—06—
——理香さん。
その声に、理香はぱちりと目を開いた。
——理香さん……理香さん。
まただ。声がどこからか、聞こえてきた。
——え、誰……あたしを呼ぶのは、誰なの?
理香は自分が宇宙空間みたいなところに浮かんでいることに、気がついた。上も下も、左も右もなく、どちらを見ても星々が輝いているのが目に入った。
ふと、理香は心細い思いにとらわれた。ここには目印となるようなものがなく、この広い空間に自分ひとりしかいなかった。
——理香さん。こちらへ……こちらへ、いらっしゃい。
理香を呼ぶ声は一体、誰なのか。どういう目的があって彼女を呼んでいるのか、さっぱりわからなかった。けれど、もうたまらなくなって、理香は声だけを頼りにそちらへ、近づいていった。
泳ぐみたいにして手足を動かすと、理香の思っている方向に移動できるのがわかった。星々がいっせいに、動いた。
すぐ正面に、星とは違う光る点が現れた。それはぐんぐん大きくなり、視界いっぱいに広がっていった。理香はそれをじっと見下ろした。
よく、宇宙空間から地球を撮影した写真などがあるけど、今、理香が見ているものも、そんな感じだった。が、彼女が見つめているものは地球ではなかった。
理香が見下ろしているのは見慣れない地形のものだったし、遠くを見渡してみてもどこまでも平らで、ずっと端のほうでは巨大な石の柱が大地を支え、その間から海水がごうごうと音をたてながらはるか下へと、なだれ落ちていた。
——やっぱりあたし、夢を見ているんだ。
理香は目をぎゅっと閉ざし、そう思った。
理香の体の下にある世界は地球ではないみたいなのに、空には月や火星、木星、土星など、なじみ深い天体があった。月には細かいクレーターがあったし、火星は赤く、木星には瞳のような大赤斑が、土星には一番の特徴である輪があった。けれどそれはどれも、おかしかった。どの天体も手をのばせば届きそうなくらい近く、大きいのだけど、本来なら木星や土星のような惑星は望遠鏡でも使わないと見えないし、そんなに接近してしまうと重力の関係で崩壊を起こしてしまうはずだった。
——理香さん。こちら……こちらです。
見知らぬ声は理香を導くようにして、聞こえてきた。
理香は石の柱に大地を支えられた世界を見た。その世界には地球と同じく、大陸や海、壁のようにそびえ立つ山脈、大小の島々があるみたいだった。大陸や島には街があるのだけど雲のなかにも都市があって、地上と空中の間を帆船が行き来していた。
世界の中央には内海があり、南の海とを狭い海峡が結んでいた。大陸は北と西、それに東にあり、内海を両腕で抱くようにして位置していた。
——なんだか、トルコとギリシャみたい。
理香はその世界を見下ろして、何となく、そう思った。
東の大陸がトルコで、西の大陸がギリシャ、南の海が地中海で内海が黒海のように、理香には見えた。
と、理香の体が沈んだ。彼女の意志とは別に西の大陸の、海峡からそう離れていないところへと降りていった。
——落ちる。
そう思ったけど、理香はこれが夢だとわかっているからだろうか、恐ろしくはなかった。風が耳もとで鳴り、足の先で雲が割れ、ぐんぐんと空から大地へと向かっていった。
理香は地平線を見た。山脈と、それにせきとめられた形の森の手前に、肩をよせあうようにしてあるいくつもの石の建物が、目に入ってきた。街だ。その街はかなり大きいらしく、高度が下がり建物の細部や道、川の流れなどがはっきりとしてくるのと同時に、横に広がった。街の縁のあたりが、せりあがっていった。
しばらくすると、下に降りていくスピードがしだいにゆっくりになっていった。痛いくらいだった体に当たる風が、微風へと変わっていく。
ふわりと、理香は翼を広げるみたいにして、地面に足をつけた。ひざをほんのちょっとだけ、曲げた。衝撃はまったく、感じなかった。
理香は周囲を、見渡した。
そこは公園みたいな場所だった。芝生が敷きつめられ、自由に散歩ができるように道があちこちに通っていた。ところどころに噴水やベンチ、屋根つきの休憩所などが置かれ、石像みたいなものもあった。
芝生の上には座って、おしゃべりをしている人や手をつないで道を歩いているカップル、噴水のところではしゃぎまわっている子供などもいたけれど、空から降りてきた理香を、妙な目で見ている人はひとりもいなかった。
公園にいる人々は人種も様々で、金髪や黒髪、赤い髪の人もいたし、肌の色も白やチョコレート色、日本人っぽい肌をした人もいた。ターバンを頭にしている人がけっこう多く、トーガと言うのだろうか、布を体に巻きつける形の服を着ており、男性はさらにマントを肩にかけていた。
——しかし、ここが地球でないのはわかっていたけど……不思議な場所ね。
理香は声にださずに、つぶやいた。
と——。
「よく、来ていただけましたね。理香さん」
背後から、声をかけられた。振りかえった理香は心臓をわしづかみにされたように、驚いてしまった。頭が真っ白になる。
理香から五メートルも離れていないところに立っていたのは、亜弓だった。トーガを身にまとい、セミロングの黒髪を後ろの流していたけれど、見間違えるはずがなかった。理香ににっこりと、微笑みかけていた。
理香は後ろに一歩、さがった。全身が金しばりにあったみたいになり、そうするのがやっとだったのだけど、亜弓はその場から動かなかった。じっと、彼女のことを見つめている。
ようやく、理香は相手の雰囲気が違うことに、気がついた。同じ顔をしていても、微笑み方がちがう。
「ま……さか。貴子——貴子さん?」
理香がそう聞くと、相手はおっとりとした仕草で、うなずいた。
「はい、理香さん。お久しぶりですね」
貴子が言った。




