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1.護ってみせる/暁都

 いつものことだからと言って、心が痛まないなんてことはない。予想していた展開だからと言って、予定通りの行動を取れるとは限らない。


「倍額払うから別の用心棒に変えてくれ。こんなガキに大事な商品を任せられるかよ」 


 客の野太い声が苛立ちも露わに彼の解雇を告げる。彼はまたかと落胆した。


「まあまあ旦那」


 応じたのは彼自身ではなく、彼の親分だった。


「こいつはこの通り背は低いし、顔は童顔だし、いまいち気迫もねえですが、馬を操らせたら右に出る奴ぁいませんし、馬上で弓を射らせたら天下一、剣の腕にも太鼓判を押しますぜ。間違いなく、我が『衛世館(えいせかん)』の期待の星です」


 親分は朗々と語りながら背後の建物を見上げた。官吏の屋敷より広い土地に、中流家庭の家屋より小さい屋敷が建っている。赤茶色の瓦を載せた白壁の建物の入り口には金色の文字で「衛世護民」と書かれている。ここは世を守り、人々を守る、用心棒の派遣業者だ。


「おい、黙ってねえで、てめえも何か言えよ」


 大柄な親分に小突かれ、小柄な彼はぎこちなく胸を張って客を見上げた。客は鋭い眼光で彼を睨み、何か言えるものなら言ってみろとばかりに顎を突き出して両腕を胸の前で組み合わせる。彼は平然とした態度で頭をかいた。


「えっと、まあ、なんつうか、大船に乗ったつもりでこの俺にどーんと……」

「何と言われてもおれの気は変わらねえよ。この商談にはおれの人生がかかってんだ。だいたいなあ、おめえ、これまでロクな仕事してねえじゃねえか」


 やべえ。彼は内心でぎくりとした。客が彼の鼻先に彼の仕事の履歴書を突き出したからだ。これを持ち出されると大抵契約は破談になる。


的頭(てきとう)村へ村人の護衛――所要半日、だの、官吏の娘の嫁入りを護衛――三本先の通りまで、だの、おめえ」

「的頭村の畑の番は二カ月やったかな。狼や野犬をずいぶん退治したぜ」

「畑の番と隊商の護衛を一緒にするな!」


 よし、この客は諦めよう。彼はさっさと見切りをつけて意識を周囲へ散らした。屋敷裏の訓練場から弓を射る音が途絶えている。恐らく、非番の用心棒たちがみんなで聞き耳を立てているのだ。彼は舌打ちしたいのを堪え、表通りを行きかう人々を何とはなしに見た。


「あ」


 何とはなしに見たにも関わらず、彼の視線は誰かの視線と真正面からかち合った。大きな黒い目が人の波の向こうからじっと彼を見ていた。


「なあ、あんたとも長い付き合いだよな?倍額出す、別の用心棒に変えてくれ。そうじゃなきゃ他所を当たるぜ」


 客が親分に詰め寄っている間にその黒い目は人ごみの向こうに消えて見えなくなった。




 暁都(ぎょうと)は皇帝のお膝元だ。静かで平穏な富裕層の街、活気の溢れる町人の街、ならず者の行きかう治安の悪い貧困街など様々な顔を持つ。「衛世護民」の看板を掲げた用心棒派遣業者「衛世館」は商店の立ち並ぶ大通りの端に位置している。


 衛世館を訪れる者のほとんどが商人で、仕事の内容は十中八九、商品の護衛だ。町から町へ商品を運ぶ際、大事な荷物を盗賊から奪われないよう商人は用心棒を雇うのだ。ありとあらゆる物品が暁都に集まり、売買されて全国に散る。暁都では用心棒になれば食いっぱぐれることはないとまで言われている。


 だが、彼は食いっぱぐれそうだった。何故なら用心棒らしいまともな仕事に関わったことがないからである。


「おまえの背がもう少し高けれりゃなあ」


 彼の親分――赤兎(せきと)がぎしりと音を立てて木の椅子に座った。赤兎は用心棒を絵にかいたような男だ。立っていると天井に頭が届きそうだし、赤兎の腕は彼の太股より太い。頬と顎には髪と同じ赤色の短い髭を生やしていて、細い眼は鋭く野性的だ。数年前に四十歳になってからは衛世館の経営と後継者の育成に専念するようになり、よほどの大仕事でない限り用心棒として現場に立つことはなくなったが、赤兎が日々の鍛錬を怠ることはなかった。


 すでに卓を挟んだ反対側に座っていた彼は一瞬だけ赤兎を見上げてそっぽを向いた。食事の時間が終わった薄暗い食堂には二人の他に誰もいない。皆、訓練に励んでいるか護衛の仕事に出かけているかのどちらかだ。


「俺だって好きでチビなわけじゃねえ」


 彼はため息を吐き出して天井を仰いだ。彼の言葉に同意するかのように彼の腹が鳴った。橙色の西日が差しこみ始めた食堂に数秒の沈黙が落ちる。


「俺、用心棒に向いてないんだよ。名前まで変えたのに」


 親から貰った名前を捨てたのは衛世館で用心棒になるための訓練を初めてすぐ、三年前の十二歳のことだった。彼は草原の遊牧民の家に生まれたが口減らしのために衛世館に売られて来たのだ。


「おまえの名前はダセえ。もっとかっこ良くて迫力のある名前をつけてやる」


 今以上に小柄だった彼に赤兎はにやりと笑って言った。


「おまえは今日から絶影(ぜつえい)だ。そう名乗れ」


 それが三国志に出て来る馬の名前だと知ったのは随分後になってからだった。英雄の愛馬の名前を授かったにも関わらず、彼は相変わらずダサい仕事ばかりしている。


「おまえが用心棒に向いてないってこたぁまずねえよ。それは保証してやる。身長だってまだ伸びるだろ、あと何年かの辛抱だ」

「辛抱なんて言葉、聞き飽きた」


 ふてくされて頬杖をつく絶影に、赤兎はおかしそうに笑って言った。


「そう言うけどな、見た目が弱そうってのは、おまえの最大の武器でもあるんだぜ?」


 用心棒らしからぬ小柄な体型を最大の武器呼ばわりされても嬉しくない。絶影が言い返そうとした時、食堂の扉が開いて最近衛世館に名を連ねた若い用心棒が顔を出した。


「親分、客っす!」


 赤兎はすぐに椅子から腰を上げ、いつになく神経質に襟元を正した。


「おう、張さんとこのだろ?そろそろ来ると思ってたぜ」

「噂のお馬鹿さんがあんなに可愛い女の子だとは思わなかったっすよ」

「噂の……女の子?」


 彼は思わず食いついた。衛世館に女性が出入りすることはまずない。あったとしても夫婦や兄妹など男連れがほとんどだ。まして女の子がやって来たことなどいまだかつてないことである。


「それより、訓練場まで聞こえたぜ、絶影。また客に嫌われたな」


 からかうような口ぶりで言いながら新入りの用心棒は絶影に歩み寄る。落ち込んでいた絶影はいつもなら受け流せるような悪口にむっとして立ち上がった。


「喧嘩なら買うぜ、おっさん」

「やめろ」


 相手に食ってかかろうとした絶影の顔の前に、赤兎の太い腕が音もなく止めに入った。


「絶影、おまえも来い」


 絶影の襟首を軽くつかみ、赤兎は食堂を出た。絶影はされるがままに食堂を出て廊下を進み、応接室の扉の前でようやく解放される。


「でも、仕事の話だろ?」


 絶影が小声で訊ねると、赤兎は彼の背中を思い切り突き飛ばした。彼は扉にぶつかるまいと両腕を振り回して踏みとどまる。


「何が『でも』だ。この無駄飯食い!」

「いってえ、だって、どうせまた俺の顔見た途端に断るんだぜ」

「今度ばかりはそんなことにはならねえよ」

「何で?」


 赤兎は絶影の問いに答えず扉を開けた。客人は西向きの窓を背に座っていて、強い日差しがその人のシルエットを黒く染め上げていた。それは女の子だった。頭頂部で髪をお団子に結った卵型の小さな顔や細い首、襟足から落ちる遅れ毛やまろやかな肩の曲線にどきりと胸が鳴った。


「よう、風が冷たくなってきたな」


 立ちつくす絶影を尻目に赤兎は彼女の背後の窓を閉めた。金色の光が遮られ、応接室はにわかに穏やかな薄闇に包まれる。闇に目が慣れると彼女の顔が見えた。目が合った。さっき門の前で絶影をじっと見ていた大きな黒い目だった。


「オルリコ、これはうちの用心棒の絶影。絶影、彼女は張さんとこの使用人のオルリコだ。知ってるだろ?」


 オルリコと呼ばれた女の子は絶影と同じくらいの年齢だった。あまり外に出ないのか肌は白く、黒髪はつやつやと輝いている。頬と唇はわずかに紅く、特別美人ではないが愛らしい顔立ちをしていた。


 オルリコは赤兎と視線を交わし、意を決したように深く頷いた。赤兎はほっとしたような顔で絶影を振り返り、オルリコの向かいに腰を下した。絶影は我に返って赤兎の隣の椅子を引いた。家族以外の女の子と向かい合って座るなんて生まれて初めてかもしれない。腰を下しながら彼は乾いた口を開く。


「知ってるっていうか……君、あれだよね?張さんとこの我儘な双子に顎で使われてる鈍い子だろ?双子の気まぐれで隣町に飴玉一個買いに行かされたり、的頭村に石ころ拾いに行かされたりするって噂、マジ?」

「鈍くて悪かったね」


 緊張のあまりの失言だった。


「世間の噂と、本当のことは違うよ。君なら分かるよね?」


 怒ったように眉根を寄せて絶影を睨むオルリコの黒い瞳には失望が浮かんでいた。少年と少女の穏かでないやりとりに赤兎は冷静に割って入った。


「絶影、オルリコはシャナドゥーへ行って用事を済ませて暁都に戻る。おまえはその護衛をしろ」

「シャナドゥー?それも我儘な双子の気まぐれなのか?」


 張家の我儘な双子と使用人のオルリコの話は有名だ。オルリコが往復すると数刻かかる隣町に飴玉一個買いに行かされたらしいとか、丸一日がかりで湖のほとりの的頭村へ石ころ拾いや花摘みに行かされたらしいとか、世にも馬鹿馬鹿しい噂話を彼も時々耳にする。だが、シャナドゥーは暁都から馬で七日ほどかかる。往復すれば二週間だ。旅慣れているわけでもない、ただの商家の女使用人に、思いつきでそのような旅を強いるのは、いささか度が過ぎているのではないか。


「金華さんと銀河さんに御用を申しつかったって言ってよ」


 オルリコは不満そうに唇を尖らせ己の主人たちを擁護した。わけのわからない命令を御用と呼んでいるあたり、彼女は双子の気まぐれに従順なのだろう。彼女は町中の心ない人間によってたかって笑われていることを知っているのだろうか。


「御用って、何しに行くんだよ?まさか飴玉買いに行くんじゃないよな?」


 冗談で言ったつもりだったが、オルリコは傷ついたような顔をして口をつぐんだ。


「げっ、マジ?!」

「飴玉じゃないよ。時間がないから道中で説明する。明日、夜明け前に青龍門の前でね。――それじゃあ、赤兎さん、おやすみなさい」


 オルリコは椅子から立ち上がり、小走りで応接室から出て行った。


 明日、夜明け前に青龍門の前で。絶影は去り際のオルリコの言葉を口の中で反芻する。

 彼は仕事を、断られなかった。


 それも暁都とシャナドゥーを往復するという大きな仕事だ。この際、我儘な双子のくだらない御遣いであることは脇に置いておこう。彼は単純に、嬉しかった。


「こら、ぼけっとしてねえで家まで送って来い」


 呆然とする絶影を赤兎が小突き、彼は慌ててオルリコを追った。彼は衛世館の門を出たところで彼女に追いついた。


「張さん家まで送るよ」


 振り向いた彼女は印象的な黒い瞳で彼を見つめて短くお礼を言った。彼が彼女の横に並ぶと二人の身長は同じくらいだった。地面に落ちた彼らの影の大きさもあまり変わらない。


 彼は背が高いわけでも体格がいいわけでもなく、強面でもないし野性的でもない。仕事を任された喜びも大きかったかが、それ以上に彼女の考えていることが気になった。彼女は何故、彼のような用心棒に仕事を任せる気になったのだろう。


 二人はお互いに黙って夕暮れの大通りを歩き、十分ほどで富裕な商人の住む住宅街に辿り着いた。


「もうすぐそこだから、ここでいいよ。どうもありがとう」


 オルリコはもう一度礼を言い、絶影から離れて黒い瓦屋根の大きな屋敷に向かって歩き出した。遠ざかる彼女の背中がどうしてか自分より頼りがいがあるように見えて、絶影は疑問を抑えられなくなった。


「なあ」


 呼びとめるとオルリコは足を止めて振り返った。


「さっき、衛世館の門の前で俺が客に振られるの見てたんだろ。何で俺なんかに護衛を任せてくれるんだ?命がけって言ったら大げさかもしれないけど、危険な旅だよ。俺、どう見ても強そうじゃないだろ?」


 二週間の旅のほとんどが草原にテントを張っての野宿になる。盗賊や狼や野犬に怯え、雨や風や寒さに苦しめられ、慣れない馬に揺られて旅をしなければならないのなら、経験豊富で強そうな用心棒を雇うのが普通の感覚というものではないだろうか。


「君も私と同じかもって思ったから」


 オルリコはゆっくりと目を泳がせ、言葉を選ぶように答えた。


「君も私と同じ、つまらない仕事ばかりしてる人だと思ったから、私の仕事のこと、分かってくれると思ったんだ」


 確かに、絶影の畑の番や花嫁の護衛は、オルリコのおつかいや石拾いに似ている。用心棒らしからぬつまらない仕事ばかりしている絶影に彼女が親近感のようなものを抱いてもおかしくはないのかもしれない。だが。


「それだけ?それだけの理由で自分の命や安全を俺なんかに預けちゃうのか?途中で後悔しない?」


 絶影が疑り深く訊ねると、思いがけずオルリコが微笑んだ。目じりが下がり、唇の間から綺麗な白い歯が見えた。


「だって、私は信じてるよ。本当は君が強いってこと。世間の噂や評判なんて当てにならないもん。赤兎さんが太鼓判を押すんだから、君はきっと、すごく強い」


 絶影は自分の頭に血が上るのを感じた。こんなことを言われたのは用心棒になってから初めてのことだった。いや、生まれて初めてかもしれない。絶影は天高く舞い上がる気持ちを抑え、お礼の言葉をあたふたと考えたが、それを口にする前にオルリコが思いついたように付け足した。


「あっ、あと、君が一番安いって聞いたから」


 オルリコは楽しそうににっこりと笑ったが、絶影は両手で頭を抱えて踵を返した。


「……おやすみ」


 いつものことだからと言って、心が痛まないなんてことはない。予想していた展開だからと言って、予定通りの行動を取れるとは限らない。それならいっそ、いつもと何もかも違うことや全く予想外のことに思い切り振り回された方がいい。


「――信じてるよ、か」


 衛世館に帰る道すがら、彼は何度も何度もその言葉を思い出した。きっと一生、忘れない言葉だろうなとしみじみと思いながら、何度も、何度も思い出した。細長い雲が幾筋も浮かぶ真っ赤な西の空を眺め、足の裏から力が湧き上がるのを感じ、人生で初めて自分が手にした仕事を誇らしく思った。


 きっとあの子を、護ってみせる。



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