LOAD GAME →ピレネーにて 残り時間00:40:00
風を切った結果上下が反転した世界を、パックは風鳴鳥に備え付けられた鞍の上から見下ろしていた。ケツァルコアトルの攻撃を躱すために急旋回した結果、彼の愛鳥は上下を逆さまにしたまま風を切って滑空しているのである。
彼の下にある頭の先を無数の炎の槍が雄たけびを上げながら空気を切り裂き突き抜け、次々と空中に炎の花を咲かせ敵を墜落させていった。彼の兄が高高度から優速を活かして放ったフレイムレインが、その誘導性と相まってミサイルのように空域の敵を粉砕していくのである。
「……やはり、航空戦の基本は高さだな。高さは容易に速さに変換できて、速さは攻撃にも回避にも必要だ」
「兄さん! それで、あいつはどうすんの!?」
時間の少ない一行はダンジョンである“ピレネー”に向けてプレインズを出発し、道中で敵編隊の盛大な歓迎を受けていた。
スカイスティングにワイバーン、ケツァルコアトルといった空の強敵たちが“ピレネー”近辺を制空しているのである。彼らを越えなくては、このステージの攻略は無しえない。
パックは飛行独特の慣れない浮遊感に顔を顰めながらも、残った敵のケツァルコアトルを睨んでいた。この敵だけは危険なのだ。いつの間にか自分達の上方に陣取ると、そこから隼のように襲い来る。ダメージは元より、ペットから叩き落されてしまえば奈落に一直線である。
全翼機を彷彿とさせる翼竜ケツァルコアトルは、人類の歴史上最大級の飛翔動物である。驚くことにその速さは風鳴鳥すら上回る。怪鳥はその速さをもって気付かぬうちに上方に移動すると、痛烈な一撃をお見舞いしてくるのだ。
今もパックが放った斬壌剣を悠々と躱し、再び大空へと舞い上がっていく。
「落ち着け。不用意な攻撃は当たらない。真後ろか真ん前から切り裂くんだ」
後ろから聞こえてくる兄の言葉にも、パックを落ち着ける力は無かった。
彼の視線の先では、同様にケツァルコアトル相手にティーとバターにスターファイアが大立ち回りを演じているのである。特にスターファイアはティーを攻撃から庇ったため、既にHPが半分を割り込んでいる。
彼が苦し紛れに放った竜炎槍を、ケツァルコアトルは避けようともしない。僅かにHPを削られるのと引き換えに、怪鳥は悠然と空へ逃げていく。
「パック、鳥の翼を使うんだ。旋回や上昇だけじゃなくて、翼を立てることで急ブレーキもできるぞ。こんな風に」
「兄さん!?」
同時に目を丸くしたパックの目の前で、パフは愛鳥の翼を地平線に対して垂直に傾けていた。彼の身体が空気抵抗を受けて猛然とパックの真後ろに流されていき、同時に背後からにじり寄っていたケツァルコアトルがそれを追い越してしまう。
そして、それで仕舞だった。パフが唱えたデトネイションが前方の空域を爆音と共にケツァルコアトルごと粉砕したのである。赤い炎に飲み込まれた怪鳥が、再び姿を見せる事は無かった。
「重要なのは敵の動きを予測することだ」
「兄さん……強い……」
空戦をパックよりも経験していないにもかかわらず、パフは早々にそのコツを掴みつつあった。これならボス戦で無様な真似を見せないだろう。
パックが翻って見れば、後方でも決着がついていた。
「こんの、鳥頭めッ!」
背後を取られたバターは、それを好機と判断していたのだ。敵の方が速く逃げられない。ならば逃げ無ければ良いのだ。
ティーが目を見張る中、彼女は平然と愛鳥から飛び降りると、自身の感覚を信じて空中を“テイルウィンド”で飛びかけ、怪鳥の鋭い爪を飛び越えていた。その槍は見惚れるほどの美しい軌跡を描いて、ケツァルコアトルの首に吸い込まれていく。
“CRITICAL!”
「これでどうよッ!」
答えは改めて見るまでも無い。首を切り裂かれた怪鳥は虚しく地上へと墜落し行った。
「バター! 掴まって!」
同時に彼女の愛鳥が足元に戻ってくるまでの間、ティーが親友の足場を支えようと下に回り込んでいたのだ。上空を落下したバターを、姉は優しく抱き止める。
「ふんっ! 礼は言わないわよ!?」
「……もう言って……何でもないわ」
またもライバルに助けられた結果に、バターは意地を張っていた。パックはそれを羨ましそうに眺めてしまい、兄に苦笑されてしまう。
彼は既に時間切れが見え始める中、少しずつアメリア戦死の衝撃から脱しつつあった。喜びも悲しみも、全てが叫び出しそうな危機感の前に色褪せているのだ。
「……あと、1日とちょっとね……」
「姉さん……」
合流した際にティーが思わず吐露した本音を、パックは聞き逃さなかった。彼らに仲間の死を悲しむことは許されない。ナーガホームに仲間の活躍を喜ぶことも許されない。彼らの停滞は全プレイヤーの停滞に等しいのである。
「……大丈夫だよ。兄さんと姉さんが力を合わせれば、どんな難題だって乗り越えられる! 今までだって、そうだった」
彼らに残された道は、ただ、空の彼方へと進むだけ。
ティーは無邪気な弟の言葉に、暖かい物が胸にこみ上げてくるのを感じていた。
“ピレネー”の城は、巨大な縦長の浮遊島の最上部に位置する城である。城というよりは城塞か。茶色い岩を切り出して作ったかのような荒々しい城の中庭にナーガホームは進んでいた。
中庭からは“天空都市”を一望に収めることができ、同時に上を見ても下を見ても空しかないという絶景である。ただし庭自体はあまり手入れをされていないようだ。短い芝と少な目の細い木が立ち並ぶその先には質素な扉が一つしかなかった。
その扉唯一の飾りがボス部屋を表す意匠だというから、頂けない。
※WARNING※
この先には特別に強い敵がいます!
一度に挑めるのは1パーティー6人までです!
一度戦闘が始まってからは、逃げることはできません! 覚悟を決めて下さい!
パックが何時も通りの警告文を浮かび上がらせるや、無意識の内に唾を飲み込んで兄姉を振り向いていた。既にパフの愛鳥のレベル上げも済んでおり、挑戦に異存はない。
レベル88。限界に近付きつつあるそれが高いのか低いのか、誰にも分からなかった。
「行くぞティー、パック」
「そうね、前に進まなくてはね」
静かに微笑んで立ち並ぶ兄姉。対照的にバターは力強く笑うとパチリとウインクでパックを励まし、スターファイアは冷静に思考を巡らせていた。
「パック、大丈夫だよ。私がついてるわ!」
「バター…………僕、頑張る。皆を守って見せる……」
憧れの人の励ましはパックの縮こまっていた心を優しく解きほぐしていく。
――時間切れが近い? それが何だって言うんだ! 何時もより速く敵を倒せば良い!
――アメリアがいない? それが何だって言うんだ! 僕が彼女の分まで強くなれば良い!
――攻略が間に合わないかもしれない? それが何だ! 嘆くのは死んでからで十分だ!
「僕がこの手で、逆転の手立てを掴んで見せる……!」
パックは親友の少女の消失を機に、急速に大人へと変貌しつつあった。姿こそ変わらないものの、その眼差しは姉の優しさに兄の賢さをしっかりと受け継ぎつつあるのだ。
パックは兄姉に守られる存在から、他の誰かを守る存在へと脱皮し始めている。それをバターは驚いたように、そして眩しそうにしていた
彼は躊躇なく扉をあけ放ち、その中に進む。そこでは敵の攻勢を受けて半ば廃墟と化しつつある城の守護者が、たった一人されど毅然と待ち構えていた。
拠点扱いの為、場内では武器こそ扱えないものの既に敵のレベルは表示されている。
“クリスタル・ドラゴン LV80”
たった一人で都市の防衛と落下したプレイヤーの救出を行う竜騎士は、空の玉座の隣でナーガホームを待ち受けていた。彼女は水晶に彩られた鎧兜を身に纏いながら、朗々と歌うように設定されたセリフを読み上げる。
「良くぞここに辿り着きましたね! 頼もしきプレイヤー達よ! でも、ここから先のステージには本当に危険な敵が待ち受けています。先へ進みたければ、力を示しなさい」
そういうと彼女はゆっくりと動き出す。そのままパック達の入って来た扉を抜けて中庭に出ると、指笛で愛竜を呼び寄せて騎乗していた。大きな竜だ。パックが見たプレイヤー用の騎竜よりも大きいだろう。
パックは静かにそれを見守りながら、自身の愛鳥を呼び寄せる。ボスの愛竜は水晶を模した厳めしい鎧を身に着けていて、それが太陽の光を反射してダイヤモンドのように輝く。同様に竜騎士の胸元の二つのペンダントが風を受けて靡き、それとは別色の光を生み出す。
クリスタル・ドラゴンはとても美しい敵だった。
「さぁ、行くわよパック! ボスを倒してPKも蹴散らし、このゲームを終わらせるわ!」
「うん! バター、行こう。僕たちは……ナーガホームは誰にも負けない……!」
されど、クリスタル・ドラゴンの美しさは所詮プログラムの物。本物の生命が生み出す躍動とは、根本的に違う物だ。
パックとバターが即座に愛鳥に跨ると、その腹を軽く蹴って出発の合図を行う。スターファイアがそれに続き、最後をパックの敬愛する兄姉が続いた。負けられない戦いが火蓋を切っていたのである。
上空に進んだパックは、予想よりもボスの速度が速い事に驚いていた。竜騎士は鳥騎士よりも遅いと言うが、それはクリスタル・ドラゴンには当てはまらないらしい。通常のドラゴンよりも一回り大きな巨体は、巨大な翼で風を切って天空都市を突き進んでいく。
それどころか、戦いの邪魔にならない様にと周辺空域の雑魚敵をブレスで追い払っていくではないか。発射された火球が敵の集団で炸裂し、跳ねあがるような轟音と共に衝撃波を巻き散らしながら敵をあの世へ送っていく。
「好都合ね。設定上クリスタル・ドラゴンは雑魚とは敵対している。横槍が無いのは楽で良いわ」
「油断すんなよ? カルカロドン見たいな強靭な相手の可能性もあるからな」
一方のナーガホームは二手に分かれて編隊を組んでいた。
天空都市での鳥の育成を経て学んだことの一つは、このステージの敵は防御力がそれほど高くないという事である。引き換えにこちらの攻撃を掻い潜って反撃してくるのだ。
それがボスにも当てはまるのであれば、ナーガホームの取るべき作戦は一つである。
「パック、バターちゃんと共に後ろを飛ぶんだ。俺達が囮になってボスを惹きつけるから、攻撃を当てに行け」
それは、高速で飛び回る相手には速さが高いプレイヤーの方が有利だからである。加えてバターは愛鳥から飛び降りても短い時間であれば戦闘可能なのだ。
ならば、それを残りの面々が支援するだけである。
「任せてよ兄さん!」
「パフさん、任せて下さい! ティー! そこで私の活躍を見てなさいよ!」
そして、不思議なことにその作戦は各員の性格と一致していた。
「スターファイア、悪いな。俺達囮役は派手に攻撃して目立つぞ。死ぬなよ?」
「気にすることは無い。むしろ、レベルの低い私にできるのはそれ位だからな。ここは頼ってもらおうか……」
そこで短くティーが警戒を呼び覚ます。眼前では地平線の向こうまで飛んでいったかと思ったクリスタル・ドラゴンが反転しつつ、大音声を上げて開戦を知らせた所だったのである。
同時にその進路が180度反転するや、矢のような勢いでナーガホームに向けて突き進みつつあった。
「まずは高度の奪い合いだ! 敵の進路を妨害して、頭を押さえるぞ!」
「了解よ兄公!」
「攻撃開始だな」
同時に無数の炎の槍が生み出され、遥か彼方小さな点に見えるクリスタル・ドラゴンに向けて次々と発射されていく。その進路は悉くがやや上方を向いていて、クリスタル・ドラゴンに上昇を許さない。
だが、同時に竜騎士もその威力を発揮し始めていた。あらゆる敵を薙ぎ払う、必殺のブレス。炸裂弾のように近づいただけで反応するそれが、ドラゴンの喉奥で轟轟と渦を巻いて独特の唸り声を上げ始める。
「避けろ!」
先行した3人の鳥がブレスの射程から逃れようと急旋回を行い、同時にクリスタル・ドラゴンもさらにスピードを上げて攻撃を掻い潜る準備に入る。
パックの前髪が眼前で炸裂した巨大なブレスの爆風に煽られる中、一同の譲れない戦いは始まっていた。
「くっ……! 思ったより強いわね!?」
「バター、大丈夫だよ。ダメージは刻めてる。後はこのペースを維持するだけだ!」
戦いは一進一退の攻防を進めていた。
あるいは変化が無いと言い変える事もできるだろう。戦いの舞台はあくまで天空都市であり、大空ではない。周辺空域に存在する雲は身を隠すのに使えるし、無数に漂う浮遊島は盾にする事もできる。
「あのボスは手強い。兄さん達を信じて……」
パックの視線は片時もクリスタル・ドラゴンから離されない。敵の動きを予測する。今の彼の頭を占めるのはそれである。
視線の彼方ではクリスタル・ドラゴンはパフのデトネイションによる牽制を避けるために高度を下げて島の下方に回り込みつつある。大してこちらは浮遊島の上空を確保していた。
攻撃のチャンスである。
まるで初めて戦いに参加した兵士のように、パックの心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。しかも隣には守るべき女までいるのだ。
これで興奮せずして、何が男なのか。
パックの高揚は天を突かんばかりであり、それが戦いの熱と混ざり合って高い集中を生んでいるのだ。
その危うさと紙一重の頼もしさに、バターは弟分を密かに見直していた。
彼女の視線の下で、浮遊島の陰からクリスタル・ドラゴンの姿が見え始めた。
「パック!」
「バター!」
以心伝心で笑う様に頷きあうと、2人は愛鳥を駆って急降下に近い挙動を取っていた。そんな2人を襲い来るのは、敵の脅威だけではない。
急激な落下に伴う全身から冷や汗が噴き出るほどの強烈な浮遊感は、生物の本能に訴える恐怖があるのだ。叫び出しそうなほどの恐怖を、されど2人は互いの存在の手前必死で押し隠し、それどころか逆にスピードを上げて流星の如く空間を駆け抜ける。
刹那、瞬く間にクリスタル・ドラゴンの姿が大きくなっていった。あまりの高速飛行による暴風のせいで、音も聞こえない。恐怖の涙で前すら滲む。感覚すらあやふやな航空戦で、パックは最後まで闘志の炎を燃やし続けていた。
「行くぞおおおおッ!!」
音に反応したクリスタル・ドラゴンが振り向くよりも僅かに速く、全身全霊をもって加速したパックの剣は彼女の身体を穿っていた。
鞍から振り落とされそうなほどの剣の衝撃に、やや遅れて響き渡る剣が捉えた鎧の音。同時に湧き上がるのは攻撃成功の実感である。
されど、まだ油断はできない。その速度を維持したまま90度近い急降下を水平飛行に変換していく。同時に音を立ててボスのブレスが放たれるものの、高高度からの急降下による圧倒的な速力の前に見当違いの空間を穿っていた。
パックが進路をそのまま振り返った先では、クリスタル・ドラゴンが悠然と笑っていた。その向こうには同様に急転直下の一撃を放つバターの勇ましい顔。彼女の槍がボスの竜を捉えそうになったその時、強烈な金属同士の激突音により彼女は愛鳥ごと弾き飛ばされていた。
見れば最強の女竜騎士の手には、一振りの剣が握られている。その一撃がバターの槍と正面から打ちあったのだ。
見ればそのHPは50%を割り込んでいる。
「中々やりますね! では、私たちも本気を出させて貰います!」
朗々と、どこか楽しそうに歌うような声でクリスタル・ドラゴンは言う。それをパックはまるで彼女が本当に生きて戦いを楽しんでいるように感じてしまい、また深く共感していた。




