LOAD GAME →サーカステントにて 残り時間00:61:00
アメリアは雷に打たれたように呆然とそれを見ていた。自分が想いを寄せて慕う相手が、自分を庇って絶体絶命の窮地に陥っている。戦慄に動きを止めた彼女の身体は、爆発しそうな動悸と溢れ出す冷や汗によって彩られていた。
だが、彼女に残された時間は少ない。
目の前ではウィドウが予想外の展開に仰天し、ヨロレイホーは意外そうな顔を作りつつも強敵に止めを刺すべく魔法を練り上げていた。
パフの身体を縛る魔法の鎖に刻まれた数字は4。4秒間の硬直は、ヨロレイホーが攻撃するには十分である。
即座にその数字が3になるのを、アメリアは見もせずに走り出していた。パフの賭けたスキップによって、必死の形相の彼女の動きは爆発的に加速する。
だが、無情にもヨロレイホーの作り上げたファイアボールの方が速かった。
それを察したパフは、受け入れて静かに結論を述べる。
「逃げろ……」
「Nahッ!」
数字が1に変わる直前まで、アメリアは懸命にパフに手を伸ばしていた。しかし僅かに届かない。溢れ出した後悔が胸を焦がした。
――こんなことなら、想いを告げておけば良かったッ!
悔しさで涙が溢れ出る中、無情にも彼女の目の前を生み出された火球が通り過ぎていく。
虚しさと絶望によってフル回転した頭脳は、しかしながらその幼さゆえになんの解決策も生み出せない。彼女は憧れた相手には届かない。運命は残酷だった。
嬉しい時も悲しい時も一緒に過ごした愛する男を救うには、これしか無いのだ。
「せめて、貴方の力に……!」
彼女にできる事は一つだけ。
「むっ!?」
「アメリア止せッ!!」
剣スキルレベル1“庇う”である。同時に脳裏を過る愉快な思い出を、彼女は束の間だけ楽しみながら最後の時を待っていた。
パフの制止を振り切ってそれを発動させた彼女の身体が、瞬時に彼と入れ替わる。
アメリアは残された1秒にも満たない最後の時間を、愛する男の姿を目に焼き付ける事に費やしていた。
「楽しかっ……」
天使の名に相応しい透明な笑みを浮かべた直後、炎が彼女の愛ごと体を大気に埋葬する。厳しい表情でパフはそれを見過ごすことしかできない。割合消費のイレヴンバックにステアを連発した為、彼にはアメリアを黄泉帰らせることができないのだ。
「だ、堕天使……?」
「アメリア……済まない……」
家族同然のアメリアを目の前で殺されたパフは、ウィドウが引くほどの顔を作っていた。怒りではない。無である。
元来家族以外にさしたる関心を持たない彼は、怒りや悲しみといった感情の振れ幅が小さいのだ。普段はそれを微笑みのベールで覆っている。それが消し飛んでいた。
周囲の人間への配慮など、必要ない。
氷のような冷徹さこそが、長家龍樹にとっての怒り方なのである。
それをヨロレイホーは楽しそうに笑いながら眺めていた。傲岸不遜な彼は、同時にパフの事を最大の好敵手と睨んでいる。だからこそ、彼は正々堂々油断していた。
彼は攻撃魔法を唱えながらも、散々自身の計画を妨害してくれたライバルに向けて言葉を贈る。
「絆が仇となったなぁ……。エリート、教えてくれ。今どんな気持ちなんだ?」
同時に憤怒を爆発させたのはウィドウだった。だがパフは静かにそれを手で制す。彼はヨロレイホーから、自身と同じ“プレイヤー”の気配を感じ取っていたのだ。それはこのフェアリーテイル・アドベンチャーの話ではない。
群がる人々を思うがままに操る、現実の資本主義のプレイヤーの匂いである。
同時にヨロレイホーが唱えた魔法によって巨大な竜巻が巻き起こる。それはパフとウィドウの目の前で天を穿つと、内部に閉じ込めた亡者の群れを瞬く間に切り刻んで遥か彼方に吹き飛ばしていく。
風魔法レベル8“トーネード”である。敵味方識別の有るその魔法は、ゾンビに殺される寸前だったネウロポッセを窮地から救い出していた。ゾンビによって散々に精神を凌辱された彼女は、麻痺からは立ち直ったものの俯いて震えながら後退してオラクリスト共に並び立つ。
今にも殺しにかかりそうな彼女を、同様にヨロレイホーは制止していた。
「ん? どうした? 助けた礼に、気持ちを聞かせてくれよ?」
「…………」
それにパフは反応せず、静かに自身とウィドウの状態を確認する。HPはともかくMPは酷く消耗している。PK3人を相手にできる事は少ない。
「あんたうるさいわよ! 私ですら空気読んでるっていうのに……」
「……恨みはしない」
一転して静まり返っていた。互いのパーティーは相手を牽制し合いつつも、アイテムで回復を図っていく。だが、既に11秒は過ぎ去ってしまっていた。そして、ここには割って入るゾンビも存在しない。
あるのは、2人の男の意思だけだった。女達は静かにそれを見守るのみ。
「なに?」
「虫に噛まれたところで、恨みはしない」
パフは、ヨロレイホーを見下していたのだ。油断ではない。本気を出した彼の、総合商社で世界を相手に競い合う頭脳は即座に回答を告げていた。
――目の前の男はプレイヤーではあるが、取るに足らない格下であると。
油断でも慢心でもなく、事実だった。思わぬ反撃にヨロレイホーの眉が顰められる中、パフは先を続けていく。
「ただ、己の迂闊さを呪う」
「……そうかい」
それをヨロレイホーは不機嫌そのものの顔で眺めていた。彼は悟っていたのだ。パフは本気でそう思っていることを。それは彼のプライドに鑢をかけて削っていく。
――所詮敗者の負け惜しみか。
だが、ヨロレイホーの理性はそう断定するのを避けていた。パフは彼の野望を幾度となく妨害している。それこそ、自分の思い通りに動く人々に退屈していた彼を、思わずゲームに熱中させるほどに。
片や氷を宿した瞳。片や炎を宿した瞳。
ウィドウはそれをハラハラと見守っていた。彼女は怖かったのだ。おそらくPK達も同じだろう。この微妙な均衡を壊してしまえば、凄惨な殺し合いが待っているのだ。
先に動いたのはヨロレイホーだった。目前のライバルに言葉を当て擦る。その口は大きく弧を描いて開いていた。
「認めろよ。ネウロはお前たちの絆に負けたらしいが、今度は俺達の絆の方が上だったな! 所詮出来合いの繋がりなど、そんなものだ。むしろたった1週間で女を自分の為に犬死にさせるとは、羨ましい限りだ!」
ウィドウの前でパフは動かない。ただ飄々と無感動に相手の言葉を聞き流していく。彼は安い挑発には乗らないし、尻尾も出さないのだ。
「何とか言ったらどうだ! 腰抜けめ! それとも絆は自分達の専売とでも思っていたのか?」
「……ツベルクハウンド社管理部秘書課の連中だな? いつもうちのセキュリティ部門がお世話になってるよ」
その言葉にオラクリストは露骨に顔を引きつらせていた。それは事実だったのである。そして既に顔と身分がバレてしまっている以上、現実に戻れば九十九商事からどんな報復を受けるか分かったものではないのだ。
彼女は今まで九十九商事に逆らった愚か者達がどのような末路を辿ったのか、良く知っていた。
「いかにも。貴様は確か九十九商事の所属だったな。全く、とんだ番狂わせだよ」
ヨロレイホーはそんなことを気にもしない。彼の前に立ち塞がるのであれば、障害は叩き潰すだけだった。そもそも謀略を担当する彼の部署が恨みを買うのは珍しい事ではない。
――ただの当てずっぽうだ。驚くほどでもない。
そう判断した彼は、残念なことに時間が迫っていることを悟る。彼らPKとて、時間に余裕があるわけではないのだ。
ヨロレイホーは湧き上がる久々の強敵の気配に、戦いの熱を感じ喜んでいた。不敵に笑ったまま、その予定外の会合を終えにかかる。
「エリートというよりは、灰色の賢者だったか! 認めようガンダルフ! お前こそが我が計画最大の脅威だ!」
興奮したヨロレイホーとは対照的に、パフは落ち着き払って分析を続けていく。敵を倒すためには、たった一時でも無駄にできないのだ。
「だから、ラスボスとして戦うのは最後にしてやるよ! なぁに、近いうちに殺しに行くから楽しみにしてな!」
そういうと、ヨロレイホーはオラクリストとネウロポッセを連れてサーカステントに入っていく。そこはキラークラウンが守る、このステージ最後の砦である。
ウィドウは無力さに打ち震えながら、それを見送るしかなかった。彼女とてあの賑やかな少女の事が、嫌いではなかった。そして、この事態を招いてしまった責任を痛感していたのだ。
気が付けばあまりの情けなさに涙が零れ落ちていた。
「……ごめんなさい。何と言って謝れば良いのか分からないけど、ごめんなさい。……私が貴方たちを呼ばなければ、こんな事には……」
パフは無反応だった。
その背中に向けて、ウィドウは心の底から許しを乞うていた。
「ごめんなざいぃぃ……。わだじ……わだじ……自分の仇の為に……仲間の仇を増やじでじまったぁぁぁ……」
泣き声すら混ざった哀願にパフは無反応だった。ウィドウは尚も謝った所で、ふとヘルキャットに抱き締められたような気がしていた。その柔らかな空想の彼女の優しさを思い出し、彼女は上を向く。
パフは静かにメールを送っていた。
「な、なにを?」
「決まってるだろ? 有志同盟だよ。使える物は何でも使うだけだ」
辛うじて感情を取り戻した表情と、それに似合わぬ冷たい声にウィドウは呆然となっていた。声が震えそうになるのを抑えながら、縋る様に確認する。
「ま、まさか!? ……有志同盟のプレイヤーをPK戦に参加させるつもりなの!? 無理よ!? あいつらと来たら、レベルだって50いってれば良い方なのよ!? パースリーだって60を超えた位だわ! できっこない! 瞬殺されるのがオチよ!」
「……ぶーちゃん。できるできないじゃない。やるんだよ」
その微笑みを、ウィドウは戦慄しながら眺めるしかなかった。それに、どの道方法も無いのだ。
PK相手に数で攻めるというのも悪い提案ではない。無数の犠牲が出るものの、希望はある。ただし、残されるのは絶望だけだろうが。
ウィドウの目の前で、パフは言葉巧みにパースリーを誘惑する文面を書き上げていく。彼女にそれを責める資格は無かった。
「………………兄さん……」
「……パック。さぁ、少しだけレベルを上げたら、ボスに行こうじゃないか」
パフはパックが留守していた間、ずっと夜の遊園地で戦っていたのだ。本人のレベルはともかく、ペットであるジャッキーのレベルはボスのレベル制限に届いていない。
彼は普段通りの仕草のまま、視線をウィドウに向けていた。
「それで、ぶーちゃんはどうする? 一緒に戦うって手もあるが?」
その問いに、ウィドウはゆるゆると複雑な笑みを浮かべながら頭を横に振った。彼女はこのままでは終われないのだ。
「……遠慮しとくわ。私の目的はゲームクリアじゃなくて、PKの殲滅だもの」
――合わせる顔が無い。
ウィドウはその優しい提案を断るしかなかった。おそらくナーガホームの面々は彼女を許し、歓迎するだろう。だからこそウィドウは頷けなかった。
ここで“優秀”な彼らの世話になるという事は、自分の復讐を諦めるという事なのだ。以前の彼女なら、それを喜んで受けていただろう。今は違う。“平凡”な彼女はそれでも、譲れない目標を掲げているのだ。
どれだけ無能であろうと、その行く末が無残な結末だろうと、彼女はその道を進むと決めたのである。
暗い決意を固めた彼女に、ティーは何も言えなかった。聡い彼女はそれに気付いていたのだ。
「……ウィドウ、気を付けて」
「……あんがと」
それを言うや、ウィドウは振り返りもせずに駆けだしていた。向かう先はペットショップである。既にプレイヤーキラー達はこの“天空都市”のどこかに潜んでいるはずだ。それを見つけ出して、斧をもって捻じ伏せる。やるべきことはそれだけだった。
パックはその背中を、悲しみを堪えながら見送っていた。仲の良い友達の変貌は、彼の心にも漣を立てていたのである。
「ねぇ兄さん」
「何だ? 弟よ」
「僕たち……生きて…………帰れるの、かな……?」
その不安は今まで必死に心に蓋をして覆い隠してきた物だった。まるで地獄の窯のように暗い感情を封じられたそれは、天使の消滅と共に暗い影を落としていたのである。
弟の全員の心理を代弁した言葉に、兄は優しく告げていた。
「……俺に任せな。PKとの決着の時は近い」
ティーもバターも、もはやそれに縋る道しか残されていなかった。既にタイムリミットまで48時間を切っている。
尚も不安にからめとられた弟を前に、姉は強さを見せていた。
「信じてるわ、兄さん」
そうして彼女は上を向く。その力の籠った視線の先では、“天空都市”の守護者が静かに下界の動乱を眼下に収めていた。そしてその強さはパックにも伝わっていく。彼も又、変わろうとしていた。




