第3話:銀の甲冑と、星屑の誘惑
カラン、と乾いた音が店内に響いた。
開かれた扉から滑り込んできたのは、夕刻の冷たい風と、重苦しい鉄の匂い。
現れたのは、見事な銀色の甲冑を纏った女騎士だった。
腰に佩いた長剣は手入れが行き届いているが、彼女の顔色は、その白銀の鎧よりも青白い。結い上げた金髪は乱れ、瞳の奥には拭いきれない疲労が澱のように溜まっていた。
「……ここが、噂の『豆と杖』か。元魔導師が営む、隠れ家だと聞いたが」
彼女の声は凛としていたが、わずかに震えている。
サトウはカウンター越しに、彼女の指先がかすかに強張っているのを見逃さなかった。
「いらっしゃいませ。……お疲れのようですね」
サトウが声をかけると、女騎士は力なく微笑んだ。
「ああ。北の渓谷で一週間、魔物の群れと対峙していた。……ようやく交代が来て王都へ戻る途中だが、馬を降りた瞬間に、身体が鉛になったようでな。何か、腹に溜まるものを。できれば、毒にならない程度のものを頼む」
彼女はカウンターの端、一番目立たない席に深く腰掛けた。
ゼノスが奥から無言で歩み寄り、サトウに顎で合図を送った。
「(……サトウ、あれを出せ。今のあいつにコーヒーの苦味は、少々酷だ)」
サトウは頷いた。
ゼノスが杖を振り、空中に浮かぶ氷の結晶から冷気を取り出す。サトウはその横で、手慣れた手つきで「スカイ・ピール」と「太陽の雫」を切り分けた。
「少し、お待ちくださいね。とっておきを用意しますから」
攪拌機が回る、リズミカルな音。
ミルクの白と果実の黄金色が混ざり合い、グラスの中で柔らかなパステルカラーに変化していく。
仕上げに、ゼノスが杖の先でグラスの縁をなぞると、微細な魔力が「星屑」のような光の粒となってジュースの上に散った。
「お待たせしました。『星屑のミックス・オレ』です」
女騎士は、目の前に置かれたその鮮やかな飲み物を、不思議そうに見つめた。
「……これが? 酒でも、ただの果実水でもないようだが」
「僕の故郷の、疲れを癒やす魔法の飲み物です。まずは一口、どうぞ」
彼女は半信半疑のまま、添えられたストロー(ゼノスが植物の茎を加工したもの)に唇を寄せた。
吸い込まれた液体が、彼女の舌に乗る。
瞬間、女騎士の肩が、びくんと跳ねた。
「っ……!? ……んんっ、あ……」
喉の奥から、無意識のような、熱い吐息が漏れる。
バナナに似た濃厚な甘みが、乾ききった細胞の一つひとつに染み込んでいく。続いて訪れるオレンジの爽快感。そして、ムーン・ミルクの優しさが、戦場で張り詰めていた彼女の神経を、一本ずつ丁寧に解きほぐしていった。
「……美味しい。……何だ、これは。甘いのに、くどくない。……身体の中に、光が溶け出していくみたいだ……」
彼女の頬に、みるみるうちに赤みが差していく。
あれほど厳格だった騎士の表情が、今はまるで、初めてお菓子をもらった幼子のようだった。
彼女は夢中でグラスを傾けた。
ストローを吸うたびに、鎧の重さが消え、剣の重圧が消え、ただの「一人の女性」としての時間が戻ってくる。
「ふぅ……」
最後の一口を飲み干し、彼女は大きく息を吐いた。
その顔には、先ほどまでの悲壮感は微塵もなかった。
「……参ったな。王都の最高級のワインよりも、今の私にはこれが必要だったらしい」
「お口に合って良かったです」
サトウが微笑むと、女騎士は少し照れくさそうに、手元の銀の籠手を外した。
「私は聖騎士団のエルザだ。……サトウと言ったか。礼を言う。この一杯のおかげで、明日からもまた、剣を振るえそうだ」
彼女は懐から金貨を一枚取り出し、カウンターに置いた。
「釣りはいらん。……また、来てもいいか? 今度は、その、甲冑を着ていない時にでも」
「もちろんです。いつでもお待ちしていますよ、エルザさん」
エルザは、どこか軽やかな足取りで店を後にした。
扉が閉まると、ゼノスが鼻を鳴らしながら、空になったグラスを手に取った。
「……ふん。ジュース如きに、聖騎士の心を動かす力があったとはな」
「ゼノスさんだって、さっき杖で隠し味の魔力を足してくれたじゃないですか」
「黙れ。俺はただ、温度が上がるのが嫌だっただけだ」
そう言いながらも、老魔導師の口元はわずかに綻んでいた。
異世界の夕暮れ。
コーヒーの香りとミックスジュースの余韻が混ざり合う『豆と杖』に、また一つ、新しい常連の予感が刻まれた。




