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奈落の女王  作者: なりちかてる
4/17

―03―

 それから、一週間がすぎた。

 学校生活のほうはなんの変わりもなく、夜更かしをして授業中に居眠りをしたり、クラスメートとノートを貸し借りをしたり、宿題を忘れて先生に立たされたりしたがそれくらいで、日記に書き記すような特別なことは何も起こらなかった。

 学校から帰ると、理香は可南子と以前から打ち合わせをしていたとおり、自宅から自転車に乗り、サイクリング・ロードまで走らせた。

 サイクリング・ロードは理香たちの住む冠望かんぼう町と星見ほしみ町の、ちょうど境目あたりに位置していた。市内のサイクリング・ロードとしては最も長く、理香も以前ダイエットのために、ここまでやって来たことがあった。入場は無料で、自転車の貸しだしもしているが、もちろん自分の自転車でサイクリング・ロードをめぐることもできるようになっていた。

 サイクリング・ロードは、ところどころに家族で遊べる公園や記念館、または喫茶店などがあって、ただ自転車を走らせるだけでなくて、色々と楽しめる施設になっていた。

 理香が今、自転車を走らせている場所はゴルフ・コースみたいなところで、芝生がゆるやかに高いところと低いところをつくりあげていた。自転車道は一本だけでなく、その芝生の上を直進したり、カーブしたりして、運転者が好きなコースをたどって前へと進めるようになっていた。

 と、理香がペダルをふうふう言わせながらこいでいると、前方の休憩所のところから手を振っている人物が目に入った。

 可南子だ。理香も手を振りかえすと、そちらへハンドルを向けた。

 休憩所の近くには自動販売機があって、ひと息つけるようになっていた。屋根の下のベンチにはテーブルもあって、休憩や雨宿り以外に、本を読んだり、トランプをしたりする人の姿を見かけることもあるのだけど、今日は可南子以外、誰もいなかった。

 理香は休憩所の駐輪スペースに自転車を置くと、可南子のいるベンチまで歩いていった。

 日陰に入ると、理香はほっとした。夏の暑さはすぐには去らないけれど、芝生を走らせていた時、黒髪をじりじりと焼かれるような感覚から逃れられただけでも感謝したい気分だった。休憩所のそばには人工の小川が流れているのだが、風がそちらから吹くと気温が少し、下がったみたいに感じられた。

「ね、待った?」

 理香は可南子のとなりに座ると、そう言った。

「う……ん。ちょっと、ネ」

 可南子が広げていた雑誌から顔を上げ、答えた。

「なに、これ? 飲んでいい」

 喉がカラカラになっていた理香は、雑誌のそばに置かれていた缶ジュースを指さすと、可南子に聞いた。

「うん。いいよ」

 見たことのない銀色のラベルのアルミ缶を手に取ると、ひんやりとした感触が伝わってきた。何だかわからないが冷たくて、おいしそうだ。理香はジュースに口をつけた。そしてすぐ、吐き出しそうになった。

「な……なに、これ」

 何とも言えない味だった。後味は最悪で、舌の奥のほうがしびれているみたいだった。

「コショウ風味のコーラだけど」

「コショウ風味のコーラ?」

 理香はすぐ、缶ジュースのラベルを確かめてみた。

 ――本当だ。

 ラベルにそう、書かれている。

「これ、おいしい?」

「うん。おいしいよ」

 可南子は理香がどうしてそんな反応をするのかわからない、という顔をしてこちらを見ていた。

「あー、ねえ。あたしもジュース、買ってきていい?」

「いいけど。……そんなにこれ、マズイかな」

 理香が午後茶を手に戻ってきても可南子はまだ、木目の浮かび上がったテーブルの上で、コショウ風味のコーラの缶をくるくると回し、そうつぶやいていた。

 それに理香は答えようがなかったので、聞こえなかったふりをして、紅茶のプルトップに爪を立てようとした。しかし、理香がなかなか缶を開けられないでいると、テーブルの向こうにいる可南子が手を伸ばしてきた。プルトップを開け、理香に手渡してくれた。

「あ、ありがと」

 理香は紅茶に口をつけた。ミルクティーの味が広がる。それから、冷たさがのどの奥へと伝わっていった。口のなかがからからだったので、理香はようやく、ほっとひと息をつくことができた。

「理香」

 顔を上げると、可南子と目が合った。理香がこっくりとうなずくと、テーブルの横に缶を置いた。椅子に深く、腰かける。

 あれから――公園で可南子と話をしてから、一週間がたつ。


 うん。調べてみたいコトがあるんだ。飯岡さんについてネ。


 理香は可南子に公園でそう言われたのを、はっきりと覚えていた。

 しかし、このサイクリング・ロードで会うまで、可南子は調査について、いっさい口にしなかったし、理香もどうなっているの、とは聞かなかった。理香が聞かなかったのは話の内容を聞くのが恐かったからだが、可南子が話そうとしなかったのは、調査がまだまとまってなかったからだろう。

 そして、今日、可南子のほうから会いたいと言ってきたのは、調査の結果が出たということなのだろう。

 理香はテーブルの下で、拳をぎゅっと握った。

 はっきり言って、恐い。恐いのはもちろんだけど、亜弓がどんな人物なのか、興味もあった。女性の生気を吸って若返り、理香と同じ陵北高校の女子高生になりすました、彼女のことが。

「それじゃ、はじめよっか」

 可南子が言った。

「う、うん」

 理香が背筋を伸ばしたのを見て、可南子が吹き出した。

「ちょっとぉ。やだなー、理香。そんなに、緊張しないでヨ。面接試験じゃないんだから」

「そんなの、無理だよ。緊張するなって言われても、どうしても力が入っちゃうよ」

 可南子が大きく、息をはいた。頭をかく。

「そっか。理香はまじめだもんネ。そりゃ、仕方ないよねぇ」

 ……なんだか、言い方が気に入らなかった。ばかにされてるみたい。

「それって、どういう意味?」

「どういう意味って……そのまんまよ。わからない?」

 ――まただ。ひどく、いやらしい言い方。

「あたしは……あたしは、可南子じゃないもん。そんなこと言われたって、できないものはできないよ」

 ショックだった。これまで、可南子にそんな言い方をされたことはなかった。それなのに、一番親しい友人と思っていた可南子にそんなこと言われて、腹が立つというよりも、情けなくなった。

「あ――ねぇ。泣かなくてもいいじゃない」

「泣いてなんか……ないモン」

 理香は顔を伏せた。視界がぶれる。ぎゅっと目を閉ざすと、顔を横に向けた。半袖のシャツで目元をぬぐう。

 テーブルの向こうで、可南子が立ち上がる気配がした。近づいてくる。

「ね、理香」

 可南子が、理香の右隣に座った。右手を取る。でも、理香は可南子から顔をそらしたまま、何も言わなかった。

「ごめんね。ちょっと、言いすぎた。今のは――理香の緊張を解こうと思ったんだけど、逆効果だったみたいね。ね、理香。このジュースあげるから、許してくれる」

「いや。そのジュース、おいしくないもん」

 理香はそっと、可南子を見た。困った顔をしている可南子を見るのは、これがはじめてだった。理香と目が合うと、どうしていいかわからない、複雑な表情を浮かべた。

「可南子でも――」

 理香が言った。

「え?」

「そんな顔、するんだね」

 そう言った時の可南子の表情もまた、これまで見たことのないものだった。自然と、笑みがこぼれた。

「あー、笑ったナ」

「可南子だって、笑ってるじゃない」

 可南子が、せきばらいをした。頬づえをついて、理香の顔をのぞきこむようにして見る。

「ちょっと、予想と違っちゃったケド」

「うん?」

「緊張、解けたみたいだね」

「あー、うん」

「じゃ、いい? 続けるヨ」

「う、うん」

 可南子がベンチから、立ち上がった。テーブルの向こうにある、ノートやペン、メモなどを引き寄せる。

「えーとね。どこだったかな~と。あ、あった」

 ノートを少し、乱暴にめくっていた可南子は、調査の結果が書きつけてある部分を見つけたらしい。拳を紙面に押しつけ、ページを開いた。

「飯岡さんは――彼女、第二鷹たか高校から、転校して来たことになっているんだケド」

「え。そうなの?」

「そ。学校のデータベースに侵入して、ちょちょっとね」

「侵入? て、もしかして、アレ? たまーに、新聞とかに載っている、はっかってヤツ?」

「はっかじゃなくて、ハッカー。そう、そのハッカーよ」

 可南子はそれがどうしたの、とでも言いたげに理香を見た。

「ちょ……それって、犯罪じゃない」

 思わず、立ち上がった。

「バレたらね」

「バレたらって――」

 それ以上、続けることばを見つけることができず、理香は黙りこんでしまった。

「大丈夫。いいから、座って」

 可南子が理香の腕を取って、強引に座らせた。

「いい? 理香。データベースに侵入するのは、確かに犯罪ヨ。えーとね、何だったっけ。電子公文書不法接続罪……とかなんとか、だったカナ」

 可南子が頭をかいた。

「ま、でも法には触れるけど、ヤバくなるのはこれがバレて、学校に被害届けを出された時ヨ。ハッキングってのは、他の犯罪と違って、国家規模の損害を与えることができるケド、その反面、証拠も残りやすいものなの。だけど、私が学校のデータベースに侵入したのは、もう三日も前のことだけど、学校でそれらしい噂とか聞いたこと、ないデショ?」

「う……うん」

「それに、飯岡さんの情報をのぞいただけで、学校にはまだ、何も損害を与えていないからネ」

「じゃあ」

「そう。飯岡さんの情報をこれから、どこかの名簿業者に売りつけたり、何かの犯罪に利用でもしない限り、学校が被害届けを出すことはないでしょうネ」

 可南子が理香に、ウインクをしてみせた。

「そ、そう」

「でね、話を戻すケド――第二鷹の巣高校に、私のチョットした知り合いがいるから、写真つきメールで聞いてみたの。彼女を知っている人がいるかどうか」

「それで?」

 可南子が首を横に振った。

「ひとりもいなかった。つまり、彼女は第二鷹の巣高校には通っていなかったノ。ついでに言うと、飯岡亜弓という人間は、二週間前までは地上のどこにも、存在しないコトになっているワ」

「どういうこと?」

 可南子は理香のその様子を面白がっているような、そんな微笑みを浮かべた。

「彼女の住まいは星見町のマンション、パレス百合が丘にあって、ベンチャー企業を支援する投資企業に勤める父親と一緒に住んでいるハズなんだケド、マンションの住人は誰ひとりとして、彼女の父親を見た者はいない。引っ越した時も含めてネ。これは、私自身が調べたから確実。デ、これから、わかることは――」

 可南子はもったいつけるように、そこでことばを切った。「う、うん」

「飯岡さんがあんなことを言ったのは、彼女がただ、あなたをからかいたかったからじゃない。そして、理香は夢で見たこともすべて、現実だった。間違いないわ。飯岡さんは、魔女よ」

 可南子は叩きつけるようにして言うと、理香に指を突きつけた。

「そ……そんな」

 理香の恐れていたことが現実になり、目の前が真っ暗になった。息が苦しくなる。

「なぁ~んて、言ったらどうする」

「え?」

 理香の声が、ひっくり返った。まばたきする。

「もしかして、今の全部、嘘?」

 可南子が理香の顔を見て、ぷっと吹き出した。それをきっかけにして、笑い声をあげた。

「ちょっとぉ、笑いごとじゃないでしょ」

「ゴメン、ゴメン。つい、理香のまじめな顔を見ていると、困らせたくなっちゃってネ。でも」

 と、可南子はベンチに座りなおした。

「今、言ったこと、すべてが嘘じゃないよ。飯岡さんは第二鷹の巣高校には通っていないこと、彼女が星見町のマンションに住んでいて、父親の姿を誰も見ていないこと、それに二週間前、飯岡亜弓なる人間が地上のどこにも存在してなかったのは、本当のことよ。でも、これだけじゃ、理香の見た夢が本当のことなのか、飯岡さんが魔女なのか、証明したことにはならない。デショ?」

 可南子が腰をあげた。向こうのテーブルにある、ジュースの缶を手に取る。

「あ……ね、ねぇ」

 理香は沈黙が恐くて、それをかき乱すように、ちょっと大きな声で言った。

 ん? と、可南子が缶に口につけたまま、視線で返事をした。

「じゃ、どういうことになるの。飯岡さんって一体、何者なの」

「そうねぇ」

 可南子は缶をテーブルに置くと、それをぐるぐると回しはじめた。

「実は……」

「実は?」

 理香は可南子の目を、じっと見た。

「実は、彼女は某有名秘密結社のスパイで、内閣情報室の委任を受けて、活動しているの」

「え?」

「で、あなたは諜報戦に巻き込まれてしまったと、こういうワケ。飯岡さんが言ってた石も、実は世界の覇権を巡る重要なアイテムで、人工衛星に取りつけられるはずの、レーザー砲の部品だったの」

 理香は大きく、息を吸った。

「ね、可南子。それ、本気で言ってる」

「本気で言ってるはず、ないじゃない。ばかねー、理香は」

 笑顔で言った。

「あー、もう!」

 理香は勢いよく、ベンチから立ち上がった。

「可南子。あなたと話してると、頭がどうにかなってしまいそうなんだけど」

「そりゃ、重症だ。何とかしないと」

「可南子ぉー」

 理香が口を開こうとすると、可南子が笑顔を引っ込めた。手をあげる。

「待って。……飯岡さんが一体、何者なのか。それは、私にもわからないわ」

 可南子は理香の手を取り、ベンチに座らせた。

「例えば――そうね。彼女の親が破産して、夜逃げしているってのは、どうかしら。それなら、彼女が偽名で暮らしていることや、親の姿が見えないことなどについて、説明がつくのかもしれない。飯岡さんが理香、あなたを驚かしたのだって、ストレス解消のためだったのかもしれない。でも――でも、破産した人が娘を高級マンションにひとりで住まわせるはずがないし、それ以外の部分でも、矛盾するところがたくさん、あるわ」

「じゃあ」

「うーん」と、可南子は腕組みをした。

「外堀を埋めたら、何かわかるかもしれないと思ったんだけどネ。くやしいけど、これが限界だなぁ」

 可南子は唇をかんだ。

「どうするの」

「直接、聞いてみるってのは、どう?」

「直接って――飯岡さんに?」

「そう」

 まじめな顔で、可南子はうなづいた。

「む……無理よ、そんなの。できっこないわ」

「あー」

 ほんのちょっと、がっかりした響きをもたせて、可南子が言った。

「そうだよねー、できるわけないよね。だったら」

「う、うん」

 理香は背筋をのばした。右手で、左の手首をぎゅっと握る。

「石を、見つけだすしかないか」

「石?」

 石とは――やっぱり、理香が夢と思い込んでいた、あの女性から渡された不思議な色あいをした、あの石のことなのだろう。

「ええ。手掛かりは石よ。それしか、ないわ」

「だ――でも、そんなこと、言われても……」

 困ってしまう。石のことは理香も気になっていて、可南子に相談した後も探してみたのだけど、まったく見つからなかったのだ。

「わかってる」

 可南子が理香の手を握ってきた。

「今すぐに、と言ってるんじゃないわ。ゆっくりでいいから……ね?」

 可南子がぱちっと、片目をつぶってみせた。

「う――ん。わかった。探してみる」

「さて、と」

 可南子が缶をテーブルから取り上げた。口をつけ、かたむけた。ん……んと、息をもらすたびに、喉が動いた。

 一気に、ジュースを飲み干したのだろう。勢いよく、缶をテーブルに置いた。

「ね、可南子」

「ん?」

「その飲み方、オヤジみたいだから、やめなよ」

 ひと呼吸おいてから、可南子が笑い出した。可南子の肩をばしばし叩く。

「理香も、言うようになったねぇ」

「だって、本当のことだもん」

「本当のこと、か」

 可南子は肩をすくめると、缶を自動販売器のそばにある、くずかごに向かって投げつけた。缶は、きれいな曲線を描き、糸で引っぱられるみたいにして、かごの中へと吸い込まれた。

「す……すごーい」

「で、理香。これから、どうするの」

 可南子は腕を組み、テーブルに半分、腰を乗っけるようにして、理香を見下ろした。

「これから?」

「そ。これから」

 ――これから。

 理香は顔をあげた。休憩所の屋根ごしに、青空をながめた。

 雲ひとつなく、強い日差しがサイクリング・ロードの芝生を照りつけていた。向こうできらきらと輝きを放っているのは、公園の噴水だろうか。

 ……デートをするなら、絶好の日よりなのだろうけど、彼氏のいない理香には、関係のないことだ。

 理香はため息をついた。

「予定はないけど――」

「ないけど?」

 可南子が聞いてきた。

「う……ん。ちょっと、寄りたい場所があるから」

「私も、つきあってあげようか」

「ううん」

 理香は首を横に振った。

「そこには、ひとりで行きたいから」

「そう。――ん、わかった」


 理香は可南子と別れると、自転車をまっすぐ、その場所へと走らせた。

 ――あの、すべてのはじまりとなった、空き地へと。

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