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LOAD GAME →港町にて 残り時間00:85:30

 人間はえてして理解不能な存在に恐怖を感じる。例えば幽霊。例えば呪い。例えば、通路の向こうから必死のよちよち歩きで迫ってくるペンギン。


 お陰でカジノにはひと時の静寂が訪れていた。


 正確には違う。カタカタカタと40万Lのかかったルーレットが回っているのである。パフが黒に賭けたそれは、パックとバターの必死の祈りも虚しく赤く彩られたポケットに落ち着く。


 「ね、姉さん……! ど、どうしよう!?」

 「大丈夫。大丈夫だから……」


 占めて70万L。どぶに捨てた金額である。その隣では、にわかに勢いを取り戻したガロウが猛り狂っていた。


 「やっぱりイカサマじゃねえかッ!? 赤黒は二者択一だぞ!? 偏れば直ぐに分かんだよッ!?」

 「はぁ……。そう言われましても、たった3回ですよ? 確率的には2×2×2で、8分の1ですが……。あ、次はどうします?」


 パックはパフの代わりに椅子に座っていた。何のことは無い。ペンギンがでかすぎて椅子に座れないのだ。パフはペンギン姿のままパックとティー、それにどうにか怒りを飲み込んだガロウの直ぐ後ろに立っている。


 そしてその背後にはイカサマと聞いて殺気立っているプレイヤー達。元々いた彼らはそれを聞いて今や激高寸前である。諦めたタイムは既にポリーナのすぐ隣に控えている。


 「(ノワール)に80万Lだ」

 「兄さんッ!? お、落ち着いてよ!? そんなに賭けて負けたらどうするの!? 取り消し……」

 「ゲームスタートッ!」


 パックの嘆く声をBGMに、ルーレットがカラララと音を奏で始める。絶望した顔の彼と、美しい顔が露骨に引き攣って隠しきれていないティー。それを意に介さずにパフはギャンブルに熱中していた。


 「落ち着けよ。最初に賭けた金額を倍々で増やしていけば、負けは必ず取り返せる」

 「……ッ」

 「兄さん!? 本当だよ……ね? 信じてるから、ね?」


 パフの顔はペンギンスーツに隠れて見えない。しかし、そんなことは大した問題ではないのだ。彼の後ろにいる聴取達ですら、漏れ聞こえる妹弟の本気の困惑だけで状況を把握できる。


 カタカタカタと球は転がっていき、念願の黒に止まる……と見せかけて僅かに隣の赤のポケットに転がり込んでいた。


 「(ルージュ)ッ 14!!」

 「あああああ!? そ、そんなぁ……!」

 「くっ……! これは……流石に……」


 無残にも没収されてしまった金額を、パックは指をしゃぶって見送るしかできない。彼の頭脳は混乱の渦中にいた。


 「ひゃ、ひゃくごじゅうまん……そんな、どうやって取り返せば……」


 その悲痛な叫び声はしかし、ポリーナに苦情を入れるのを許されない。事態は深刻だったが、彼女は突き刺さる疑惑の視線を鉄面皮で弾き返す。だが傍らのタイムですら、流石にヤバい事に気付いたのか顔が引き攣り始めていた。


 「(ノワール)に160万」

 「兄さんッ!? もう止めて!!! そもそもギャンブルに頼る方が間違ってるよ!!!」


 パックは我慢の限界だった。真っ青になって立ち上がると、普段の尊敬も忘れて兄に掴みかかる。しかし嘴の中の顔はそれをさらりと流して気にもしない。


 「よろしいですね?」

 「ま、待って……」

 「構わん」

 「あああああああああァァッ!?」


 もはやパックには、ルーレットの回る音が死刑宣告にしか聞こえなかった。本来約50%で当たりが来るはずなのだが、全くもってそんな予感がしない。これで5回目。


 カララララとルーレットが勢いよく進む。


 顔面蒼白のパックは必死に脳内で計算をしていた。これまでに4回連続で赤が出ている。それが5回連続となれば、その確率は2×2×2×2×2で32分の1。つまり3%くらいである。


 「大丈夫。大丈夫だ。3%なんて滅多に起こるもんじゃない……」


 ぶつぶつと呪文のように呟くパックを、気が付けばガロウはそれまでの軋轢も忘れて痛ましげに見る事しかできなかった。いや、その場の誰もが彼と気持ちを共有している。


 全員が引き攣った顔を浮かべる中、ルーレットは次第に速度を鈍化させていき、止まった。


 ――赤、36


 「あああああ、いや。そんな、そんな筈は……あぁ……」

 「そん、な。なんて……今日は……厄日だわ」


 パックには悲鳴を上げる余裕すらない。その隣ではティーが泣くように顔を両手で覆っていた。既に残金は90万Lしかない。失った金額は合計で310万L。どうやって埋め合わせれば良いのか、彼には見当もつかなかった。1000万Lなど見果てぬ夢のような話である。


 それどころか、今も必死で戦ってお金を稼いでいるバターたちに何と言って謝れば良いのか。パックにもティーにも分からない。


 だが、2人は絶望しつつも安堵していた。残りは90万L。ここからでは、どう賭けても勝ちようが無い。ギャンブルは終了である。むしろ現実のお金ではなくて良かったと、高い勉強料だったと思うしかなかった。


 妹弟が揃ってバターへ合わせる顔を無くす中、兄は静かで動きすらしない。まるで魂が抜けたかのような3兄姉弟の姿は不憫極まりなく、誰も声をかけられなかった。


 「90万Lを(ノワール)


 そう。声をかけられなかったのだ。一人だけ喋れる奴がいた。


 同時に頭を抱えていたパックがバネ仕掛けのように起き上がるのを尻目に、兄は飄々とゲーム続行を告げた。


 「兄さん!! もういい加減にしてッ!!! バターやアメリアに何て言って謝るつもりなの!?」

 「落ち着けよ弟。たった90万Lが残ったって何になるって言うんだ? それ位なら、続けた方がマシだ」


 パックもティーも何も言えなかった。カラララと回り続けるルーレットの前で、ただ黙って項垂れるしかない。


 異様な気配が立ち込める中、恐る恐るガロウは確認する。


 「お、おい……攻略の方は大丈夫なんだよ……な? な?」

 「……さあ、どうかしらね」


 それをティーは話したくも無いと言わんばかりに切り捨てる。珍しく彼女も自暴自棄になっていたのだ。パックに至ってはそれどころではない。彼の頭が幻影を形作っているのだ。


 ――はぁッ!? ギャンブルで全財産すったですって!? 嘘でしょ!? えっ嘘……よね? 私達、ずっと懸命に稼いでたのよッ!? 


 ――Oh……Jesus……。何をやってるです……。冗談の区別もつかないなんて、馬鹿なんですか? 本気でギャンブルで金を稼ごうなんて、見損なったです!


 ――すまない、もう一度言ってくれないか? ……信じられん。ウィドウですらギャンブルには手を出さなかったぞ……? そもそも、止め時も分からなかったのか?


 パックの頭の中を最悪の想像が駆け抜ける。その暗澹たる未来を、彼は絶望に浸りながら予感していた。


 結果は――赤。もはや清々しいまでの赤である。


 直後ガロウが憤慨したかのように絶叫する。


 「おかしいだろッ!? これで6回連続赤だぞッッ!? お前えエエ! イカサマで金を巻き上げるにしても相手選べよなッ!!」

 「そう言われましても……偶然ですよ偶然、ね?」


 タイムですら、震えた体を抱くようにしてポリーナに同意できないでいる。


 パックは目の前が真っ暗になったように感じていた。彼の大好きな姉ですら、伏せて嗚咽を漏らしているような気さえする。


 誰も、何も言えなかった。


 「ま、まぁなんだ。その、とりあえず10万あるからよ……。この間の迷惑料代わりだと思って、攻略に役立ててくれや?」

 「あ! そうだ! 俺この間ルーレットが当たってよ……。使ってくれ」

 「あ、あたしも……。少ないけど……どうぞ」


 視線すら合わせて貰えないものの、その参加者たちの優しさがパックの心に沁みた。最初にどうしようもないギャンブル中毒だと思ってしまったのは、気のせいだったようである。彼らだって、死の恐怖から逃避していただけなのだ。


 「あ、ありがと……ありがとうございます、ありがとうございます!!!」


 一言も言わない兄姉を尻目に、ナーガホームにカンパが集まっていく。その金額20万L。来た時の10%以下の金額だったが、それでもパックにはかけがえのないお金のように感じられたのだ。


 「おう! 気にすんなよ! なあに、ボス一体5万Lだと思えば安いもんだ!」

 「そうよ! 人生長いし色々あるんだから! 挫折は取り返しのつく内になさい!」


 気が付けばパックの頬を熱い物が流れていた。後から後から湧き出るそれを拭う余裕も無い。万感の思いの籠ったその金額が、


 「えっ」

 「あん? どうした?」

 「クソ兄貴ぃ!! あなた……!!!」


 0になっていた。


 パックはそれを理解できない。虚ろな表情の彼とは対照的に、ティーは激怒のあまり般若のような表情でパフに掴みかかるものの、ペンギンの面の皮の厚さを破るには至らない。


 姉の声にパックが我に返るのと、ポリーナが囁くのは同時だった。


 「困ります……。装備やアイテムの現物支給は……」

 「仕方ないだろ? そのくらいの融通は効かせてくれ」


 パックは集めたお金を、自分ではなくパーティーの口座に入金していた。そして、それを下ろせるのはリーダーか副リーダーのみ。


 「殺すッッッ!!! 絶対に殺すッッッ!!! この、長家家の恥さらしがあアアッ!!!!」

 「無理だ。優しいお前に俺は殺せない。ゼロだ」

 「殺せるわ!!! 兄さんを殺してェェ、私も死ぬからァァァッッッ!!!!」

 「嘘だよねッ!? 嘘、嘘!! 兄さん、お願い嘘だって言ってよオオオオ!!!」


 無情にもお金は無くなり、ルーレットに注がれていたのだ。


 刹那、空気が爆発した。


 「お前エエエエ!!! 何考えてやがるうう!? それはッ! その金はッ! 必死の思いで船を買おうとォォォ……!!!」

 「おい! ポリーナァッ! もう良いだろッッッ!!! どう足掻いても取り返しがつかないじゃないかッ!!! 死に追い詰められるほどのギャンブルはしないって約束したはずだッ!?」


 ディーラーが喋った言葉は、同時にガロウとタイムの全身全霊を込めた叫び声にかき消されていた。だが、パフにはそれが理解できる。


 静かに頷いたのを確認したポリーナは、最高のBGMに悦に浸りながらもルーレットを回す。


 「待って、待ちなさいッ!!! まだ兄さんは賭けてないわッ! 無効よ!!!」

 「……? いえ、確かにベットされました。現金20万Lに……はぁ、特例中の特例で現物支給が10万Lほど」

 「待って!!! ルーレットって途中でやめられないのッ!!! お願いだからッ!!!」


 カララララララララララララララッ


 まるで周囲を取り巻く人間の情念が乗り移ったかのように、ルーレットは回り始める。同時にそれに気付いた悲鳴がパフの後ろの金を提供したプレイヤー達からも上がっていく。


 阿鼻叫喚の地獄と化した空間で、タイムは激高のあまり仲間の筈のポリーナに詰め寄っていた。


 「ポリィィィナァァァ!!! 君って奴はァッ!! 見損なったぞ!! 特例でこのギャンブルは中止と……」

 「黙れタイム! たとえ神であろうと、ルーレットへの介入は認められない!!!」


 血走った眼でパフの首を絞めているティー。顔を真っ赤にしてディーラーに詰め寄るタイム。対照的にパックとガロウは死人のような顔で机に倒れ込んでいた。


 パックの流す涙は、もう暖かくない。氷のように冷たい。彼はもう、誰にどう詫びれば良いのかすら分からなかった。


 カタカタカタカタカタカタ


 「タイムさあああんッ! 何とかッ! お願いだから止めてエエエッッ!!!」

 「ポリィィィィナァァァァッッ!!!!」


 パックの泣き声に応じたタイムが慌ててルーレットを止めようとして、直ぐに無駄なことに気付いて脇目もふらずに舌打ちする。不正防止のために稼働中は止められないのだ。もちろんアイテムボックスに収納することもできない。


 「死ねッ!!! クソ兄貴死ねエエエッッッ!!! 死んで皆にお詫びしろォォォッッ!!! その後は私と一緒にあの世で親に詫びろオオオッッッッッ!!!!!!!!」

 「あああアアアアアア!!!!? アあああアアア!!!!?!? どどど、どうしよおおおオオオ!!!! バター!!!!!!!! アメリア!!!!!!! 誰かあァァァッ!!!!!」


 カタカタカタ、カタ、カタ


 終わりは近付いていた。だが、球が止まる時を誰も見ていない。氷のように冷たい表情になったティーが鬼気迫る勢いで槍をパフの首に突き刺していき、パックはそんな姉に必死に抱き着いて泣き喚くことしかできなかった。


 「おいいいいぃぃぃ!!!! タイムッ! 俺達の命がかかってんだぞおおお!!!?」

 「うるさいッ!!! 言われなくても分かってるッ!!!!!!!!」


 その隣ではタイムがガロウと殴り合いを始めていた。手加減無しのそれは、ダメージがない事もあって終わりのない暴力に突入する。


 「ちょっと!!! ちょっと待てエエェ!!! わ、私達のお金、お金どうなったの!? 誰か説明しなさいよオオオ!?」


 ギャンブラーですら心の底からそう叫ばざるを得ない。その時だ。ついにカタリと音を立てて球がポケットに収まったのだ。


 最後の望みを託してパックはそれを見、直ぐに一心不乱に号泣する。


 散々恋い焦がれた、それこそバターの次に愛を求めた黒ではなかったのだ。


 「0、だ……。これ……0だ。ピッタリ……あは、あはは、あはあはあははははッ!!」


 直後、絶望のあまりパックは気を失ってしまう。彼が最後に見たのは生涯忘れ得ないだろう姉の泣き顔だった。


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