―02―
「へー、そんなコトがあったの」
可南子が言った。
「う、うん」
公園のベンチの上で、理香は居心地が悪そうに腰の位置を変えた。
ここは可南子のアパートの近くにある公園だった。公園といってもベンチにすべり台、それに鉄棒とブランコがあるくらいの、ちっぽけなものだった。三方を住宅の壁にさえぎられているので、何となく狭苦しく感じる。だからか、日中でもこの公園に人が出入りする姿を、理香はほとんど見かけたことがなかった。
この公園からだと、可南子の家は歩いて五分もかからない。だけど可南子はどうしたことか、理香を家に上げたことがなかった。今日だって理香は学校帰りに可南子の家を訪れたのだけど、彼女は決して家に上げずにわざわざ、この公園まで歩いてきたのだ。
「飯岡さんとそんなことがあったなんて、ちっとも気づかなかったナ」
「うん。学校ではそれっきり、彼女としゃべったことがなかったから」
「ふーん」
可南子がベンチの上で、足をぶらぶらさせた。
今日の可南子は白のキャミソールの上に涼しげな、ブルーのシースルーのタンクトップを着ていた。下はヒョウ柄のミニスカートで、それは活発な可南子らしい取りあわせだった。
理香はふと、可南子の首筋に目をやった。銀色の鎖が見えている。
可南子は外で会う時はいつも、そのチェーンを首のところにかけていた。今までは服の下に身につけていたのでわからなかったのだが、今日はシースルーのタンクトップだったので、そのチェーンが十字架だったことに理香ははじめて気づいた。
その十字架だが、チェーンのメッキがところどころはげて、鉄のさびた部分が見えているのがずっと、理香は気になっていた。ファッションで、その十字架をかけているのだとしたら問題はないのだけど、やはりさびが浮いているのを見てしまうと、何か身につける理由があるのではないかと、ついつい考えてしまう。
「それで、石はどうしたの。あったの」
可南子が理香のほうに顔を向け、そう聞いてきた。
「ううん」
と、理香は首を横に振った。
「必死にさがしてみたんだけど、どこにもなかった」
亜弓と別れてすぐ、理香は家に帰って自分の部屋だけでなくリビングや和室、物置など、捜せる場所はすべて当たってみたのだが石らしきものはやはり、見つからなかった。「そうなんだ」
「ね。可南子は、どう思う」
「どう思うって?」
足をぶらぶらさせるのをやめず、可南子が言った。
「だから、その……」
理香がなかなか言いだせないでいると、
「飯岡さんがキスをして、若返ったってトコ?」
と、可南子がこともなげに言った。
「……いじわる」
理香がそう言うと、可南子がぷっと吹き出した。
「あのねぇ、理香。高校生にもなって、口をとんがらせないでヨ」
「だってぇ」
それから、可南子はうーんと、むずかしい顔をすると、頭をかいた。
「でもねェ。ちょっと、信じられないのよね、理香の言うことって。それこそ、夢みたいでしょ」
「でも、嘘なんかじゃ――」
「わかってる」
可南子がベンチに置いた理香の手の甲を叩いた。
「理香が冗談でこんなコト、言うわけがないってね」
「う、うん」
急に可南子が立ち上がった。一歩、二歩と理香の前を横切るようにして、歩いていった。
「ネ、整理して考えてみようよ。まず、空き地で起こったコトだけど、それはとりあえず置いといて」
「え、置いとくの?」
「そ。まずは、ネ。それで、飯岡さんから渡された紙袋はどうしたの」
空き地でのできごとのほうが重要な気がするのだけど、可南子がそう言うのであれば、しかたない。理香は可南子の質問に、正直に答えた。
「うん。持ってきたみたい。飯岡さんから逃げた時は夢中で、よく覚えてないんだけど、バスに乗り込んでみたら、紙袋も手にしていたから」
「んで、その紙袋にはライトや財布、スナック菓子などが入っていたのよね」
「そう」
「いい、理香。もし、私の言うコトが間違っていたり、少しでも変だナと感じたらごまかしたりせずに、言ってね」
いつになく真剣に、可南子が言った。
「う……ん。わかった」
可南子につられて理香も表情を少し、引きしめた。
「それで――お菓子はともかくとして、ライトや財布は確かに理香のものだったの」
「え……それって、どういう意味」
理香は目をまばたきさせて、可南子の顔を見あげた。
「処分とかは、してないでしょうネ」
しかし、可南子は理香の問いを無視すると、重ねてそう聞いてきた。
「う、うん。ちょっと気持ち悪いから持ち歩いてないけど、家に置いてあるわ」
「それで」
「え? 何が」
「だから、ライトや財布は理香のものだったかって」
ちょっと怒ったように、可南子が言った。公園のなかをまた、歩きはじめた。理香はそれに、首をすくませた。
「うん。お金のほうは全額あったし、ポイント・カードやコンビニのレシートもそのままだったけど」
どうして可南子がそんなことを聞き出そうとしているのかわからないまま、理香は答えた。
「ライトも?」
「ライト? うん。まったくおんなじだよ。きちんと明かりもつくし。……ねえ、どういうことなの、可南子。どうして、そんなこと聞くの」
「つまり、飯岡さんが理香のライトや財布などソックリなものを用意して、あなたに渡したんじゃないかと思って」
「そんな、どうして」
「わかんなァい」
「ね、可南子。真剣に考えてる」
「当たり前でしょう。私はいつだって、真面目なんだから」
「ほんとかな」
「ほんと、ほんと。……あのね。今のはね」
と、可南子は腰の後ろに腕をまわし、胸をそらして理香を見た。
「夢と現実がゴッチャになっているから、区別をつけようと思ったの」
「それがどうして、飯岡さんがあたしの持ち物とそっくりなものを用意したことになるの」
「可能性としては、ふたつあるの。ひとつは、理香が見たことは空き地でのことも含めて、現実ってほうね。もうひとつは、飯岡さんが理香をからかおうとしているほう」
「飯岡さんが、あたしをからかう……? どうして」
「それは、わかんないけど。でも、何らかの方法で理香の夢のことを知って、あんなことをした可能性だってあり得るでしょう」
「う、うん」
何となく理香にも、可南子の言ってることはめちゃくちゃだと感じるのだけど、でも彼女の口からそう説明されると、まったくのでたらめでもないのではと思ってしまう。
「でね。これはふたつめの質問なんだケド、理香は夢のこと、誰かに話した?」
「ううん。可南子にさえ話してないんだよ。言うわけないじゃない」
「親や近所の人とか、身の周りにいる人間、全部ひっくるめても?」
理香はちょっと、せきばらいをした。
「じゃあ、可南子だったら言える? あんな気味の悪い夢のこと。話したらぜったい、引かれると思うし、性格だって疑われちゃうよ」
「じゃ、日記とかには? 日記でなくても何かノートにでも書いたとか、メール、携帯のメモ機能を使ったとか」
「日記には、ちらっと気持ちの悪い夢を見たとは書いたけれど、くわしいことは何も」
可南子が理香の座っているベンチまで戻ってきた。どすんと、身を投げ出すようにして座る。
「結局これじゃ、まったくわかんないか。飯岡さんが何者なのか、理香が経験したのが夢なのか現実なのか」
「可南子はどう思ってるの」
「わかんない」
長々と息を吐きながら、可南子は言った。
「理香が嘘をついてるとも思えないし、飯岡さんが理香を死ぬほど恐がらせるだけのために、こんなめんどくさいコトをやらかすとも思えない」
それから可南子はまた、足をぶらぶらとさせた。
「理香」
「うん?」
「理香は、どうするの」
「どうするって」
「もし、その石が見つかったら。飯岡さんに返すの」
「それは――」
口をひらきかけて、理香はことばにつまった。
そこまで考えてなかった。亜弓に言われたことに頭がいっぱいで、そこまで考える心の余裕が、理香にはなかった。「もしかして、返すつもり」
理香が黙っていると、可南子が先を続けた。
「こういうコトってさ、映画とかだとマズイことが起こるんだよね。じゃない? 飯岡さんは実は世界を支配しようとしている魔女で、石は悪魔を呼び出す道具だったりしてね。石を拾ったのは事件の鍵を握るヒロインで、魔女に立ち向かうんだけど、でもたいていはこういう時、まっさきに殺されちゃったりもするんだけどネ」
「可南子ぉ!」
理香は泣きそうな顔で、可南子をにらみつけた。
「ウソウソ。冗談だってば」
可南子は顔の前で、手を振った。
「ひとごとだと思って」
「ひとごとなんて、そんなふうに思ってナイよ。だって、飯岡さんがホントに魔女か何かで、この世界をどうにかしようと思ってんなら、理香だけの問題じゃなくなるンだからね」
理香は可南子の顔を見て、ため息をついた。
「ちょっと。私の横で、ため息なんかつかないでよ」
「だってぇ」
ふたりの間をしばらくの間、沈黙が流れた。
急に、可南子がベンチから立ち上がった。それに理香は、びくっとなった。
可南子が立ち上がるさまが、理香には決意を込めた動きのように感じられたからだ。
理香と可南子は、まるで正反対の性格をしている。特に可南子はうじうじと考えているよりも、行動を起こしながら頭を働かせるのが、いつものことだった。だから今、理香たちがしているような、考えてもどうにもならないことはあまり好きではない。だからそんなこと、どうだっていいじゃないかと言われるのを、理香は恐れた。
「ここでこうしていても、仕方ないか」
可南子がひとりごとのようにそう、つぶやいた。
「ね、理香」
「な――なに」
「あなた、カメラ付きケータイ、持ってたよね」
「え? あ、うん」
予想もしてなかったことを聞かれて、理香はちょっと、とまどった。
「それ、私に貸してくれない」
「あ、いいけど」
理香は制服のスカートのポケットから、携帯電話を取り出した。可南子に渡す。
「それ、どうするの」
と、理香は聞いた。
「うん。調べてみたいコトがあるんだ。飯岡さんについてネ」
「飯岡さんについてって 」
頭の中が真っ白になった。答えを返すのに、少し遅れてしまった。
「だって……そんなの、危険じゃない?」
「でも、ここで理香と顔を突き合わせているよりも、少なくとも建設的でしょ。飯岡さんがホントに魔女だってんなら、何かアクションを起こしてくるだろうし、理香をからかってんなら、逆に弱みを見つけてやれるかもしれない」
「でも、もし本当に彼女が魔女だったら……?」
一番、恐れていることを、理香は口にした。
「彼女が魔女だったら――正直に驚くよ」
「そういうことじゃなくって」
また可南子が冗談を言っているのだと思って、理香は少し声を荒くした。
「わかってるってば、理香」
可南子は理香の肩にぽんと手を置くと顔をよせて、ウインクしてみせた。
「冗談なんかでなく今の、本気だよ」
可南子は理香から少し離れたところまで歩いていくと、振り返った。
「……ネ、考えてもみてよ。このロケットを飛ばして、人が宇宙に行ける時代にだヨ。魔女みたいなオカルト的な存在が実際にいるかもしれないって考えただけでもこう、ワクワクしない?」
「えー、しないよ」
「私は、するけどナ」
理香は可南子から視線をそらすと、顔をうつむかせた。
「でも――」
「うん?」
「でも、いいの? 飯岡さんについて調べるってことは、あと戻りできないかもしれないんだよ」
「わかってる」
「あたしは――嫌だな」
「だったら、どうして私に相談したのよ」
可南子が腰に手を当てた。
「こんなこと誰にも相談できないから、聞いてもらいたかっただけ? そうじゃないでしょ」
可南子が近づいてきた。
「ね、理香。私を見て」
それでも理香が顔をあげずにいると、あごをつかまれ、強引に目を合わせられた。
「私のこと、信じられない? 理香の目から見て私って、そんなに頼りないのカナ」
可南子が理香のあごから手を放した。理香の横に座る。「そう思われていたのなら、ちょっと悲しいな」
「可南子……」
「ね、理香」
可南子は理香のほうを見ないよう、正面を向いて言った。「何を恐れているの。何が心配なの」
それに理香は答えず、自分の右手で左の手首をぎゅっと握った。
「……だったら、私が言ってあげようか。理香、あなたは私を自分のもめごとに巻き込んでしまうのが恐いんでしょ。それで私がひどい目に会って、あなたを恨むようになるんじゃないかって、そう思ってる。違う?」
思っていたことを、そのままずばり可南子に言い当てられて、理香は思わず彼女を見た。
「どうして……」
「どうして? 理香とのつきあいはもう、四年以上になるんだよ。それくらいのコト、わからなくてどうすんのサ」
可南子が理香に、ほほ笑みかけてきた。
「ネ、大丈夫だよ。飯岡さんのことを調べるんだって、これは私の意志なんだから、私が興味あってすることなんだから。どんなひどい目にあっても、理香のせいになんて絶対しないよ。約束する」
可南子は理香の目をじっと見て、そう言った。
「う……うん」
それは聞き入れた返事ではなかったのだが、可南子は一方的にそう受け取ると「よし」と、手を叩いた。
「あの、可南子?」
「じゃさ、楽しみにしといてヨ。飯岡さんの正体を一週間以内に、暴いてみせるからサ」
可南子はにんまりと笑うと、いきなり理香のほっぺたをつかんできた。
「ちょっとぉ、可南子。やめてよ」
理香は可南子にほっぺたをつかまれて、口があまり動かない状態のまま、言った。
「だってェ。理香のほっぺたって、もちみたいで柔らかいんだもん」
「そんな、人の顔をおもちゃにしないでくれる」
理香は自分のほっぺたをなでながら言った。
「ほめてるんだヨ、これでも。もち肌ってのは、女性にとって美点のひとつなんだから」
「毎回、可南子にはそう言われているけどね、可南子以外にほめられたこと、一度だってないよ」
「うーん。かもしれないネ」
可南子はわざと、顔をしかめてみせた。
「ちょっとそれ、フォローになってないよ」
ははは、と可南子は笑うと、理香に手をのばしてきた。理香は無言でその手を取り、公園のベンチから立ち上がった。
「じゃね、理香。私は早速、亜弓さんについて当たってみるよ」
可南子と一緒に公園を出ると、彼女が言った。
「でも、あんまり無理しないでよ」
可南子のことだから、一週間もすれば亜弓についての情報を、いろいろなところから引き出してしまうのは確実だろう。そのことについては、理香も心配していない。だけど今回だけは、嫌な予感するのだ。
冷静になって考えてみれば可南子の言うように、理香は亜弓にからかわれていることになるのだろう。吸血鬼のように人の生気を吸う魔女が存在しているだなんて、実際にはあり得ない話だからだ。
だけどその一方で、理香は夢のことをひどく気にしていた。あんなにもリアルな夢を見るほど、理香は自分のことを想像力豊かな人間だとは思っていない。そしてそれは、あんな夢を見たのは頭のどこかでやはり、本当に経験したことだからでないかと考えていた。
つまりは理香も混乱しているのだ。でもだからこそ、恐いということがある。亜弓を刺激して、それがどんな結果をもたらすのか、予想がまったくつかない。
それなのに、可南子は余裕たっぷりの笑顔を浮かべ、理香に向かって手まねきをするような、おどけたしぐさをしてみせた。
「わかってるって。ホント、理香は心配性なんだから。大丈夫だヨ」
それに、理香は首を横に振った。
「今回のことは今までのと、わけがちがうわ。飯岡さんがあたしをからかってたんなら、それでもいいけど ね、可南子。あたしの言いたいこと、わかるでしょ」
理香は可南子の顔をまっすぐに見つめると、彼女はすぐに笑顔を引っ込めた。
「もー、理香はずるいナ。こういう時だけ、お姉さんぶるんだから」
「だって 心配だよ。可南子があたしのために色々としてくれているのは、わかるけど……」
「わかった。わかったから、理香。そんな顔しないでよ」 可南子が理香の肩に手を置き、今にも泣きだしそうな声で言った。それから彼女は目を閉ざし、大きく息を吐いた。「しょうがないな。じゃ、約束。無理は決してしないわ。これでいい?」
可南子が右の小指を上に向けた。
「うん」
理香と可南子は小指と小指をからませ、指切りをした。すると可南子は、複雑な表情をした。
「なんかねェ。高校生にもなって、指切りまでさせられるとは思わなかったナ」
「だって――」
「はいはい、わかってるって」
可南子は理香のことばを封じると、背中をバンバンと叩いた。
それから、理香と可南子は別れた。理香は公園の入り口のところに立ち、しばらくの間、夕暮れの日の光に染まる可南子の後ろ姿を見送っていた。
しかし、どうしてだろうか。その可南子の背中を見つめていると、理香は何だかさびしい気分に襲われた。まるで、可南子が暗がりへと消えていって、二度と会えなくなるような――今すぐにでも可南子を追いかけていって、呼び止めたくなるような、そんな気に。
夕暮れ時だからだろうか、こんなことを考えてしまうのは。それともやっぱり、亜弓のせいでナーバスになっているからだろうか。
理香は首を横に振った。可南子に二度と会えないなんて、そんなことないと、理香は心の中でつぶやいた。
日が暮れればまた、朝日は昇るものだし、明日になって学校に行けばまた、可南子に会えるのは間違いない。
――つまらないことを考えるのは、もうよそう。
理香はバッグを肩にかけなおすと、可南子と逆の方向へと歩いていった。




