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一話の文章量が多めです。
ご注意ください。
豪奢な赤い絨毯の上を、私はゆっくりと歩いている。
純白の豪奢なドレスに身を包んだ私は、侍女達の頑張りもあって、自分で見ても誰が賛美するにも困らない程度に美しいんじゃないかと思う。
薄いヴェールで顔を覆った私は、皆の視線を集めながらまっすぐ祭壇へ向かう。
祭壇の前では本日より私の夫となる人物が、気負いも照れもなく立っていた。
今年で7つになるこの国唯一の直系の王族、アルベルト様だ。
私を見て、嬉しそうに駆け寄ろうとしてそばにいた侍女に押さえられているその姿は、まだまだ幼い子供だった。
私はそんな姿を見て、少し緊張が和らいだような気がした。そしてそれと同時に罪悪感と空虚感のようなものを感じた。
おかわいそうに。この方は周りの大人達に都合のよいように騙されて、意味も知らずに私と結婚するのね…。
隣にやってきた私ににこにこと笑いかけ、誓いの聖句には欠伸をして、意味もわからず永遠の愛を誓った7歳のアルベルト様。
そしてその隣に静かな面持ちで、花嫁にふさわしく佇む16歳の私。
私達は他の人の目にどう映っているのだろう?
年の差9つの子供同士のままごとのような、けれど本物の結婚式。誰が見ても政治的な思惑が働いているのだとわかるこの結婚。
指輪の交換は、私の指にアルベルト様がえっちらおっちら指輪をはめて、その後私からアルベルト様にはめなければならないのだが、当然、代々王家に伝わる指輪が子供のアルベルト様の指にあまりにも大きすぎるので、特別に豪奢な鎖を通して首にかける形で行われた。
花婿がヴェールをあげることもできないので、私のヴェールは侍女が持ち上げる。このヴェールを花婿があげるのにも何か意味があったはずだが、今この場で考えてはいけないことだ。
「さぁ殿下。わたくしの頬にキスしてくださいませ。」
私が目線を合わせるように膝を折ってかがみ、アルベルト様にお願いすると、アルベルト様はむっと頬を膨らませた。
「なんでユリィがそんなメイド達みたいな言い方をするの?その言い方きらい!」
「今日は特別なのです。」
「やだ!ユリィがいつもみたいにしゃべってくれるまでキスしてあげない。」
ぷいっとそっぽを向いたアルベルト様の姿は微笑ましいが、これでは誓いの口付けが出来ない。仕方ないのでアルベルト様の望む、いつものような話し方でお願いし直した。
「アル、私の頬にキスしてちょうだい?お返しに私もアルにキスしてあげるわ。」
「いいよ、ユリィ!」
にっこり笑ったアルベルト様は私の首にしがみついて、むちゅうっとキスをしてくれた。力いっぱいキスしてくれたおかげで、微妙に頬が濡れてる気がする。気持ちは嬉しいのだが……唾液を拭きたくて仕方がない。
お返しに私もちゅっとアルベルト様の頬にキスをした。拭いたくて仕方ない頬を我慢するのに必死だ。参列者達に気づかれてないでしょうね…?
「今ここに、アルベルト・ディン・リグツェンドと、ユリシエンナ・ロットバーンが夫婦となったことを宣言します。」
私が必死で唾液を拭きたい衝動を我慢している間にようやく結婚の誓いが終了し、私達は晴れて夫婦となった。
「ねぇねぇ、『けっこん』したから、これでユリィとずっと一緒にいられるんだよね?だって『ふうふ』って家族でしょ?」
アルベルト様が念を押すように見上げてきたので、私は優しくうなずいた。
「ええ、そうよ。私とアルは夫婦で家族になったの。だからずっと一緒にいられるのよ。」
「よかった!大好きだよユリィ!愛してる!!」
アルベルト様は無邪気に満面の笑みで笑った。
「えぇ、私も愛しているわ、アル。」
そしてこのまま戴冠式に移行し、アルベルト様は王となり、私は王妃となったのだ。
我がリグツェンド王国は豊かな自然に囲まれた、穏やかで裕福な国だった。
けれど、ある時王国に疫病が蔓延し、完治の方法が確立されるまでに多くの民を道連れにした。
この疫病は貴族にも猛威をふるい、多くの貴族が犠牲になった。
そしてその中に王族もいたのだ。
国王、王妃、王子、王女、王弟、王族のほとんどがこの病魔に侵され、そのまま帰らぬ人となった。
そして当時身体が弱く、空気と水の綺麗な小高い山にある王家専用の避暑地で療養していた幼いアルベルト様だけが生き残った。
国の中枢の人間が少なくない数倒れ、国王不在の議会は大混乱に陥った。
そして国に忠誠と生涯を捧げた宰相である私の父は、この状況を酷く憂えた。
上に立つべき王族がいない。分家の王族はわずかにいたのだが、誰も納得しなかった。
我が国は血筋を重んじ、神の血を引く直系の王族が尊ばれる。この国を揺るがす未曾有の大混乱に陥ったからこそ、象徴たる王族は直系の血筋が求められた。
しかし残った直系の王族は6歳のアルベルト様のみ。せめて14歳の王女が残っていれば、分家の王族と結婚させることも出来たのだが、6歳のしかも王子なのだ。
アルベルト様を王にするのか否かで長く議会は紛糾し、国政はさらに荒れ、現状に耐えかねた父が強引に出した結論がこうだ。
私、ユリシエンナをアルベルト様に嫁がせる。
結婚するということは貴族にとって成人して家を継ぐ証のようなものだ。それを逆手にとって、私と結婚したアルベルト様は成人したも同然。なのでアルベルト様を王位につけて、私を王妃として立たせ、宰相の自分が外戚となることで補佐し、国政を安定させようというものだ。
我がロットバーン家は宰相の父の強い権力もあり、血筋も古く立派なのだ。ある意味王家の分家をしのぐほどに。
詭弁だらけの結論だと思うのだが、議会はそれで落ち着いたらしい。父が黙らせただけかもしれないが、詳しいことは知らない。
私に話が来たのは、既に全てが決定した後だったからだ。
「お前とアルベルト様の結婚が決まった。お前は王妃となってアルベルト様を支え、この父の助けとなってくれ。」
「もちろん喜んで、お父様!」
仕事にかまけて家庭を一切顧みなかった父が、私にはじめてお願いしたのだ。
幼いころに母を亡くし、後妻とうまくいかず、跡取りの義弟が生まれたことで家で孤立していた私にとって、父が私を見てくれたことが嬉しくて仕方なくて、深く考えずに即答した。
そして結婚前に仲良くなっておけと、王宮でアルベルト様と引きあわされた。
一度に家族と、親しかった乳母を亡くしたアルベルト王子は不安定で、手に負えない状況だった。
私が会いに行った時も塞ぎこんだり、突然両親を求めて泣きだしたり、暴れたりしていた。
どうやったかあまり覚えていないが、とにかくひたすら王子に寄り添い、抱きしめて、話しかけた。
するとある時から、常に私にひっついてくるようになり、私が帰ろうとするとしがみついて離れなくなった。おそらく家族がいなくなった隙間を埋めるように私を求めていたのだろう。
私も誰かにこれほど必要とされたことが嬉しくて、アルベルト様に深い愛情を惜しみなく注いだ。
そうしてアルベルト様が7歳になったころ、私の父がアルベルト様に尋ねた。『我が娘と殿下が家族になるためには、結婚をしなければならないのです。でなければ年頃の我が娘は、もうすぐ他の男性の妻にならねばなりません。そうすれば殿下とは離れ離れになってしまいます。なので殿下が娘と結婚して下さいますか?』と、幼いアルベルト様は私を失うことを恐れてすぐに頷いた。『ユリィとけっこんする!』と。
私も含めて、父のやり方は完全に詐欺師の手口のようだったが、父の頭にあるのは国を安定させ、豊かにし、繁栄させることだけなのだ。
それ以外は考慮することはあれど、比較的どうでもいいのだ。アルベルト様も、娘の私も。
こうして恙無く結婚式が執り行われ、私は王妃となり、アルベルト様が幼い間は事実上の国のトップとなった。
父の考えた政策をなし、議会では大臣たちの意見を聞き、自分の意見を述べてみたり、反論したり賛成したりした。仕事ばかりの父に振り向いて欲しくて幼いころから努力した政治の勉強がこんな形で役に立つとは思わなかった。
最初は至らぬ点の方が多かったかもしれない。けれど父や、大臣たちの手を借りながら、未熟な私は何とか国を立て直し、徐々に国は安定していった。
昼は政治、夜はアルベルト様を構いながら流れるように過ぎてゆく毎日は慣れないこともあって、酷い疲労や負担となった。
ひたすら私にひっついてばかりのアルベルト様を煩わしく思うこともあったけれど、それでもやはり、純粋に私の愛情を求めるアルベルト様が愛しくて、振り回されもしたが癒されもした。アルベルト様が昼に習った勉強の話を夕食の時に聞くのが、私の心休まる時間だった。
そんな月日が過ぎてゆき、10年がたった。
私は26歳になり、アルベルト様は今年17歳になる。
「あれからもう10年ですか。月日がたつのはあっという間なのですね。」
数年前からアルベルト様が徐々に私の負担していた王の仕事を引き継いで、ようやっと本当の意味でアルベルト陛下の治世が始まってきた。
アルベルト様が仕事を引き継いでくれたので、私は最近は王妃としての公務をこなすだけでよくなった。たまにアルベルト様の手伝いをしたり、指導をしたりすることはあれど、あのころから比べれば格段に楽になったのだ。
最近はアルベルト様が慣れない公務に苦しんで、一緒に食事をとる機会もほとんどなくなった。
「陛下とお食事を共にできないのは少々さびしいですわね。」
お茶を持ってきた侍女が笑って言った。
「ええ、そうね。朝も夜も一緒に食事をし、夜は共に眠っていたあの頃が懐かしいわ。」
年かしら、と笑う私に、侍女が反論する。
「そんな!王妃様はいつもお美しくいらっしゃいます。年だなんておっしゃらないでくださいな。王妃様は陛下と寝室を共にしていらっしゃったのですね。存じませんでした。」
「あぁ、貴女はここ数年でわたくし付きになったのだったわね。昔は寝室もひとつだったのですよ。陛下は私にしがみついて寝るのが習慣でしたからね。陛下が成長したある時から寝室を別にしたのです。」
「陛下は昔はずっと王妃様とご一緒でしたものね。」
あの頃を知っている侍女が懐かしげに言った。
昔は夜中に泣きながら起こされて、一緒におねしょの始末をしてあげたことが懐かしい。
そんなアルベルト様から、ある日、怒ったように今後寝室を別にすると言われた時はショックだった。年かさの侍女に「身体の成長に伴い、色々と思うところがあるのでしょう。大人になる準備期間が始まったのですよ。」と言われなければ嫌われてしまったのだと思っただろう。そういえば少し前から、おやすみのキスをしてくれなくなったこともさみしく感じていたのだ。
きっとアルベルト様の成長に必要なことなのだろうと、懸命に自分を割り切って、政務の方に集中して過ごしたものだ。
あの頃を思い出して笑っていると、侍女がそうだったのですねと感心していた。
あの頃からの付き合いの侍女も感慨深げに言う。
「もうすぐ陛下も17になられるのですね。」
「えぇ、今年の生誕祭は盛大なものになるでしょうね。」
侍女達と笑っていると、アルベルト様からの伝言が届いた。
『今日は早く政務を終えるから、食事を共にしよう。』とのことだった。最近は顔を合わせることも少なかったので、本当に久々の食事の誘いだ。
侍女達が手を叩いて喜んだ。
「まぁ噂をすれば陛下からのお食事のお誘いですわね。素晴らしいですわ!王妃様、さっそく湯浴みをしてお肌を整えましょう!」
「あら、必要ないわよ。ドレスだけ着替えて向かえばいいわ。今さら己を磨いて飾る必要などないのですもの。」
「何をおっしゃいます。女は常に夫の前では美しくあるべきですわ!きっと陛下もお喜びになられます!」
「そうですわ!王妃様は倹約を美徳とされていますが、たまには少し贅を凝らして飾っても罰は当たりませんわ!」
恋愛感情を持っているわけでもない、政略結婚した9つも年上の女が着飾って男が喜ぶわけがないでしょう。
そう思ったのだが、侍女達はきゃっきゃとドレス選びに夢中になっている。彼女達も主の私を飾ってみたいのだろう。たまには良いだろうと、付き合うことにした。
その後夕食までに湯浴みをし、マッサージをされて良い匂いの香を塗りこまれ、淡い色のシンプルなドレスを着て、髪を簡素だが愛らしく結われた。ただの食事なのにあまり晩餐会のように着飾らないでとお願いした、私と飾り付けたい侍女達との妥協点がここだった。
「いくら露出してないとはいえ、さすがにちょっとこの色は若々しすぎないかしら…。この結い方も可愛い流行りの形だけど、若い令嬢のようだわ。年甲斐もなくはしゃいでいるように見えないかしら…。」
鏡の中の自分を見てそう評する私に、着付けた侍女達が総出でこれでいいのだと断言する。
「王妃様はお若いころからいつも重々しい色ばかり身につけていらっしゃったから、慣れていらっしゃらないだけです!」
「お似合いでいらっしゃるから問題ありません!」
「本当はもっと飾り付けたいくらいですのにっ!!」
だって若い王妃が舐められないようにするには、ひたすら大人っぽくて威厳のある恰好をするしかないではないか。
もはや値段をつけることのできない王家に伝わる王妃のティアラや首飾りが、若い私にどれほど重かったことか…。
愛らしさや美しさを基調とした軽やかな王子妃のティアラと違い、王妃のティアラは威厳と歴史に溢れ、それをつけることの責任を問うような佇まいだった。
父の頼みから始まり、私を求めてくれるアルベルト様と共にあるためだけに王妃になった。
そんな……私にとっては決して軽くないはけれど、国民を背負って立つには浅はかな覚悟で王妃になったことを責めるような威圧感があったのだ。
だから必死だったのだ。ティアラの重みに押しつぶされてしまわないように、書類の山に潰されてしまわないように、大臣達に軽んじられてしまわないように…。
必然、私の表情は硬質で鋭くなり、選ぶドレスも伝統的で重々しいドレスになり、国民の期待に応えるように大人になることを求められた。
そんな私が今さらこんな初々しい令嬢のような軽やかなドレスを着るだなんて…。
けれど、侍女達に口々に綺麗だこれでいいと褒めたたえられ、これ以上ごねるとさらに飾り付けられそうな予感がしたので、侍女達をねぎらって食事へ赴いた。
どうせアルベルト様しかいない身内の食事だ。多少はしゃいだところで、王妃としての品位が崩れるわけではないから大丈夫だろうと信じたい。
準備を整えて、私はアルベルトさまの待つ食事の間に向かった。