『PENITENCE』
「ごめん、痛かった?」
訊くまでも無いか。佐藤の頬っぺたには僕の手の痕がくっきりと残っていた。さすがにこれはひどいな。今回は佐藤は何も悪くない。
「まあな。でも、見物料だと思えば安いもんだ」
みちるだったら顔が真後ろに向いてるところだ。それを思えば命があるだけ佐藤は感謝しなければならない。あの後、僕は服を着ると事情を話したが佐藤はまったく信じようとしなかった。そうだろうとは予測していたから風呂に連れて行くところだ。脱衣場まで来ると佐藤に一人で風呂を見るように言った。
「怖いのか?」
「いや、何かあった時に逃げるためだ」
おいおいと呆れながらも佐藤は臆せず風呂場に入った。まったく信じていないな。しばしして、
「何もないぞ」
そんなことはない。浴槽からも天井からも壁からも手が生えてきたんだ。恐る恐る中を覗くと何もない。
「寝ぼけていたんじゃないのか?」
風呂で寝ぼける奴がいるか!でも、確かにない。どっかに行ったのかな?
「だったら安心だな」
「えーっ、僕の部屋に出るかもしれないじゃないか」
「それなら他の部屋で寝るとか」
どこに出るかわからないのでは、どこで寝ても一緒だ。佐藤は信じていないからか本気で考えていない。証拠が無いのでは僕も佐藤に手の存在を証明することはできない。
「ごめん、僕の勘違いだったみたいだ」
「気にするな。そのおかげで…」
途中で言葉を切って佐藤は顔をポリポリした。視線を僕から外している。さっき僕の裸を見た時のことを言っているのだろう。一応、女の子の体だ。佐藤には眼福だったことだろう。でも、いま思えば平手打ちするような事ではないな。あの時は恐怖体験の後だったから気持ちが昂ぶって情緒不安定だったのだろう。そういや前に、みちるのお兄さんに裸を見られた時も逆上してお兄さんを殴りまくっていたな。お嫁にいけなくなるなんて超絶恥ずかしい台詞を吐いて。思い出してしまった。顔がカーッとなる。
「待て、すまん、別に、その…なんて言うか…」
僕が赤面しているのを勘違いしたのか佐藤が慌てて弁解しようとするも慌てているので弁解にならない。そんな反応されるとかえって恥ずかしくなるからやめてほしい。別に僕は佐藤に裸を見られても恥ずかしいとは思わない。何度も言うが自己防衛本能が働くだけだ。いまとなっては説得力がないけど。それにしても、手はどこに行ったんだ?本当にこの家から出て行ってくれてたらいいんだけど。妖怪かな?手がいっぱいだったから手手連という名前かも。そうか、さっき感じた異妖な気配はあれだったんだ。これで二度目だ。変なのに遭遇するの。
「何もなかったのならそれでいいか。ゲーム対戦しようよ。昼間のリベンジだ」
「いいだろう。あふれる知性で返り討ちにしてやろう」
ゲームに知性って関係あるか?居間に行こうとすると玄関から元気な声がしてきた。
「ただいまーっ」
シスターだ。姉さんと今晩は外泊のはずだったんじゃ。玄関に行ってみると姉さんもいた。
「どしたの?」
「やっぱり気になっちゃってね。食事とお風呂だけいただいて帰ってきたのよ。佐藤くん、いらっしゃい。ごめんね、せっかくの二人きりの夜なのに」
「いえ、俺もそろそろ帰ろうかなと思っていたところだったので」
あれ?ゲーム対戦は?
「今日はうちに泊まるんじゃなかったの?ケンカでもしたのかな?その頬の手形を見ると大体想像つくわね。佐藤くん焦りすぎたんでしょ?ダメよ焦っちゃ。事を急いては仕損じるってね」
「違うんだ姉さんこれは…」
佐藤の名誉のためにもちゃんと事実を伝えなきゃと思うんだがどう言えばいいのか。自分から裸を見せたなんて言ったらどんなお仕置きが待っているか。
「これは佐藤の顔に虫がついてたからなんだ。な?」
「あ、ああそうなんですよ。ははは」
二人して笑ってごまかす。姉さんも薄々僕らの嘘に気づいているようだが深くは追求してこなかった。佐藤がそのまま帰ると言うので見送ることにした。するとシスターが駄々をこね始めた。
「私も行くう!」
だーめ。佐藤と二人っきりになる必要があるんだ。
「どうしてダメなの?」
どうしても。お願いだから今日は引き下がって。その代わり次の休みに映画に連れて行くからさ。そう妥協案を提示するとシスターはパッと顔を輝かせた。
「本当?」
本当だとも。だから家で待っててね。
「はーい」
やれやれ。どうにかシスターを宥めた僕は佐藤と外に出た。
「今日は悪かったな。いろいろとさ」
この日のためにいろいろとプランも練ってきただろうに。挙げ句の果てがビンタだもんな。恩を仇で返すとはこの事か。さすがに悪いと思い、佐藤に詫びと礼を兼ねて目を瞑るように言った。
「な、なんでだ?」
どうしてそんなにビクつくんだろう。
「なんか一瞬、戦争映画で銃殺される兵士が目隠しされるシーンが過ってな」
どういう意味だ?みちるじゃあるまいに。いや、みちるなら目隠しというささやかな情けすらかけないだろう。
「つべこべ言わずにさっさと瞑れ」
「わ、わかった」
まったく。胸がドキドキしているのがわかる。これをやってしまうともう後戻りはできない。いままでの人生を否定するに等しい行為だ。しかし、僕にはこれしか詫びと礼の方法が無い。ええい、ままよ!僕は背伸びして佐藤の頬に唇を接触させた。
「え……」
佐藤が困惑しているようだが、僕はそれを確認できない。顔を俯かせているからだ。や、やってもうた。直後にものすごい後悔の念が押し寄せてきた。うわあああっいますぐ記憶を消したい!できればTime Machineで過去に戻って己が愚業を阻止したい!そうだ、いまなら佐藤の口を封じたら全てを闇に葬れる。佐藤をどう始末するか思案する。死体の隠し場所も考えないと。だが、事態は悪化の一途を辿っていた。
「あんた、大胆なことするわね」
はいぃ!?驚いて振り向くとそこにはニヤニヤしながらこちらを見ている姉さんと、その後ろにみちる!?なんで、姉さんの後ろにみちるがいるの!?いつ家の中に入ったの!?
「あら、みっちゃん来てたの?」
「お邪魔してます」
いつお邪魔したんだろう。同じ疑問は佐藤も抱いたようだ。
「なんで姫前がこいつの家にいるんだ?」
「害虫駆除のバイトをしているのよ、あたし」
それ、意味わかんないよ。でも、いつ家に入ったんだろう。ひょっとして、僕が佐藤に醜態を晒すところを見てたとか?
「もう、仕事も終わったし、あたしも帰るわ」
え、もう帰るの?
「そうよ、明日学校じゃない」
そっか、じゃあ送って行くよ
「いいわよ。あんたは彼氏を見送ってあげなさい」
それを言わないでよぉ。僕はみちるにしがみついた。
「ちょっと、離しなさいよ」
そんな事言わないでさぁ。
「ったく、佐藤悪いけど先に帰ってくれない?この娘、あんたと一緒にいると気まずいみたい」
「あ、ああ」
「こんなに恥ずかしがるくらいなら最初からしなきゃいいのに」
呆れ顔のみちる。反省してるよ。軽挙妄動が過ぎるって。
「わ、悪かったな。なんか無理させてしまったみたいで」
僕があまりにも軽慮浅謀を悔いているのを見かねたのか佐藤が申し訳なさそうに言った。
「あんたが謝る事じゃないわよ。この娘が自分でやったことなんだから」
みちるの言う通りだ。佐藤って本当にお人好しだな。
「と、とにかく俺帰るわ。また明日な」
「待って、佐藤」
みちるが呼び止める。
「あんた嫌だった?この娘にキスされて」
だから、それを言わないでってば。
「嫌なわけないだろ」
「そう…」
佐藤の返答に頷くとみちるは僕の耳元で囁いた。
「えっ!?」
僕は耳を疑った。
「なんでそんなことを?」
「いいからやってみなさい」
で、できないよ僕にはとても…。躊躇う僕にみちるは僕の方を掴んで顔を近づけた。
「いい?恥ずかしいことも何回もやったら恥ずかしくなくなるのよ。あんた、佐藤にキスしたのが恥ずかしいんでしょ?だったらもう一度キスすれば恥ずかしさなんて吹き飛ぶから」
恥ずかしさと一緒に何か大事なものも消えてしまいそうな気がする。
「む、無理だよ」
「できる!あんたはやればできる子なんだから。言ってみなさい?僕はできるって」
いや、できるできないの問題いぜ……
「余計なことは考えない!あんたは僕はできるって繰り返せばいいの」
「僕はできる…」
「そう、もっと続けて」
僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる…
「そう、その調子」
僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる、僕はできる…
「なんだかやれそうな気がしてきた…」
「そうよ。あんたはやればできる子だって言ったでしょ。さあ、行きなさい。あんたはできる子だってお姉さんにも見せてあげなさい」
姉さん?姉さんの方を向くと僕に向かってガッツポーズしている。励ましてくれているようだ。みちるの激励と姉さんの期待、僕は二人を裏切りたくない。僕は立ち上がると佐藤の方へ歩き出した。少し離れていたので佐藤にはさっきの会話は聞こえてないようだ。これから何が起こるかわからずキョトンとしている佐藤の首に手を回すと爪先を立てて奴の口に自分の口を重ねた。その直後、さっきよりもすごい後悔が僕を遅い、その晩は夜を徹して短慮軽率を猛省したのは言うまでもない。




