6.本当は違う/シャナドゥー
翌朝、二人は馬に乗ってダグンホトを出発した。ダグンホトとシャナドゥーの間には道が敷かれており、人や物の行き来も多く、彼らは道に迷うこともなく安全に旅をした。何度か休憩を挟みながらシャナドゥーへ辿り着いたのは夕方だった。
オルリコはシャナドゥーの市壁が地平線に見えた時の感動を一生忘れないだろうと思った。町をぐるりと囲む高く白い壁が夕焼けの色に染まり、壁の中のいくつもの背の高い建物も同じ色に輝いていた。
「大きな町だね。暁都と同じくらいかな?」
オルリコは市門をくぐりながら隣の絶影に話しかけたが、彼はきょろきょろと辺りを見回していて彼女の話など聞いていない。文句を言ってやろうかと思ったが、彼は突然興奮した様子で彼女を振り向いた。
「オルリコ、見ろよ!」
絶影が指したのは葬列だった。喪服を着た行列の中に見覚えのある顔があった。
「イラーナ!」
隊商で親しくなり、盗賊に襲われた夜に離れ離れになったイラーナが葬列の先頭の方を歩いている。彼女は父親が危篤状態だから故郷のシャナドゥーへ帰るのだと言っていた。父親の死に目に間に合ったのかどうかは分からないが、彼女の無事を確認することができてオルリコは心からほっとした。
「良かった……!」
イラーナに声をかけることはできなかったが、オルリコは嬉しくてたまらなかった。思わず絶影の手を握ると、彼も嬉しそうに笑った。その時、葬列の中のイラーナと目が合った。彼女は驚いたように目を見開き、それから小さく微笑んで人ごみに紛れて行った。
二人は中央広場の近くに宿をとって馬を預け、一年前に金華と銀河が布を結びつけたという広場の木を探しに行った。広場を訪れて驚いたのはその木が想像以上に大きかったことだ。彼らは広場の入り口であんぐりと口を開けた。
「うわあ、大きい……」
「な、何だよ、これ……」
その木はシャナドゥーで一番大きな寺院の目の前に立っていて、枝に葉が一枚もない白い大木だった。大木の裸の枝には色とりどりの細長い布が無数に結び付けられ垂れ下がっている。まるで枝いっぱいに葉が覆い茂っているようだった。
「おや、ご存じではないとは」
仰天する二人に声をかけて来たのは商人風の壮年の男だった。どこかで見た顔だと思ったら、彼らが部屋を取った宿の主だ。
「これ、何ですか?」
オルリコが訊ねると、宿の主は樹齢何百年かの大木を前に目を細めた。
「これは祈りの木です。シャナドゥーへやってきた旅人が自分の旅装の一部を切り裂きそれに願い事を書いて枝に結ぶと願いが叶うと言われています。願いがかなった時、旅人はそれをほどきに再びシャナドゥーを訪れ寺院に寄付することになっています。もし本当に願いが叶っていれば、布をほどく時に木が七色に光ると言われていますが、まあ、みんな無謀な願いを書いていますし、願いが叶ったところで二度とシャナドゥーを訪れることのない者も多いので私もこの目で見たことはありません」
白い大木は満月を背にして、紫色の夜の闇に浮かび上がるように立っている。それが七色に光り輝くなんてさぞ美しいだろう。
「君、今の話、知ってた?」
宿の主人が二人から離れて行くと、絶影は狐につままれたような顔でオルリコを見た。オルリコは首を横に振った。まさか双子の御遣いがそのようなものだとは、彼も彼女も思っていなかった。
「私、金華さんと銀河さんが願い事を書いた布、探すよ」
木の下に行くと垂れ下がった布の先が頭の天辺に触れた。近くで見ると何十年も雨風にさらされてきたような古びた布もあれば、昨日今日に結び付けられたような新しいものもある。
「こんなに沢山ある中から探せってのか?」
絶影は目を凝らすように祈りの木を見上げ、うんざりしたように言った。オルリコも思わず肩をすくめた。「大金持ちになれますように」「科挙に合格して立派な役人になれますように」「子宝に恵まれますように」「女房の病気が善くなりますように」「商売繁盛」「旅の無事」……書きつけられた様々な願い事を眺めながら、金華と銀河は何を願ったのだろうとオルリコは考えた。ほどいて持ち帰れと言うからには、二人の願い事は叶ったのだろう。
「金華さんの布は赤、銀河さんの布が青だよ」
オルリコは懐から双子の旅装の切れ端を取り出した。「これが見本だよ」と双子に持たされたのだ。
「赤も青もいっぱいあるぜ……」
二人で木の下を数刻うろうろした後、彼らはようやく金華と銀河の布を見つけた。どちらも高い枝に結び付けられていて、木に登らなければ到底手が届かない。先に絶影がひょいひょいと祈りの木に登り、オルリコは彼の手を借りて何とか枝によじ登った。
木の上から広場や街を見下ろすと、何とも爽快な気分だった。闇に包まれた街のあちこちに赤い提灯がゆらゆらと揺れている。夜が更け、広場にはほとんど人影がなく、屋台が店じまいをしている以外は、旅人に声をかける宿屋の客引きがうろついているだけだった。
「これだ、金華さんの布」
ピンクに近い赤色の布を手に取り、オルリコは固い結び目を器用にほどいた。
「あ……!」
布が枝からするりと自由になった瞬間、白い大木がぼんやりと白く光った。広場にいた人たちは気が付いていない様子なので気のせいかと思ったが、絶影は目を丸くしてオルリコの顔を見た。
「今、光ったよな?それ何て書いてあったんだ?」
絶影が覗きこんできたので、オルリコは布を広げて金華の聡明そうな字を読んだ。
『留守番のオルリコが元気になっていつかシャナドゥーへ来られますように』
一年前、張一家がシャナドゥーを訪れた時、オルリコは暁都で留守番をしていた。両親を亡くしたばかりで気落ちしていたので同行を断ったのだ。
「確かに、願いが叶った、よな」
「うん……」
だが、まさか金華が留守番をしていたオルリコのことを案じ、願い事を書いてくれたとは思ってもみなかった。祈りの木を見上げると枝はまだ薄ぼんやりと光っている。胸に熱いものがこみあげてきて涙で視界がゆがんだ。
喜びに浸りそうになる自分を振り切るように彼女は銀河の布をほどきにかかる。布は枝の先端の方に結び付けられていた。思い切り身を乗り出し、手を伸ばし過ぎて枝から落ちそうになったオルリコを絶影が後ろから抱きしめるように支えてくれた。小柄だと思っていた彼の腕は存外にたくましく、オルリコの胸はどきどきと高鳴った。彼の手に支えられていると何もかも心から安心でき、布の結び目が永遠にほどけなければいいのにと思ったほどだ。
銀河の青い布がほどけると絶影はオルリコを自分の方に引き寄せた。
「今度は何にも起こらないな」
「うん」
白い大木は先ほどのように光らず、枝から垂れ下がった無数の布がそよそよと風に吹かれて揺れるばかりだった。二人は布に書かれた文字を見た。
『オルリコが幸せになりますように』
青い月明かりに照らされた祈りの木に沈黙が下りる。
二人の書いた願い事にオルリコは困惑した。あの双子はいつもオルリコを困らせるために彼女に意地悪な御遣いばかりさせ、毎日毎日我儘の限りをつくしている。それなのに、どうして彼女のためにこんな願い事を書いてくれたのだろう。
「ひょっとして、全部、好意だったんじゃないか?」
布を握りしめたまま戸惑うオルリコに絶影は確信したように言った。
「隣町に飴玉を買いに行かせたのも、ずっと張さん家にこもってる君を外に出してあげようと思っただけで。的頭村に石拾いに行かせた時はきっと関さんと出会わせるためで。この旅も、独身最後の旅行をプレゼントしたつもりだったのかも。二人とも全部、君のためって思ってたんじゃない?」
金華のさらりとした字と銀河のつたない字を見つめるうちに、オルリコの目から涙がこぼれた。一度泣き始めると堰を切ったように次から次へと涙があふれてくる。双子の旅装の一部を握りしめ、絶影の腕に顔を押し付けてオルリコは泣いた。絶影は小さく笑い、オルリコを優しく抱きしめて彼女の頭をそっと撫でた。
「泣くなよ。喜ぶとこだろ?」
「だって私、ずっとずっと、あの人たちが私に意地悪してるんだと思ってた。私のことが嫌いで、私を困らせたいんだと思ってた。みんなもそう言うから」
「世間の噂と、本当のことは違うって、俺に言ったのは君だろ」
絶影はけらけらと笑った。
そういえば、隣町に飴玉を買いに行った時、菓子店の近くで大きなお祭りをやっていた。両親の死の悲しみを引きずり憂鬱な気分で歩いていた彼女は賑わう街を抜け、太鼓や笛の音を聞いているうちにいくらか明るい気持ちになれたような気がする。
的頭村へ花を摘み行った時は春の盛りで、村のあちこちで花が咲き乱れ、雪解け水で満たされた湖がいつもより青く美しかった。
石拾いに行った時は関がどこからともなく現れて彼女に声をかけてきた。今から思えば偶然の出会いではなかったような気もする。初対面の彼はなぜかオルリコの顔と名前を知っていて、彼女が名乗るより先に「あなたが張さんの使用人のオルリコですか?」と訊ねたのだった。
「でも、何で木が光らないんだろう。――君、幸せじゃないの?」
「そんなの分かんないよ」
双子の真意を知ることができて嬉しくてたまらないのは確かだが。
「布をほどいて来いって言ったからには、例の双子は願いが叶って君が幸せになったと思ってるわけだよな。将来有望な商人との結婚を控えてるわけだし」
言いながら、絶影は自分の手を彼女の手に重ねた。いつか夢で見た時と同じように、彼女は自分の胸がどきどきと高鳴るのを感じた。彼のマメだらけの手は想像以上に熱く、その手に触れられることは何とも何とも心地良かった。
その時、広場に残っていたごく少数の人々が祈りの木を見上げてざわつき始めた。仰ぎ見ると木が淡く光っている。すかさず絶影がオルリコの顔を覗きこんだ。
「幸せってこと?」
「知らないよ!」
頬を染めて声を荒げた彼女の額に彼は自分の額をくっつけた。二人は黙って見つめ合い、お互いの心臓の音や呼吸の音を聞いていた。オルリコは絶影の黒い瞳を見つめながら、彼が何を考えているのか知りたくてたまらなかった。
「君、本当にあいつと結婚するの?」
彼は静かに訊ねた。
「それは……」
言いかけたオルリコの唇を彼の唇が覆った。重なった手と唇から彼の熱い気持ちが流れ込んでくるような気がしてオルリコは眩暈に似た感覚を味わった。婚約者とさえ交わしたことのない口づけを出会って間もない少年と交わしている。初めての経験に心が震え、甘い罪悪感に飲まれる。どうしてか、時が止まればいいと思った。
「目、開けて」
促されて閉じていた目を開けると、すぐ近くに絶影の優しげな顔が見えた。辺りがまるで昼間のように明るい。祈りの木が虹色に光り、木に垂れ下がった無数の布までもが輝いている。
「綺麗……」
彼女は呟き、二人を包む七色の光に見とれた。
「うん、綺麗だ」
彼はオルリコの手を握る力を強めた。それきり何も言わず、二人はしばらく木の上で光り輝く祈りの木を眺め続けた。青い月の照らす紫色の夜はそうして更けていった。
翌朝、目覚めると宿の客室に絶影の姿はなかった。昨夜眠る前に、朝になったら隊商宿へ行って暁都へ向かう隊商がないか訊ねて来ると言っていたので、それで出かけているのだろう。
オルリコは身支度を済ませると持参した道具で暁都の張家へ手紙を書いた。無事にシャナドゥーへ辿り着き、金華と銀河の旅装の切れ端を見つけることが出来たと記し、結婚式までには必ず帰ると書き添えた。
結婚式。
オルリコは昨夜、祈りの木の上で絶影と交わした口づけのことを思い出した。あの時、祈りの木は七色に光り輝き、その幻想的な光で二人を包み込んだ。彼女は幸せだった。これが幸せというものなのかとしみじみと思った。だが、あの時のような気持ちを、結婚してから再び得ることができるのだろうか。関との口づけも、あんな風に素敵なものだろうか。
ため息が出た。
絶影は昼前に戻って来るなり、興奮したようにオルリコの手を引っ張って宿の一階の食堂に彼女を連れて行った。
「やあ、無事で何よりだ」
食堂の椅子から立ち上がり、そう言って笑ったのは隊商長の劉だった。晋粥で出会い、盗賊に襲われるまで共に旅をしてきた彼もシャナドゥーへ辿り着いていたのだ。
「暁都に帰る隊商を探しに隊商宿へ行ったら、偶然、劉さんに会ったんだ」
絶影は満面の笑みを浮かべて嬉しそうに言った。こうして再び劉に会えるとは彼も思っていなかったのだろう。
「劉さんもご無事だったんですね。良かった」
世話になった隊商長の劉や親しくしてくれたイラーナの無事を確認することができて本当に良かった。オルリコは嬉しくて天地の神と先祖に感謝したい気分になった。
「絶影君が盗賊の半分以上を倒してくれたおかげで逃げられたのさ。私はしばらくシャナドゥーへ留まる予定なんだが、知人の隊商が明後日、暁都へ向けて出発することになっているんだ」
食卓に昼食の皿が運ばれてくると、劉は話しながら箸を取った。絶影も饅頭を左手でつかみ、右手の箸で豆腐炒めを口に詰め込みつつオルリコに目を向ける。
「隊商に加えてもらえることになったから明後日には出発するぞ。それなら間に合うよな――結婚式に」
オルリコの結婚式は九日後だ。暁都まではおおよそ六日かかるので、結婚式の二日前に帰宅できる計算だ。
「……うん……間に合う」
「……良かったな」
それきり、絶影は黙々と食事を続け、時々劉と会話するだけでオルリコの顔を見ようともしなかった。彼女は気まずい思いで昼食を取り、やがて劉と別れた。今度こそ最後の別れかと思ったが、しばらく隊商宿にいるから麻雀でもやりにおいでと劉は気さくに言って去って行った。
午後は雨が降った。どこにも出かけられず、オルリコは窓を開けて窓辺に腰掛け、宿の前の通りをぼんやりと眺めたり、遠くに見える祈りの木に旅人が布を結び付けて行く様を観察したりしていた。絶影は床で筋肉の鍛錬を始めたがすぐに飽きてしまったのか、オルリコの書いた手紙を出して来てやると言って雨の中を無理に出かけて行った。
次の日も小雨がぱらぱらと降り、二人は一日中室内でほとんど黙って過ごした。夕方になって雨がやむと、絶影が買い物に出ようと言い出した。翌日から始まる旅に向けて準備しようと言うのだ。
「それに、双子にお土産の一つも買ってやった方がいいんじゃないの?」
オルリコはデールの内ポケットに財布を入れて簡単に身支度し、絶影と並んで宿を出た。絶影も手ぶらだったが彼は腰に剣を帯びていた。
とりあえず街の中心部へ歩き始めるとあちこちに露店が出ており、オルリコは度々足を止めて品定めし、若い娘の営む店で金華と銀河のために色違いの耳飾りを買ってやった。絶影は非常食を少し買い足しただけで、後はオルリコの買い物に付き合ってくれた。振り回してばかりで彼に悪いと思い彼女が露店のゴマ団子を奢ってやると、絶影はオルリコに髪飾りを買ってやると言い出した。
「要らないならいいけど」
びっくりして目を丸くするオルリコに絶影は頬を染めて顔を背けた。
「要る」
オルリコは彼女のお団子頭と紫色のデールに似合う深緑色の玉のついた髪飾りを選び、それを早速、髪に刺した。買い物を終えると、二人の足は中央広場に向いた。祈りの木の前まで来ると、どちらからともなく願い事を書こうということになった。
宿に戻り、絶影の剣で服のごく一部を切り裂いて墨で文字を書く。お互いに何を願ったかは見せ合わなかった。二人は黙って祈りの木へ向かい、手を伸ばして布を枝に結び付けた。オルリコは布を結びつけながら、そういえば雨風にさらされながら、どうして祈りの木の布の文字は消えないのだろうと不思議に思った。
今夜も闇の中にぽっかりと青い月が浮かんでいた。
「何て書いたの?」
少し離れた所から木を眺めていたオルリコに、絶影は今さら訊ねてきた。
「そういう君は何て書いたの?」
「そりゃあ……早く一人前になれますように、とか。背か伸びますように、とか。君は?」
「秘密」
「何だよ。俺のは教えたじゃん」
「だって恥ずかしいもの」
「俺だって恥ずかしいっての!あ、俺に恥じらいがないとでも?」
「うん、なさそう」
怒る絶影と笑い転げるオルリコはじゃれ合いながら広場を横切って宿へ向かう。都会の雑踏に紛れると、はぐれないようにと絶影が彼女の手をつかんだ。赤い提灯の光が揺れる雨上がりの夜の街はしっとりと賑わい、空元気の自分たちがひどく浮いているように思えた。
「あのさ、暁都に戻ったら……」
前を向いて歩みを進めながら絶影は切り出したが、なかなか言葉の先が続かなかった。
「ねえ、何?」
オルリコは期待を込めて訊ねた。何でもいいから、暁都に帰った後の約束が欲しかった。旅が終わると同時に彼が他人になってしまうなんて嫌だった。
「……ごめん、何でもない」
彼は厳しい表情を前に向けたまま口をつぐんでしまった。
オルリコの胸はずきんと痛んだ。
「そう……」
晋粥の相撲勝負で大立ち回りを繰り広げたから、きっと彼にも少しずつ仕事がくるだろう。一人前の用心棒になるために一生懸命に仕事をこなし、恐らく彼は日に日に逞しくなっていく。全うすべき仕事と、忙しい毎日が待っているのだ。オルリコに構っている暇などないに違いない。
一方、オルリコは旅から帰ったらすぐに結婚式を挙げる。関家に嫁ぎ、そこで新しい生活が始まる。関飛を夫とし、彼を支え、関家の跡継ぎを産むと言う大切な使命も待っている。子供が産まれたら子育てに追われることだろう。
――私たちの人生には、もうどこにも接点などないのだ。
胸がずきんともう一度痛んだ。
――どこをどう探しても、接点などない。
ずきん、ずきん、ずきん。
――私たちは旅が終わったら、他人に戻るしかないのだ。
気が付くと両目から涙がこぼれ出していた。こんな人ごみで泣くのは嫌だったが、誰も彼も、隣の絶影さえも、彼女の涙に目をとめてなどいない。ぽろりぽろりとこぼれる涙は冷たい頬に流れ落ち、顎を伝って旅を共にしたデールに沁み込んでいく。
『君はもうすぐ人妻になるんだから、俺なんかと遊んでる暇ないだろ?』
三日前の夜、彼は冷たくそう言ってオルリコに背を向けた。その意味がようやく彼女にも理解できた。
彼に気づかれないように、オルリコはそっと涙をふいた。絶影は相変わらず怒ったような顔で前方を凝視している。彼の顔を横目で見ながら、オルリコはほんの少しだけ、甘い甘い夢を見た。彼がオルリコをお嫁に欲しいと言って、関飛から彼女を奪ってくれるのだ。用心棒の夫と可愛い子供たちに囲まれ楽しく忙しく幸せに暮らす自分を夢想して、オルリコの心は躍った。そしてそれが叶わぬ夢だと思い知り、そっと、唇を噛んだ。




