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「いやぁあ!」
理香は悲鳴をあげ、飛び起きた。
ベルの音が鳴り響いていた。枕もとを見ると、ミッフィーの目覚まし時計が目に入った。
理香は腕をのばすと、時計のアラーム音を消した。ゆっくりと、周囲を見回す。
——ここは……。
そうだった。ここは理香の部屋で、彼女は夢を見ていたのだ。
だけど——どんな夢を見ていたのか、理香にはさっぱり、思い出すことができなかった。
もう三日だ。三日続けて、同じことをくり返している。だけど、三日前も二日前も、理香は夢の内容を思い出すことができなかった。
どうせ夢なのだから、大したことではないのだけど、自分でもおかしいと思うくらい、気になっていた。
三日も、ぐっすりと眠ることができないからだろうか。少し、寝不足だった。気づいてみればつい、居眠りをしていた、とまではいかないのだけどまぶたは重いし、ちょっと気を抜くとあくびが出てきてしまう。
理香は大きく、息を吐きだした。ベッドから降りる。
目覚まし時計を、もう一度見た。
——七時十分。
そろそろシャワーを浴びないと、学校に遅れてしまう。
理香は思いっきりのびをすると、クローゼットに歩み寄っていった。
◇ ◆ ◆
校門へと続く歩道を歩いていた理香はまぶしさに、顔の前に手をかざした。日の光をさえぎる。
街路樹がとぎれ、頭上に真夏の空が広がっていた。
このところ、星空ばっかり眺めているからだろうか。澄んだ空の碧さが目に痛かった。その深いブルーの色を背景に、ぽつりぽつりと綿菓子をちぎったような雲が浮かんでいるのだけれど風がないせいか、雲はほとんど動いてなかった。
——今日も、暑くなりそう。
と、背中から誰かがぶつかってきた。バランスを崩しそうになり、理香は前に一歩、足を踏み出した。
「邪魔よ、邪魔! そんなところに、ぼーっと立っているとね」
理香と同じ陵北高校の生徒が、すぐそばを走り抜けていった。
理香はむっとしたけど表情には出さず、スリーウェイ・バッグをかつぎ直した。校門を見る。
——どうも夏は、好きになれないな。
夏服の生徒たちに混じり、理香は歩きはじめた。校舎に入り、げた箱で靴を取りかえると階段を昇り、二年A組の教室に入っていった。
「おはよー」
「ねぇ。英語の辞書、持ってきた?」
「今日、数学の小テストじゃなかったっけ。勉強してきた?」
朝のあいさつをかわしながら、理香は自分の席についた。バッグを開き、教科書やノート、ペンケースなどを机の上に並べていく。
「はよー、理香」
声をかけられた。顔をあげるとクラスメートのさゆりが、こちらに歩いてきた。
「おはよう、さゆり」
「どうしたの。ずいぶんと、眠そうじゃない」
さゆりが隣の席のいすを引いた。座る。
「う、うん。ちょっとね」
「もしかして宿題、終わらなかったとか」
「ううん」
理香は首を横に振った。
「終わった。朝方にようやく、だけどね」
——あ、あれ?
言ってしまってから、理香は不意に違和感を覚えた。
「ん? 理香、どうしたの」
さゆりが身を乗りだしてきた。
「あ——あたし、宿題やり終えていたんだっけ」
「えぇ? そんなの、あたしは知らないわよ」
どうしたんだろう。何だか、いつものあたしじゃないみたいだ。
声に出さずにつぶやいてから、理香は不思議に思った。
——いつもの、あたしじゃない? じゃ、いつものあたしって……?
「理香、理香!!」
肩をゆさぶられて、理香ははっとなった。いつの間にか、理香は自分が廊下側の一番後ろの席をじっと見つめていることに、気づいた。
二年A組には他のクラスよりふたり、生徒の数が少なくて始業式からずっと、そこは空席のままになっていたのだけどどうして、理香はその席を見つめていたのだろう。
「大丈夫?」
考え込んでいると、さゆりが顔をのぞきこんできた。
「え……あー、う、うん。大丈夫」
理香は口ではそう言ってみたけど、違和感はなくならなかった。それどころか奇妙な感覚はますます強まり、まるで——そっくり同じだけど別の世界に来てしまったような、そんなイメージを抱いてしまった。
……まさか、ね。
「ね、ね。ところでさぁ、理香。化学の宿題なんだけどさぁ、終わった?」
さゆりが上目づかいで、理香を見た。
それをきっかけにして、理香は自分の考えを頭から追いやることにした。きっと寝不足だから、こんなことを考えてしまうのだろうと、自分を納得させた。
「終わったけど、どうして?」
すました顔で、理香は言った。
「もう! 理香ぁ、いじわるなんだから」
さゆりが抱きついてくると、理香はわざとらしく、悲鳴をあげた。
「なに、なに? どうしたの」
理香たちが騒いでいるのを聞きつけて、クラスメートが数人、集まってきた。
その女子たちとアイドルやお気に入りのバンドの新譜情報、テレビドラマのことなどで盛り上がっていると、朝のホームルームが始まる時間になった。担任の瀬川先生が、教室に入ってくる。
「きりーつ、礼!」
クラス委員の森下が、号令をかけた。
頭を下げながら、理香は教壇に立つ瀬川と教室の扉を見た。
扉が開き、ベストにチェックのミニスカート、それに古めかしいフレームの大きなめがねをかけた女子生徒が教室に入ってくる……。
どうしたことか、理香の目にはそのシーンが見えたような気がした。
「着せーき」
生徒たちがいっせいに、席についた。がたっと、いすが音をたてる。
「ん? どうした、鈴木」
瀬川が立ったままでいる理香に、声をかけた。
「あ……あの」
どうしようか、と迷っている間もなく、理香の口が動いた。
「転校生は?」
「転校生?」
瀬川が聞き返すと、教室内がざわめきだした。生徒たちが、顔を見合わせる。
「転校生なんて、来てないぞ」
困ったような表情をして、理香を見た。
「あ——す、すいません。何でも、ありません」
理香は頭を下げて、いすに座った。あちこちで笑い声があがり、自分でも顔が赤くなるのがわかった。体温が急に上昇する。
「どうした、鈴木。大丈夫か?」
理香は瀬川に、首をうなずかせた。
「は、はい。すいません。大丈夫です」
大丈夫ではなかったけど、理香はそう答えた。まわりの席の女子たちが心配そうに、理香の顔をのぞきこんでくる。
だけど、自分でもどうしてあんなことを言ってしまったのか、理香にもわからなかった。




