『HAND』
初めて作ったにしては美味いなこのポトフ。佐藤にも感想を聞いてみる。
「どう?美味しい?」
「ああ、相変わらず料理が上手いな」
毎日作ってるからね。人間、褒められると嬉しいものだ。上機嫌になる。
「まだあるからいっぱい食べていいよ」
「さんきゅ」
僕もおかわりしよう。なにせ大量にあるからな。我が家の各種鍋はまるでどっかのスポーツクラブの少年部の合宿所かとツッコミたくなるぐらい巨大である。これぐらいないと胃袋が4次元になっているんじゃないと思うくらい大量に食うシスター様を満足させられないのだ。最近、食う量が増えたんじゃないか?そんだけ食ってもちっとも太らない。どこに吸収されてんのだろうか。そう言う僕もあまり太らない。そういう体質みたいだ。しかし、そういうのは佐藤にはわからない事で一般家庭では有り得ない大きさの各種調理器具が気になるようだ。
「やっぱり気になる?」
「まあな。意外と大食いなんだな」
佐藤はシスターの事ほとんど知らないからな。あんな小さい体で何軒かの食べ放題の店で出入り禁止になるほどの量を食うとは思いもしないだろう。いちいち説明するのも面倒なので僕が汚名をかぶろう。
「そんなに食ってるのに太らないんだな。女子連中が聞いたら羨ましがるぜ」
女の子っていつもダイエットを気にしてるよね。別に僕は多少太っても気にはしない。
「なんか逆だな。太りたくない奴が太りやすくて、太っても気にしない奴が太らないって。神様の悪意を感じるよ」
「まあ、正確には太ってはいるんだ」
「なんだ太ってんじゃん」
佐藤がお茶を口に運ぶ。そうなんだよね。太ってんだよね。腹じゃなくてさ。僕は自分の胸の上に手を置いた。
「うん、胸が」
その直後、佐藤が口の中のお茶を一斉に吹き出したのだ。
「ぶふぉっ!」
あんだよ汚いな。あろうことか、佐藤の吐き出したお茶は僕の頭上に降り注いだのだ。
「す、すまん。けどな、そういうのは口に出すなよ」
お前は口から出したけどな。だって本当の事だもん。そろそろブラを買い替えないといけないみたい。でも、その前に着替えだ。着替えたばかりなのに。
「本当にすまん」
いいよ。僕もサクランボDKにちとデリカシーに欠けていたようだ。着替えるついでにお風呂に入ろう。頭からお茶をかぶったもんな。
「お風呂に入ってくるから、食べ終わったら食器を流しに持って行ってね」
「あ、ああ…」
なんだ?挙動不審。女の子がお風呂に入るって聞いて良からぬことを企んでるのか?
「別に覗いてもいいけどさ。その時は代償を払ってもらうかんね」
その代償とは勿論命だ。
「わかってるよ」
どうだかね。まあ見られて減るもんじゃないけど男の劣情を煽ってるのが嫌だ。そうだ、買って来たジュースは先に飲んでていいよ。
お茶に濡れたシャツや他の衣類を洗濯機に入れた後、自分の体も洗濯して湯船にドボン。
「ふう…」
お風呂は体だけでなく命も洗濯できるって言ってた人がいたな。人間だけでなくお猿や虎もお風呂が大好きだ。チラッと脱衣場を見る。同級生の女子がお風呂に入ってるとしたら健全な思春期なら十中八九覗きに来るか下着を漁りに来るだろう。今更ながら大胆な行為だったかと反省している。女の子の気持ちになってたらもう少し慎重に行動していただろう。本当に覗きに来たらどうするか。別に見られてもいいけど、その後がどうなるか想像すると見られないに越した事はない。
「来てないか」
よほどみちるのお仕置きがこたえたようだ。あまり佐藤を待たせるのも気が引けるので早く上がるべきだが、少し今後について考えようと思う。
僕は不本意ながらも女の子になってしまった。どう足掻いてもどうにもならない。でも、女の子として生きて行くという事は恋をする相手は男という事になる。そんなの絶対に嫌だ。できたら、みちると恋仲になりたかったけど、それもそれで嫌じゃないけど憚れる。僕が男と付き合うのを忌避しているのと同じで、みちるも女の子同士の恋愛には否定的なようだ。今の僕はみちるにとっては最愛の異性から大事な友達としての同性になっているようだ。だから、いろいろと気を留めてくれているし、こないだみたいに襲われないように佐藤と付き合っている事にしてはと提案してきている。僕もそろそろ女の子として生きて行く事を真剣に考える時期に来たようだ。そりゃ知っている男でだったら付き合うのは佐藤だ。一番仲のいい親友だし。それに助けられたこともある。お返しをしないとダメなのに何がいいか思いつかない。いや、数ヶ月前まで男だったので、男が女の子からのご褒美で何が嬉しいかはわかる。それをやる勇気があるかどうかだ。
「どうしたもんかね」
同じ境遇の人間がいたら経験に基づくアドバイスがもらえるかもしれないが、女の子になった男はおそらく人類の歴史で僕だけだろう。だから自分で考えるしかない。どうしたらいいかわからずにウンウン唸ってるとトントンと肩を叩かれた。叩かれた方の肩に目をやると手が親指を立てていた。思い切ってやってみろって事らしい。
「あ、どうも」
礼を言って視線を元に戻す。そうだよな。くよくよ考えても打開案は出てこない。ここはやってみるしかないか。それで僕の気持ちも変わるかもしれない。よし、決めた!…って、アレ?
「誰?」
周りを見回す。誰もいない。さっきの手はなんだ?錯覚じゃない。肩を叩かれた感触がある。でも何もない。気のせいか?
「疲れているのかな?」
実感はないけど誰もいない浴室で自分のじゃない手が見えるなんて有り得ない。無意識に疲労が蓄積されているに違いない。
「今日は早めに寝るかな」
この後、佐藤とゲーム対戦するつもりだったけど幻覚を見るまでに疲れているなら休まないとね。佐藤へのご褒美はどうするかって?別にいいんじゃない?僕の手料理を味わえたんだからさ。ん?また肩をトントンされた。振り向くと、さっきの手がまるでダメダメと言いたいかのように手を振っている。やっぱりお礼はちゃんとしないとダメって事か。うーん、迷う。悩んでいるとまた手が僕の肩をトントンしてさっきみたいにグーで親指を立てた。お前ならできると言いたいみたい。いや、できるかできないかで悩んでいるんじゃないんだけど。わかったよ。勇気を出すよ。ありがとう、いろいろアドバイスしてくれて。僕は手と握手した。んじゃ、そろそろ上がるか。浴槽から出て脱衣場への戸を開けようと手を伸ばしたとき、ん?となった。あの手はどこから伸びてるんだ?浴槽の底からだが入浴剤を入れていたために濁って見えない。しかし、さっきまで僕が入ってたんだ。人間が入っているわけがない。ってことは…
「幻覚…じゃないよね」
さっき握手したもんね。こうもはっきり見えてしまっては気のせいにもできない。僕が必死に安心できる言い訳を考えていると浴室のあっちこっちから手が生えてきた。
「ぎゃああああああっ!!」
僕は浴室から飛び出すと一目散に居間に駆け込んだ。
「出たーっ!!」
「ぶーーーーーっ!」
僕が駆け込むと同時に佐藤がまたしても吹き出した。さっきよりも盛大に。人の家の中を汚すな。いまは佐藤を咎めている場合じゃない。
「出た出た出た出た出た出た出た出た出た出た出た!」
「ま、待て、落ち着け!」
落ち着いてなんていられない。僕は必死に訴えた。
「手が、手が、手がーっ!」
「わかった、わかったから落ち着け!」
「本当だって、本当にお風呂から手が生えてきたんだ!一緒に来てくれ!」
「わかったって。だから頼むから服を着てくれ!」
「なに言ってんだ。来てほしいのはこっちだ!って、服?」
視線を下に落とす。そこに映し出されたのはなにも身につけていない僕。何もかもが包み隠さず晒されていた。途端に身体中が熱くなるのを感じた。そして、次の瞬間佐藤の頬へ…
パーーーーーーーーーン!!
我ながらいい音がした。




