—04—
あれから、二週間近くがたっているのに、ここはほとんど、変わってないな。
空き地のほぼ中央に立つと、理香は声に出さずに、つぶやいた。
しかし、理香はすぐに、微笑みを浮かべた。
——変わるわけ、ないか。二週間くらいじゃね。
空き地はぐるりと、正面と左右を木の柵で囲まれていた。ここには、もとは家が建っていたのだけど、木の柵だけは取り払われずに、残されたみたいだった。
空き地は生え放題の雑草に覆われていたが、その雑草の間をぐねぐねと曲がりながら、道が続いていた。もちろん、その道はきちんとしたものではなく、空き地を近道として利用しているうちに、自然とできあがったものだった。
——あの夜は、満月だった。
事件の日のことを思い出しながら、理香はその道を歩いていった。
柵のところで、理香はくるりと向きを変えた。
——コンビニエンス・ストアから帰ってきたあたしは、ここでライトで足元を照らしながら、空き地へと入っていった。
目を閉ざす。息を整えた。
と、稲妻の光に、闇夜の風景が浮かび上がるように、電柱のすぐ下でボンネットをぐしゃりとつぶれさせた車が、理香の頭のなかでひらめいた。
あの車を見た瞬間——そして、この空き地に足を踏み入れた時、理香の運命は変わってしまった。
理香は肩を落とした。
……今さら、そのことを後悔しても、しかたないだろうけど。
あの車はたぶん、理香に石を手渡した女の人が運転していたのだろう。それはしかし、亜弓のしわざによって、止めさせられたに違いない。それが、どのような方法によってなのか、理香にはさっぱりわからない。でも、わからなくても、亜弓が本気になれば、そのくらいのことはできる、ということは理解できた。
可南子は亜弓が魔女かどうか、確証がないから、まだわからないと言った。でも、理香はそうは思っていなかった。
理香は帰り道、亜弓が彼女を待ち伏せした日のことを、思い出した。
あの時、亜弓は理香が誰にもしゃべったことのない夢のことを、彼女に向かって言った。それに……。
——近いうちに必要なんだけどね、理香さん!
今、聞いたばかりのように、亜弓の発した声が、理香の耳によみがえった。
あの声を可南子は直接、聞いていないから、亜弓は魔女ではないかもしれないと言えるのだ。
理香は右手を見た。
そこには、シイや杉、松の木などが枝葉をいっぱいに、広げていた。あの夜は柵を超えたとたん、虫の鳴き声以外、何も聞こえないくらいだったのだけど、今は葉と葉の間をさわさわと、風が吹き抜けていく音しか、耳にすることはできなかった。
理香は雑草の間を抜ける道を、歩いていった。
——ここらへん、だっただろうか。
左手のほうから、人の声が聞こえてきて、理香は足を止めたのだ。
空き地の、柵のすぐそばだった。そこに、女の人が横たわっていたのだ。女の人の腰のあたりに、黒い水たまりのようなものがあった。そして、女の人の腰から上は血で、深紅色に染まっていた。
理香はゆっくりと、その女の人が倒れていたと思われる場所へ、歩いていった。ひざまずく。
女の人は理香に、逃げてと小さな声でつぶやくと、彼女にしずくの形をした、不思議な色合いの石を手渡したのだ。
理香は一度、目をぎゅっと閉ざした。
——見付けたよ。
そこへ現れたのが、ひとりの老女だった。老女は女の人のところまで歩み寄ると、強引にキスをしたのだ。
それから後のことは、思い出したくない。しかし、理香は頭ではそう思っていても、記憶は鮮明だった。
……理香の見ている目の前で、女の人はみるみる年老いていき、それと反対に老女のほうは若返っていった。そして、女の人は最後にはうす汚いぼろ布のようになり、風でどこかへと、吹き飛ばされてしまったのだ。
あれから——。
と、理香は閉ざしていた目をあけた。
亜弓が石を返すよう、理香に迫ってきてから、もう十日がたつ。その間、亜弓は何も言ってこなかった。でも、理香が何気なく顔を上げると、必ずといっていいほど、亜弓がこちらを見ているのだ。冷たい、いっさいの感情をなくした目で。理香はすぐに顔をそらすのだけど、そのまなざしがいつまでも、いつまでも、彼女を追いかけてくるみたいだった。
理香は腰を上げると、老女——若返る前の亜弓が立っていた場所に、目を向けた。
と。
理香の呼吸が止まった。
——う……そ。
亜弓だ。亜弓がその場所に立ち、理香をじっと見ていたのだ。
亜弓はあの、まったく悪意の感じられない微笑みを浮かべると、理香のほうに歩いてきた。
呪縛が解けたのは、亜弓がすぐそこまで、近づいてきた時だった。理香は考える間もなく、走りだした。が、逃げることはできなかった。腕をつかまれ、その場に倒れ込んでしまった。派手に肩と背中を地面にぶつけたはずなのに、恐怖で感覚がマヒしているからか、まったく痛みを感じなかった。目をまばたきさせると、亜弓が顔をのぞきこんできた。
「落ち着いて——落ち着いて下さい」
亜弓はこんな場面にふさわしくない、きれいに澄んだ声で言った。
「いや——いやぁ!」
——殺される。いや、あたしもあの女の人みたいに生気を吸われて、うす汚い布みたいになってしまう。
そう思って、理香は亜弓を押しのけようとした。
でも、体は思うように動いてくれなかった。どういうことか、水の中で泳いでいるみたいに、自由にならないのだ。しまいに理香は、両腕を亜弓につかまれてしまった。
——どうしよう、どうしよう。もう、逃げられない。
どくん、どくんと、鼓動の音が大きくなった。胸が今にも、破れそう。
これまで、ちっとも体をきたえてこなかったのが、残念でしかたない。柔道や合気道でもやっていれば、この状態から逃げられるかもしれないのに。
「待って。私は亜弓ではありません。妹の貴子です」
——え? い……もうと?
聞き間違いではない。彼女ははっきりと、妹の貴子と言った。
理香は亜弓——いや、貴子と名乗った少女を見た。
すると、少女はあっさりと、理香の手を離した。
理香は少女から数歩、後ずさると、立ち上がった。改めて、少女を見る。
少女は白のブラウスに濃紺のセーラーカラー、それに赤いスカーフを結んだ、ちょっと古いデザインのセーラー服を着ていた。
顔立ちは、亜弓とまったく見分けがつかないくらい、同じだ。彼女がもし、亜弓の妹というのなら、双子に違いない。……亜弓が、妹のふりをしているのでないかぎり。
——でも、妹って……。
妹ということは、亜弓はもとは老婆だったのだから、目の前にいる少女だって、相当の年よりでないと、おかしいことになる。だけど——貴子と名乗った少女は、理香とそんなに変わらない年齢に見えた。
「ど……どういうこと」
喉がからからだ。理香は無理やり、つばを飲み込んだ。いつでも、逃げ出せるようにしながら、理香は相手のようすをうかがった。
そんな理香を見て、少女は微笑した。
「貴方はここで、輝くトラペゾヘドロンを捜していたのでしょう」
「輝くとらぺ……え?」
「トラペゾヘドロン。あの女の人が貴方に渡した、石のことです」
「あぁ……」
と、あいづちを打ちかけて、理香はあわてて、口を押さえた。これでは、理香が石を捜していたことが、バレバレではないか。
「あの石のことは、ご存じ?」
理香は少女の顔を見たまま、答えなかった。
「そう——あの石は召喚の儀式に使われるもので、魔術師に神々を招来する魔力を与えるものなのです」
——神々?
少女は表情を変えることなく、まるで、昨日テレビに出てたアイドルの話でもするように、しゃべった。でも、そのことから逆に、彼女が理香をからかおうとしていないことは、理解できた。
召喚や招来がどういう意味なのか、理香にはよく、わからない。だけど、たぶん、悪魔や魔王といったものを呼び出す、ということなのだろう。
理香は貴子を、まじまじと見た。
「私がどうして、貴方に石のことを話すのか、不思議にお思いのようですわね」
「……ええ」
ためらいがちに、理香は答えた。
「亜弓は今、星界の彼方からシュブ=ニグラスを招来しようとしています。ですから、石はどのようなことがあっても、亜弓には渡して頂きたくないのです」
「シュブ=ニグラス?」
それが亜弓が呼び出そうとしている、悪魔だか何だかの名前なのだろうか。
でも――渡すなと言われても、石は……。
理香はそっと、ため息をついた。
「輝けるトラペゾヘドロンは、持ち主を選びます。夢の中の出来事でありましても、手渡されたのが貴方であれば、それは貴方の手元にあるはずです」
――え?
どうして、そんなことを言い出したのだろう。
思わず、理香は貴子の顔を見た。
しかし、貴子に表情はなかった。理香を見つめたまま、黙り込んだ。
理香は貴子のそのまなざしを受け止めることができず、彼女から視線をそらした。
すると、貴子が理香に背を向けた。数歩、歩いてから振り返る。
「理香さん。それでは、頼みましたよ」
――あ、待って。
理香はそう、声をかけようとした。でも、ことばが出てこなかった。
と。
――あれ?
白い風が吹いた。それが公園の風景――木々や周囲の柵、雑草の生えた地面などを、薄れさせていく。
霧だ。霧が出てきたのだ。その霧のなかを、貴子は歩いていった。すぐにその姿は白い闇に飲み込まれ、見えなくなる。
理香はそれに何もできず、じっと立ちつくしていた。
……そこで理香は、目が覚めた。
学校から帰って、部屋で制服から私服に着替えたのはおぼえているのだけど、どうやらそれから、寝てしまったらしい。
理香はベッドから、身を起こした。顔に手を当てる。 何だか、頭が重い。考えがまとまらない。まるで今も、夢の続きを見ているみたいだった。
足をそろえて、ベッドから下りた。部屋のなかを歩き回る。
どうしてだろう。ここは確かに自分の部屋なのに、何だか妙な感じがする。まるで――そっくり同じだけど、別の部屋にいるみたいな。
――まさか。
理香は目を閉ざして、首を振った。自分の考えを、頭から追いやった。
きっと寝ぼけているから、そんなことを思うのだろう。
……それにしても、奇妙な夢だった。
理香は改めて、そう思った。
昨日、可南子と別れた後、あの空き地へ行ってみたのは、本当のことだ。石があるとしたら、あそこにしかないから。そう思ったからだった。
理香は自分の机に向かい、いすを引いた。すみのほうにある、口の開いたままのポテトチップスの袋を手に取った。なかをがさごそとやり、口に運ぶ。ジャガバターの味が口のなかに広がって、理香はやっと安心することができた。
でも、石はなかった。それだけでなく、誰とも会わなかった。もちろん、貴子なんて人物もいない。
――とらぺ、何とかと、ええと、しゅぐ……らうすだっけ。
それと、貴子。
夢の中だとしても、どうしてそんなのが出てきたのだろうか。
理香には貴子なんて知り合いはいないし、夢で出てきたことばにもまったく、心あたりはなかった。
でも、自分でも思い出してみて、おかしな気分になる。
……ほんと、どこから亜弓の妹なんてのが、出てきたんだろう。
亜弓に妹がいて、理香に手を貸してくれたらいい――そんな願望が夢になって、出てきたんだろうか。
理香はため息をついた。
夢のことなんか、どうでもいいや。
――石はどこにも、なかったのだから。
これから、どうすればいいのか。理香にはもう、わからなかった。
理香はポテトチップスを食べ終わると、今度はいちごポッキーの箱に手をのばした。出しっぱなしにしていたので、ちょっとしけっていたけれど、味はそんなに悪くなっていなかった。
それから、理香は後ろを見た。ベッドのすぐそばに、理香のスリーウェイ・バッグが置かれている。
いすから腰を上げかけて――やめた。教科書やノート、参考書などはバッグに入ったままだけど、今日は勉強をする気にはなれなかった。
それから、理香はちょっと笑った。
――勉強をする気になれないのは、いつものことか。 理香はかわりに、レターボックスの前まで歩いていった。上の手紙を取る。
理香の、書きかけの手紙だ。一枚だけ書いて、やめてしまった手紙。あて名は、理香の姉だ。
——園子
姉、園子が結婚をして家を出て行ってしまってから、三年がたつ。その間、園子は一度も家に帰ってくることはなかった。
もちろん、姉がそんなに何度も実家に帰ってこないのは、いいことなのだろうけど、さびしさは隠しきれない。
理香は姉に、何度も手紙を出していた。でも、一度も返事が来たことはなかった。十三通目の手紙を書きかけて、ついに書くのをやめた。
そりゃ手紙だけでなく、電話をすることだってできる。だけど、どうしても気が進まないのだ。
園子は、スマホを持ってない。大学を出て、仕事をしている間は姉もスマホを使っていたのだけど、専業主婦になってからは、持つのをやめてしまったようだ。
今どき、主婦であってもケ-タイくらいは持っているものだけど、姉は高校生の時から、携帯電話やスマホにあまり、興味がないみたいだった。だから、どうしても姉と連絡を取ろうとするなら、彼女の家に電話をすることになってしまう。
電話をしても、姉がすぐ出てくれるのならいいけれど、もし、他の人が出てしまったら。たとえば、園子の夫が出たら……。
義兄と会ったのは、数回だけだった。それでも、顔は覚えている。が、会話をした記憶はなかった。
夜まで義兄は家に帰ってくることはないのだから、平日の午後にでも電話をかければいいのだし、それに理香は妹なのだから、取り次いでもらえばいい。それなのに、どうしても気後れしてしまうのだ。
理香は目を閉ざした。
……理香にとって、園子はほんとうの母親みたいな存在だった。
小さい頃、いつだって園子がそばにいた。母親ではなく。
父親しかいなかったとか、母親と血がつながっていないとか、そういうことではない。でも、理香からすると、母親は園子だけだった。
――それは母親が、園子しか見ていなかったからだ。
理香なんか、どうでもよかった。母親にとって、娘は優秀な園子、ひとりだけだったのだ。
それは姉が家を出て行った今も、変わらない。両親は理香が欲しいと思ったものをほとんど、買ってくれるけど、母親も父親も理香を決して見てくれなかった。
と、理香はレターボックスに、見慣れない封筒があるのに気がついた。
――あれ? 何だろ、これ。
理香はその封筒を、手に取ってみた。
裏書きはない。表書きはただ、「鈴木理香さんへ」と、あるだけだった。
郵便物はほぼ、理香が管理している。昼間、家にいるのは理香だけだし、郵便物を取り忘れても、両親が理香のレターボックスに置いてくれる、なんてことはなかった。そして朝、郵便受けに郵便物は、なかったはずだ。
封筒には、郵便番号も住所も書かれてない。ということは誰かが理香の部屋に忍び込んで、封筒をここに置いてったことになる。
――そんな、まさか。
でも、封筒はこうして、目の前にある。
何が何だか、わけがわからない。
可南子がここにいたらきっと、理香にも理解できるよう、説明してくれるのだろうけど。
――ま、いいや。
封筒には手紙でなく、何か小さなものが入ってるみたいだった。軽く振ると、カサカサと音がした。
理香は右手を出し、封筒をひっくり返した。
――え……な、なに?
理香はびっくりして、手の上に落ちてきたものを放り出してしまった。音をたてて、フローリングの床を転がっていく。
理香は黙って、それを見下ろした。腰をかがめ、拾い上げる。
それは、なくしたと思い込み、あれだけ探してもみつからなかった、石……だった。
――ど……どうして、こんなものがここに。
理香は指と指の間ではさんだ石を、じっと見た。
石というより、それは涙のしずくの形をした宝石みたいだった。石は窓から差しこむ夕方の日の光を受けて、きらきらと輝いていた。
その時だった。突然、着信メロディーが聞こえてきた。理香はびっくりして、もうちょっとで石を落とすところだった。
机のところまで歩いていくと、充電器に置きっ放しになっている携帯電話を取った。石を握ったまま、ディスプレイを見た。電話は、可南子からだった。
――可南子が? 珍しいな。
理香は通話ボタンを押した。携帯電話に耳を当てる。
「もしもし、可南子? なぁーに」
『ちょっと、ちょっと、理香。気の抜けた声を出さないでヨ』
可南子の声が聞こえてきた。
「だって、可南子がうちに電話かけてきたのって、今までなかったじゃない」
『いーから。ね、理香』
可南子の声はかなり、はずんでいた。まるで誕生日のプレゼントを前にした、子供みたいに。
『ついに、つかんだわよ』
「つかんだ? 何が?」
『飯岡さんのことよ』
「飯岡さんが、どうかしたの」
理香は手のひらの上で、石を転がした。
『にぶいわねー。だから、飯岡さんの正体についてよ』
「ほ……ほんとに?」
『ほんと、ほんと。かなり、くわしいところまでね』
自信たっぷりに、可南子が言った。理香は首すじのあたりが急に暑くなり、携帯を持っている手が汗でじっとりとしてくるのを感じた。思わず、石をしっかりと握りしめた。
「じゃあ――」
理香は壁にかけられている時計を見た。まだ、六時前だ。
『だめだめ』
理香が時計を見たのがわかったみたいに、可南子が言った。
『そんな、すぐ話せるような内容じゃないの。だから、明日――明日、学校で話すわ』
「えー」
理香は今すぐ聞きたいと思ったけど、こういう時に可南子に何を言ってもだめなのは、彼女とのつきあいから知っていた。
理香は可南子との通話を終えると、携帯電話をもとに戻した。
それから――理香は手のひらをひらいた。石を、見下ろす。
宝石なんかに、理香は興味なかった。高校に入学した年、理香は両親から誕生石をバースデープレゼントとしてもらったことがあるけれど、その時もらったサファイアは、立派な箱に入れられたままになっていた。
だけど――この石は違う。はっきりとその理由を口に出しては言えないのだけど、どうしてもその石から手を離すことができなくなってしまった。魔力みたいなものすら、理香は感じた。
理香は窓のそばで石を回転させたり、色々と動かしたりしてみた。
――きれい……。
うっとりと、理香はつぶやいた。
宝石にもさまざまなカットがあって、色や輝きが変わったりするけれど、この石は違っていた。宝石の場合、色や輝きが変わるといっても微妙なものなのだけど、理香が手にしている石は赤から緑、紫になったりするし、輝きもまったくの黒から半透明、またはライトみたいに内側から輝きを放つことすらあった。
――あれ? 何だろ。
それまで、きらきらと輝いていた石から急に、光が失われていった。きれいな水に絵の具を落としたみたいに、半透明から色がだんだんと、濃いものになっていった。
――これって、まるで……。
理香はそこで、考えるのをやめた。だけど、だれかが理香の耳もとでささやいたように、そのことばが心に強く、浮かびあがってきた。
……血の色みたい。
理香が手にしている石は、今はもう血がいっぱいつまった、ガラスの容器みたいになってしまった。
と、理香はまばたきをした。
――何か、見える。
赤い色の向こうに、何かが……。
瞬間、理香は石を放り出した。石に背を向け、その場に力なく、座りこんだ。胸もとに手をやるけど、そんなことしなくても心臓がどくん、どくん、と激しく鳴っているのがわかった。
理香は目をぎゅっと閉じた。けど、石のなかに見えたものを、視界から追い出すことはできなかった。いや一生、彼女の記憶から追い出すことはできないのかもしれない。
石のなかに見えたもの――それは星形の印に封じられた、血よりも炎よりも紅い輝きを持つ、まぶたのないひとつの瞳、だった。




