呼び出した愛竜に乗って突き進んでいるのである。
そして、最後のダンジョンを前にウィドウは思わず声を漏らしていた。
「ふ、ふ……」
「ウィドウ。その不気味な笑い声は止めてくれないか?」
「違うわよっ!!! 笑ってんじゃないの! 猛り狂ってんのッ!!! ふっざけんなやッ!!!」
4人も乗っているため手狭な竜の背で、ウィドウはタイムの胸倉を掴んで締め上げていた。この非常事態に馬鹿なことを言い出した仲間を躾けているのである。だが、彼女にそんな余裕は無かった。
ウィドウのペット“リポーター”がジグザグの軌道を取ることで接近したブレスを躱し、同時に減速した分のスピードは急降下することで補っていた。
その思わず変な顔をせざるを得ないほど激しい落下のGに耐えながらも、ウィドウはぶれずにケチをつけているのだ。
「なんじゃこりゃあ!!! こんな敵の中をどうやって突破しろっていうのよ!?」
「知るかッ! そんなことより、君はリポーターの操縦に専念するんだッ! 敵は僕たちに任せろ!」
「黙らっしゃい! 私のペットを呼び捨てにしないでッ!!」
「いや怒る所そこなのかヨ!?」
既に360度、それどころか上下方向までを敵の飛空騎士団に抑えられたエーシィは、嵐の中を彷徨う小舟が如く敵の攻撃に翻弄されていたのである。
今もまた真下から突き上げる様にこちらの進路を塞ぐ竜騎士のブレスを躱し、頭上から猛スピードで迫り寄る鳥騎士の剣を辛うじてタイムが弾き返していた。
しかし彼はその反動で跳ね飛ばされてしまい、慌ててメキメッサーがカバーに入る。大空で4人の乗ったリポーターが撃墜されてしまえば、皆仲良くあの世行きなのである。
「まずいッ! 奴等四方八方からブレスを打ってくるぞ! 葱! お前は後ろをやれ! 僕は前をやる!」
「仕方ないネ! 任せてくれヨ!」
もはやタイムの軽口に反応する気力も無いメキメッサーが厳しい表情を浮かべる中、エーシィの最後の一人ポリーナはというと呑気にルーレットで遊んでいた。
「赤! 血濡れの赤が7連続とは……潮時ですかね」
「ポリーナッ!! たまには君も働けッ! このままじゃ僕たちは墜落するぞ!?」
彼女は基本的に他人の言う事を聞かない。ここまでも魔法使いとして最低限の援護はするものの、戦いは仲間に任せてルーレットで遊んでいるのが常だったのだ。彼女はこう思っている。
――私が手を貸さなくても、勝てるでしょう?
手を貸しても貸さなくても、結果は同じ。ならば貸す必要は無く、その間に他の人間を観察している方がずっと楽しかった。なにしろ、今の彼女はタイムにウィドウと愉快な対象に溢れているのである。彼女の人生の中でも、指折りの愉快な時間だった。
「おいぃぃ!! ギャンブル女も仕事しなさいよッ!?」
「む、そんなこと言うと、貸したお金に利子つけますよ? ブラックウィドウ?」
「ひぅ……すいません! 何でもないです! 狭い所で申し訳ないですが快適な空の旅をお楽しみくださいぃ…………」
「リーダー弱ッ! じゃなくテ! ポリーナ、もう限界だヨ! 君も何とか手を貸してくレッ!!!」
だから、それを邪魔する奴等に容赦はしない。
そこでポリーナがルーレット盤から顔を上げれば、敵に攻撃されてボロボロになったタイムに、厳しい顔のまま援助を要請する葱野郎。タイムは既に迎撃に手を取られて余裕を喪失し、メキメッサーは半ば諦め始めていた。
そして、ウィドウだけが拙いながらも戦場全体に意識を向け、必死で生きる道を探っていたのである。ポリーナの口元は自然と笑みを浮かべていた。彼女はポリーナが見込んだ通りの人物だったのだ。
「ま、落ち着いて下さいよ」
「これが落ち着いてる場合かヨ!? このままじゃ嬲り殺しに……」
「――全て、計画通りですから」
それにメキメッサーがギョッとした顔を向けるが、ポリーナは葱野郎に興味なんぞない。だが、追い詰められたタイムとウィドウが地獄に仏と縋って来たのを見て、絶好の調教の機会と舌なめずりを隠せなかった。
そして彼女は既に詠唱を完了させている。
「敵に全方位を囲まれ、それどころか包囲網が狭まり今にも止めを刺されようとしている。そんな危機的状況こそ、この魔法の出番ですね」
氷点下の視線を宿した彼女がそう呟いた瞬間、空気が変わった。文字通り変わったのである。それまで急降下に伴って肌に突き刺さっていた空気は、代わりに渦を巻くようにしなり始めていく。同時に降り注ぐ雨が止まった。それは一拍の後に上下左右滅茶苦茶の方角に向かい始め……
「平伏せ、有象無象が」
神風招来。それがポリーナの唱えた風の最高位魔法である。名前の通り吹き荒ぶ大嵐を作り上げるこの魔法最大の特徴は、その効果範囲である。今まさに止めを刺そうと近寄っていた魔物の飛空騎士団全てを生み出された暴風圏は飲み込んでいたのだ。
次の瞬間、稲妻が落ちる。それにウィドウは恐怖のあまり思わず目を瞑っていた。行く手に本能に迫る落雷音と共に巨大な竜巻が発生し、しかしながらその中をエーシィの面々を悠然と進んでいたのである。
それどころか、その速度は速くなっているではないか。
真っ先に気付いたタイムが驚きに目を見張る。
「これは……スキップか?」
「それだけじゃないわ!? 敵が……墜落していく……!?」
神風招来。それは追い詰められた者達が最後の逆転に願いをかける魔法なのである。その効果は味方全員にスキップをかけて鼓舞し、敵全員にバインドをかけて拘束する。
「……!? ポリーナ! 君は敵全体を巻き込むため、わざと敵の攻撃を許していたのか!?」
「もちろんですよ。タイム、私がこんな面白そうな展開を見逃すはずないじゃないですか?」
呆気にとられたメキメッサーの視界では、動けなくなった敵の悉くが地上へのダイブを余儀なくされていた。いずれ大地に接触して殲滅されるだろう。
窮地を脱出した立役者のポリーナは、しれっと前を見て言う。
「さ、急ぎましょう。ナーガホームの活躍を見逃すわけにはいきませんからね」
そうして彼らは無人の野をかけるが如く突き進み、“音叉塔”に辿り着いたのである。運命は直ぐそこまで迫っていた。
「ティー……どうしたの? なんか具合悪そうだけど?」
「……兄公。……にい、さん……嫌な予感がするの…………これは……」
円筒状のボス部屋。そこでバターが隣にいたティーの蒼白になった顔を見て思わず身を案じていた。彼女の顔色は悪く、それどころか悪寒に耐える様に身体を抱き締めているのだ。彼女は本能的にそれを悟っていた。
「……多分、そういうことだろうな」
「兄さん? えっと、それで僕たちはどうすれば良いの? あっ、もしかして先に進む扉を壊すとか?」
パックの視線は入って来た扉とは正反対の側にある扉を向いていた。それは入って来た扉と同じように背が高く、無機的な模様が血管のように張り巡らされている物である。ギアの回転音に合わせてドクンドクンと脈打つそれは、しかしながら一向に開く気配は無い。
「と、とりあえず扉の方まで行ってみましょう!」
「いや。……それには及ばないよサヤちゃん」
困り果てたバターが残りの時間とにらめっこした末に出した結論を、パフは目を閉じて観念したかのように遮っていた。彼は何が起こっているのかを容易に把握していたのだ。
パフは少しだけ目を閉じて考え、次いで目を開けて俯いた妹を見、最後にお預けを食らって困惑しつつも脱出を疑っていない弟を眺めた。
彼の覚悟は速い。何よりも家族を愛する男だからだ。
「結論から言うとだな……」
「うん。兄さん、速く帰ろ?」
その声にパックとバターが顔を向け、ティーは背を向ける。パフは気にせず、普段通りの飄々とした態度を最後の瞬間まで崩さなかった。それこそ、これまで散々ふざけてきたのと同じように、なんでもないかの如く言ったのだ。
「……俺を殺せ」
時が止まった。雨が彼らを慰める様に振り続け、風が彼女らを宥める様に音を立てて吹き続ける。月明かりの照らす中、4人は誰一人として動かなかった。表情すら変わらない。パフが何を言っているのか分からなかったのだ。
「っえ? 兄さん、御免。よく聞こえなかった……」
それを察したパフは心の底から残念そうに、少しずつ説明を始めていた。
「失敗したな。ダンジョンマップの時点で気付くべきだった……いや、これがなきゃ迷路が突破できたかは微妙か?」
凍り付いた表情を浮かべる愛しの仲間たちが怖がらない様に、決して間違えない様に、パフは優しく見つめる。
「ダンジョンマップが使えたことからも分かる様に、俺自身がダンジョンからラスボス“終わりの竜”として認識されてしまっている。ボス部屋でラスボスが生きているんだから、扉は開かない。当然の結果だろ?」
「……………………そん、な…………」
実に軽い口調で、重苦しい事態を告げていた。その単純極まりない理論がパックの頭に入り込むや洪水のように感情が溢れ出し、気が付けば自分に都合の良い言葉をまくし立てざるを得ない。
「そんな……馬鹿な!? だって、兄さんはプレイヤー名“パフ”で、魔法使いで……」
「そのデータはチートで上書きしてしまったよ。今ここにいるのは“終わりの竜”だ」
パックがその言葉にへたり込む中、ティーは背を向けて必死で嗚咽を堪えていた。聡明な彼女は既に兄と同じ結論に達していたのである。バターにはそんな3兄姉弟を呆然と眺めることしかできなかった。
「もう時間が無い。だが、幸い残りHPは25%程度だ。エンディングには間に合うだろう」
「い、い……や……だ、よ。こんな、こんなのって……」
沈痛な表情を浮かべたパックは、黒竜の足元に縋りつくようにして駄々をこねていた。その感情がパフの脳内で激しい共感をおこし、しかしながら今の彼にはどうする事もできない。
「辰也。俺を殺すんだ。このゲーム、他殺はできても自殺はできない……。みんなには悪いが……」
「嫌だッッッ! 嫌だよ。だって、僕はバカで弱くて頼りなくてッ! だから、ずっと兄さんや姉さんみたいになりたかったんだッッ! この旅で少しだけ追いつけた気がして嬉しかったッ! でも、こんなのは絶対に嫌だッッッ! 家族と戦うぐらいなら、僕は情けないままで良いッ!」
みっともなく足元に縋りついて離れようとしない弟を横目に、龍樹は最愛の妹へと申し訳なさそうに視線を向けていた。彼女は既に兄と向き合っている。
「リュー…………」
彼女はいつだって、辛い役目を任されてしまう。
「無理よ……。無理に決まってるじゃない……」
悲痛な泣き声だった。見れば美しい彼女の瞳からは大粒の涙が溢れ出し、戦う道を拒んでいた。
「親のいない私達がご飯を食べられるのも、家で暮らせるのも、学校に行けるのもッ! 全部兄さんのお蔭……! 兄さんがいたから、私もシンも生きてこれた!! 貴方に頼って生きてきたのッ!! そんなこと、できるわけがないッッッ!!!」
彼女は泣いていた。人目も憚らずに嗚咽を漏らし、涙に滲んだ視界でそれでも兄の姿を捉えている。誰よりも綺麗な彼女の泣き方は同様に侵しがたい程美しく、それゆえバターはこう言うしかなかったのである。
「た、龍樹さん、大丈夫です……!! 何てことは無いですッ!! 戻ってチートを解除すれば……」
「……いや、駄目だ。サヤちゃん、“一度ボス部屋に入ったら逃げられない”んだ」
あまりの感情の流入に、紗耶香もまた思考が千々になって纏まらない。ただ一つ、淡い思い出の相手であり親友の兄であり、なにより可愛い弟分の慕う相手と戦わなければならない絶望だけが付きまとっていた。
だが、それは少なくとも辰也にとっては救いであった。彼は姉ですらどうしようもないという事態に失意のどん底にあったのである。
「そ、それでも時間さえあれば、何か良い案が出るはずだよッ!? 今までもそうやってきたじゃん!? ギリギリまで考えて……」
「残念ながらそれも難しい。ウィドウ達だ……。あいつ……なんだそれは? 竜に乗って音叉塔を進んでやがる。そういうスキルなのか……? いずれにせよ、乱入は時間の問題か」
――そんなこと、どうだって良いじゃないかッッ!!!
だが、辰也はその言葉を口にすることができなかった。
両手で顔を隠して泣いていた竜子が、上を向いたのである。その顔は彼が見たことも無い程歪んでいた。恐ろしいまでに怖い顔だった。
「龍樹さん!? それなら2人にも事情を話せば……!?」
「駄目だ。ツベルクとの戦いを思い出してくれ。秘密裏に陰謀を終わらせなければ、全てが台無しになってしまう……」
その言葉に紗耶香は力なく項垂れることしかできなかった。彼女の力ではどうしようもないのだ。呆然として打つ手の無くなった彼女の脳裏には何も浮かばない。ただ、彼を慕っていたアメリアがこの場に居なくて良かった、という乾いた感想が浮かぶのみであった。
そして、そんな彼女に触発されたように2人の希望を汲んだ辰也が立ち上がる。彼は誰よりも素直なのだ。
「構わないッッ!! ツベルクもGIも知ったことか! 僕はそんなことより兄さんとまた一緒に……皆で一緒に暮らせればそれで良いッッ!! ……ほんとに……それだけで良いんだよぉ……」
彼もまた、姉と同じように涙を零していた。ずっと慕っていた紗耶香の前だったが、それを気にする余裕も無い程追い詰められているのである。龍樹には苦笑するしかなかった。
「困った子だ……。嬉しくもあるけれど……残念だ。となると、残る方法は一つか」
その瞳は湖のように静かに澄んでいる。
それを引き攣った顔の竜子が睨んでいた。わなわなと震えた彼女には結末が読めたのである。読めていて、彼女は童女のように俯いて、ただ目を瞑ることしかできなかった。
「に……い……さ……ん……ッッッ!!!」
「サヤちゃん……」
「は、はいっ。何でしょう!?」
そんな彼女を無視して龍樹は紗耶香に視線を向けていた。思えば彼女は妹の親友であり、かつ弟の愛する相手なのである。全くもって忍びない。
「ごめんね」
「えっ!?」
その瞳は物静かで、在りし日と何も変わっていない。だからこそ、紗耶香も辰也も理解できなかった。
「後でもっと謝るよ。でも他に方法はない。あいにくと自殺も出来ないし、となると、誰かが俺を殺す必要がある」
無言の竜子が紗耶香を庇う様に立ち塞がった。辰也はそれを呆然と見送っている。
「でも、そんなことをすれば心に深い傷が残ってしまう。敬愛する兄を殺せば当然そうなる。だから、ごめんねサヤちゃん……。今から君を殺す」
「に、兄さん……!? な、何を言ってるの……?」
「だってそうだろ? 敬愛する兄を殺せなくても、親友や慕う相手を殺そうとする相手なら殺せるはずだ……」
他に方法は無い。龍樹はもう覚悟を決めたのだ。愛する妹弟に恨まれることも、かつて自分を慕っていた少女を手にかけることも、地獄に落ちることも。
そんなことは彼にとって何でもない。龍樹は家族さえ無事であれば、それで良いのだから。
“終わりの竜”の静かな殺意を正面から受けたパックは見る影も無く動揺していた。
「待ってぇッ! これは、悪い夢なの……? 僕は、僕はこんなのは、嫌だ! 絶対に嫌だッッッ!!!」
「……シン、上を向くんだ」
パックは最後まで覚悟を決めることができなかった。ティターニアは運命を呪いつつも辛うじて戦いの準備を終えていたが、その姿はバター同様に隙だらけ。
「あぁ……!! 兄さん……」
それを見たパフは微笑み、最後に残ってしまった優しい弟の心を解きほぐす。
「行くぞ、ナーガ」
「……ナー……ガ?」
「お前の名だよ辰也。辰、なり。だからナーガ……」
もはや兄弟の間に言葉は無い。パックもようやく理解できたのだ。そしてそれ悟ったパフは、瀕死の“終わりの竜”は仕切り直すように告げる。
「他に手は無い。ナーガよッ!!! 愛する相手を守るため、覚悟を決めるのだ……! 真なる竜として、仮想の竜を滅せしめよッ!」
ギリッと歯を噛み締めたパックの背後では鈍い音と共に扉が開く。ついに運命が扉を叩いたのだ。
息を切らせながらもそこに現れたのは誰よりも頼もしく、それゆえに最も会いたくなかった者の姿である。
「…………どうにか、間に合ったようね!!! 何をやってるのパックッ! てふてふッ!! 天然姉ぇ!!! さぁぁ!!! この私が加勢すんだから大船に乗ったつもりでいなさいナーガホーム!!!」
プレイヤー名“ブラックウィドウ”。彼女は意気消沈した上に一人足りないナーガホームを見ると、素早くその感情を斟酌して励ますように雄たけびを上げていた。彼女はお供としてこき使っていたメキメッサーと共に終わりの鐘を告げにやってきたのである。
同時にボス部屋が定員を満たし、永遠に閉ざされてしまう。
「よく来たな! プレイヤー諸君! だが、この私を簡単に倒せると思うなよッ!!」
そしてそれを見たパフは悠然と笑って語り掛けると、ウィドウの接近を避ける様に空へと飛びあがっていた。この部屋は本来の持ち主が戦いやすいよう、異常なまでに天井が高い円筒形をしているのである。
悲しみに暮れるパック。運命を呪うティー。夢見心地のバター。場違いな二人。
運命の時間だったのだ。
完結まで、あと2話
次回の投稿は明日になります。




