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5.命を賭ければ/ウラムレン大草原

 盗賊に襲われた野営地を逃げ出ししばらく走った後、二人は馬を下り手綱を引いて草原を歩いた。大雨は振り続いていたが少しでも遠くに逃げようと彼らは夜を徹して足を動かし続けた。少し休憩しようと絶影が提案したのは雨がやみ朝日が昇り始めてからだった。彼らは草原の真ん中に座り込んでずぶ濡れの荷物の中から焼き菓子を取り出して二人で分けた。


「ここ、どの辺りかな」


 焼き菓子を飲み込みながらオルリコが呟いた。絶影もそれを考えていたところだった。疲労とショックのせいで二人とも一晩中黙りこんでいたが、甘い食べ物を口に入れると少し元気が出て来た。


「太陽が向こうから昇って来てる。シャナドゥーから遠ざかっちゃったな」


 昨夜もし晴れていれば星を見ながらシャナドゥーの方角へ逃げられたかもしれない。道標が雲に覆い隠されていたことを絶影は内心で悔しがった。


「今夜は野宿することになるかもしれないけど、とにかく東に向かって歩こう。馬はいざという時のために引いて行こう」


 いざという時というのは賊に襲われた時のことだ。全速力で逃げるために馬の体力を温存しておきたい。馬たちは丈の低い草の中に頭を突っ込み、好みの草をのんびりと食べている。いつの間にか雲が晴れ、頭上に洗いたての青空が広がっていた。昨夜の逃避行が嘘のようだ。


「草原の空はさ、雨上がりが一番いいんだ」


 絶影は空を見上げ、背中の屋筒を地面に下して矢の残数を数えた。あと三本。この矢で随分多くの盗賊を倒した。残った矢は濡れてしまっているので羽根の部分を拭きたいのだが、あいにく乾いた布がない。風が乾かしてくれるのを待つしかなさそうだ。


砂埃すなぼこりが立たないから、空気がすごく澄んでるんだよ」


 絶影はごろりと仰向けに寝転んだ。濡れた草は彼の身体を優しく受け止め、爽やかな風がそよそよと彼の髪を揺らした。オルリコも彼の隣に並んで横になった。彼らの真上を白い雲の塊が通り過ぎ、その雲の影が二人の身体の上に落ち、ゆっくりと静かに横切って行った。


「みんなとはぐれちゃって、シャナドゥー、辿り着けるかな」


 しばらくするとオルリコが呟いた。絶影は彼女が不安で泣き出したらどうしようかと思ったが、オルリコの声はしっかりしていた。それどころか、どこか他人事のような口ぶりにも聞こえた。


「考えてもしょうがないよ」


 絶影は目を閉じた。盗賊の襲撃と逃走劇の興奮が冷め、今は眠くてたまらなかった。


「ねえ、君は何のためにシャナドゥーへ行くの?」


 彼はこれまでにも何度かそれを訊ねたが、その度にオルリコに答えをはぐらかされていた。どうせまた教えてくれないんだろうなと思いつつ、彼は睡魔と戯れながら彼女の返事を待った。


「……布を取りに行くんだよ」


 澄んだ青空を見上げたまま、オルリコは言った。


「……は?」


 夢の世界に片足を突っ込んでいた絶影は聞き間違いかと思い、身を起してオルリコの顔を見た。彼女は平然とした様子で寝転んでいる。


「シャナドゥーの中央広場には大きな木があって、金華さんと銀河さんは昨年、その木の枝に布を結びつけたんだって。それを取りに行くの」

「……え?」

「それが私の最後の仕事」


 風が吹き、丈の短い草や二人の髪や服がざわざわと揺れる。

 絶影は鼻で笑ってしまった。心底から自分たちが情けなく思えた。


「そんなことのために命を賭けて旅して、盗賊に襲われて、命からがら逃げ出して」


 一緒に旅してきた仲間を見捨てなければならなくて。


「馬鹿馬鹿しいと思わないのか?」


 彼は身を乗り出してオルリコを問い詰めたが、彼女は耳を塞ぐかのように目を閉じてしまった。聞く耳を持たない彼女に彼は苛立った。


「今から引き返して、布は風で飛ばされちゃってましたって言えばいいんじゃないのか?だいたい、何だよ、あの双子!もしかして最初からオルリコに取りに行かせるために木に布を結びつけたのか?一年も前に?」


「あのさ」


 一人で熱く喚く絶影を、オルリコは落ち着いた口調で制した。彼女は上半身を起こし、彼の顔を真っすぐに見た。初めて会った時と同じ印象的な黒い目で見つめられ、彼は一瞬どきりとした。


「確かに、私はくだらない事をしてると思う。隣町に飴玉を買いに行ったり、的頭村を訪ねて花や石を持ち帰ったり、シャナドゥーへ布を取りに行ったりね」


 彼女は少し自嘲気味に微笑んだ。


「でも、一度やると決めた仕事を途中で投げ出したくない。どんなにくだらない仕事でも命を賭ければそれだけの価値が生まれると思う」


 オルリコはいつになく強い口調で言い切り、絶影を睨んだ。

 彼は仕事の価値など考えたこともなかった。くだらない仕事はくだらない仕事だし、つまらない仕事はつまらない仕事だと思っていた。自分の心がけ次第で仕事に付加価値が生まれるとは思えない。


「俺には分かんない」

「うん。分かってくれたらいいなとは思ってたけど、分かんなくてもいいよ。君の仕事は私を護ることであって、私を理解することじゃないもの。でもね、両親が死んでから今日まで私が生きてこられたのは、私に仕事を与えてくれた張さんたちのおかげ。彼らに与えられた仕事をこなすことが、私が生きて行くための唯一の手立てなんだよ」


 オルリコは苦々しげに笑って少しだけ俯き、すぐに顔を上げる。


「だから、私をシャナドゥーへ連れて行って」


 濡れたような黒い瞳に見つめられる。吸い込まれそうだ。


「お願い、絶影」


 絶影は立ち上がった。休憩は終わりだ。


「分かったよ」


 本当はちっとも分からない。なぜ彼女がこんな理不尽な目に遭わなければならないのか、腹立たしくて仕方がない。だが、彼女に何かを請われて断るなんて彼にはできなかった。それはオルリコが客だからというだけではない。


「ねえ、さっき『最後の仕事』って言った?」


 馬を引き、東に向かって歩きつつ絶影は訊ねた。オルリコは少し離れたところを歩きながら躊躇いがちに答えた。


「日程的に余裕があったから黙ってたんだけど、私、十三日後に結婚するの」

「え」


 絶影は愕然として足を止めた。何故かひどくがっかりする自分がいた。胸の上に石でも乗せられたような気分だった。


「だ、誰と?」

「新町の関飛さんって知ってる?張さんの知り合いの商人」


 新町の関飛。男前で背が高く頭も切れるという評判の男だ。


「……知ってる。時々、衛世館に来るお得意様。……ま、まさかあの色男と君が仲良しだった、なんて、ねえ、あはは」


 ショックを隠そうと笑ってみたが我ながらとてつもなく不自然だと彼は落ち込んだ。


「仲良しなんかじゃないよ。的頭村に石拾いに行った時にたまたま関さんに声掛けられて、湖のほとりで少しお話して、その後暁都まで送ってくれたのが最初で最後だもの。張さんを介して婚約してから、金華さんと銀河さんと新町まで覗き見に行ったけど」


 オルリコは不機嫌そうに言い、絶影を追い越して行く。


「だから結婚式までに絶対に暁都に帰ってなくちゃいけないんだ」


 彼女に何か言い返そうとして、彼は大地を駆けてくる蹄の音に気が付いた。辺りを見回すと近づいてくるのは一騎だけだった。緑色のデールを着た青年が白い馬に跨り泥を跳ね飛ばしながらやって来る。


「遊牧民だ」


 心配そうに眉根を寄せていたオルリコに微笑み、絶影は遊牧民に手を振った。彼に道案内をしてもらえれば万々歳だ。


「うっす、こんなとこでどうした?おまえら二人きりか?」


 遊牧民の青年は二人のそばで馬を止め、馬上からにっこり微笑んだ。日に焼けた顔は面長で目も細長いがどうしてなかなかの男前だった。年は二十代前半くらいだろうか。


「シャナドゥーへ向かう隊商が盗賊に襲われてみんなとはぐれたんだ。道も分からないし、迷惑じゃなきゃシャナドゥーへ行く方法を教えてもらえないか?」


 絶影が進み出て頼むと遊牧民の青年は朗らかに笑って胸を張った。


「おう、いいぜ。だけど、おまえらずぶ濡れだし、腹減って疲れてんじゃねえ?服を乾かしがてら、おれん家で少し休んでけよ」


 二人は馬に乗り、青年の言葉に甘えて遊牧民の集落を訪ねた。集落にはいくつものゲルが点在しており、青年はその中のひとつに彼らを招き入れた。二人は背中を向け合って濡れた服を脱ぎ、青年の用意してくれた清潔な服を身にまとった。びしょ濡れの服はゲルとゲルの間に紐を渡し、そこにぶら下げて干した。


「そうそう、おれはサルキーンだ。おまえらは?」


 薄暗いゲルの中で、青年は椀に牛乳茶を注ぎ、それを二人に手渡しながら名乗った。


「俺は絶影だ」

「私はオルリコ。よろしく、サルキーン」

「絶影にオルリコな。おまえら、ひょっとして駆け落ちか?」


 遠慮なく牛乳茶に口をつけていた二人は吹き出しそうになった。どいつもこいつも、そんなに駆け落ちに見えるのだろうか。


「私は用事があってシャナドゥーへ行かなきゃならないの。彼はただの用心棒」


 何が用事だ。何がただの用心棒だ。絶影は訳のわからない不機嫌の虫につかまってしまったような気分だった。どうしてこんなに苛々するのか……。


「なあんだ、つまんねえな。あのな、ここから一番近い町がダグンホトってとこなんだ。そこからシャナドゥーまでは道が敷かれてるから、ダグンホトまでおまえらを案内してやるよ」


 サルキーンはオルリコににっこりと微笑み、彼女も嬉しそうに笑顔とお礼の言葉を返す。それを見て絶影はますます面白くない気持ちになる。


「親父とお袋が今夜は御馳走にするって言うから泊ってけよ」


 その晩は二人のために歓迎の宴が催された。羊料理と馬乳酒が振る舞われ、馬頭琴の哀しげな音色と伝統歌(ホーミー)でもてなされ、彼らはくたくたになるまで笑った。


 サルキーンには弟妹が七人いた。両親と祖父母も健在で、彼らは三つのゲルに分かれて寝起きしているという。絶影とオルリコは男女別に分かれサルキーンや彼の弟妹たちと同じゲルで眠ることになった。


 その夜、疲れているにもかかわらず絶影はなかなか寝付けなかった。眠ってしまったサルキーンたちを起こさないようそっとゲルの外に出ると頭の上に満天の星空が広がっていた。気が遠くなるような思いで星々の海に見入っていると、どこか遠くのゲルから歌声や笑い声が聞こえた。若者たちが酒を飲んでまだはしゃいでいるのだろう。楽しかった宴の余韻を噛みしめながら、絶影は故郷の家族のことを思い出した。


「眠れないの?」


 後ろから声をかけられ、絶影はどきりとした。用心棒として訓練されているため人の気配には敏感なのだが、よほどぼんやりしていたのか気が付かなかった。振り返るとオルリコが寒そうに身を縮めて立っていた。


「星、綺麗だね」


 のんびりと言いながら彼女は絶影の隣に並んだ。昼間は頭の天辺でまとめているお団子髪を今は背中に垂らしている。懐かしい気持ちにさせるいい匂いがふわりと漂った。


「うん、綺麗だ」


 絶影は再び星空を見上げた。二人はしばらく黙って星を見ていた。その時、彼は彼女との沈黙の時間が好きだと思った。互いに何も言わず、ただ同じものを見ているだけで、彼女と深いところで繋がっているような気がして優しい気持ちになれた。


「あのさ、俺、ずっと大きな仕事がしたかったんだ。有意義でかっこいい仕事。要人を護るとか、世界を股にかける貿易商に雇われるとか」

「うん」


「今まで碌な仕事にありつけなかったから、君に旅の護衛を頼まれた時、すごく嬉しかった。やっと俺にもまともな仕事が回ってきたんだって思った。俺を信じてくれるって言ってくれた君を、命を賭けて護ろうと思った」

「……うん」


「だから、君の旅の目的を聞いてがっかりした」 


 やっぱり、俺に回って来る仕事なんて碌なもんじゃないんだと落胆した。


「ごめんね」


 オルリコが申し訳なさそうに謝ったので、絶影は慌てて首を振った。彼女に文句を言いたいわけではないのだ。


「いや、違うんだ。俺、やめたんだ」


 二人は同時に互いの顔を見た。オルリコは困惑したような顔で首をかしげる。その小動物のような彼女の様子がおかしくて彼は思わず微笑んだ。


「仕事の価値とか、意味とか、考えるのやめたの。俺は俺の仕事を全うする。君は君の仕事を全うする。とりあえずは、それでいい気がする」


 オルリコがシャナドゥーへ布を取りに行く。彼女はそれを一生懸命やる。それなら、俺はそれを助けるまでだ。彼女を護るまでだ。それだけのことだ。


「……ありがとう」


 彼女は彼が思わずどきりとするような、とびきりの笑顔で言った。





 翌日、サルキーンの先導で草原を東へ進み、彼らはダグンホトを目指した。その日は一日中晴天に恵まれたものの、途中で出会った川は一昨日の雨の名残で茶色く濁っており、勢いよく流れる濁流を馬で渡り切った時にはほっとしたものだ。


 オルリコは乗馬の旅に大分慣れた様子で、気さくなサルキーンと楽しそうに会話しながら上手に馬を操っていた。どうやら旅を満喫しているようだ。草原の風に吹かれ、太陽の光を浴び、彼女の表情は生き生きと輝いていた。


 その日の夕暮時、小高い丘の上でサルキーンが馬を止めた。


「あれ、何だと思う?」


 サルキーンが指したのは遠くの丘の上に見える黒っぽい壁だった。壁は稜線に沿ってどこまでも続いている。


「三国志の時代に造られた万里の長城だぜ。男たちの夢の跡だ」


 彼は面白そうに笑い、馬をゆっくり歩かせながら遊牧民の歌を歌った。



 おれたちが馬に乗るのは

 地平線の向こうを夢見ているから

 無限の可能性を手に

 草原や砂漠を抜け

 大河や海原を越え

 青天や星空を駆けまわりたいから


 おれたちが旅をするのは

 万物が移りゆくことを知っているから

 頭の上を流れる白い雲

 沈んでゆく大きな夕日

 瓦礫と化した男たちの夢の跡

 今を生きることだけをその胸に誓っているから


 ごらん

 非力でちっぽけな人間が

 馬に乗った途端にどんな山も越えてゆけると笑う


 ごらん

 つまらなそうに走っていた馬が

 乗り手を得た途端に生き生きと野を駆けまわっている


 人は馬に自由を与え

 馬は人に自由を与える

 おれたちが旅をするのは

 与え、与えられ、ともに自由になれるから





 その晩、三人は別の遊牧民の集落に一泊した。客人を厚くもてなすのはどこも同じようで、彼らは大いに歓迎された。宴会が終わると提供されたゲルでぐっすりと眠り、翌日の午後、三人はダグンホトに到着した。


「ここまで来ればシャナドゥーはすぐだぜ。明日の朝ここを出れば夕方には着くだろう」


 サルキーンは市門の前で馬の頭を返し、あっさりと手を振った。


「じゃあおれは帰るからな、あばよ!」


 絶影は彼に何かお礼をしたかったのだが、サルキーンは見返りも求めずに去って行った。彼が颯爽と駆けて行く後ろ姿を見送り、二人はダグンホトに入った。安宿に部屋を取り、食料や矢を調達し、久々の入浴と酒家での夕食を済ませて、その日は早めに床に就いた。長旅と二晩連続の宴会がこたえていた。


「ねえ、暁都に帰っても私たちまた会えるよね?」


 寝床に潜り込むなり、衝立の向こうのオルリコが話しかけて来た。絶影はくたくたで今にも眠り込んでしまいそうだったが、この旅が終わった時のことを思うと切ない気持になった。


「……どうだろうな。君が関さんと一緒に衛世館に来るなら会えるかもしれないけど、お互い、変な疑いかけられるのは御免だよな」


 言葉にするとずきんと胸が痛んだ。絶影はぎゅっと目をつぶった。暁都に戻った後のことは、暁都に戻ってから考えればいい。今はまだ考えたくない。


「もっと君と話したいな」


 彼の気も知らずにオルリコはしつこく話しかけてくる。


「話せるだろ。暁都に帰るまで一週間かかるしさ」

「そうじゃなくて、これから君がどんな仕事するのかとか、どんな生活を送るのかとか、私、知りたいもの。晋粥であれだけ名前を売ったんだから、これからどんどん仕事がくるんじゃない?」


「だとしても、君はもうすぐ人妻になるんだから、俺なんかと遊んでる暇ないだろ?」


 あと十一日で彼女は結婚する。決して手の届かないところへ行ってしまう。苛立ちに任せてきつい言い方をしてしまったせいか、オルリコはしゅんとして黙ってしまった。


「もう寝ようぜ」


 絶影は音をたてて寝返りを打ち、オルリコ側の衝立に背を向けた。彼女はそれきり話しかけてこなかったので彼はあっという間に眠りに落ちて行った。



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