生活
「義、」維心は、足を踏み出した。「義明!」
義明は、顔を上げた。
「ああ王よ、お久しゅうございまする。それにしても、公李から聞いておった通り、やはり維月様には頭が上がらぬご様子でありまするな。」
維心は、義明をまじまじと見た。赤子の時は気を与え、育てば子守りと幼い頃より、ずっと自分の世話をしてくれた義明。それなのに、自分は義明が旅立つ時、傍に居なかった。門を開いてやることも出来ず…。
「義明…あの折別れたきりであったの。主には世話になったままであった。」と、維月を引き寄せた。「我の正妃、維月よ。その様子では、公李より聞いておるようであるの。その通り、我はこれには頭が上がらぬわ。」
維月が、赤くなった。
「まあ、維心様ったら…私、そこまでワガママでありまするか?」
維心は微笑んだ。
「おお、いつなり我を困らせよるゆえ。」と、抱き寄せた。「我は主が怖おうて仕方がないわ。」
義明は、笑った。
「ほんに…お変わりになりましたな、王。お子様の頃からいつなり険しい顔をなされておられたのに、良い表情をなさっておられる。これで、我も安心致しました。」
維心は、義明を見た。
「なんぞ。どこかへ参るようなことを…。」
公李が、横から言った。
「義明殿は、王がお越しになるまではと、転生も先送りにして来られたのでございます。もう、いよいよ拒むことも出来ずと申しておったところに、王がこうして来られると知って。」
維心は、義明を見た。そうか、あれは1000年以上前のこと。義明は、ずっと待っていてくれのか。義明は、頷いた。
「転生すれば、全て忘れてしまい申す。この記憶のまま、もう一度王にお会いしたかった。赤子の頃から、我が大切にお育てし申した偉大な龍王であられるのですからな。思った通り、王は立派に世を平定させられ、お世継ぎも残され、望まれた妃をお連れになってこちらへいらっしゃった。これ以上のことはございませぬ。我は、待った甲斐がございました。」
維心は、涙ぐんだ。父より、父のように思っていた義明。死しても案じていてくれたのだ。
「大儀であったぞ、義明。主のお蔭で、我は龍族を分散させずに済んだのだ。父を殺して王座に就いた我を、主が守ってくれておったゆえ…。」
義明は、頭を下げた。
「もったいない事でございます。王、我はまた龍として転生いたしまする。将維様に仕え、お守りして生きて参ります。何も覚えてはおらぬでしょうが、お役に立てるよう精進いたしまするゆえに。ご安心くださいませ。」
維心は、頷いた。
「主ならば、覚えておらぬでも大丈夫よ。将維は兄弟も多いゆえ、案じてはおらぬがの。甘いところもあるゆえ。頼んだぞ。」
義明は、また深々と頭を下げると、そこを辞して行った。維心はそれを、じっと見送っていた。
それから数日の間、屋敷に来客が引きも切らず、それまでの臣下達やら、それに父王や祖父の王までやって来て、落ち着く間もなかった。
十六夜はその間、戻って来ることがなかった。維心はまるで生前のように、見慣れた設えの居間で来客を受け、夜になれば奥の間で維月と共に休み、ここが黄泉だと忘れるほどであった。
二週間ほど過ぎた頃、十六夜がやっと戻って来た。
「どうだ?やっと静かになったみたいじゃねぇか。」
維心は、十六夜を見た。
「ほんに主は変わらぬの。何をしておった。ふらふらと維月を放り出して…これが我なら維月は許してくれぬところよ。」
十六夜は前の椅子に座った。
「何回か覗いたんだがな。客ばっかで落ち着かねぇじゃねぇか。オレは騒がしいのは嫌いなんだよ。いいじゃねぇか、お前が居るんだし、維月もその方がうるさくないからいい。」
維月は横を向いた。
「ほんとに十六夜ったら、こっちに来ても出掛けてばっかりなんだから。維心様は側に居てくださるけど。」
十六夜は眉を寄せた。
「仕方ねぇだろうが、こっち来ていきなり維心の親父に門までの行き方習ってたんだからよ。オレにだって会いたいって言うヤツが居るんだ。お前の縁続きばっかりじゃねぇか。」
維月はむくれて黙った。維心が言った。
「だがな、女ばかりであるのだろう。それでは維月も良い気はせぬぞ。半分ことか言うておったのではないのか。これでは生前と同じであろう…我は良いがの。」
十六夜は不機嫌に言った。
「…別に何かしてる訳でもなし。嫁にしたのは維月だけじゃねぇか。それが分かってるんだから、問題ないだろうが。」
維月は、怒るかと思ったが悲しげに下を向いた。維心がためらっていると、十六夜も戸惑った顔をした。
「…なんだ、維月?どうした。」
維月は、何も言わずに首を振った。そして、突然立ち上がった。維心も十六夜もびっくりしていると、維月はくるりと背を向けた。
「…そうね、いいのよ。私、有と会う約束だったの忘れてた。じゃあね、十六夜。」
二人は呆然としてそれを見送る。維心が、誰にともなく呟いた。
「…有は…先ほど帰ったばかりではないのか…。」
十六夜は、それを聞いて慌てて維月の去った方を見た。維月…?
「…ヤバい…」十六夜は、呟いた。「なんか知らんが本気で怒ったんだ…。」
今度は、維心がびっくりして十六夜を見た。維月が本気で怒ったら、どれだけ怖いか知っている。
「謝って参れ!」維心は、慌てて言った。「とにかく謝って参れ!我は知らぬぞ!」
十六夜は、すがるように維心を見た。
「そんな冷たいこと言うなよ、維心。絶対話なんか聞いてくれねぇって。だいたいなんで怒ってるのかわからねぇのに。」と、十六夜はまだ維月が去った方向を見て言った。「なあ、お前、何とか言って来てくれよ。」
維心は仰天した顔をしてぶんぶんと首を振った。
「何を言う!絶対にそんなことはせぬ!こっちにまで火の粉が来るではないか。だいたいの、主は何事も加減を知らぬのだ。最初は維月も気にしておらぬ風だったのに、二週間も戻って来ぬゆえ、さすがに案じておったのだぞ?なのに、あれではの。ようあんな暴言を吐いて、平気でおったものよ。我には無理ぞ。」
十六夜はうらめしげに維心を見た。
「なんで止めてくれなかったんだよ。」
「止めたわ!」維心は言った。「馴れ合い過ぎておるのだ!維月なら、子供の頃から知っておるゆえ、何を言うても大丈夫だと思うておるであろうが。あのな、維月は主であるから仕方がないと思うておるのだ。我など、傍を離れることも許してもらえぬのに。今は政務もないゆえの。ま、我は離れたくないゆえ、別に困ってもおらぬが。」
十六夜は下を向いた。
「オレは生前別々に住んでたし、こういうのに慣れちまってよ。時々維月と一緒に過ごせればそれでいいんだが…。」
維心は、ため息を付いた。
「確かに、我がそうしておったのだから悪いとは思うがの。しかし、生前とは状況が違う。あの頃は月へ戻っているか、月の宮で蒼と居ただろう。今は、維月の縁戚とはいえ女の所に居るのだろうが。それも、泊まり込みで。生前なら、何もしておらずとも皆妃であるところぞ。」
十六夜はハッとした。
「…そういやそうだ。だが、ほんとに何もしてないぞ?そんな気になれねぇし、だいたい体がするようにはならねぇしな。」
維心は、神妙な顔をした。
「生前、炎嘉がよう言うておったことぞ。しかし、それでも妃よ。だから我は、女などと関わるのを避けておったのだ。ゆえにまあ、そういうことで維月と諍いは起こさぬのだがな。」
十六夜は落ち着かぬように戸の方を見た。
「とにかく、お前が行ってくれないか。オレ、絶対話してくれねぇと思うからよ。」
維心はまた首を振った。
「嫌だと言うておろうが!」
しかし、三十分後、維心は渋々居間を出て維月を探して歩いて行ったのだった。