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※ご指摘いただきまして確認したところ、「夜着」の使い方が間違いであったことが判明しました。
夜着の正しい意味は「寝るときに上に掛ける夜具。特に、着物の形をした大形の掛け布団。かいまき。」だと私が調べた辞書には載っておりました。
大変申し訳ありませんが、本作品ではこのまま「夜着=パジャマ的な何か」という誤用のままで使わせていただきます。
混乱を招いたり、間違った知識を植え付けてしまい申し訳ありません。
皆様が使用される際に、お間違いのないようにお願い申し上げます。
「はい、おわり!とりあえずこれで何もしないよりはずっとましになってるだろう。」
「ありがとう、アル。すごく気持ちよかったわ。アルもダンスで疲れているのに私だけしてもらうなんて申し訳ないわね。今度私も覚えてアルにしてあげるわ。何かお礼をした方がいいかしら?」
「俺は剣もしてるし運動は嫌いじゃないから平気だ。でもそうだな、今度はお互いマッサージし合うのもいいかもな。お礼をしてくれるならキスがいい!」
お礼がキスなんかでいいのかしら?そんなものいつでもあげるのに…。
私はいいわよ、と笑ってアルの近くにずりずりと移動すると、膝立ちで背を伸ばしてアルベルト様の頬にちゅっとキスをした。するとそのまま腕を引っ張られ、身体がぐらりと傾いたと思ったら、アルベルト様の腕の中にすっぽり収まっていた。
「きゃあっ!あ、アルっ!?」
「……もういっこお礼。抱っこして、ユリィ?」
抱っこして、と言ったが私がアルベルト様に抱っこされている。アルベルト様は私の腰にしっかりと腕をまわしてがっちりと抱きしめている。空いてる片手は私の髪をゆるく梳いている。
よくわからないけれど、アルベルト様は昔から私を抱きしめるのが好きだったし、これがお礼になるのならとアルベルト様の肩にこてんと顔を乗せる様にして身体の力を抜いた。
マッサージをしてもらったし、私より体格の良いアルベルト様に抱きしめられているのは安心感があって心地よく、夜会の疲労もあって段々眠たくなってきた。
「ユリィ…。」
「……うん。」
アルベルト様の少し掠れた、囁きかけるような声も、私を眠りに落としていくようだった。
「愛しているよ。」
「…えぇ……。」
瞼が重い。
身体のあちこちを触られている感覚がくすぐったくも気持ちいい。
「ユリィを…抱きたい。……いいか?」
「ふふっ…変なアルベルト様…。」
私はうつらうつらし始めた意識の中で小さくつぶやいた。
今だって抱きしめているではないか。
「私がアルベルト様を拒むわけがないじゃない…。」
言い終えるか否かというところで顎を掬われて、目の前が陰り、私は自然に瞼を閉じた。唇に何か温かいものが触れた感触がした。
あら、私今アルベルト様とキスをしているわ……。
ぼんやりとそう考え、心地よさに身を任せてそのままキスを受け入れていたのだが、そのまま柔らかくベッドに押し倒されたところで、急に意識が覚醒した。
キス!?アルベルト様とキスですって!?
ハッと目を開けると、熱っぽい目をしたアルベルト様に見降ろされていた。
「あ…アルベルト様……んぅ。」
アルベルト様は無言で私の呼吸ごと奪うかのようなキスを繰返している。私は抵抗の仕方もわからずされるがままになっている。
こ、これが口づけ…?苦しい。
鼓動が速くなる。頬は紅潮してるし、アルベルト様の体温も熱い。
アルベルト様は私に恋をしているのかしら?
だって口づけは、恋人や愛する夫婦がするもののはずだ。
つまりアルベルト様は、私を女性として愛していらっしゃるというのかしら…?
アルベルト様は熱に浮かされたような、しかし怖いくらいの表情で、何度も私の名前を呼んでいる。
アルベルト様は何をしようとしているのかしら…?
まさか……!?これが初夜の儀式なのかしら??か、覚悟が…っ!!
ようやく口づけから解放されて、そのままアルベルト様の唇が首を辿り、胸元まで降りてきたときに、自分の夜着の胸元がはだけていたことに気づいて、思わずアルベルト様を突き飛ばしてしまった。
「きゃああぁぁ―――っ!!」
「ゆ、ユリィ…?」
突き飛ばされたアルベルト様は、何が起こったのか分からずにぽかんとしている。
私はパニックで涙目になっていた。
「なんで?どうしてっ??私の夜着がはだけてるんです!?アルベルト様は私の夜着を脱がせて何をしたいのっ!?」
はだけていたのは胸元だけではなく、いつのまにやら太ももまで夜着がめくれ上がっていた。
夜着をかき集めて必死で自分の肌を隠す。
「え?…なにって抱こうとしたんだが……。」
「さっきまで抱いていたじゃない!どうして脱がすの?ここは浴室じゃないのよ!」
半狂乱している私の様子に、アルベルト様は何かがおかしいと確認するように言葉を紡ぐ。
「あの……ユリィ。俺の『抱く』をどう解釈したんだ…?」
「……言葉通りだけど…?今さっきまで抱き合っていたじゃない…。」
アルベルト様は、大きなため息をついて、仕切り直すように私に向き合って言った。
「えっと…誤解させる言葉を使った俺が悪かった。俺は…その、ユリィと初夜を迎えようとしたんだよ。本当の意味で夫婦になりたかったんだ。」
「え?初夜って世継ぎを作る儀式のことよね…?」
「あぁ…まぁそうだな…。」
「それって服を脱がさなければ出来ないの…?」
「…え?……ま、まぁ脱がさなくても一応出来るけど……。たいていは脱ぐだろ?」
「そ、そうなの……?ベッドの上で裸になって、一体何をすればいいの……?」
「……は!?」
私の質問に、真っ赤になりながら根気強く付き合ってくれていたアルベルト様が、最後の質問についに驚愕の声を上げた。
「……え?…もしかしてユリィ、初夜とか子作りの知識がまるでないのか……?え?本当に…!?」
嘘だろ!?と言わんばかりに目を丸くしたアルベルト様の様子に、堰き止めていた涙が一気に溢れだしてきた。顔は羞恥と怒りで真っ赤に染まっていることだろう。
「知らないわよ!!何にも知らないわよっ!!悪かったわね!だって誰も教えてくれなかったんだものっ!!アルとの結婚式の初夜には必要のないことだったものっ!今さら王妃の私が誰かにそんなこと知らないなんて言えるわけないじゃない!」
「……っいや!悪くないっ!ユリィは何も悪くないから、ごめんっ!!」
「出てって!出て行ってよっ!!アルなんて知らない!出て行って―――っ!!」
アルベルト様の謝罪など全く耳に届かず、私は泣きじゃくりながら枕を投げつけてアルベルト様を追い出した。
どれほど投げつけても所詮枕なのでアルベルト様は痛くもないだろうけど、私の半狂乱した状態を見て、そのまま私の望み通り出て行ってくれた。
アルベルト様が出て行ったのと入れ違いに侍女達が何事かと押し掛けてきた。
が、今の私は誰の姿も見たくないのだ。
「こないで!!誰も入室することを許しません!出て行きなさい!」
主の私の聞いたこともないような声で叩きつけるように命令され、侍女達はおびえて出て行った。
広い寝室で、私は一人声を殺して啜り泣いた。
酷くみじめな気分だった。
結婚式を挙げ、初夜には二人で仲良く寝たアルベルト様が、一人だけ大人になってしまったようで。
私は同じように年をとっているはずなのに、アルベルト様がいつの間にか知っていた初夜の知識すら持たぬまま。
そんな醜態を9つも年下のアルベルト様に晒した揚句、パニックを起こして寝所から追い出してしまった。
これは王妃として確実にまずい醜聞だ。夜間とはいえ、常に私達は誰かがそばに控えている身分だ。
侍女、メイド、衛兵…。確実に騒動を目撃しただろう。
侍女達は私の名誉のために口をつぐんでくれるだろうが、人の口に戸は立てられない。
おそらく憶測が憶測を呼び、噂を作ることだろう。
王妃として冷静に、頭の片隅で今後の事態を計算しようとするが、まるで頭が働かない。
心が疲れすぎて、思考が引きずられているのだろう。
私は涙の止め方もわからずに、そのまま泣き疲れて意識を手放すまで、ベッドの上で声を殺して震えていた。
翌朝、侍女達がおそるおそる私を起こしに来たが、私は王妃になって初めて公務を休むことにした。
侍女達は何も言わなかった。
私はよほど酷い顔をしていたのだろう。何があったのかはわからないが、確実にアルベルト様と何かがあったのだと察せられるほどに憔悴していた。
こんなことで、今までどれほど辛くても投げ出さなかった公務を投げ出すなんて最低だと思ったが、とてもじゃないが皆の前で王妃としてふるまえる自信がなかった。
ベッドで上半身を枕に預け、ぼーっと過ごした。
王妃として世継ぎを作る仕事を放棄し、あまつさえ王妃としての公務まで投げてしまった。
王妃失格だと自分を責め続け、今王宮を飛び交っているだろう私達の噂のことを考えると頭が痛かった。今までが仲睦まじくやってきただけに、今回のことは大きな噂になることだろう。
私を良く思わない者はこぞって嘲笑するでしょうね…。今から気が重い……。
アルベルト様は、朝と昼、おそらく忙しい中を必死で時間を作って会いにきてくれたのだが、会いたくないと顔も見ないで拒絶した。
「会いたくないのではなく…合わせる顔がないのよ…。駄目な王妃でごめんなさい……。」
きっと噂の払拭のため、私の心を少しでも軽くするために謝罪にきてくれたのかもしれない。ここで王妃として私がすべきは、すぐにでもアルベルト様と仲直りし、それを対外的にアピールすることだと言うのはわかっているのだ。でも、拒絶してしまった。
怖い、怖い…。
「お願いだから、今日一日だけはみんな私を放っておいてください。明日になれば…明日になれば、きっと王妃としての仮面をちゃんとかぶって見せるから……。」
誰に聞かせるでもない独り言が、広い寝所にむなしく響いた。
翌日、なんとか王妃としての威厳を取り戻し、公務に励んだ。
たまに私のことをひそひそと話しているような声が聞こえたが、そんなものは若いころの方が酷かったじゃないと自分を奮い立たせている。
今は主に、来月行われるアルベルト様の生誕祭について、大臣達と書面ですり合わせをしている最中だ。
アルベルト様は7歳で王として即位したが、実は国民へのお披露目は行っていない。
疫病で混乱しているところに7歳の子供が王になったと告げられても、それがいくら最後の直系だとはいえ国民は余計に混乱するだろうことは明白だったので、私が王族を代表して、王妃として一人でお披露目をしたのだ。
だがアルベルト様も17歳。もう立派な王として国民に顔見せするのもいいだろうと話しあっている。若く凛々しい直系最後の王だ。さぞ国民も喜ぶことだろう。
私は生誕祭の運営を担当している大臣達を呼び出して細やかなことを確認している。最終的には陛下の承認が必要だけれど、生誕祭は私の名前で動いている公式行事なのだ。
私が色々なことを確認していると、宰相たる私の父が面会を求めてきた。
すぐに許可を出し、父と対面した。
「王妃様におかれましてはご機嫌麗しゅう。お久しぶりでございます。」
「本当にお久しぶりですね、宰相殿。」
珍しいこともあるものだ。私が統治していたころならば四六時中顔を合わせて話をしていたが、私が政治の中心から少し離れた今は、アルベルト様を補佐しているはずだ。私に何の用だろう。
王妃として?…娘として?
「実は王妃様に進言したいことがございまして…。」
王妃としての用事のようだ。今さら落胆するほど私は父に期待などしていない。
「なんでしょう?」
「このたびの生誕祭に際しまして、陛下に側妃を迎えられてはいかがでしょう。つきましてはその選定を、王妃様にお願い申しあげたいのでございます。」
父はなんでもないことのように淡々と告げた。
「……どういうことでしょう…?」
私の顔はこんなときでも頬笑みを絶やさない。だが心は荒れ狂う波のようだ。
「はい。生誕祭では陛下の国民へのお目見えがございます。その際は王妃様もお隣に付き添われることでしょう。」
「当然です。王妃のわたくしが、公式の行事で陛下のお傍にいないなどありえませんわ。」
「ですが側妃がいれば、今後は行事の比重で陛下の隣にいる妃を、必要に応じて選択するということも可能です。生誕祭であれば、王妃様は常に陛下の隣にいずとも、陛下の隣に若く釣り合いのとれる妃がいれば、国民は納得するでしょう。王妃様はそれを悠然と構えて御覧になればよいのです。
大臣も国民も、国の安定を求め、一刻も早い世継ぎの誕生を求めております。なのに陛下はなかなか王妃様の寝所に足を運ばれませんし、我らの世継ぎ誕生の要求にも曖昧な返事を返されるばかりです。なので、そのために若く血筋の良い側妃を迎え入れるのです。我が国の慣例では、王は王妃のほかに、3人の側妃を娶ることが許されております。
先の噂は私の耳にも届いております。王妃様は年下の陛下を男性として、夫として見れないご様子。ならば王妃様は公務だけに全てを注ぎ、世継ぎの義務は側妃にさせればよいのです。」
父が何を言っているのかわからないわ…。
「お父様…。それは…私に世継ぎを作る必要はないといいたいの…?私と陛下の御子は、あなたの孫にあたるのですよ…?」
私は震える声で父に尋ねる。
父はそれに対してまた淡々と告げた。
「出来ぬものを求めても仕方ありますまい。」
「……わかりました。側妃の件、考慮しましょう。下がりなさい。」
父は一礼して退室していった。
なんだ…アルベルト様は大臣達にせかされて仕方なく私と世継ぎを作ろうとしたんだ。
アルベルト様は私を異性として見ていたわけではなかったのね…。
最初に自分で結論付けていたのに、何を勘違いしていたのだろう。
アルベルト様は、義務として私と世継ぎをなそうとしていたのだ。
嫌だわ、私何を勘違いしていたのかしら…。
アルベルト様に口づけされて、浮かれていたのかもしれない。
私こそ、王妃としての義務で世継ぎを作らなくてはと言っていたのに、同じことを陛下が考えていらっしゃったと思っただけで、これほど裏切られたような気になるのは、やはり私が身勝手だからなのでしょうね…。
私に求められているのは王妃として公務をこなし、正しくあることなのだわ。
そして、アルベルト様が望むのなら、私は王妃として常に立派にあらねばならない。
「ふふっ……。嫌だわ、私ったら…。今さら女性として求められたことが嬉しかったのね…。アルベルト様が私を愛しているのは『家族』としてなのに…。
私は純白の王妃よ。私の若く美しい時代はアルベルト様の家族になるために国に捧げたの……。もともと国を立て直すための政略結婚の相手として都合がよかっただけ。私が王妃として望まれているのは、アルベルト様の御子を産むことではないものね…。」
自分に言い聞かせるようにしてつぶやいた。自分で言った言葉が呪いのように私の心を閉ざしていった。
何をうぬぼれていたのだろう。
私がアルベルト様と結婚したのは父のためだ。そして、アルベルト様がくれた家族の愛情に応えるためだ。
アルベルト様は私を必要としてくれた。家族として愛してくれた。
私が欲しくてたまらなかったものを、アルベルト様はずっとくれたではないか。
アルベルト様は今でも私を愛してる、大好きだと言ってくれる。変わらぬ愛を注いでくれる。
私はその言葉のために、ずっと王妃として頑張ってきたのだ。
今さら女性として愛してくれなど、身勝手にも程があるだろう。
女性としての、妻としての役割を求められていなかったんだという事実をのみ込むと、自分が急に老けこんだような気がして、私は自分の姿を鏡で見た。
そこにいたのは恋に夢見る令嬢ではない。
長い政治の荒波にもまれ、年齢以上に年をとった一人の女だった。
他の人妻のように愛を注がれてしっとりと年をとった風情はなく、ただ愛を知らず年齢だけを重ねた、疲れ果てたような女だった。
いいや、と私は考える。
令嬢は皆愛し、愛される結婚を夢見るが、その大半は親が決める政略結婚になる。もちろん愛し合って結婚する夫婦もいるがほんの一握りだ。
そして大半の政略結婚の夫婦は、跡取りだけ作った後は、思い思いの相手と恋愛を楽しむのだと聞いたことがある。
中にはお互いを愛し合い、物語の様な理想的な夫婦になる場合もあるが、お互いをうまく尊重でき仲良く出来れば及第点なのだそうだ。
うまくいかずに表面だけの仮面夫婦だって一定数存在する。中にははたから見てもあからさまに仲の悪い夫婦だっているのだ。
その点を考えれば、私と陛下は年の差もあるのに、かなり理想的な夫婦関係を築けている。これ以上を求めるなど我がままなのだろう。
私は淡々と、陛下の側妃候補の令嬢達をリストアップし始めた。
陛下と年の釣り合いがよく、妃となるにふさわしい品位と血筋の令嬢達を。
私の心に沈み込んだ重い石は、完全に私の心を閉ざしてしまった。
これでいいと思った。
私の中で、芽吹こうとしていた何かは、静かに枯れてしまった。