LOAD GAME →ハナーリーにて 残り時間00:05:00
パックは神妙な顔つきで自身のステータス画面とにらめっこしていた。本人はただ眺めているつもりなのだが、そこに記された情報が彼の顔色を変えさせているのである。
「あと……5時間、か」
長く、そして短い十日間が終わりを告げようとしていた。
「パック、ティーが帰って来たわ。進みましょう」
そこに彼の愛しいバターが声をかけ、慌てて顔を上げる。バターは吹っ切れたような優しい笑顔で、パックを手招きしていた。
2人がいる廃墟もとい最後の拠点ハナーリーでは、ナーガホームが最後の突撃の準備を淡々と整えていた。石や煉瓦でできた最後の街は廃墟寸前で、しかしながら彼らが助けたNPCを筆頭に奇妙な盛り上がりを見せていたのである。
そう。ダンジョンに関する情報はあっさりと見つかっていた。
「姉さん。やっぱりあの塔が最後のダンジョンなの?」
「えぇ。正確には“音叉塔”と言うそうよ。元は人間の作った防衛施設だったのだけど、今は黒竜に乗っ取られて平原を支配下に置いてるみたい」
ティーの調べた所、生き残ったNPC達は街に戻るやパフへの攻撃をあっさりと終え、御礼と称してアイテムと情報を提供してくれたのである。
そして一同は再び飛び上がったパフの尻尾の上で、雨と風を受けながら最後の会議を行っていた。ハナーリーには宿屋はあれど、前のステージに戻れる転移門やアイテムショップ等は無かったのである。
一同は最低限の休息を取るや即座に出発していたのだ。
「……なんだか、接ぎ木したサボテンみたい。でも無数の気根みたいのがガジュマルみたいに大地に伸びてる。不思議なデザインだわ……」
地上をうろつく影は無数にあれど、上空を飛び回る敵は少数だった。お陰で一同は雨の中を呑気に移動することができたのである。
バターは視線を“音叉塔”に向けていた。それを一言で形容するのは難しい。ただ強いて言うならば、クワガタの角をまっすぐに伸ばし、頂上の所に橋を架けたようなデザインであろうか。橋の上には緋牡丹のような形の施設が見える。そしてその音叉塔の各所からは無数のワイヤーや支柱が地面に伸びており、独特の威容を誇っていた。
ナーガホームは空を進む。残されたプレイヤー達の命運を、その手に賭けて。
「有志同盟の皆も奮戦してるみたいだ。その一部は凍土氷山に攻勢を仕掛けてるらしい」
それを告げる兄の言葉は普段通りの物だった。されどパックにはその真意を悟ることができる。既に有志同盟は“一部”しか残っていないのだ。
「そっか。……さすがぶち子ちゃんだ。ちゃんとクリスタル・ドラゴンを突破したんだね」
だから、彼もあえて何も言わなかった。
ナーガホームを取り囲む状況は悪い。ハナーリーで一応回復できたとはいえ、“終わりの平原”に入ってからは一切のアイテムの補給ができていないのだ。手元のアイテムも“凍土氷山”で消耗している。多少の余裕があるとはいえ、ダンジョンに入ってしまえばそれも分からない。
そこでパフの竜の顔が傍から見ても分かるほど引き締められた。徐々に近づきつつあった“音叉塔”の天辺から、何か黒い雲の様な物が湧きだしてきたのである。
それは徐々に形を変えながら迫っており、パックの顔が引き攣る。
「竜……騎士……? まさか、あの黒いモヤモヤ、全部敵なの!?」
思わず呆気にとられた彼を尻目に、一同に緊張が走る。即座にティーの目元がキリリと引き締められ、反対にバターは不敵なまでの笑みを形作っていた。
「……少なく見積もっても100はいそうね。どうする?」
「決まってるじゃない! 強行突破よ!」
だが、ナーガホームは怯まない。彼らに退却は許されないのだから。パフは一瞬の逡巡の後、決断を下した。
「しっかり掴まってろよ! 高度を上げて、一気に振り切る!」
もちろんブレスや火炎弾での攻撃も行う。しかし距離があるせいか敵の竜騎士たちはあっさりと散開し、敵を打ち落とすことはできなかった。
パフの身体はぐんぐんと上昇していき、止まない雨の中をひたすら進む。
「突撃するから、援護してくれ!」
「任せてよ! 兄さん!」
それは敵も同様であった。見る見るうちに地上が遠くなり、落下すれば即死も免れない高度に到達したとき、ついに“終わりの竜”と飛空騎士団は戦闘に突入したのである。
降りしきる雨を劈くように、パフが雄たけびを上げる。
「道を開けてもらおうか……!」
大音声と共に彼の口元から火の粉が零れ落ちるや、巨大な火炎弾が正面空域を薙ぎ払った。それも1発ではない。3発4発と次々と発射された凶悪な小太陽が進路上のあらゆる物を焼き尽くす。
さしもの飛空騎士団も散開せざるを得なかった。
「行くぞ……! しっかり掴まってろよ!」
それは結果として一騎の敵も打ち落とすことは無かったが、代わりに何よりも貴重な進路が確保されたのである。敵の退いた空域に向けてパフは全速力で降下し、敵を振り切りにかかっていた。
襲い来る急激な落下に対する浮遊感に、パックは懐かしさすら感じていた。“音叉塔”まで、あと1キロメートル。
「来るわよ! 後ろの鳥騎士が攻撃態勢に入ったわ!」
だが、そうは問屋が卸さない。やや遅れて追撃に入った竜騎士はともかく、竜騎士以上の快足を誇る鳥騎士の魔の手からは逃げきれないのだ。
それを確認したバターは即座に不安定な尻尾の上を駆け抜け、一直線に親友の元へと駆け寄る。
「ティー!」
「バター……!」
言葉なんて交わさずとも、二人とも互いの考えを共有し合っているのだ。視界の隅では互いがそれを選択したことで、文字が躍る。複合攻撃! 槍×槍!
同時にパフの背に無数の戦士の幻影が現れた。古の時代の、武器も鎧もバラバラな彼らはただ号令を待っているのである。
「クロス……」
「ファイアッ!」
接近していた鳥騎士たちを、盛大な対空砲火が歓迎していた。戦士達の放った100もの槍が所狭しと空域を貫き通し、幾人かの飛空騎士団を縫い付ける。一撃で倒せはしないものの、動きを止めた彼らは虚しく地上に落下していくだけであった。
「まだだッ! クソ、掴まってろよ!」
だが、それでも敵は止まらない。見れば竜騎士たちが追い付くのを諦め、代わりに鳥騎士たちを援護するようにパフの進路をブレスで塞ぎにかかってきたのである。
無論ダメージなど無視できる。だが衝撃は別だ。そして衝撃で誰かが放り出されてしまえば命は無い。
結果としてパフは回避運動を行わざるを得ず、敵との距離が縮まっていくのである。
「兄公駄目……! まっすぐ飛んで!」
「だが、敵の攻撃が躱せないぞ!?」
「大丈夫。耐えて見せるわ……!」
現実は非常であった。後方を竜騎士に、上方と側方を鳥騎士に囲まれたパフは、さながら戦闘機に襲われた輸送機のように追い詰められていたのである。必殺のブレスも狙うことはできない。
「背中に着弾するわ!? 気を付けて!?」
同時にバターが悲鳴じみた警告を放ち、竜のブレスが最後の竜の背中に着弾していた。爆音と共に衝撃が体を揺るがし、大地震に遭遇したかのように激しく揺さぶられる。
パックの顔色が見る見る悪化していった。
「ぐぅっ……これは、キツイね……」
「空中戦闘の情報フィードバック……。こんな所でも発生するなんて……」
竜の尾に乗っている3人には実感が薄いものの、今ナーガホームは猛スピードで上空から地上を目指して一直線に進んでいるのである。そこに激しい衝撃が加われば、結果は火を見るまでも無く明らかだった。
辛うじて翼への着弾を避けたことで、パフは一応の進路と速度は守り切っている。だが、揺らいだ身体をチャンスと見たのか、鳥騎士たちが一斉に攻撃態勢に移っていた。ウルクが号令をかけるや上方の風鳴鳥達が一斉に突撃準備に入り、側面の敵はパフの進路を塞ぐようにデトネイションを放つ。
“音叉塔”まで、あと500メートル。だが、もはや一刻の猶予も無い。
パフは打開策を思いつき、されどそれを伝えるほどの時間は残されていなかった。
「パック……! ……ッ!」
そう叫ぶのが精一杯だったのである。それは雨風を切る急降下の音に阻まれ、パックには半分も分からなかった。
「僕に任せて!」
されど、それで十分だったのだ。たとえ兄の陰に隠れようとも、パックにだって頭脳はある。彼がバターに視線を送るのと、全員がデトネイションの爆発範囲に突っ込むのは同時だった。
「うおおぉッ! 道を開けてくれッッ!」
ロウソクほどの灯火が宵闇を切り裂くよう爆発的に膨張する。一歩遅れて爆発音と衝撃が空域を轟き、直撃を受けて虚しく地上へと真っ逆さまに落ちていった。
「パック……あなた……」
「どんなもんだッ!」
墜落していく鳥騎士を尻目に、パックは竜の身体の上で勝利の喜びを爆発させていた。その手には金色に光る素早丸。握りしめられた拳によって、固く掴まれていた。
「ありがとうサヤ姉さんっ! 気付いて貰えて……良かったッ!」
「なんの! お安い御用よ!」
何のことは無い。パックは同様の危機をかつて経験している。時空魔法を修めたバターのザ・スリー・オブ・スペードで、クラーケン同様に魔法を撃ち返したのである。
だが、喜べる時間は少なかった。上空からの鳥騎士たちが一斉に急降下突撃を開始したのである。
隼の如き一撃は俊敏で、パフが必死に先を急いでも間に合わない。
「来るぞ! 迎撃」
同時に真っ逆さまに背面から落下した鳥騎士が、その剣を突き立てようとしていた。仲間を庇うパフはそれを避けきれない。
「良い度胸ね。でも、返り討ちよ」
だから、3人は武器を手に立ち向かっていた。
雷のように落下した鋭い剣の一撃を、ティーは正面から力任せに打ち破る。激しい衝撃が彼女を襲うものの、スターファイアとの戦いで鍛えられた体はその程度でバランスを崩したりしない。
「道を開けなさい……!」
そして、その一撃をもとにティーは敵の突撃ルートを計算すると、それを塞ぐような形で自身のスキル槍雨乱舞を放っていた。それはユニオンアタックほどの数は無いものの、しかしながら急降下態勢に入った鳥騎士を貫くのには十分だった。
急降下中は鳥騎士と言えど容易に進路を変えられないのである。
“音叉塔”まで、あと200メートル。
パフの鋭い視線がそこに注がれる。塔の一階部分には、それこそ彼が入れるほどの巨大な門の入り口があったのである。だが、それはウルクの指揮する戦車蜥蜴たちによって、音を立てて軋みながら閉じられようとしていた。
彼は間髪入れずに火炎弾を狙いもつけずにばら撒き、強引にそれを押し留める。
「後ろからブレスが来るわッ!」
バターの声と同時に最後に残った2騎の鳥騎士が左右から半月状の弧を描いて接近していた。
パフは同時に放たれた轟音と熱気をぶちまけるブレスを右に移動して躱すものの、それによって鳥騎士が距離を詰めて攻撃態勢に入る。雨に遮られた視界の中で、それは確かに発現していた。
雨が、そして空気が歪んでいく。
「まずいな……トーネードだ。あれは打ち返せないぞ……」
見る間にパフを囲む風が歪み、真上から降り続いていた優しいまでの雨は残酷なまでの横殴りの暴風雨へと変貌していく。
風の大魔法トーネード。デトネイションほど威力は高くないものの、降下範囲は広く敵味方の識別も効く。そしてなにより、トーネードには反射が効かない。つまり避けられないのである。
ダメージ的には大したことは無いだろう。だが高空で吹き飛ばされてしまえばフィードバックで戦闘不能になったうえ、大地に叩きつけられて無残に死ぬ羽目になる。
万事休すだった。パフがどうにかして吹き飛ばされた仲間の回収を図ろうとしたところで、それは起ったのだ。
ブレスの着弾と比べれば優しいまでの衝撃が尻尾を走っていた。全てを受け入れたバターが、勇敢にも飛び立ったのである。
「魔法が何よっ!? 私がこの槍で撃ち落としてやるんだからッ!」
「バター!?」
驚愕して目を真ん丸に見開いたパックを尻目に、バターは躊躇なくテイルウィンドを唱えると、自身の得意な空中戦闘に移行したのである。
だが、高速で移動しているパフの背に戻れる見込みは少ない。
彼女は完成前の暴風エフェクトすら利用して即座に鳥騎士への距離を詰めると、風の魔法が完成する直前にウルクのバイザーに覆われた兜を槍で薙ぎ払っていた。衝撃と共に片方のトーネードがキャンセルされる。
そこで彼女は流れる雨に逆らうように、もう一騎の鳥騎士を睨んでいた。もはや猶予は無い。覚悟を決める時間も無い。ただ、自身の良心に従うのみであった。
「邪魔をするなッ!」
刹那、彼女の身体がステアで消えるや即座に鳥騎士の眼前に現れる。だが、僅かに距離が足らなかった。しかし、彼女の前になんら問題は存在しない。
そこには僅かな迷いさえも存在しなかった。彼女としてもできれば使いたくなかったのだが、やむを得ない切り札があったのだ。
彼女の桜色の唇がそれを唱えるや、うるさいまでの雨音が一切を残して消え去っっていく。
時空魔法レベル3“オーメン”。かつてパックを絶体絶命の窮地に陥れたその魔法が、今度は味方を救うべく発動したのだ。
バターは空中を飛び回りながら笑っていた。
彼女の目前では完成しようとしていた竜巻が消え去り、ナーガホームの進路が開けたのである。
“音叉塔”まで、あと100メートル。
手を伸ばせば届きそうなほどの距離にまで近づいていたのだ。
そう、彼女以外のメンバーは。
オーメンを使ったことで敵の魔法は消したものの、彼女も同様に空中戦闘の基盤であるテイルウィンドを使えなくなっていた。そして無音空間の中では助けを求める事もできない。
“みんな……負けないで……”
だが、最後にナーガホームの雄姿を見ようとしたところで、彼女の瞳は雨粒など知ったことかと言わんばかりに大きく見開かれる。
“サヤ姉さんッッッ!!!”
“シン君!?”
言葉が届かなくても、パックの顔は雄弁に語っている。彼は兄の尻尾の先に立って、必死に手を伸ばしていたのだ。彼は最後まで仲間を見捨てるつもりなどない。そして、それは他の長家兄妹にも共通していることだ。
彼女の目の前に、逃げ延びたと夢想していた黒竜の巨体があった。彼らは家族を見捨てない。
クルビット。そう呼ばれる空戦機動がある。かつてパックが使ってクリスタル・ドラゴンに止めを刺した、空中で減速しながら縦に一回転する動きである。
パフはそれを行うのに躊躇は無かった。そして弟に対し確信してさえいた。
バターの目の前で翼を広げて急減速した“最後の竜”の巨体が猛烈な勢いで近づくのと、彼の樹木のように太い尻尾が敵の鳥騎士を文字通り叩き潰すのは同時だった。
金属が拉げる不快な音共に彼の尻尾が鳥騎士の頭をかち割り、
“サヤ姉さんッ! 手を伸ばしてッ!!”
その先端に男の顔でしがみついていたパックが彼女へ手を差し出す。凄まじいまでの衝撃が2人の結ばれた手を襲うものの、それは決して別たれることは無かったのである。
“ああ、良かった……ッ! 愛する貴女が無事で、本当に嬉しいよ……!”
無音の中、パックの歓喜を叫ぶ笑顔が広がる。それは言葉以上に雄弁に彼の想いをバターに届けていた。あまりの真っ正直さに紗耶香は思わず赤面してしまう。
“よくも私の弟と親友を……ッ!!”
その傍らで、珍しく怒りを顔に表したティーが槍を放って敵の追撃を追い払う。
バターはその隙にきつく繋がれたままの手を伝って、“終わりの竜”の尻尾に登り切っていた。既に音叉塔は目の前である。にもかかわらずパフにスピードを落とすつもりは無く、突き破るような勢いで僅かに開いた隙間を目指して突き進んでいた。
音のない世界で雨に打たれながら、巨竜は猛スピードで落下する。
“掴まれ! 着陸するぞ!”
パックには、パフがそう囁いたような気がした。同時にパックは左手で兄の身体を、右手で愛する女の手を掴んで決して離さないことを誓う。
同時に轟音と共に激しい衝撃が走り、その体が宙に浮かび上がる。一度ではない。二度三度と“終わりの竜”の身体がバウンドして木々に激突し、ついには柔らかい黒土に身を叩きつけられたのである。
「痛たたたた……。……あっ! もう話せる……!」
気が付けばパックは兄の身体から滑り落ち、バターと仲良く木陰の大地で寝転んでいた。そこはどうやら森のようで、周囲を見渡す限りに植物たちが繁茂しているようだ。鼻を打ったらしく竜の姿で悶絶している兄を尻目に、大事そうに握ったままのバターの柔らかな掌を堪能していた。
「兄公……仕方ないとはいえ、もう少し優しく着陸できなかったの?」
「無茶言うなよ……。後ろで敵がブレスの発射体制に入ってたんだぞ?」
見れば近くでは渋い顔のティーが兄の鼻っ柱を撫でている。そんなパフとティーの視線が手を繋いだままのパックとバターに移った。
「んぁ……! パック、そろそろ、手を……」
「あわっ!? ご、ごめんなさい!」
「ううん。良いの……」
そこでは掌をディープキスするようにまさぐられたバターが思わず艶やかな嬌声を漏らし、パックがそれに骨抜きにされていた。何よりも、恥ずかしそうにしつつも満更でもなさそうなその態度がますますパックの劣情に火をつけていくのである。
それを兄姉は醒めた眼差しで眺めることしかできなかった。残念なことに、邪魔にならぬよう身を隠す余裕は無かったのである。
完結まで、あと8話




